今月は、結構映画を観る機会に恵まれた。
妻とは「お帰り、はやぶさ」、息子とは「ウルトラマンサーガ」。「はやぶさ」は、関係者の努力、人間ドラマに胸を打たれた。「まったく知らなかったなあ」と反省しきり。「ウルトラマン」は、画面がCG化しているので、子ども時代のような感動はさすがになかった。60年代70年代のウルトラマンの方がずっとリアリティがあったと思う。ただ、映画の中で、親を失った(星人に誘拐された)子どもたちが出てくるが、その子達と津波で親を失った震災孤児のことが重なり合って(宮城県だけでも100人以上の震災孤児がいる)、つらい気持ちになった。映画は、最後はハッピーエンドになることがわかっているので、親子で安心してみていられるが、津波で親を一瞬のうちに失った子どもたちの心の傷はいやされることはないのだ。
さて、それとは別に、今月観た映画(DVD)に、10年ほど前、イギリスで作成された「ブラス」があった。90年代前半に、イギリスで閉鎖された炭鉱労働者の楽団(ブラスバンド)が舞台。観る機会がなかったが、ある新聞にこのDVDのことが載っていたので、レンタルショップで借りてきて観た。サッチャー政権時代に、1984年から10年間でイギリスの炭鉱140が閉鎖され、25万人が解雇された。「ショックドクトリン」では、シカゴ学派フリードマンの助言そのままに、イギリス最大の労働組合である炭鉱労働組合のストライキを警官隊も総動員して弾圧し、解雇を強行したとのこと。先進資本主義国での新自由主義の先駆けだ。
もう一つは、「サンチャゴに雨がふる」。30年前の映画だが、チリのアジェンダ大統領を暗殺した、ピノチェトの軍事クーデターだ。ほとんど、無防備の大統領官邸に24発ものミサイルを撃ち込むなど、人間のやることではないが、現実なのだ。これも、ちょうど9月11日(1973年)。その後の数日間で、人民連合政権の活動家、数千人が銃殺されたという。しかも、サッカースタジアムに集められて、公開処刑だ。人民の抵抗を徹底して弾圧し、実行された政策は、規制緩和と政府機関の民営化。まさに、構造改革政策の世界最初の実験場であった。新自由主義は、人間を人間として扱わない。
しかし、チリでは、20年かけて民主化が実現され、ピノチェトも断罪された。中南米では、広大な大陸に民主的政権の波が大きく広がっている。もう、中南米は、かつての暗黒の時代に逆戻りすることはないだろう。
いま、日本で行われている新自由主義(構造改革)は、まさにイギリスやチリで多国籍企業が行ってきた政策の延長線上にある。その集大成がTPPであり、消費税の大増税だ。こうした政治を進めるために、イギリスやチリで行ったように軍隊の力で反対派を弾圧するのでなく、マスコミの情報操作や教育を徹底してコントロールすることで、国民の意識を統制しようとするやり方だ。
「人間不在の経済学」に対しては、「人間中心の経済学」がたたかいの理論的な支柱になる。それは、科学的社会主義の経済学、マルクスをおいてほかにはない。マルクスは、労働によって富をつくりだしながら生きている人間を基礎において、資本主義社会を分析した。「資本論」は、資本主義の中で人間が虐げられている存在であるばかりでなく、いかにすばらしい存在なのかを各所で明らかにしている。マルクスを読むことによって、人間らしく生きる手がかりをつかむことができるのだ。
この3月。息子が一年間、お世話になった担任の先生が別の学校に転勤になった。この小学校に来て、わずか1年で転勤。しかも転勤のことは、新聞にも載らない。この先生は「講師」だったのだ。私も、一年間、先生とは息子のことで何度も話をしていたが、そのことは実は知らなかった。ほかの先生と同様に担任をもち、学校の仕事も同じようにこなしていながら、正規の先生よりずっと低い給与で働かせる。こういう「講師」の先生がどこの学校にも一定数存在するのだ。教員を人間として扱わない、教育版「産業予備軍」ではないか。理不尽だ。教育に力を入れようと本気で考えているのなら、まず教員の身分保障と体制を充実させるべきではないのか。
明日は、3月31日。いよいよ新学期も目前だ。