学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

イメージ重視の学校改革

2006-05-31 | 教育
いまは,どの学校も「改革」ばやりである。
改革することの良し悪しが精査されることもなく,
ともかく改革することがよいことだという暗黙の了解が成り立っている。
そして,やみくもに改革路線に乗ってつっぱしっている。

過去の教育資産が正統に評価されることもなく,
現場の試行錯誤の末に育まれてきた学校のさまざまなシステムも,
その価値を勘案することもなく打ち捨てられる。

ともかく思いつきであっても,「改革」することがよいことなのだ。

おそろしいのは,その「改革」の内容である。

いまの「改革」は,
改革しているという姿勢そのものに意味があるのであって,
その改革にどんな意味があるかまでは考えられていない。
なぜなら,その改革の結果があらわれるまえに,
また改革をしつづけるようになっているからである。

しかも,その改革は,
なるべく目に見える写真うつりのよい改革のほうがよい。

地味に先生方が授業改善をすることなど,
外からは見えにくいので,
通常は改革の範疇には入らない。
ただし,テレビ取材を受けたり本の出版にいたる授業改革ならよい。

お手軽で改革ムードをかもしだせるのは,
メディアに露出度の高い有名人による講演会の開催,
学校の枠組みの変更,
たとえば,3学期制を2学期制にする,
時間割の1単位時間の流動化,
なんらかのスペシャルタイムの設定,
朝の時間にお手軽なドリルをやる,
民間活力?の導入,
全校的な授業評価や学校評価,
などなどである。

そして,改革の成果があがったというデータは,
いとも簡単につくりあげることができる。

短期的には,教育の成果などは
統計的に示すことはできないはずだが,
「改革してよかったか」という印象については,
必ずどんな改革でも「よかった」という感想が多いものである。

改革した当初は,その改革のデメリットよりも,
メリットに目がいくものである。

変わることに価値があると考える人のほうが,
変わらないことの価値を認める人よりも常に多い。

たとえるならば,家を新築したら,
家が新しくなってよかったと感じる人が大半であろう。
ただ,そのうちに,新築した家の不便さが目に付いてきて,
やっぱり前の家のほうがよかったということだってありえるのである。
そう思わないうちに,また新築しましょうというのが,
いまの教育改革の真相である。

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教職免許更新制?

2006-05-28 | 教育
教職免許の更新制が現実味を帯びてきた。

10年ごとの更新講習で,
教員の資質が向上するなどと本気で考えているのだろうか?

そのまえに,本当に教員の資質は低下しているのだろうか?

教員の資質が低下しているという
イメージが流布し,
そのイメージの払拭のために
ほとんど実効性のない政策が打ち出される。

教員としては,講習にとられる時間,
また子どもたちと接する時間が減るのである。
また,講習に気をとられて
現場がおろそかになるのである。

更新制の導入で,いったい誰が得をするのか。
冷静に考えてみることである。
講習を受ける教員にメリットがあるのか?
講習を実施する大学などにメリットがあるのか?

教員の資質は,現場でしか鍛えられないのである。
いい加減にしてほしい。

免許更新制「現職教員にも適用すべき」 中教審が案 (朝日新聞) - goo ニュース

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通学路の安全保持

2006-05-25 | 教育
児童の通学途上における痛ましい事件があいついでいる。

通学路は,災害共済給付の観点から
「学校の管理下」とされており,
通学路は,適切な通学路を学校が指定し,
指定された通学路を「通常の経路」として
そこを通るように指導するようになっている。

当然,通学路の安全管理も学校の義務とみなされることに
なってくるわけだが,
学校で可能なことは,せいぜい危険箇所の指摘や指導,
学校付近の道路の安全確保程度のことであろう。

児童生徒の全通学路の安全を確実に保持することは,
現実的には不可能なのである。
すなわち,学校は児童生徒の通学路を管理しきれないのである。

もしもそれを学校に要求するならば,
教育行政が,莫大な予算措置や人員措置を講ずることが必要である。
早急に全児童生徒を安全に家まで送り届ける措置を
教育行政の負担で行うのである。

それができないならば,
災害共済給付の観点はともかくも,
通学路に,学校の管理は及ばないし,
学校に管理する力はないと明言するべきである。

また,第一義的には,
主体のあいまいな地域の責務とするべきではない。
地域は,安全管理に対して
あくまでも補助的な責務を果たしているである。

嘆かわしいことだが,
社会はよくない方向へ確実に変質している。

通学路の管理者をあいまいにしたままで,
思いやりや助け合いなどの互助的精神に依拠している段階ではない。

教育行政は,
イギリスのように個々の保護者による管理義務を
明確に打ち出すか,
学校による通学路管理の体制を確立するかの
どちらかの方策を早急に整備すべきである。

児童だけでの登下校は,もはや
常に危険であると考えたほうがよい。

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学校にゆとりを

2006-05-23 | 教育
やっぱり学校には,ゆとりが必要だ。

最近,忙しいせいか,特にそう思う。

なんとか学校にゆとりを取り戻したいものだ。

しかしながら,
生活も勉強もまるがかえにするのが,
日本の学校の特質でもあり,美質でもあるのだから,
これを合理化して,時間を生み出そうとするのは
ひずみを生じるもとになるだろう。

結局のところ,
変化のない日常性を尊重するようにして
それぞれの仕事の担当者の裁量権を拡大することと
トータルに見て,
社会全体が精神的なおおらかさをもつようになること
ぐらいしか解決策が見つからない。
どうしたものであろうか。

一度,授業や正規の活動以外で
子どもたちと触れ合う時間がどのくらいとれているのかを
統計をとってみるといいのではないか。

とにかく,今のままでは
学校はその多忙感のあまり,
教育という営みそのものが
空洞化していってしまうであろう。

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教育の原点

2006-05-22 | 教育
学びの原点は,
学びたいと思う者が集う学校にこそある。

年齢がまちまちで,
送ってきた人生もまちまちで,
それでも,学びたいと思う者が集まる学校がある。

成績を競うわけでもなく,
優劣を争うわけでもなく,
ただ,学ぶことの喜びに,
おのおのが浸っている。
お互いに助け合って学びあっている。

そのような学校には,
学びの喜びがあふれている。

教育というものに
価値があると思える空間。

めだたないが
そのような学校が確かにある。

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効果的な授業法

2006-05-15 | 教育
誰しも,学校教育にたずさわる者なら
気づいていることだとは思うが,
どの生徒に対しても,効果のあがる授業方法は
実は存在しないのである。

講義形式の授業のほうが成果があがる者もいれば,
ディスカッションやワークショップのほうが成果があがる者もいる。

習熟度別授業のほうが伸びる場合もあれば,
習熟度別にすることが逆効果である場合もある。

少人数授業がよい場合もあれば,
少人数授業がよくない場合もある。

いずれにしても,万能の授業方法はないのである。

教師としては,多様な授業方法を身につけておくことは
大切であろうけれども,
著名な教育者や実践家の方法,あるいは流行の方法を
盲目的に信奉するのはやめたほうがよい。

教師は,時として,ある種の権威にすがりつき,
安心を得たがるものだが,
そのことで逆に生徒が見えなくなっていることには
案外気づかないものある。

自分の目の前の生徒をじっくり虚心坦懐に見ること,
そのことからしか授業を構成する力は生まれてこない。

結局,授業方法は,自分の目の前にいる生徒からしか
学べないものなのである。

それに,どのような授業方法をとってみても,
すべての生徒にふさわしい授業とはならないのである。

「自分はいい授業ができる」と思っているような人は,
本当の教師ではない。

いずれにせよ,教師の仕事というものは,
試行錯誤の連続であって,どこまでいっても
ゴールにはたどりつかないと覚悟すべきである。

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特色ある学校づくり

2006-05-13 | 教育
「特色ある学校」をつくろうとする動きが,
公立学校にひろく広まりだした。

果たして,学校に「特色」などを「つくる」必要が,
果たしてあるのだろうか?

学校の長い歴史の中で
そこに集う教師と生徒が育んできた学校文化こそ,
本当の意味での「特色」である。

本来ある「特色」を顕在化させる努力をするというのなら
まだわかるのだが,
「特色」を「つくろう」とするのは,
ちと無理がある。

「特色」を「つくる」人間は,
果たして誰であるべきか。

教師なのか,生徒なのか,
その双方なのか。

「特色」は誰のために作られるのか。
つくりあげた「特色」は,
果たして生徒のためになっているのか。

今言われている「特色づくり」は,生徒主体のものではない。
学校をつくりかえようとするのに急で,
生徒の気持ちなどには,耳も貸さない場合が多いのではないか。

「特色」を出すためだけの「特色づくり」に陥っていないだろうか。

そんな「特色」なら,ないほうがよいのである。

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教育基本法

2006-05-06 | 教育
教育基本法改正への動きが急である。

戦後民主主義教育の理想は,
実現しないまま終焉を迎えるのだろうか。

教育の世界は常に,
冷静な検証を行う時間的な余裕を与えない。

戦前の教育に対しても,
冷静な検証が行われているとはいえないが,
戦後教育についても,
冷静な検証は行われていないのである。

わが国の教育の世界の変化は,
常に見切り発車である。

優れた教育の育つ余地は,
ますます狭まっている。

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