学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

別れと出会い

2008-03-29 | 教育
毎年,春ごとに,
別れと出会いが繰り返されるたびに
思う。

学校というところは,
人生の通過点に過ぎない。

学校は,
長く留まっているべき場所ではない。

学校のことなど,
忘れてしまうほうがよい。
ふと何かの折に
ほんの一瞬思い出す程度で十分である。

教師は,
通過点に過ぎない学校に
留まった者である。

それゆえ,
学校に何らかの確固たる意味を見出そうとする。

ともあれ,
また春が来て,
学校は,若い命に満たされる。

生徒は,常に若く,
教師は,年々年老いてゆく。

生徒は,常に去りゆく者であり,
教師は,常に留まる者である。

また春が来る。
やがて去りゆく者たちと出会う春である。


教師の知識レベル

2008-03-18 | 教育
教師の資質能力が
云々されるようになって久しいが,
一度謙虚に自らの知識レベルを
診断してみる必要がありそうである。

特に,教科に関する知識を
どの程度保持し,
また更新し得ているかどうかと
いうことである。

この点では,中高教師は,
自分の担当教科について一定レベルを保持していればよいが,
小学校の先生は,
全教科の知識が要求されるのであるから,
かなりたいへんである。

私自身振り返ってみても,
自分自身の知識レベルは,
ごく一部を除いては,中等教育レベルを
大きく超えるものは
ないのではないかと思う。
部分的には,初等教育レベルに
達していない(忘却のかなた)ことも多い。

教壇に立ちながら,
内心忸怩たるものがある。

生徒のほうが,
はるかに優れていることが多いということを
少なくとも自覚していなければならないであろう。

みんな悪い

2008-03-05 | 教育
教師が悪いし,学校も悪い,
親も悪けりゃ子も悪い。
おまけに政治もなっちゃない。

てなことをいつまで言っていても
どうしようもないけど,
そればかり。

結局,みんな悪いってことで,
手を打って,
少しはお互いよいところを
探しませんか。

そのほうが気分がいいと
思うんですが,いかがでしょう。

学校文化と学校行事

2008-03-02 | 教育
学校には,
その学校にしかないような文化が必要で,
それが学校行事などの形に表れているのが好ましい。

その学校の在学生や卒業生にしか
意味が見出せないようなものであるのが
さらに好ましい。

つまり普遍的な価値をもっていないものが
好ましいのである。

そのような,
学校というコミュニティーのなかでしか
意味を見出せないような行事に,
真剣に,損得勘定抜きで
没頭できる体験をさせること,
これが,
特に中等教育段階の
生徒の成長にとっては
何よりも大切なことのひとつである。

学校行事に社会的に価値があったり,
生徒個人の経歴にプラスになるような行事を
取り入れることも盛んに行われていて,
それにも確かに意味はあるであろう。

しかし,
部外者から見れば,
ほとんど価値がない,
あるいはばかばかしいとしか
思えない行事を伝統として,
大切に生徒が守っていて,
先生たちが
それを静かに見守っている学校をみると,
「いい学校だなあ」と思うのである。