被災した5つの自治体を訪問

2011-03-30 22:10:23 | 今日の活動

昨日は、地震と津波で壊滅的な被害をうけた5つの自治体(東松島市、石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市)を訪問し、全国から寄せられた義援金をそれぞれ500万円、お渡ししてきました。日本共産党は、全国で被災者支援の義援金募金にとりくみ、すでに2億6千万円が集められ、先日は、第一次分として、宮城、岩手、福島の3県にそれぞれ1000万円ずつ義援金をお渡ししました。今回は、第二次分です。

それぞれお忙しいところ、市長さん、町長さんが応対してくれました。

石巻市では、亀山市長と懇談。市長さんは、「亡くなった方々のためにも、石巻市の復興をどうしてもなしとげたい。そのためには、国からの支援がどうしても必要だ」「津波で流された方々は、まったく何もない。早く仮設住宅を建設したい」「当面は、がれきの山や泥の撤去だ」と語ります。仮設住宅の建設といっても、そう簡単ではありません。どこに建設するのか、数10センチ沈下した地盤をどうするのか、課題は山積しています。

女川町では、安住町長に義援金をお渡ししました。手渡しているのは、三浦一敏石巻市議・東部地区委員長です。右が高野博町議、奥が阿部律子町議です。高野博町議は、自ら家屋が完全に流されるなかでも、各避難所をまわり、避難者を励まし、町の職員にアドバイスを続けています。「パソコンがほしい」と「しんぶん赤旗」で報じられるや否や、全国からパソコン提供の申し出が次々とありました。

高台からみる女川町は、空襲を受けたかのような惨状です。言葉になりません。この廃墟の中を、中学生が歩いていました。彼ら、彼女たちは何を考えているのでしょう。いま、高台の中学校が町の対策本部になっています。



南三陸町は、町の家屋の8割が全壊・流出です。高台以外は、町一帯が廃墟です。
マスコミでも「奇跡の生還」と報じられた佐藤仁町長にお会いしました。写真は撮れませんでしたが…

「心からの感謝!!南三陸町長 佐藤仁」という名刺をいただきました。思わず涙がこみ上げてきました。

写真は、佐藤町長が一命をとりとめた防災センター。屋上のアンテナにつかまって、なんとか生き延びたと
のこと。また、この建物の2階で町防災課の職員、24歳の遠藤未希さんが最後まで「高台に逃げてください」と防災無線で叫び続け、自ら津波に飲み込まれました。遠藤さんをはじめ、市民・町民を助けるために最後まで職務を全うしようとして亡くなった職員、子どもたちを助けようとして、犠牲になった先生方がたくさんいます。

町の対策本部のある体育館には、震災から半月がたっているのに、いまなお廊下にダンボールで寝起きしている方々が多数います。劣悪な環境です。体育館は自家発電ですが、町は電気も水道も復旧していません。

気仙沼市では、菅原茂市長と懇談。「雇用問題が深刻だ。いまのままでは、助かった7万2千人が失業者となる。でも、人間と地球との共存に矛盾するような復興ではだめだ。原発は、人間の領域をこえている」と哲
学的な話にもなりました。

市内の漁港は、津波で廃墟と化しています。泥で真っ黒に汚れた時計が津波の到来時刻、3時32分で止まっています。

前例のない被害となっているだけに、やらなければならないことは、膨大です。今回の首長さんとの懇談で出された要望を党としてもしっかりと受け止めて、県政、国政に届けていきます

 


明日は、被災地に行ってきます

2011-03-28 22:53:19 | 日々のこと

明日、29日は、日本共産党が全国で集めた義援金をもって(目録だけですが)、被災地である東松島市、石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市に出向いて、首長さんにお渡しし、政府への要望を伺ってきます。

それにつけても、ガソリンがなくてはどうしようもない。昨日は決意をして、一般車両も通行できるようになった高速道路の給油所で給油しようと、朝5時半から並びました。前日は、600リットルのタンクローリーが午前と午後と2回来たという情報でしたが、朝からいくらまってもタンクローリーは来ず。私の前には約60台、私の後ろには、ざっと200台近くの自動車が列をなしました。

お昼になって、「給油開始時刻は、午後3時から4時くらいです」とのアナウンスが。結局、20リットル限定で給油できたのは、夕方5時をまわっていました。11時間30分の給油待ちでした。震災の初めての休日は、こうして給油待ちで終わりました。ほかの国なら暴動が起きそうな状況ですが、みなさん、じっと耐えてひたすらタンクローリーを待っていました。

地震と津波は、自然災害ですが、原発事故とガソリン不足は、人災です。ガソリン不足については、規制緩和の影響で、全国の石油精製所がこの15年間に44ヶ所から27ヶ所に減らされ、東北では一つだけになり、そこが使えなくなったこと、油槽所も600ヶ所が190ヶ所に激減したこと、タンクローリーもこの4年間に3割も削減されたことが背景にあります。経済効率一辺倒の日本社会の脆弱さが、一気に露呈した感があります。この本当につらい経験を私たちは脳裏に刻んで、日本の社会を変えていく力にしなければなりません。

昨日夜は、「3年B組金八先生」のファイナルでした。妻が、こんなカードを書きました。私も、ファンの一人だったので、さびしい限りです。

 

 


全国から支援物資が次々と届けられています。でも、まだまだ足りません。

2011-03-24 12:47:24 | 今日の活動

大震災から13日。日本共産党も各労働組合、民主団体と連携し、全力で支援活動をすすめています。東北の各県や全国から次々と支援物資が届けられています。連日、山形の農民連・民医連・県労連からは、コメ、野菜、りんご、牛乳、卵等々が届きます。全労連からも、各県の労働組合から、支援物資が次々と届けられ、ただちに現場の被災地に届けるようにしています。


山形農民連の洞口昇一事務局長が、コメ、漬物、牛乳などを届けてくれました。右は、中島康博日本共産党宮城県委員長。

事務所には、次々と支援物資が届きます。


それでも、被災地が広域になっていることもあり、物資は圧倒的に不足しています。コメも野菜も日用品もです。県内でも、数万人が避難し、住居を失った世帯も、数万世帯になっています。


全国からもっともっと支援をお願いします。


震災の中、桃の花が咲きました

2011-03-24 08:03:52 | 日々のこと

 

 

災中に桃の花が咲きました。「大丈夫だよ」そう語りかけているようです。
 昨年の春に、母の実家の犬モモちゃんが老衰で亡くなりました。
 だから、この桃の木を『モモちゃん』と呼んでいます。母を命ある限り守ってくれてありがとう。この震災から立ち上がるね…


私の妻が自宅に咲いた桃の花の写真をとり、メッセージをくれました。





 


「東京大空襲以上の破壊」

2011-03-20 22:02:42 | 今日の活動

実に久しぶりのブログの更新です。

3月11日の午後2時46分の大地震と大津波、原発事故と大変な10日間でした。地震で、事務所のインターネット機能が壊れ、いまだに回復していません。古川の自宅は、ようやく昨日、電気が回復という状況で、事務所に泊まるか、小学校の避難所で寝るかという日々を過ごしていました。いま、ようやく、電気が回復した自宅の部屋で、ブログの更新をしています。

今回の地震と津波で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

今回の震災は、地震だけでなく、津波の恐ろしさを実感しました。

共産党でも、震災と津波の被害の後、通信手段が完全に遮断される中で、被災地の議員、党員との連絡がまったくできない状態でした。

私は、最初の2日間は、仙台の事務所に泊まらざるを得ませんでいたが、4日目に古川に戻った後、石巻市に行って、市議会議員のみなさんと連絡を取ろうとしました。


しかし、この状況で市内には、車では入れません。

津波直後は、この倍は水があふれていたそうです。そこで仕方なく、徒歩で線路の上を歩いて市内へ。



でも、線路の上もこの状態で、この日は、石巻市内に入ることは断念しました。



貞山掘りには、何台もの車があふれていました。

共産党国会議員団は、震災直後から、さっそく調査を開始。

13日には、大門実紀史、紙智子参院議員が何時間もかけて車で仙台に入り、さっそく電気のない真っ暗な避難所を訪問。




村井知事とも意見交換を行ないました。

14日には、岩沼市、名取市の被災現場を調査。

朝市で有名な名取市のゆりあげは、信じられない惨状です。


岩沼市の井口さんからも要望をお聞きしました。


一週間たって、死者の数はふえる一方。食料品、飲料水、燃油不足は深刻です。

仙台の中心街にあるダイエー仙台店の前には、開店1時間前には、すでに数千人が列をなしてならんでいます。ガソリンスタンドは、給油に5時間、6時間待ちが常態化しています。

まさに終戦直後のようなモノ不足です。お金があっても、必要なものが手に入りません。

しかし、そんな困難があっても負けないのが共産党の仲間です。

古川の事務所では、山形県の庄内農民連の仲間が150キロの支援米を届けてくれました。さっそく、地域の避難所に2500個のおにぎりを届け、被災した市民を励ましました。



19日には、兵庫県の明石市から、燃料業者の方が、タンクローリーで灯油、軽油、ガソリンを届けてくれました。さっそく、仙台市議の福島かずえさんの案内で、若林区の避難所、特養ホームなど30か所に届けて、たいへん喜ばれました。

いまも、毎日、全国からの支援物資や義援金が届けられます。それが、被災地にとって最大の励ましです。


国会議員と県会議員の訪問の中で、石巻市の亀山市長は「3・10東京大空襲以上の破壊」と話していたそうです。

体験したことのない日々が続いています。被災者救済と復興への道は、始まったばかりです。