いまは,どの学校も「改革」ばやりである。
改革することの良し悪しが精査されることもなく,
ともかく改革することがよいことだという暗黙の了解が成り立っている。
そして,やみくもに改革路線に乗ってつっぱしっている。
過去の教育資産が正統に評価されることもなく,
現場の試行錯誤の末に育まれてきた学校のさまざまなシステムも,
その価値を勘案することもなく打ち捨てられる。
ともかく思いつきであっても,「改革」することがよいことなのだ。
おそろしいのは,その「改革」の内容である。
いまの「改革」は,
改革しているという姿勢そのものに意味があるのであって,
その改革にどんな意味があるかまでは考えられていない。
なぜなら,その改革の結果があらわれるまえに,
また改革をしつづけるようになっているからである。
しかも,その改革は,
なるべく目に見える写真うつりのよい改革のほうがよい。
地味に先生方が授業改善をすることなど,
外からは見えにくいので,
通常は改革の範疇には入らない。
ただし,テレビ取材を受けたり本の出版にいたる授業改革ならよい。
お手軽で改革ムードをかもしだせるのは,
メディアに露出度の高い有名人による講演会の開催,
学校の枠組みの変更,
たとえば,3学期制を2学期制にする,
時間割の1単位時間の流動化,
なんらかのスペシャルタイムの設定,
朝の時間にお手軽なドリルをやる,
民間活力?の導入,
全校的な授業評価や学校評価,
などなどである。
そして,改革の成果があがったというデータは,
いとも簡単につくりあげることができる。
短期的には,教育の成果などは
統計的に示すことはできないはずだが,
「改革してよかったか」という印象については,
必ずどんな改革でも「よかった」という感想が多いものである。
改革した当初は,その改革のデメリットよりも,
メリットに目がいくものである。
変わることに価値があると考える人のほうが,
変わらないことの価値を認める人よりも常に多い。
たとえるならば,家を新築したら,
家が新しくなってよかったと感じる人が大半であろう。
ただ,そのうちに,新築した家の不便さが目に付いてきて,
やっぱり前の家のほうがよかったということだってありえるのである。
そう思わないうちに,また新築しましょうというのが,
いまの教育改革の真相である。
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改革することの良し悪しが精査されることもなく,
ともかく改革することがよいことだという暗黙の了解が成り立っている。
そして,やみくもに改革路線に乗ってつっぱしっている。
過去の教育資産が正統に評価されることもなく,
現場の試行錯誤の末に育まれてきた学校のさまざまなシステムも,
その価値を勘案することもなく打ち捨てられる。
ともかく思いつきであっても,「改革」することがよいことなのだ。
おそろしいのは,その「改革」の内容である。
いまの「改革」は,
改革しているという姿勢そのものに意味があるのであって,
その改革にどんな意味があるかまでは考えられていない。
なぜなら,その改革の結果があらわれるまえに,
また改革をしつづけるようになっているからである。
しかも,その改革は,
なるべく目に見える写真うつりのよい改革のほうがよい。
地味に先生方が授業改善をすることなど,
外からは見えにくいので,
通常は改革の範疇には入らない。
ただし,テレビ取材を受けたり本の出版にいたる授業改革ならよい。
お手軽で改革ムードをかもしだせるのは,
メディアに露出度の高い有名人による講演会の開催,
学校の枠組みの変更,
たとえば,3学期制を2学期制にする,
時間割の1単位時間の流動化,
なんらかのスペシャルタイムの設定,
朝の時間にお手軽なドリルをやる,
民間活力?の導入,
全校的な授業評価や学校評価,
などなどである。
そして,改革の成果があがったというデータは,
いとも簡単につくりあげることができる。
短期的には,教育の成果などは
統計的に示すことはできないはずだが,
「改革してよかったか」という印象については,
必ずどんな改革でも「よかった」という感想が多いものである。
改革した当初は,その改革のデメリットよりも,
メリットに目がいくものである。
変わることに価値があると考える人のほうが,
変わらないことの価値を認める人よりも常に多い。
たとえるならば,家を新築したら,
家が新しくなってよかったと感じる人が大半であろう。
ただ,そのうちに,新築した家の不便さが目に付いてきて,
やっぱり前の家のほうがよかったということだってありえるのである。
そう思わないうちに,また新築しましょうというのが,
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