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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「プラネット・テラー in グラインドハウス」

2008年10月09日 | 映画(ハ行)

 B級映画のテイストを再現することがテーマの作品。

 予告4本を含むB級映画2本立ての体裁そのままに構成された191分の作品「グラインドハウス」が、独立した2本の作品として別々に上映された、これはその1本。

 ロバート・ロドリゲスが監督したゾンビ系お色気ホラー・アクションだ。もう1本を監督したクエンティン・タランティーノも本作では俳優として出演し、怪演を見せる。

 始まったと思うとこれはフェイクの予告編。その後本当に始まる本編もフィルムの傷や上映途中でフィルムが熱で燃えて途切れたり、巻紛失で一部飛んだりとB級の「雰囲気」は満点。楽しんで作っている事は分かるし、当時の雰囲気を懐かしむ映画ファンがいる事も事実だろうが、現代の観客が楽しめるかどうかはまた別の問題。

 でも、娯楽作としてのツボはきっちり押さえたつくりだ。ドギツイのが苦手な人にはお勧め出来ないが。191分のオリジナル版は、このテンションが続くとすれば間違いなく疲れることだけは確かだ。

 本来の作品が無い予告編はすでに「予告」ではないのだから、これ自体も短編と見るべきだろう。

 

映画 「最後の初恋」

2008年10月07日 | 映画(サ行)
 ロミオとジュリエットの悲劇はわずか4日間の出来事で、そのスピードにこそ若さが宿っているのだと思っていた。

 本作は熟年カップルの大人の恋だが、旅行者リチャ-ド・ギアの海辺の宿への滞在期間4日間で燃え上がるのだ。その海辺の宿がとても凝った作りでセットなのか、実在するのか不思議なムードを持っている。

 主役の二人、ギアとダイアン・レインは「運命の女」で共演しており、このときは夫婦役。妻の危険な不倫が引き起こす事件の波紋を描いた。

 今回は一転してラブ・ロマンス。脇役もなかなかの顔ぶれが揃っているのだが、平板な出来事が平板に展開し、人物を魅力的に描くエピソードもない。

 このような作品をじっくり見せてくれるとハリウッドの底力を示すことができるのに、と思ってしまう。

映画 「幻影師アイゼンハイム」

2008年10月06日 | 映画(カ行)
 原題の読みをそのまま「イリュージョニスト」と邦題にしなかったまれな作品。おかげでタイトルに古風な響きが出たし、実際、映画も19世紀ウィーンの時代色が良く出ている。

 同じマジシャンものではクリストファー・ノーラン監督の「プレステージ」があった。舞台はやはり19世紀だが、こちらはロンドンを舞台に、むしろ奇想天外なトリックの種明かしで観客の度肝を抜いた。

 アイゼンハイムの物語は純愛がテーマで、それを貫き通すためにマジックが巧妙に用いられる。というより、用いられたであろうと暗示されている。
 この作品では真実が明かされない。現実に眼に見えることの裏側で何が起こったかを想像することで世界がより豊かになっていくのだ。

 主人公を含む三角関係当事者外の、真実を求めようとする第3の視点が真相を推理し、その成り行きに喝采を送る。観客はその思いに同化することで、良い話を見せてもらったと心から満足できるのだ。

わたくしといふ現象

2008年10月01日 | 政治

 宮沢賢治は「春と修羅」の冒頭で、
 「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電灯の ひとつの青い照明です」
と書いている。

 また、あまりの多才ぶりに本業を聞かれると「僕の職業は寺山修司です」と応えてい
た夭逝の天才アーティストもいた。

 アメリカの連続殺人鬼「ゾディアック」も一人の邪悪な人間がなした所業を超えて社
会全体を巻き込んだ現象になっていた、と言って良い。

 元総理大臣・小泉純一郎も一つの現象だったのではないかと思う。
 かつて、国民は知らず知らずのうちに小泉劇場の舞台を楽しんでいた。芝居が終わり
客席に明かりが灯ると、もはやステージはカーテンの奥に隠れて見ることが出来ない。
 観客は現実に戻り家路を急ぐしかないのだ。