学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

自己肯定感という病

2019-04-13 | 教育

子供の自己肯定感の低さが問題にされることがある。だが、自己肯定感などを問題にする必要があるのだろうか。自分を知ろうとか自己分析しようなどというのは、現代人の病理にすぎないと私は思っている。

そもそも、「自己」など肯定したり否定したりすべきものではない。とくに子供に「自己」など見つめさせるべきではない。子供にとって必要なのは、日々の生活の中で自分の前に立ち現れる問題に対して、なんとか解決策を考えようとする力を養うことであり、「自己」そのものについてどう思うかなどは問題にすべきではない。人間の思考は、もともと他者に目を向けるようにできている。

「自己」を見つめれば見つめるほど自己に対して否定的な傾向に傾くのは、我が国の文化的特性であるかもしれず、そうなると、それを「改善」して自己肯定感を高めようとすることそのものが、自己のもつ文化的特性を否定するという、いかにも自己否定的な考え方であると言わざるを得なくなるのである。


プログラミング的思考はいらない

2019-04-07 | 教育

日常生活でプログラミング的思考をしている人などいるのだろうか? また、仕事でプログラミング的思考をしている人もいるのだろうか? まず、適切にプログラミングされたコンピュータが人間の及ばないような成果を出せるのは、「思考」の秀逸さによるのではなく「記憶」の面で、膨大な記憶容量があり、それらのすべてを迅速に誤りなく取り出せる能力がその基本にあるからである。「記憶」の面ではるかにコンピュータに及ばない人間は、プログラミング的思考を超えた思考力によって、人間としての特性を維持するしかないのである。コンピュータがどう考えているかを理解するために、プログラミングの仕組みやコンピュータの仕組みを勉強するというのなら話はわかるが、小学校の教科教育でプログラミング的思考などを意識した教育を本気で導入すれば、子供の思考力の鈍化と停滞を生み出すことは間違いない。子供にはむしろ、先哲の思考のプロセスや結果を文章読解を通して学ばせるべきなのは、今も昔も変わらない。そもそも思考力のメカニズムが十分に解明されているわけでもないのに、「~的思考」などというものを学校教育の場に持ち込もうとする人の思考力の欠如をこそ問題にすべきである。