薬莱ガーデン

2014-09-28 17:46:18 | 家族

先日、息子と加美町の薬莱ガーデンで散策してきました。夏休み中もいろいろあって、一緒に遊ぶ機会も少なく、ゲーム三昧にさせてはまずいと思い、秋晴れの中、一緒に出かけてきました。近くに住んでいながら、薬莱ガーデンに来たのは初めてです。

すばらしい庭園です。

 

 

 

 

 

 


「社会運動再生への挑戦 歴史的せめぎあいの時代を生きる」(山田敬男著)

2014-09-20 21:10:11 | 私の愛読書

労働者教育協会会長の山田敬男さんの本、「社会運動再生への挑戦」が実に面白い。

特に第2章「これからの社会運動のあり方を考える」は、世代継承に日々悩む活動家は、必読の文献ともいえる。

筆者は、社会変革の大きな可能性とともに労働運動の困難を直視している。いま、職場や地域でぶつかっている困難な問題が、90年代半ば以降の新自由主義的構造改革によって、日本社会が、職場社会が激変し、新しい矛盾と困難性がもたらされていると指摘している。そのうえで、今日、「政治主体形成」とともに、社会の一員として生きるまともな人間集団、市民集団をつくる「社会的主体」の形成という課題を提起している。職場や地域において集団的関係や「まともな人間関係」が奪われているままでは、政治的な自覚を持った活動家の育成はすすまない。筆者は、「政治的主体」の形成(これは誰でもわかることだが)と区別して、「まともな人間関係」の再構築を意識的にすすめる「社会的主体」を特別に重視しているが、これは実に大事な問題提起だと思う。

その他、運動の「世代的継承」という問題意識から、私が特に感心した部分を項目だけ羅列すると…

・「納得」と「共感」にもとづく運動

・職場における「まともな人間関係」の回復と組合民主主義

・「連帯」をどうつくるかー「連帯の3条件」 ①相手の立場を理解する ②自己主張できる人間関係を ③徹底した議論と民主的合意

・多忙化問題を考える

・青年たちとの団結 

 社会性が奪われ、社会を個人中心に見る傾向

 集団的自治能力の欠如という問題

 自立と連帯の可能性

・魅力的な活動家集団の構築

 魅力的でない活動家とは

 活動家の「力」の源泉はどこにあるか

 複眼的に人間をみるー「矛盾の構造」という視点

・最良の科学としての科学的社会主義の基礎理論

・自然発生性と目的意識性の今日的関係

・民主主義的自覚と権利意識の成熟

 

第3章の「人々との出会い」で、「犬丸義一さんとの出会い」の中で、1971年の東大五月祭で、歴史家の羽仁五郎さんと哲学者の芝田進午さんをゲストとするシンポジウムがあり、そのときの様子が紹介されていたが、面白かった。

羽仁五郎さんは、戦前は日本資本主義発達史講座の著者の一人でもあったが、戦後は、東大全共闘を支援するという、「無節操さ」もあった。実は、私も、学生時代に民青に加盟して間もないころ、よく事情を知らずに、羽仁五郎氏の著書「都市の論理」などに、一時期のめり込んだことがあった。後から、羽仁さんが暴力学生を支援していたことを知ってガッカリもしたのだが、でも著書の中での羽仁氏の指摘には、傾聴すべき大事な視点があったことも事実であった。「暴力学生を支援するからすべてけしからん」ではなく、批判すべきことと誠実に傾聴すべきことをきちんと整理する山田氏のような態度こそ、科学的で冷静な態度だったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


久しぶりに更新します

2014-09-05 22:19:09 | 日々のこと

8月はいろいろと忙しく、新しいパソコンを買い替え(これまでのパソコンと併用)たこともあり、ブログの更新もなかなかできない状況でした。

さて、NHKの朝ドラ「花子とアン」も、いよいよ今日から太平洋戦争に突入。『赤毛のアン』も登場します

 先週の「しんぶん赤旗」日曜版には「花子とアン」の大特集。村岡花子さんのお孫さんの村岡恵理さんと白蓮さんの娘さんの宮崎ふきさんのインタビューが掲載されています。「花子とアン」を見るまでは、白蓮さんのことは、恥ずかしながら知りませんでしたが、こういう女性があの時代に存在したことは、驚きです。勝手に想像するに、今週の場面は、集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、国会が数万のデモ隊によって包囲されていた時期に、撮影されたものでしょう(時期的に)。ドラマは、実際をかなり薄めている感はしますが、それでもNHKの現場のスタッフの皆さんは、いろいろな圧力もあるなかで、懸命にメッセージを伝えようとしていると受け止めています。

 

さて、話は変わりますが、今週、仙台市で私立大学の教職員組合の教研集会が開催されました。私も、一般参加者として、学生のキャリア教育の問題で法政大学の児美川孝一郎先生の講演を聞いてきました。

大変刺激的でした。いま、中学・高校・大学で大流行の「キャリア教育」のどこが問題なのか。数ある正規社員の選択肢にどう自分を適用させるか、「適用の論理」になっている。しかし、それで本当にいいのかという問題提起です。

詳しいことは、後日整理してまとめたいと思いますが、私が目から鱗が落ちたのはクランボルツの「計画的偶発性の理論」です。キャリア教育の世界では有名だそうですが。きわめて単純化して言えば、生涯にわたる個人のキャリアは、事実としても、決して「計画」に基づいてのみ歩まれているわけではない。めぐってきた「偶然のチャンスを活かす」ことが次なるキャリアへの道を開くことが圧倒的に多い、ということです。クランボルツが実施したアメリカのホワイトカラー層を対象とした調査では、18歳の時に考えていた職業に現在就いている人は、全体の2%に過ぎなかったそうです。2%はちょっと極端な気もしますが、かくいう私も、高校生の時にまさか将来共産党の仕事をやっているとは夢にも思わなかったし、人生はある程度、偶然に左右されるという指摘はうなづけます。もちろん、その「偶然のチャンス」を呼び込むための日頃の努力が求められていることに結論は行きつくのですが…。

 

ちょっとした刺激を受けて、すごく得した気分でした。

それでは、ごきげんよう、さようなら。