学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

標準授業時数を考える

2012-09-17 | 教育
最近,授業時数の確保ということがずいぶん言われるようになってきた。おそらくは,学習指導要領が「最低基準」と言われ始めてから顕著になってきた傾向だと思うが,近頃は,授業時数の確保を優先するあまり,学校行事の準備が不十分だったり,時間割が変則的だったり,長期の休み明け当日から授業をしてみたりと,学校の教育課程全体がいびつな形になってしまっているように思われる。小学校などでは,とくに学校行事の準備にはしっかりと時間をかけるべきである。また,変則的な時間割は,子どもを不安定な気持ちにさせる可能性がある。また,長期休みが終わったら,次の日は,始業式と学級会と掃除ぐらいで午前中で終わらせ,徐々に子供を学校生活に慣れさせるべきである。こんな日から授業を始めるなど,教師としての見識を疑いたくなる。もしも教育的配慮から授業時数が若干減ったとしても,教育効果全体から考えれば,問題にするほどのことではない。学校の教育課程というものは,その学校の児童生徒の健全な成長を最優先に考えるべきもので,学習指導要領に示された授業時数を墨守することを最優先にすべきものではない。机上で作られた「標準授業時数」が全ての学校の実情にあっているわけではないのである。どうも忘れられているようだが,学習指導要領の授業時数は,「標準授業時数」であって,「最低授業時数」ではない。つまり,授業時数については,実際の学校運営のなかで,各学校が専門的な見地から「標準」から大きく逸脱しない範囲で考えればよいのである。この「標準」の意味をしっかりと考えて,教育課程全体をいびつにならないように考えることが必要ではないだろうか。

授業公開を考える

2012-09-11 | 教育
 授業公開あるいは授業参観について考えてみたい。これまでさまざまな授業公開の機会に授業を参観してきたが,以前と比べてずいぶん変わってきたなと感じることがある。

 かつては授業参観日というと,教師にとっても児童生徒にとってもハレの日であって,お家の人やお客様に自分が授業をしている(受けている)姿を見ていただく特別な日という位置づけであった。それゆえ,教師はいつもとは違う服装でおしゃれをし,花を飾り,教室を整えたものである。子供のほうもいつもになくきちんとした服装で来たものであった。授業の内容すらも,特別にあつらえたようなものが多かったように思う。

 今の授業公開は,普段のままである。この教室の状態で,このような授業を,このような教師の服装や態度で,子供たちもこんな状態で,他人様に見せて,本当にそれでよいのか? と思われるような授業ばかりである。ちらっとみただけで,げんなりして帰ってくることも多い。

 もしも今私の書いたことを見て,かつての授業参観日の状況を偽善的であるというならば,今は単に露悪的なだけである。お客様を我が家にお招きするのに,掃除もせずに何の準備もせず迎え入れるであろうか。おもてなしの心というものがあるであろう。

 今の露悪的な授業公開の状況は,わざわざ授業を見に来てくださる方に対する敬意がないことのあらわれである。授業公開をするならば,教室の後ろにせめて,椅子を並べるべきであろうし,掲示物には気を配るべきであろう。子供の身なりにも注意し,お客様をお迎えするということはどういうことかをきちんと指導するよい機会ではないか。そのあたりの感覚があまりにも欠落してしまったのは,以前の授業参観日の虚飾に対する反省のためでもあろうが,今度は逆の方向にふれすぎてしまったようである。ぜひ,授業公開日が授業を参観してくださる保護者の方々にとって失礼な日になっていないかどうか,今一度点検すべきであろう(普段のままの姿は,主事訪問の時に見せておけばよい)。

いじめ対策に予算をかけるなら

2012-09-07 | 教育
もしも,文部科学省が予算をかけて,本気でいじめを撲滅しようとするのであれば,「いじめ、学校安全等に関する総合的な取組方針」に示したような実効性の不確かなものではなく,以下の対策を即刻行うべきである。

1 全国の小中高校生全員に,携帯型のいじめ通報装置を配付する。これは,いじめを受けた時にボタンを押せば(いじめの定義にしたがえば,いじめられたと感じた時はいつでも押してよい),直ちに警察あるいはいじめ対策のために設けられた専門機関(決して「いじめ問題アドバイザー(仮称)」などという補助機関ではなく,「いじめ撲滅機構(仮称)」という捜査権及び逮捕権をもつ専門機関)に連絡がいき,警察官あるいは専門職員が現場に急行する。

2 現場でいじめの発生を現認した警察または専門職員は,ただちに加害者を拘束し,事情聴取する。被害者にも事情を聞く。(そのためには,「いじめ」は犯罪行為であるという法的規制が必要であるが。) 

3 警察または専門職員は,専門的な見地から判断を下し,加害者については,出席停止及び少年犯罪同等の処置を行う。

4 被害者に関しては,一定期間,専門職員が日常生活全般を見守る。

5 学校は,具体的ないじめについては警察または専門機関からの諮問があったときのみ発言権を有するものとする。

5 学校の役割は道徳性の涵養を通していじめを予防し,いじめ発生時においては,いじめの当事者以外の児童生徒の情緒の安定を図ることにあり,いじめの当事者の指導に関しては,すべて警察または専門機関の管轄とする。

このぐらいでなければ,いじめ対策とは言えないのではないか。

「いじめ、学校安全等に関する総合的な取組方針」を嘆く(2)

2012-09-06 | 教育
「いじめ、学校安全等に関する総合的な取組方針」のなかに,「体育活動中の安全確保」という項目がある。その「基本的考え方」として,以下のようなことが書かれている。

「本年度から必修となった武道をはじめとする学校における体育活動は、青少年の心身の健全な発達に資するものである。また、自らを律し、相手を尊重する態度を養うことなどが期待され、運動を通して、互いに協力する、自己の役割を果たすなどの意欲を育てる、友情を深めるといった好ましい人間関係を形成するなどの重要な役割を果たすものである。一方で、毎年度重大な事故が報告されており、安全面でのさらなる配慮や工夫が求められていることから、国においては、各種の安全対策等の取組を行い、体育活動における安全対策を推進する。」


つまり,文部科学省は,「毎年度重大な事故」が起こることがわかっていながら,今年度から中学校において,武道を必修化したのである。そうであれば,当然,すでに万全の対策がとられていてしかるべきである。にもかかわらず,次に掲げられている「基本的考え方に基づくアクションプラン」には,次のような項目が並んでいる。

「柔道の指導に当たっては、本年3月に教員向けの安全指導における参考資料を作成・配布するとともに、同年7月に有識者からなる協力者会議でまとめた安全指導の在り方についての報告書を周知したところである。今後、さらに、安全指導を含めた効果的な柔道指導方法を取りまとめた手引きなどを作成し、学校等に配布する。 【本年度中】」

「武道が必修化となった体育の授業における武道指導の充実を図り、授業を安全に行うため、教育委員会における地域の指導者の派遣などの取組を促進する。 【概算要求】」

「必修となった中学校の武道を安全に、かつ、円滑に実施できる武道場の整備促進を図るため、その整備に係る国の補助について充実させる。【概算要求】」

「武道用具など安全な体育活動に必要な教材・用具を整備し、また、計画的に見直していくことができるよう「義務教育諸学校における新たな教材整備計画」として、「教材整備指針」に基づく教材の整備に必要な経費について、所要の財政措置が講じられている。【平成24年度から10ヵ年計画として既に措置済み】」

つまり,武道を必修化しておいてから,武道場を整備したり,指導者の依頼をしたり,教材・用具を順次整備したりするつもりのようである。これが,「重大な事故」の報告を受けている官庁のやることであろうか。

武道における学校事故発生率とその様態を考えれば,すべてを完全に整備して,人的物的な備えを万全にしてから武道は必修化すべきであることなど,常識のある大人ならばだれでもわかる道理である。

武道場も整備されず,教材・用具も整備途中で,しかも指導の手引きも配られていない状態で,武道はすでに必修化されているのである。

これのどこが安全管理と言えるのだろうか。不見識極まりない。必修化を決定した2008年から今まで,いったい何をやっていたのだ。文部科学省は,武道必修化の軽率を恥じ,今からでも遅くないから,実施の延期を全国に通達すべきであろう。それが本当の安全管理というものである。

「いじめ、学校安全等に関する総合的な取組方針」を嘆く

2012-09-06 | 教育
昨日,文部科学省が,「いじめ、学校安全等に関する総合的な取組方針~子どもの「命」を守る~」を発表した。読んでみて,力が抜けた。文部科学省の官僚の方々に,もしこのような問題に対して率先垂範して解決しようとする気概が本当にあるのであれば,いじめでも学校安全でもよいから,現場の一教員として取り組んでみてほしいものである。そうすれば,このような,いかにもマネジメントマインド炸裂のアクションプランの書き様や,PDCAっぽく書かれてはいるが決してCheckされることのなさそうな,精神性の乏しいアリバイ文書を出したことを,恥じずにはいられないであろう。