恐慌論、未来社会論…学びつつ考える日々

2016-05-04 22:24:23 | 科学的社会主義

 

 この2ヶ月間は、「資本論」第三部を第15章まで再読(利潤率の傾向的低下の法則の部分)、主に恐慌論や資本主義から未来社会への必然性などを考えるために、不破哲三さんの「古典教室」「資本論 発掘・追跡・探究」「資本論はどのようにして形成されたか」、広島県労学協の高村是懿さんの「資本論の弁証法」、近代経済学者の水野和夫さんの「資本主義の終焉と歴史の危機」、雑誌「経済」2015年1月号「21世紀の資本主義 限界論と変革の課題」の諸論文などに目を通してきました。

 マルクスの恐慌論は、不破さんが「資本論」研究の中で発見した「恐慌の可能性」「恐慌の根拠」「恐慌の運動論」、高村さん流にヘーゲル論理学の言葉でいえば、「恐慌の抽象的可能性」「具体的可能性」「恐慌の現実性」となるのでしょうか。そのことはある程度整理はできたと自分では思っているのですが、問題は「一般的利潤率の傾向的低下の法則」をどう捉えたらいいのか。ある時期までマルクスが囚われていたように、この法則を恐慌の原因とする考え方はマルクス自身によって乗り越えられたのは理解できるが、では、この法則を単なる数字の上の法則として、恐慌とは無関係なものと片づけていいのか。水野和夫氏が著書の中で、「利潤率ゼロ=金利ゼロ=資本主義の死」といっているくらい、利潤率の低下は資本家にとっては脅威であり、それだけにその「制限」を乗り越えるために、「電子・金融空間」を創造し、利潤のあくなき追求に突き進むのではないのか、などと考えを巡らせています。いまも。

 

 さて、いま盛んに言われている資本主義の「終焉論」「限界論」ですが、その「限界論」の限界は、未来社会論がないことです。未来社会=ソ連の失敗という歴史の現実を見て、「社会主義は失敗した」という思い込みが広範にあります。その点で、日本共産党の綱領には、未来社会の基本は「生産手段の社会化」であり、「国有化」ではないことを明記しています。いま大事なことは、その「生産手段の社会化」の内容をいかに豊かに議論し語るのかということ,それにとどまらず、本来の社会主義の理念を明らかにすることではないかと思っています。

 鰺坂真さん(関西大学名誉教授)は、以下のように述べています。

「われわれの問題としては、地域・職場におけるあらゆる場面における民主主義の観点が強化されることが決定的に重要である。“生産手段の社会化”というときにも、いきなり国有化ではなく、たとえば職場における労働者の経営参加などから始まって、職場における民主主義の発展・企業の社会的責任を果たさせる問題、あらゆる場面における男女の共同参画、などなどを推進せねばならない。それらは、職場における労働運動だけでは実現困難であり、国政革新など政治の改革なしには実現できないであろう。未来社会(社会主義社会)の展望は、そのような広範な民主主義の発展を基礎に切り開かれていくものであろう。未来社会への展望を見いだせない論者は、社会主義といえばソ連型の中央集権型の民主主義を欠いた形でしかイメージできていないのではないか。私たちは民主主義の発展の延長線上に未来社会を展望しつつあることを強調しておきたい」(「経済」2015年1月号P45)。

 

 

 

 

 

 

 


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