学校現場での評価が
相対評価から絶対評価に変わって久しい。
学校で現在行われている絶対評価は,
成績分布を正規分布であると仮定しない点と,
到達度を規準や基準に照らしてみるという点に特徴がある。
本来,相対評価と絶対評価の違いは,
評価のものさしをどこにとるかということだけの違いであって,
絶対評価になったからといって
よい成績がつくようになるわけではない。
どうも現在行われている絶対評価は,
規準や規準が抽象的で基準性に乏しく,
さらに
「子どものよいところを認め,励ます」という
別のファクターが深く入り込んでいるため,
またまたさらに,
到達度というものが,
個々の子どもの評価を通して,
授業そのものの効果を結果として示すという
授業評価的な側面があるために,
どうしても評価のインフレーション,
あるいは評価の平均化が起こるのである。
つまり,みんなが,
ほぼ同じような良い成績になっていくのである。
このため,現在行われている絶対評価は,
やがて評価としての意味をもたなくなり,
評価不在の状態を生み出すのである。
相対評価にも弊害があり,
絶対評価も前述のような状態に陥るとすると,
学校現場での望ましい評価の方法としては,
1 テストの素点をそのテストの得点分布とともに提示する。
(テストの素点は,その本来の意味において絶対評価である)
2 さまざまな学習場面の状況を文章で記述して提示する。
3 面談によって1・2の評価について説明する。
といった方法以外に,
有効性のある評価方法を思いつかない。
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相対評価から絶対評価に変わって久しい。
学校で現在行われている絶対評価は,
成績分布を正規分布であると仮定しない点と,
到達度を規準や基準に照らしてみるという点に特徴がある。
本来,相対評価と絶対評価の違いは,
評価のものさしをどこにとるかということだけの違いであって,
絶対評価になったからといって
よい成績がつくようになるわけではない。
どうも現在行われている絶対評価は,
規準や規準が抽象的で基準性に乏しく,
さらに
「子どものよいところを認め,励ます」という
別のファクターが深く入り込んでいるため,
またまたさらに,
到達度というものが,
個々の子どもの評価を通して,
授業そのものの効果を結果として示すという
授業評価的な側面があるために,
どうしても評価のインフレーション,
あるいは評価の平均化が起こるのである。
つまり,みんなが,
ほぼ同じような良い成績になっていくのである。
このため,現在行われている絶対評価は,
やがて評価としての意味をもたなくなり,
評価不在の状態を生み出すのである。
相対評価にも弊害があり,
絶対評価も前述のような状態に陥るとすると,
学校現場での望ましい評価の方法としては,
1 テストの素点をそのテストの得点分布とともに提示する。
(テストの素点は,その本来の意味において絶対評価である)
2 さまざまな学習場面の状況を文章で記述して提示する。
3 面談によって1・2の評価について説明する。
といった方法以外に,
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