仙台、塩釜で市田忠義さんを迎えてのつどい

2016-11-29 12:54:56 | 今日の活動

共産党は、いま来年1月に予定している党大会にむけて「党勢拡大の大運動」に取り組んでいます。一昨日の27日には、市田忠義参院議員(党副委員長)を迎えて、仙台市と塩釜市で「日本の未来と共産党綱領を語る集い」が開催されました。塩釜会場では130名、仙台会場には500名の党員、支持者のみなさんが参加し、市田さんのお話に聞き入り、会場との質疑をやりとりしました。

「いま、がんばれば野党連合政権ができる情勢である」と時代を語るスケールの大きな話にみなさん、魅了されていました。普段から、共産党の真の姿を多くのみなさんに聞いていただく活動の大切さを痛感しました。

 

 

 

 


「愛着アプローチ」で、人は変われる 「愛着障害の克服」(岡田尊司著)

2016-11-26 16:23:22 | 私の愛読書

子どもの不登校・引きこもりに直面したことがきっかけで、カウンセラーの方の支援も得ながら、この1年半、家族へのかかわり方を勉強してきました。その甲斐もあって、全体として、家族が安定する方向にすすんでいます。うれしいことです。そのなかで、私がいちばん学んだことは、「愛着障害」についてです。私が精神科医の岡田先生の『愛着障害』をはじめとした諸著作を読み始めたのは、カウンセラーの方からこの本を紹介されたことからでした。勉強になりました。

 

さて、その岡田尊司さんの著書「愛着障害の克服」が先週、出版されました。いま、出勤途中、夜などに読み進めています。

一言でいうと、若者の支援活動にかかわる人、身近に心の病を抱えた方がいる人には、ぜひ読んでほしい文献だと思います。民青同盟などの青年運動を支える共産党や民主団体の関係者にも読んでほしいと思います。

日本共産党の大会決定でも「青年の二重の苦しみ」(24大会決定)といい、学費奨学金、労働の厳しさなどとともに、自己責任論など、若者の心に苦しみに寄り添うことが提起されてきました。私も、ある時期までは、政府・財界などが流布する「自己責任論」に若者の苦しみの大本があると考えていました。もちろん、それは一つの側面としては正しいと考えます。しかし、それは外因的な一つの要素です。それだけでいまの若者の心の苦しみを説明しきれるのか、疑問を感じていました。

 

私は、子どもの不登校をとおして、また日頃の仕事を通じても、同じ悩みを抱えた若者が(引きこもりにはなっていない場合でも)、実に大勢いることがわかりました。しかし、その根本原因とメカニズムは、これまで理論的には説明されてきませんでした。(少なくとも私の理解する範囲では)。懸命に不登校や引きこもりの支援をしている方々の間でも、なぜこうした症状が現れるのか、その原因は究明されておらず、試行錯誤であるようです。特に、学校との接触がもてない完全不登校の子どもさんには、多くのスクールカウンセラーのみなさんもお手上げという状況です。

しかし、岡田先生が提唱した「愛着障害」という概念は、こうした若者の心の苦しみを理解するその核心、キーワードだということをこの著書で学んでいます。

 

幼い頃に親との間で安定した愛着を築けないことで起こる愛着障害は、子どものときだけでなく大人になった後も、心身の不調や対人関係の困難、生きづらさとなってその人を苦しめ続けます。この本では、愛着研究の第一人者であり、ベストセラー『愛着障害』で愛着への理解と認知を国民的レベルに高めた著者が、愛着障害に苦しむ人やその家族、支援者に、臨床の最前線から、回復のための最強メソッドと実践の極意を紹介しています。薬も認知行動療法も治せなかったさまざまな問題(慢性うつ、不安、依存症、摂食障害、自傷、発達障害、不登校、引きこもり…)が、なぜ愛着に注目し、愛着を安定化することで改善へと向かうのか、医療のパラダイムを根底から変える一冊です。

若者の運動を支援するという私たちにとっても、重要な観点が学べるのではないでしょうか。ちょっとオーバーな表現ですが、若者や子どもたちへの視点が変わる「コペルニクス的転換」の著書、マルクスが発見した「剰余価値学説」にも匹敵するような(少なくてもこの分野では)「人間科学の書」と私は呼びたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


南スーダンへの自衛隊の派兵ストップと仙台で若者がパレードしました

2016-11-25 10:51:08 | 社会運動

23日の勤労感謝の日、宮城県の若者たちが仙台の繁華街で「武器で平和はつくれない」とパレードをしました。市民からの注目を集めました。宮城県からも、南スーダンに船岡駐屯地や霞目などの自衛隊基地から約40人の若者が送られます。同世代を無駄死にさせないと若者が動き出しています。

 

 

 


山形への旅行

2016-11-18 15:58:39 | 日々のこと

山形県への旅行にいってきました。

紅葉のピークは過ぎましたが、まだまだ美しい山々です。

 

NHK朝ドラ「おしん」の撮影の舞台となった酒田市の山居倉庫。明治の日本の食糧中継基地となった場所に立って、歴史の重みを感じ入りました。

 

 

 

 

 


ヘーゲル「小論理学」を読む

2016-11-14 22:11:02 | 科学的社会主義

今夜は、事務所の宿直。明日は、第7回中央委員会総会で27大会決議案が発表されます。すでに、文書は事務所に届いているので、ぱらぱらと眺めましたが、明日の午前中に熟読しようと思います。

暇を見つけて読み進めているのが、「ヘーゲル『小論理学』を読む(第2版)」(広島労学協・高村よしあつ著)。ヘーゲルは、じっくりと読んでみれば、世間で言われているように「客観的観念論者」というレッテルで切り捨てられるような哲学者ではないことは明らかだと思います。特に、真理に対する誠実さ、真剣さは、特筆すべきものがあります。

ヘーゲルは、理性に対する無限の信頼から、精神、自然、社会など世界のすべてについて真理は認識できると考え、この立場から、真理の認識から目を背ける態度を厳しく批判しています。ドイツ古典哲学の第一人者でもあったカントに対しては、客観的真理は認識できないとするカントに対しきびしい態度をとっています。

ヘーゲルは、真理に対して無関心であっても、「さまざまな技能や知識を身につけたり、有能な官吏になり」、社会生活を続けることはできるだろうが、ただ生きることとよりよく生きることは違う。真理を認識するために努力することは、理性的存在としての人間にとって、もっとも人間らしい生き方なのだと語っています。 

テレビのゴールデンタイムでは知識の量を競うようなクイズ番組が毎日のように氾濫しています。高学歴の芸能人が、知識の量を競い合っていますが、たくさんの知識をもっていることと、真理を探究し、よりよい生き方を追求することとは全く別の問題です。物事の本質を追求する哲学を学ばずに、物事の表面だけを追いかける薄っぺらな「学問」にどれだけの意味があるのでしょうか。はなはだ疑問です。

私は、中学生のとき、社会科の先生から「加藤は、ドイツの哲学者ヘーゲルに(外見が)似ている」と授業中に言われたことがありました。もちろんそのときは、ヘーゲルという人物がどんな人物かは全く知らなかったわけですが、いま考えると、ヘーゲルと私との間には、きっと何かの縁があったのでしょう(それこそ、非科学的でしょうか…)。