学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

教えたら学ぶのか?

2014-07-21 | 教育
英語では,You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.というそうだが,「馬を水辺に連れていくことはできても,水を飲ませることは出来ない」という意味である。

このことわざは,教育という行為の本質をよく表している。教育者と被教育者の関係においては,昔も今も変わらず,「教えたら学ぶ」場合ばかりではなく,「教えても学ばない」「教えなくても学ぶ」ということがふつうに起こるのである。経験のある教師ならば,至極当然のことと思うであろう。

ひるがえって,学習指導要領の文言をみると,「~するようにする」や「~する力を養う」というような表現がたくさんあり,学習指導案でも学習者主体に「~を身につける」や「~を理解できる」や「~を考える」などなどの表現が使われることが多くなっている。

これを忠実にやろうとすると,「教えても学ばない」を認めてはいけないことになる。無理である。教師ができるのは,ただ「教える」ことまでで,教えたことを児童生徒が理解したり,考えたり,身につけたり,はたまた教師が態度を養ったりすることは,真面目に考えてみると不可能なことなのである。

教師は「教える」ことに責任をもつことが出来るとしても,教えた結果については責任を負うことは出来ないというのが本当のところではないか。そう考えると,近頃はやりの,「○○人材の育成」というようなキャッチフレーズも掛け声以上の意味は持ち得ないということになる。

教師は自分が責任を持てる範囲で,自分は何を教えるのか,あるいは,自分は何を子供に語るのか,ということに限定して考えるべきであろう。


単なる知識や技能?

2014-07-13 | 教育
OECDのコンピテンシーの説明は,文部科学省のHPでは,「「コンピテンシー(能力)」とは、単なる知識や技能だけではなく、技能や態度を含む様々な心理的・社会的なリソースを活用して、特定の文脈の中で複雑な要求(課題)に対応することができる力。」と説明されている。

これまた,読解力と同様,すごいことを言っているように思われる。これからの時代は,「単なる知識や技能」ではダメで,それ以上の何かが必要なのではないかと教育関係者が思うのも無理はない。

OECDのHPにあたってみると,このように書いてある。

A competency is more than just knowledge and skills. It involves the ability to meet complex
demands, by drawing on and mobilising psychosocial resources (including skills and attitudes)
in a particular context. For example, the ability to communicate effectively is a competency that
may draw on an individual’s knowledge of language, practical IT skills and attitudes towards
those with whom he or she is communicating.

これまた,PISA型読解力と同様,あたりまえのことを言っているにすぎないのである。とくに,例示されているコミュニケーションの例を見てみるとよくわかる。その内容を意訳すれば,

効果的にコミュニケートするための能力というのは,その個人のもつ言語の知識や実用的なITスキルが使える,そして,コミュニケートしている相手に対してどのような態度で接するべきなのかがわかっているといったトータルな能力(すなわちコンピテンシー)である。

ということになろう。この例では,メールなどのコミュニケーションを想定しているのであろうが,さほど新しいことを言っているわけではない。誰でも考えれば分かる程度のことである。

「単なる知識や技能」と訳されているものが,重要性を減じたわけでは決してない。コンピテンシーの考え方においても,中核的な位置にあるのに変わりはない。

そう考えてみると,「単なる知識や技能」が何か前時代的な教育の産物かのように言い,これからはそうではない何かを求めようとしたり,そのための改革を進めようとしたことは,初手から間違っているということである。

communicationにおけるattitudesということでいえば,コミュニケーションをスキルとして捉えたがる昨今の教育よりも,他者に対する敬意などの「気持ち」を背景に礼儀を教える教育の方が,attitudesの形成としては,原義に近いのである。

ということで,「単なる知識や技能」についての教育論も摩訶不思議なのである。