青年に関する新聞記事や本にはできる限り目を通すのが私の仕事。
いまは、『就活エリートの迷走』(豊田義博著)という本を読んでいます。
内定を4社も5社も獲得する「優秀」な学生がいざ職場に入るととても「戦力にならない」という烙印を押され、せっかく希望がかなって入社した一流企業をやめざるをえなくなる、こういう事例がたくさんでているという話が紹介されています。
学生の就職難は、戦後最悪ともいわれ、卒業を目前にして未だに進路が決まっていない学生のみなさんの心中を思うとたいへん心が痛みます。同時に、一方では、一人で内定を何社も取る学生もいます。こうした学生は、就活をゲーム感覚で、「超」マニュアル化して、相手の企業の人事担当者が望む学生像になりきって(演技して)就活を乗り切るが、いざ入社すると自分の思い描いてきた理想と現実のギャップを受け止められずに「迷走」するというのです。
日本経済新聞を読んでいると、若者の「人材不足」ということに財界が非常に危機意識をもっていることがうかがえます。どの業界、どの分野でも、後継者問題は深刻な問題ですが、「国際競争力」に自らの命運がかかっている財界にとっては、「優秀な学生」をなかなか獲得できない、だからどうしようもなくなり、中国やインドのスーパー留学生に頼らざるを得ない、こんな心境も見えてきます。就職協定を廃止し、まったく自由に思い通りに「優秀」な学生を獲得できるはずだった、しかし、「優秀」なはずの学生が定着しない…こんな財界の焦りも感じます。
しかし、これは財界の身勝手だと思います。
いま、就活では、「軸が大事だ」「自己分析とやりたいことをはっきりさせること、自分のストーリーを描くことが就活を成功させるポイントだ」などといわれ、そういう指導もされ、そのことが逆に多くの学生を苦しめています。
しかし、中学、高校の異常な受験競争の中で、中高生が自由に思索する時間は剥奪され、大学入試を勝ち抜くために、正解にたどりつく方法だけが強調される、こうしたなかで、自分の「軸」、生きる指針…そんなものが見つかるはずはありません。特に、高校時代は、自分の生き方と社会とのつながりを考えられる貴重な時期のはずです。それが、奪われている。思春期に自分と向き合う自由な時間を剥奪しておいて、いざ就職する直前に「生きる軸が必要だ」「やりたいことをはっきりさせよ」…これはあまりにも無茶苦茶な要求です。結局、マニュアルにあるような即席の「軸」を語らざるを得ない。
こうした異常な競争教育を強制し、その結果、自らがもとめたい「人材」が育たない…これが財界が陥っている自己矛盾ではないかと思います。
単に学校の進学実績だけを追求するのでなく、日本の将来をみすえた高校教育を真剣に考えている高校関係者も少なくありません。日本経済新聞でも、ある関東の公立進学校の校長さんが、「海外の留学生にも魅力の持てる日本の高校教育の改革が必要だ。しかし、大学受験が障害になっている」という趣旨の発言をしています。いま、学生の人間的な成長を考えるならば、どうしても大学受験のあり方を根本から見直す時がきているのではないでしょうか。
しかし、そういう非常に困難な環境の中でも、学生の中には、物事の根本をもとめる、真理を探究したい、こうした青年らしい要求は存在しています。私が接している学生や大学院生の中にも、すばらしい能力をもった優秀な青年は少なくありません。サンデル教授の講義への関心の高さや「資本論」や格差と貧困への関心など、決して日本の学生はすてたものではありません。
後継者問題は、私たちにとってもたいへん切実な課題です。日本共産党の綱領路線と科学的社会主義は、学生の根源的な要求にこたえる力をもっていることは確信していますが、ぜひそのことを実践で証明したいと思っています。