学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

アクティブラーニングと講義

2014-09-28 | 教育
アクティブラーニングが大流行である。アクティブラーニングはさまざまな学習方法を包含した概念であり,それを定義する際に,もっともその性格を鮮明にする文言として,授業者が「一方的に」知識を伝達する講義形式「ではない」ということが示される。そして,この講義形式は,「受動的」なものとして退けられる。このアクティブラーニングには価値判断が含まれており,アクティブラーニングが望ましい学習方法であり,従来の講義形式はアクティブラーニングよりも価値が低いという含意がある。

これは,アクティブラーニングを実践したことのある経験のある授業者であれば容易に分かることであるが,実は知識習得という面では,アクティブラーニングは効率的ではない。だから,アクティブラーニングだけでは十分な学修効果をあげることができないことはすぐに実感できる。したがって,アクティブラーニングを有効に機能させるためには,授業を受ける者が「あらかじめ」「主体的に」知識習得をしておく必要があることになる。例えば,授業者が前もって提示した参考文献を読了しておくこととか,あらかじめ提示された課題を自力で解決しておくとかいうことが必要になる。そのような予習なしにアクティブラーニングをやってもさほど効果はあがらない。むしろ,学力は低下するであろう。

ひるがえって,従来の講義形式は,極めて効率的に学習ができる。当然,授業を受ける者のモチベーションが十分にあるということが前提である(アクティブラーニングがモチベーションをあげるということもよくいわれるが,小中ぐらいならいざ知らず,高校生や大学生になってまで,教師にモチベーションをあげるしかけをつくってもらわなければならないようでは,とても世の中で役に立つ人間になどなれないであろう)。講義形式においては,授業者からの効果的な知識伝達が可能なばかりではなく,授業を受ける者の心構え一つで,講義を聞きながらそれこそ頭の中で「主体的に」思考することは可能であるし,講義の内容を基に,さらに発展的な学修を自ら進めることも可能であろう。また,授業者に不明点や疑問を問いただすことも可能である。講義が「一方的」というのは,その表面的な面だけを見ているにすぎない。

したがって,講義形式を放逐して,すべてをアクティブラーニングにしようなどという試みは止めた方がよい。まともな教育者ならば,わかりきっていることであろうが,アクティブラーニングはあくまでも,講義形式のオールタナティブにすぎない。

今後もメインストリームは講義形式であり続けるだろう。そうしなければ,知識伝達は不可能になる。