新自由主義は、人間を人間として扱わない

2012-03-30 21:25:06 | 雑感

今月は、結構映画を観る機会に恵まれた。

妻とは「お帰り、はやぶさ」、息子とは「ウルトラマンサーガ」。「はやぶさ」は、関係者の努力、人間ドラマに胸を打たれた。「まったく知らなかったなあ」と反省しきり。「ウルトラマン」は、画面がCG化しているので、子ども時代のような感動はさすがになかった。60年代70年代のウルトラマンの方がずっとリアリティがあったと思う。ただ、映画の中で、親を失った(星人に誘拐された)子どもたちが出てくるが、その子達と津波で親を失った震災孤児のことが重なり合って(宮城県だけでも100人以上の震災孤児がいる)、つらい気持ちになった。映画は、最後はハッピーエンドになることがわかっているので、親子で安心してみていられるが、津波で親を一瞬のうちに失った子どもたちの心の傷はいやされることはないのだ。

 

さて、それとは別に、今月観た映画(DVD)に、10年ほど前、イギリスで作成された「ブラス」があった。90年代前半に、イギリスで閉鎖された炭鉱労働者の楽団(ブラスバンド)が舞台。観る機会がなかったが、ある新聞にこのDVDのことが載っていたので、レンタルショップで借りてきて観た。サッチャー政権時代に、1984年から10年間でイギリスの炭鉱140が閉鎖され、25万人が解雇された。「ショックドクトリン」では、シカゴ学派フリードマンの助言そのままに、イギリス最大の労働組合である炭鉱労働組合のストライキを警官隊も総動員して弾圧し、解雇を強行したとのこと。先進資本主義国での新自由主義の先駆けだ。

もう一つは、「サンチャゴに雨がふる」。30年前の映画だが、チリのアジェンダ大統領を暗殺した、ピノチェトの軍事クーデターだ。ほとんど、無防備の大統領官邸に24発ものミサイルを撃ち込むなど、人間のやることではないが、現実なのだ。これも、ちょうど9月11日(1973年)。その後の数日間で、人民連合政権の活動家、数千人が銃殺されたという。しかも、サッカースタジアムに集められて、公開処刑だ。人民の抵抗を徹底して弾圧し、実行された政策は、規制緩和と政府機関の民営化。まさに、構造改革政策の世界最初の実験場であった。新自由主義は、人間を人間として扱わない。

しかし、チリでは、20年かけて民主化が実現され、ピノチェトも断罪された。中南米では、広大な大陸に民主的政権の波が大きく広がっている。もう、中南米は、かつての暗黒の時代に逆戻りすることはないだろう。

いま、日本で行われている新自由主義(構造改革)は、まさにイギリスやチリで多国籍企業が行ってきた政策の延長線上にある。その集大成がTPPであり、消費税の大増税だ。こうした政治を進めるために、イギリスやチリで行ったように軍隊の力で反対派を弾圧するのでなく、マスコミの情報操作や教育を徹底してコントロールすることで、国民の意識を統制しようとするやり方だ。

「人間不在の経済学」に対しては、「人間中心の経済学」がたたかいの理論的な支柱になる。それは、科学的社会主義の経済学、マルクスをおいてほかにはない。マルクスは、労働によって富をつくりだしながら生きている人間を基礎において、資本主義社会を分析した。「資本論」は、資本主義の中で人間が虐げられている存在であるばかりでなく、いかにすばらしい存在なのかを各所で明らかにしている。マルクスを読むことによって、人間らしく生きる手がかりをつかむことができるのだ。

 

この3月。息子が一年間、お世話になった担任の先生が別の学校に転勤になった。この小学校に来て、わずか1年で転勤。しかも転勤のことは、新聞にも載らない。この先生は「講師」だったのだ。私も、一年間、先生とは息子のことで何度も話をしていたが、そのことは実は知らなかった。ほかの先生と同様に担任をもち、学校の仕事も同じようにこなしていながら、正規の先生よりずっと低い給与で働かせる。こういう「講師」の先生がどこの学校にも一定数存在するのだ。教員を人間として扱わない、教育版「産業予備軍」ではないか。理不尽だ。教育に力を入れようと本気で考えているのなら、まず教員の身分保障と体制を充実させるべきではないのか。

 

明日は、3月31日。いよいよ新学期も目前だ。


「政府は必ず嘘をつく」(堤未果著)

2012-03-27 22:13:49 | 私の愛読書

最近読んだ本で印象に残った本がこれ「政府は必ず嘘をつくー『アメリカの失われた10年』が私たちに警告すること」(堤未果著)。

堤さんの本は、「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命」以来、何冊も読んできたが、この本は、社会の深部への切り込みがいっそう鋭くなった感がある。3・11の大震災と原発事故を契機に、またナオミクラインの「ショックドクトリン」を読み込んだ著者のアメリカ社会と日本社会を見る目が数段進化したような鋭いタッチだ。

いま、世界で起こっているできごとを図式的に、表面的に見てはならないことを著者は教えている。

堤さんは、この本を書くに至った動機を最初にこう語っている。

「3・11以降、日本国内の状況を追いながら、並行して貧困大国化するアメリカを取材しに何度も足を運んだ。そこで目にしたものや出会った人々、日本に帰国するたびに抱く違和感、初めはバラバラの点だったそれらが、やがて少しずつつながり一本の線になったとき、この本を書かなければと思った。9・11の後、政府とマスコミを信じすぎたせいで、本当にたくさんのものを失ってしまったアメリカ。米国で取材中、何度言われたことだろう。『アメリカを見ろ、同じ過ちを犯すな』と。あの震災でたくさんのものを失った私たちにとって、先が見えない不安の中で前に進むためのヒントが、アメリカの失われた10年のあちこちに散りばめらている。それはまた、ヨーロッパで起きている金融危機や暴動と重なり合い、アラブや中東で起きている革命と呼ばれるものと根本を同じくし、イラクの末路や米韓FTA,苦しみを乗り越え新しい価値観を手に道を開き始めた南米やTPPの裏側にあるものの正体とつながりあい、教えてくれる。私たちがおよそ”他人事”だと感じているものこそが、3・11後の日本の近未来を鏡のように映しだしていることを」。

3.11東日本大震災と原発事故以来、この国に起こった真実の隠ぺいと情報操作、そして参事便乗ともいうべき、財界による被災地の乗っ取り、そして大阪からは教育ファシズムともいうべき、統制と競争の恐るべき企みが高支持率を背景に急速にすすめられている。物言えぬ教師、自分の頭で考えられない従順な子どもたちをつくり、財界と政府による独裁的な体制をつくろうという動き。これは、9・11以降のアメリカですすめられてきた動きなのだ。私たちはこうした動きに敏感でなければならない。

同時に、震災と原発事故は、競争と自己責任論で抑え込まれてきた若者の心に、前向きな変化を生み出していることも事実だ。若者は決して無関心ではない。ここに、私たちの希望がある。

現状を憂える多くの人々に一読をすすめたい一冊である。

 

 

 

 

 

 

 

 


石巻工業のたたかいに感動

2012-03-22 22:09:19 | 日々のこと

いま、甲子園球場で開催されている選抜高校野球。今日の第3試合で、被災地から初出場した石巻工業高校が登場。昨年秋の九州大会のチャンピオンチーム、鹿児島の神村学園を相手に、5対9で惜敗した。

しかし、中盤までは大接戦。4回裏に集中打で一気に5点を挙げ、逆転したときには、おもわず涙が出そうになった。気迫で強豪チームに立ち向かう選手たちに感動を覚えた人もたくさんいたのでは。

 

被災地の代表として誇らしく思える。

さて、その石巻工業であるが、昨年の震災で学校が津波の被害を受け、野球道具も流され、グラウンドのヘドロを取り除くのに1ケ月もかかったという。30人の部員も7割の自宅が全半壊したそうだ。選手たちは「当たり前に野球ができることのありがたさを感じた」という。彼らの練習は、選手主導で、毎日の練習メニューは選手が組み立て、松本監督が必要な手直しをするというもの。エースの三浦投手は「トレーニングの方法は監督やトレーナーに聞いたり、自分たちで研究します」。打撃投手は野手も含め、希望者が日替わりで投げ、終わると打者から「ありがとう」と自然に声がかかる。選手宣誓も、監督が「一人一人の思いを言葉にしてみよう」と呼びかけ、ボードに書き出し、それをまとめた全員の「作品」だったという。(「しんぶん赤旗」和泉記者「センバツで感じた息吹」)

甲子園の高校野球に新しい流れが生まれることを期待せずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


STOP!女川原発3・20アクション

2012-03-20 17:24:28 | 今日の活動

今日、仙台市内で「STOP女川原発3・20アクション」が行われました。

県内の労働組合、民主団体のみならず、様々な脱(反)原発の運動をしている団体や個人の皆さんがつどいました。ざっとみて、1000人は超えていたでしょう。寒い中でしたが、アピール行進も喉がかれるくらい声をだしてきました。

集会では、福島から佐々木慶子さん(ふくしまWAWAWAの会)、佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)が報告。福島県民がいまどういう立場におかれているのか、赤裸々な報告でした。声を上げたくても、自分の子どもを守ることで精一杯というのが、多くの福島県民の現状です。

写真は、女川町の高野博町議の報告です。

集会では、俳優の山本太郎さんのメッセージが音声で流されました。

数日前に、大崎市鹿島台で女川原発を廃炉にする住民の会を立ち上げた鹿野文永元町長が決意表明。原発ゼロを自分の生き方としてがんばりたいという鹿野さんの決意がひしひしと伝わってくる挨拶でした。

さて、話は変わりますが、いま、わが日本共産党宮城県委員会の事務所は、震災で破損した外壁の工事を3ケ月かけて、大掛かりにすすめています。築30年になりますが、これから数十年間風雪に耐えて使えるようにと思い切って改修しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「問題は信念です」

2012-03-15 12:54:33 | 雑感

私も何回もここで取り上げてきた「ショックドクトリン」。この著作を世に送り出した、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クライン。彼女が「もう一つの可能な世界…弾圧から蘇る希望」(アメリカ社会学協会の講演録)でこう述べている。

「もう一つの世界に近づけないのは、私たちに理想がないからではありません」「それは資金不足でもなく…」「問題は信念です

 「善き人びとは一切の信念を失い、悪しき者どもは炎と燃える情熱を持つ」(イエイツ)、「カザフスタンの石油を手に入れたいディック・チェイニーよりも、もっと強い熱意で、気候変動をくい止めたいと思いますか。エスティ・ローダーの次期ニューフェイスになりたがるパリス・ヒルトンよりも、もっと大きな情熱を傾けて、万人を守る健康保険制度を求めますか」。クラインはこう問いかける。

 

「ウォール街を占拠せよ」(2011年)では、こう述べている。

「…あまりにも多くの運動が美しい花々のように咲き、すぐに死に絶えていくのが情報化社会の現実です。なぜなら、それらは土地に根を張っていないからです。それらは、どうやって自分たち自身を維持し続けるかについて、長期的な計画をもっていないからです。だから、嵐が来たとき、それらは洗い流される」

「水平的かつ深く民主的であることは、素晴らしいことです。しかしこうした原則は、これからやってくる嵐を乗り切るのに充分な、頑丈な構造や組織を築き上げる重労働と互換的なのです。私はそれがやがて起こるのだと確信しています」

この40年間の新自由主義のやり方(参事便乗型資本主義)を徹底して取材し、暴露してきた著者ならではの発言だ。ぱっと生まれて、ぱっと消えゆく運動でなく、どんな逆風にも耐え、しっかりと大地に根を張った運動をつくるためにはどうしたらいいのか。仲間どうしのつながり、そして「理想」と「信念」をささえる学び、私は、そのことをマルクスから聞きたい。

マルクスの「資本論」は、資本主義の「自動崩壊」や「恐慌待望」ではなく、労働者階級の結束と成長を呼びかけている。マルクスと「資本論」を一時のブームでなく、学び尽くす「重労働」がいまこそ、求められている