『就活エリートの迷走」?

2011-01-31 20:05:01 | 雑感

青年に関する新聞記事や本にはできる限り目を通すのが私の仕事。
いまは、『就活エリートの迷走』(豊田義博著)という本を読んでいます。
内定を4社も5社も獲得する「優秀」な学生がいざ職場に入るととても「戦力にならない」という烙印を押され、せっかく希望がかなって入社した一流企業をやめざるをえなくなる、こういう事例がたくさんでているという話が紹介されています。

学生の就職難は、戦後最悪ともいわれ、卒業を目前にして未だに進路が決まっていない学生のみなさんの心中を思うとたいへん心が痛みます。同時に、一方では、一人で内定を何社も取る学生もいます。こうした学生は、就活をゲーム感覚で、「超」マニュアル化して、相手の企業の人事担当者が望む学生像になりきって(演技して)就活を乗り切るが、いざ入社すると自分の思い描いてきた理想と現実のギャップを受け止められずに「迷走」するというのです。

日本経済新聞を読んでいると、若者の「人材不足」ということに財界が非常に危機意識をもっていることがうかがえます。どの業界、どの分野でも、後継者問題は深刻な問題ですが、「国際競争力」に自らの命運がかかっている財界にとっては、「優秀な学生」をなかなか獲得できない、だからどうしようもなくなり、中国やインドのスーパー留学生に頼らざるを得ない、こんな心境も見えてきます。就職協定を廃止し、まったく自由に思い通りに「優秀」な学生を獲得できるはずだった、しかし、「優秀」なはずの学生が定着しない…こんな財界の焦りも感じます。

しかし、これは財界の身勝手だと思います。
いま、就活では、「軸が大事だ」「自己分析とやりたいことをはっきりさせること、自分のストーリーを描くことが就活を成功させるポイントだ」などといわれ、そういう指導もされ、そのことが逆に多くの学生を苦しめています。

しかし、中学、高校の異常な受験競争の中で、中高生が自由に思索する時間は剥奪され、大学入試を勝ち抜くために、正解にたどりつく方法だけが強調される、こうしたなかで、自分の「軸」、生きる指針…そんなものが見つかるはずはありません。特に、高校時代は、自分の生き方と社会とのつながりを考えられる貴重な時期のはずです。それが、奪われている。思春期に自分と向き合う自由な時間を剥奪しておいて、いざ就職する直前に「生きる軸が必要だ」「やりたいことをはっきりさせよ」…これはあまりにも無茶苦茶な要求です。結局、マニュアルにあるような即席の「軸」を語らざるを得ない。

こうした異常な競争教育を強制し、その結果、自らがもとめたい「人材」が育たない…これが財界が陥っている自己矛盾ではないかと思います。

単に学校の進学実績だけを追求するのでなく、日本の将来をみすえた高校教育を真剣に考えている高校関係者も少なくありません。日本経済新聞でも、ある関東の公立進学校の校長さんが、「海外の留学生にも魅力の持てる日本の高校教育の改革が必要だ。しかし、大学受験が障害になっている」という趣旨の発言をしています。いま、学生の人間的な成長を考えるならば、どうしても大学受験のあり方を根本から見直す時がきているのではないでしょうか。

しかし、そういう非常に困難な環境の中でも、学生の中には、物事の根本をもとめる、真理を探究したい、こうした青年らしい要求は存在しています。私が接している学生や大学院生の中にも、すばらしい能力をもった優秀な青年は少なくありません。サンデル教授の講義への関心の高さや「資本論」や格差と貧困への関心など、決して日本の学生はすてたものではありません。

後継者問題は、私たちにとってもたいへん切実な課題です。日本共産党の綱領路線と科学的社会主義は、学生の根源的な要求にこたえる力をもっていることは確信していますが、ぜひそのことを実践で証明したいと思っています。











 

 

 

 


失業しても幸せでいられる国・フランス

2011-01-26 15:08:39 | 雑感

今朝は、息子が学校に出かける前に、「今日は、日直でスピーチしないといけない。何を話していいのかわからない」と困っていました。「映画を見た話がいいのでは」「カラオケの話は」とかいろいろふっても、「そんなのダメだ」となかなか納得しません。子どもは、まわりの眼をすごく気にします(大人もか)。結局、今月からわが家で発行した家族新聞「絆(きずな)」のことを話すことにし、本人も原稿を書いて出かけました。日直の朝は、いつも一苦労です。

 

最近、「失業しても幸せでいられる国 フランスが教えてくれること」(都留民子著)という本を読みました。短い本ですが、カルチャーショックをうける話ばかりです。

フランスが、週35時間、残業を含めても週39時間労働制であり、2ヶ月、3ヶ月のバカンスがあることは日本でも知られていますが、この本では、こうしたフランス社会の大本にある考え方が語られています。

 

「問い フランスの貧困に対する考え方は、日本と違うような気がしますが。 筆者:フランスでは、たとえ犯罪者であろうと貧困になっていいことはない。貧困は個人の行為・行動から招かれるものではなく、資本主義経済から必然的に起こるものという考え方があります」

 

これは、まさにマルクスの資本論の考え方です。フランスでは、いまでは科学的社会主義の政党はほとんど影響力はありませんが、長年の労働運動と政治闘争のなかで、資本論の一番基本的な思想が社会に定着をしていることが伺えます。ちなみに、筆者によるとフランスには「自己責任」という言葉はないそうです。

 

また、フランスでは、労組の組織率は決して高くはないものの、多くのフランス人が労働組合の要求を支持して、ストライキにも参加し、数十万人規模のデモがよく行なわれます。

フランスでは、子ども時代から、徹底して自己主張するようにと教えられているそうです。

 

社会の隅々にまで自己責任論が浸透しているこの日本で、単純にフランスの経験を模倣できない側面はありますが、参考になる話が散りばめられています。

 

日本の未来社会を展望するうえで、ためになる本です。

 

 

 

 


日本の学生・高校生を見捨てるのか!

2011-01-22 12:33:57 | 私の主張

私がいま、「しんぶん赤旗」の次のよく読んでいる新聞が「日本経済新聞」です。財界がいまどんなことを考えているのかが、系統的によくわかるので、スクラップをつくりながら読んでいます。

最近、非常に憤りを感じていることが、大企業の新卒採用です。大学関係者の声、国会での日本共産党議員団の論戦などがあいまって、大学を卒業した既卒者の採用の拡大とか、会社説明会や内定を出す時期の見直しとか、若干改善されたようにみえる部分もありますが、根本的なところは何も変わってはいません。

とくに、これだけ大卒者の就職難が深刻化し、社会問題化している中で、日本の大学生を採用しないで、アジアの学生をどんどん採用していることです。ソニーが2013年をめどに新卒採用に占める外国人の割合を30%にする、楽天が2011年度の新卒社員600人の3割を外国籍とする、パナソニックは、すでに採用の8割前後を外国人にするなど、到底日本の雇用問題への社会的な責任を果たす姿勢がみられません。

いまの就職難は、単に不況だからというのでなく、まさに大企業の身勝手な雇用戦略によってつくり出されています。菅内閣には、雇用不安を解決する真剣さが感じられません。「1に雇用、2に雇用、3に雇用」といっても、実際は雇用破壊をすすめる政策を実行しています。


就職難を学生の自己責任と大学の自助努力にまかせていては、問題の解決はできません。政府と経団連を社会的に包囲するような、たたかい以外に、若者の雇用は、未来はありません。


自己肯定感を育てる方法

2011-01-16 18:27:55 | 雑感

昨日今日と青年の合宿に参加し、学習の講師をおこなってきました。そのなかで、お正月に読んだ「カウンセリングを語る 自己肯定感を育てる方法」の話が参加した青年にたいへん共感をもってうけとめられました。

すこし引用したいと思います。

「今日の若者たちと向き合うときに、とても気になるのは、彼らが容易に自己を語らないことです。というよりも語れないのかもしれません。…本書の中身に即して言えば、自分の物語を生きることができていないということです。つまり、脚本を持たないで舞台に立ち、どんな役を、どのように演じればいいのかわからないままに、戸惑っている役者のような若者たちといってよいでしょうか」

「彼らが生きている社会との関係を無視して考えることはできません。いまの社会は、彼らに位置と役割を(居場所と出番)を配分しているだろうか。生きる意味や希望を心に抱ける機会を与えているのだろうか。そういうことがまず問われなければならないでしょう。そういうものを提供しない社会を、若者は自分とは無関係で、無意味なものとみなすでしょう。そうすれば、社会とその構成員に対して心を閉ざしてもあたりまえです。そのように心を閉ざした若者たちが言葉を失い、語ろうとしないのは、あたりまえのように思えます。そのような社会の中での具体的な人間関係もまた、若者から語る言葉を奪っているのではないでしょうか。自分の気持ちを受け止めてもらえないで心が傷つく体験を、幼児期からくり返してくれば、自分の気持ちを出すようなコミュニケーションをあきらめるでしょう。本当のコミュニケーションがお互いの気持ちを伝えあい、理解し合うことであるとすれば、本当のコミュニケーションができなくなります」

「他者によって共有してもらえない物語は、印画紙に影を刻めぬイメージのように薄れていきます。忘れられていきます。かくして自分の物語を見失う若者たちが登場してくるのではないでしょうか。自分の気持ちはそれが語られ、他者にそれを受け止められて、共有されて、はじめて物語としてくっきりとしたまとまりをもってくるのです」

こう考えてきますと、民青同盟の班会議でよくやっている三分間スピーチの深い意味合いが理解できるのではないでしょうか。

いま、青年運動の難しさは、「自己責任」論の浸透などとともに、青年がお互いの人間関係を結ぶことの難しさにあります。若い活動家もそのことに一番苦労をしています。ここを一歩一歩乗り越えていくには、私たちがじっくりと彼らの話を聞く姿勢がもとめられています。でも、若者が変わっていく過程に立ち会える、関われることは青年運動のおもしろさであり、醍醐味です。10年ぶりに青年運動にかかわって、やはり「青年運動はおもしろい」と再認識する今日この頃です。