学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

冬休みの宿題

2006-12-27 | 教育
冬休みに宿題を課すべきかどうか?

できれば,冬休みは,
子どもたちには,
年末年始の家の仕事や家の行事を
味わってほしいものである。

そういった意味で,
冬休みには,
あまり重い宿題は課すべきではないと
思っている。

子どもは,
学校の児童や生徒であるよりも先に
家族の一員であるべきである。

家庭の状況はさまざまであるにしても,
子どもたちには,
家での役割を果たし,
家での楽しいひとときを
感じてもらいたいものである。

そういった願いを込めて,
冬休みの宿題は,
「書初め」ぐらいにしておきたいものである。

学校改革の秘訣 その2

2006-12-23 | 教育
先日指摘した「学校改革の秘訣」の3つのことが
おおむね指導できたら,次の段階に移る。
これには少々お金がかかる。

ひとつめは,学校のトイレをきれいに改装し,
最新式のものにすることである。

ふたつめは,学校の花壇や植栽を地域のプロの手をかりて
美しく作り上げることである。
とくに門から校舎までの道を美しく仕上げることである。

みっつめは,職員室を整然とした環境にすることである。
機能的なファイリングシステムを導入し,
職員室の机の上に本や書類が山積みという状態をなくし,
整理整頓された,すきのない環境にすることである。

以上,3点が次の改革の要点である。

学校改革の秘訣

2006-12-22 | 教育
学校を改革するには,ただこれだけを
やればよいという秘訣がある。

その秘訣は,三つある。

ひとつめは,児童生徒の授業中の姿勢をきちんと正させること。
ふたつめには,児童生徒がいつでもどこでも挨拶できるようにすること。
みっつめには,教師には敬語を使って話すようにさせること。

ほかのことには目もくれず,
ただひたすらこの三つだけを
徹底的に指導するのである。

決して叱ってはならない,ただし譲ってはならない。
できないときには,できるまでやり直させるのである。
これは,支援ではなく,指導である。

これさえ完全にできれば,
学力などは後から自然とついてくるものである。


不安定

2006-12-19 | 教育
このたび成立した改正教育基本法の前文と第1条あたりと
従来の教育基本法の前文と第1条あたりを
声を出して読み比べてもらいたい。

日本語の安定感やリズムといったものに対する配慮が,
改正教育基本法には全くないのである。

改正教育基本法の
言葉に対する感覚の鈍磨を見るにつけ,
戦後60年にして
かくも文化は衰退するものかと
ある種の感慨すら覚えるのである。

公共の精神

2006-12-17 | 教育
これからは,「公共の精神」というものを
厳しく問い直していかなければならない。

どうも,「公共の精神」ということが,
たやすく「国」ということと結びついて
議論されているようであるが,
実際のところ,「公共の精神」とは,
ひろく市民性全般を指しており,
必ずしも「国」の枠組みのなかにおさまるものではない。

よくわが国民が伝統的にもっていた規範意識が
最近欠如してきたなどといわれるが,
そこで語られている「規範意識」というものが,
儒教道徳や武士道を模範とするものであるとすると,
それらの価値観が本来,
封建社会のもとでの規範であることを
捨象して考えてはならない。

むしろ,「公共の精神」は,
21世紀の社会にふさわしく
構築されなおさなければならないのであって,
その根本となる市民性の根拠をどこにおくかということを
厳しく吟味していかなければならないのである。

失われたとする「規範意識」を
「国」に対する思いと,
結びつけて議論することは,
封建社会がもつ主従の倫理を理想とする価値観に
支えられているにすぎないと考えざるを得ない。

その場合の「主」とは誰なのか。
民主主義社会における「主」とは何かが
吟味されるべきであろう。

いわゆる規範意識をもっているかどうかということと,
その人がもつ政治信条とはほとんど関係しないと
思うのだがどうだろうか。

いわゆる社会規範に対する意識というものは,
自然に考えれば,
その人の属する身近な共同体に対する意識から発生する
原初的な感覚ではないのだろうか。

その意味では「公共の精神」は「国」の枠組を超えて
存在するものであろう。

2006年12月15日

2006-12-15 | 教育
2006年12月15日,
教育基本法改正法案が可決成立した。

この日を銘記すべきである。

将来,この日を痛恨の念をもって
思い起こすことになるであろう。

この日から,
教育が,そしてわが国の方向そのものが,
誤った方向に向かい始めたのだと。

教育基本法に想う

2006-12-14 | 教育
いよいよ教育基本法が改正される見通しが
濃厚になってきた。

現在の教育基本法にこめられた教育の理想は,
ついに実現されないまま
終焉を迎えようとしている。

わが国の教育の理想は,
いままさに消え去ろうとしている。



古文や漢文は大事です

2006-12-09 | 教育
高等学校時代,
『平家物語』や『方丈記』や『徒然草』を
ずいぶん読まされたせいか,
どこかに無常観がこびりついている。

人生に対する一種の諦念のようなものを
この時期に植えつけられたのだ。

漢文では,『論語』も読んだが,
『老子』や『荘子』や『列子』により強く引かれた。
そのせいか,友人からは「無為自然」と呼ばれる始末であった。

人生の始まりのときに
すでに人生の終着駅を見据えたような価値観を
教えてくれたのが古文や漢文であった。

時に,このことが私の人生に
大きな安らぎを与えてくれていると感じることがある。

「夢」や「希望」や「自己実現」というような浅薄な価値を
声高に唱えるよりも
よほど深い人生の真実を,古文や漢文は教えてくれる。

古文や漢文といった古典が軽視される世の中は
おそらく過去に対して謙虚でないという意味で傲慢であり,
そのためにいつか破綻するであろう。

どうか古文や漢文を復権させ,
人生のはじまりのときに
古人の深い人生への洞察を垣間見せてやってほしいものである。






おこがましい

2006-12-02 | 教育
いま学校に市場原理だの競争原理だの,
資本主義に基づく価値観が学校に持ち込まれ,
そういう価値観を好まない学校教員を悩ませている。

市場原理だの競争原理だのという
歴史的淘汰を経ていない未熟な価値観をもつ者に
言ってやるがよい。

考えてもみよ,資本主義の歩んできた歴史よりも
教師や学校の歩んできた歴史のほうが
はるかに長いのである。

その昔,ヘンリー・ヴァン・ダイクは,
名もなき教師こそ民主的貴族に列せられるにふさわしいと言った。

ブルジョワジーの価値観が,
民主的貴族の価値観に対抗しようとするのは,
おこがましいのである。

愚痴である。



丁寧に教えてあげよう

2006-12-01 | 教育
学力低下以前に,
高校生の学習習慣の未形成が深刻さを増しているように思われる。
これからの高等学校の授業では,
このように丁寧に教えてあげなければいけないのである。

「あのね,授業というものは,
 先生の言うことを聞いて,
 そして,ノートをきちんと取るんですよ。
 ノートっていうものがあるんですが,
 知らないですか?
 小学校のときは使ってた?
 そう,文房具屋さんに売っていますね。
 でも,小学校のときに使ったのじゃないよ。
 そう,四角いマスのついてるのじゃなくて,
 横線がいっぱい引いてあるのを買ってきてくださいね。
 
 それから授業が始まるときには,
 教科書と買ってきたノートを机のうえに出して,
 今日やるところを開いておいてくださいね。

 そして,授業を聞いて,ノートを書いてくださいね。
 
 そして,授業が終わったら
 教科書とノートはおうちへもって帰るんですよ。
 ロッカーや机の中に入れてちゃダメですよ。

 おうちで,もう一度教科書とノートを見て
 復習してくださいね。

 あれ? 「復習」って言葉聞いたことない?

 復習っていうのは,授業でやったことを
 もう一度思い出して勉強することです。

 あれ?? 「べんきょう」って言葉も聞いたことなかったっけ.....!?」