大崎市から初の甲子園

2011-07-29 22:10:03 | スポーツ

まもなく、夏の甲子園大会が始まります。

今年は、わが大崎市から古川工業が初めての甲子園大会出場です。

 

仙台の私学2強や有力校がひしめく宮城大会を制しての甲子園出場は、立派としかいいようがありません。

いま、市内の大きな話題です。

エースの山田投手もなかなかの好投手だとか。思い切って、楽しんでプレーしてほしいですね。

同じ被災地の福島県は、昨年に続いて聖光学院が甲子園出場。全国屈指の好投手・歳内投手ですが、原発のあれだけの困難の中での出場。こちらもがんばって、被災地に希望を運んでほしいものです。


昨日は、「日本の未来を考えるつどい」

2011-07-24 22:48:55 | 日々のこと

しばらく更新していませんでした。

数日間、すこし涼しい日が続いていましたが、今日はまた暑い1日でした。

昨日は、仙台市内で「日本の未来を考えるつどい」が開かれ(私たちが主催者です)、900人がつどいました。市田忠義党書記局長が講演しました。

講演に先立って、8月に行われる仙台市議選の候補者が勢ぞろいし、あいさつ。みなさん、堂々とした挨拶でした。若林区に挑戦する庄司あかりさんも26歳なのに堂々としたものです。

つどいには、宮城県農協中央会と宮城県漁業協同組合から心温まるメッセージが寄せられました。

 

さて、放射能被害は、どこまで広がるのでしょうか。

今日、選挙応援もあって、白石市に行ってきました。日本共産党として、放射線の線量計を購入し、さっそく白石市で測定をしました。

選挙事務所のなかでも、0.2マイクロシーベルト、外では0.4マイクロシーベルト、側溝では1マイクロシーベルトのところもありました。

文部科学省の指針では、0.19マイクロシーベルト/時間が一つの基準ですが、白石市はどこでも上回っています。

福島の各自治体では、1~2マイクロシーベルトですから、子どもをもつご両親は、たいへん心配していることと思います。

表土を一定除去すれば、ある程度、放射線量を下げることはできるので、お金をけちらず、ただちに実行すべきです。

ただ、肉牛など、家畜、農作物にも放射能の被害が広がっていますから、事態はいっそう深刻になるでしょう。肉牛の全頭検査、徹底した放射線量調査が必要です。

ここまで、被害が拡大しても、これまで原発を推進してきた経済界の人たち、政治家は、原発をあきらめる気配がありません。本当に、原発のうまみを手放したくないのでしょうね。

夏は、お祭りの季節です。先週、事務所の近くで町内会のお祭りがおこなわれました。古川のお祭りは、8月の3日、4日です

 

 


連日の猛暑 新しい発見の日々

2011-07-14 22:38:13 | 雑感

先日、すばらしい夕焼け空。妻が思わず、シャッターをきりました。

 

毎日、猛暑です。

沿岸部でのボランティアのみなさんも大変だと思います。

日本共産党の震災ボランティアは、全国から8600人をこえました。この暑い中、泥出しや訪問活動に奮闘しています。本当に、ありがたいことです。

一方、震災延期選挙の日程も、県議選や一部の自治体をのぞいて確定。候補者のみなさんを先頭に、こちらも猛暑の中、活動のテンポをあげています。

3・11の大震災を契機に、人生観が変わった、政治を見る目が変わったという方々がたくさんいらっしゃいます。こうした方たちとの交流に力をいれていきたい。

 

私自身が震災で変わったこと。それは、自分がいかに自然や人間社会を知らなかったのか、自覚したということでしょうか。津波や地震、原発のことだけではありません。日本の歴史、とくに近現代史を表面的にしか理解していなかったこと。この間、「象徴の設計」(松本清張)、「元始、女性は太陽だった」(平塚らいてう)に続いて、「巨怪伝」(佐野眞一)を読み始めています。後日、感想を述べてみたいと思いますが、日本の近現代史の闇の部分を正力松太郎氏の生涯を通じて、リアルに描かれています。戦前、日本共産党の弾圧の先頭に立った人物が、戦後、マスコミを牛耳り、プロ野球を通じて大衆の欲望を操作し、日本で初めての原発を導入する。あの長嶋茂雄のサヨナラホームランで歴史に残る天覧試合を演出したのも、この人物です。地震、津波、原発から出発し、日本史の闇の部分にどんどん引き込まれ、新しい発見の毎日です。

 

 

 

 

 

 


「元始、女性は太陽だった」

2011-07-03 21:34:25 | 雑感

今年は、日本初の女流文芸誌『青鞜』の発刊100周年の年。

「太陽のような女性に」とは、「おひさま」でよく出てくるセリフだが、女性をはじめて太陽になぞらえた

人は、平塚らいてうである。平塚らいちょうが、『青鞜』を創刊したのが1911年秋。

『青鞜」創刊号に作家の与謝野晶子が短い詩を寄稿している。

 

 

山の動く日来たる

 

かく云えども人われを信ぜじ

 

山はしばらく眠りしのみ

 

その昔において

 

山は皆火に燃えて動きしものを

 

されど、そは信ぜずともよし

 

人よ、ああ、唯これを信ぜよ

 

すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる

 

一人称にてのみ物書かばや

 

われは女(おなご)ぞ

 

一人称にてのみ物書かばや

 

われは われは

 

 

「一人称にてのみ物かかばや」とは、自分の「思想」「意見」をもって、書きなさいという意味だろう。

 

今日にも通じる含蓄のあるきびしい言葉だ。

 

 

 

『青鞜』発刊に際して、平塚らいてうは、次のような巻頭言を記している。

 

一部抜粋。

 

元始、女性は太陽であった。真正(本物)の人であった

 

今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

 

私たちは、隠されてしまったわが太陽を今や取り戻さねばならぬ。

 

「隠れたるわが太陽を、潜める天才を発現せよ」こは私どもの内に向かっての不断の叫び声、押えがたく消

 

しがたき渇望、一切の雑多な部分的本能の統一せられたる最終の全人格的の唯一本能である。

 

この叫び声、この渇望、この最終本能こそ熱烈なる精神集中とはなるのだ。

 

そして、その極めるところ、そこに天才の高き王座は輝く

 

(略)

 

これは、100年前の言葉だが、なんと新鮮な感動的な響きか。

女性に限らず、男性も、自ら太陽のように「輝いている」と自信をもっていえる人がどれほどいるだろう。

「隠れたるわが太陽」をみることなく一生を終える人がいかに多いことか。

科学的社会主義の運動は、労働時間の短縮を軸にして、人間の自由時間を創り出し、人間のもつ

様々な可能性を活かせる世の中をつくろうという運動だ。若き日の平塚らいてうの思想にも相通ずる

ものがあると思う。

 

今日の私たちの運動には、さまざまな障害があり、100年前とは違った難しさもある。しかし、目の前の

難に頭を垂れるのではなく、現実はしっかりと見据えながらも、あらためて私たちの理想を高く

掲げてをもって活動したいと思う。