「象徴の設計」(松本清張著)と「おひさま」

2011-06-30 19:16:43 | 雑感

6月の綱領古典の連続講座で不破さんが紹介していた本、松本清張の「象徴の設計」を読みました。

書かれた時代が、私が生まれたころなので、なかなか難しい文章でしたが、興味深い内容でした。

明治維新で新政権が発足、新しい軍隊が発足したものの、天皇を護衛するはずの軍隊の中で、反乱がおこったり(竹橋事件)、脱走兵がでるなど、軍隊の統制がとれない。そのとき、陸軍の山県有朋が天皇の絶対化、神格化を図り、「軍人勅諭」を起草し、天皇の軍隊をいかにしてつくったか、松本清張らしく描かれています。山県は、当時、急速にひろがっていった自由民権思想の軍隊への浸透を防ぎ、民権運動をつぶすため様々な策を弄します。その執念は、恐るべきものです。運動の中に、密偵(スパイ)も送ります。

しかし、こうして構築された戦前の絶対主義体制は、1945年の敗戦で崩壊します。

このブログで何度も感想を書いている「おひさま」。今日は、戦後、最初の授業で陽子が生涯最もつらい、忘れることができない授業ーー自分が子どもたちに間違ったことを教えていたことを謝罪し、教科書に墨を塗らせるシーンでした。あの当時のまじめな教師は、こんな風に悩んだのか、胸が締めつけられる場面です。

ふりかえって、今日、「原発は絶対安全だ」と言い続けていた人たちは、いまどんな気持ちでいるのか。福島県では、さすがに「脱原発」が宣言されつつありますが、日本全体ではどうでしょうか。自然エネルギーへの転換に真正面から反対する人はいませんが、「原発の温存」をいまでも多くの政治家が主張しています。この国の「原発利益共同体」がいかに強固なものなのか、思い知らされます。国民の運動の力で、変えるしかないでしょう。

支配勢力は、戦前も戦後も、そう簡単には歴史の舞台から退却しません。私たちも彼らに負けない知恵と力を身につけたいものです。

 

 

 


PTAのみなさんと懇親会

2011-06-25 10:01:08 | 日々のこと

昨夜は、息子の小学校のPTAの役員のみなさん、学校の先生方との懇親会があり、少々飲みすぎました。

学校の先生方とお酒を飲みながらお話するのは、初めてでしたが、実に有意義な楽しいときをすごすことができました。PTAの役員を引き受けて、学校の運営にかかわると新しい発見がいろいろあります。

その場でも、やはり震災のことが一番の話題になりました。「こういうときだからこそ、最高の運動会にしよう」と校長先生をはじめ、先生方が一生懸命に準備されたことは、うれしい限りでした。

この春から、転入してきたある先生は、前任の学校が津波の被害にあい、5人の子どもが亡くなったことを話してくれました。子どもの遺体を確認したのは、本当につらかったと言っていました。防災無線もまったく役に立たず、誰も津波がくることを知らせてくれず、迎えに来た親と先に帰った子どもが犠牲になったそうです。

私も一度石巻の大川小学校にはいきましたが、何人かの先生方も同小学校にいったそうです。亡くなった先生方と知り合いの先生もいました。みなさん、この数カ月、どういう思いで子どもたちに向き合ってきたのでしょう。あの震災そして原発事故は、多くの方々の心に言葉にはできない様々な思いを刻みました。

救援・復旧・復興は、形に見えるものばかりでなく、外からは見えない無形の思いを共有することも忘れてはならないと思います。

お話を交わした先生方とは、思わず涙を流しながら、がっちりと握手をしてしまいました。

 

 

 


「おひさま」は1945年。大震災と重なり合って…

2011-06-22 14:08:44 | 雑感

実は、この3日間、脳腫瘍の放射線治療のために入院し、さきほど退院しました。脳腫瘍といっても、悪性ではなく、良性なのでいますぐ命にかかわるということではないのですが、10年20年放置しておくと治療が難しくなるというので、思い切って治療しました。ガンマーナイフといって、腫瘍にガンマー線を集中して悪化を防ぐというものです。主治医の先生が実にわかりやすい説明をしていただいたので、安心してお任せしました。原発はお断りですが、医療分野での放射線医療の水準の高さを実感しました。

 

さて、NHK連ドラの「おひさま」ですが、今週はいよいよ終戦の年1945年です。東京大空襲です。教え子の両親が空襲で亡くなったことを陽子が子どもに告げていました。あの場面を見て、東日本大震災の津波でご両親を亡くした140人を超える震災孤児のことが脳裏をよぎりました。陽子は「1945年は、生涯忘れられない年になった」といっていましたが、この2011年は、私たちにとっても生涯忘れられない年になるでしょう。


震災から100日、仙台はすずめ踊り、そして宣伝…

2011-06-19 22:03:00 | 今日の活動

昨日で、ちょうど、3・11の大震災から100日。仙台の中心街は、以前の姿に戻ってきていますが、沿岸部や内陸部の丘陵地帯はいまもなお多くの方々が避難生活を続けています。

今日の仙台は夏の日差し。恒例のすずめ踊りがにぎやかに行なわれています。

津波で大きな被害のひろがった七郷地区のみなさんも元気いっぱいです。

今日は、国会から高橋ちづ子衆院議員が急きょかけつけて、花木則彰仙台市議とともにアエル前で久しぶりの街頭宣伝です。

党としては、沿岸部を中心に、内陸の宅地被害地域もふくめて、要望の聞き取り活動と物資の支援活動を継続しています。

仮設住宅に移り住む方々もふえていますが、そこでも様々な問題が噴出しています。義援金の支給が遅れに遅れて、「手持ちのお金がない」「食器やなべ、日用品が買えない」…。「仮設に入って良しとしないで」という声も。仮設ができて、一件落着とはいえません。災害救助法では、仮設の避難者にも支援することを定めていますので、行政のそうした支援も要求していかねばなりません。

 

さて、放射能です。若いお母さんたちが放射能の広がりを心配し、あちらこちらで自主的に動いています。目の前のわが子のために一生懸命になる姿には胸を打たれます。いくら放射線量が低いとはいっても、内部被ばくの可能性が子どもの場合、大人の何倍にもなるのですから。しっかりと測定し、結果を公表し、継続的に対策をとらねばなりません。

事務所で平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」という本を見つけました。今年は青鞜創刊100年だそうです。

「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。私共は、隠されてしまったわが太陽をいまや取り戻さねばならぬ…」

原発事故は最大の不幸ですが、そのなかで、若い女性が自分たちの力で立ち上がり始めたことは、現代の『青鞜』です。自ら輝く「おひさま」、太陽です。NHKの連続ドラマですね。このことは、先日、日野自治研の池上洋道さんのお話で知りました。

 

今日は父の日。妻と息子がプレゼントを贈ってくれました。ありがたいことです。

 

 

 

 

 

 


あまりにも現実とかけはなれた議論…

2011-06-13 23:04:53 | 雑感

帰宅するとテレビタックルが放映されていました。

今日は、共産党の出演はなし。なにげなく見ていると自民も民主も公務員バッシングです。いつものことですが、「なんでこんな人たちが国会議員なんだろう」と思ってしまいます。

東京電力に経済産業省の高級官僚が多数天下りしたり、逆に東京電力の幹部職員が霞が関に天上がりし、自民民主も巻き込んで、原発推進のトライアングルをつくるのはもういい加減にやめてほしいと思います。しかし、腐敗した高級官僚と現場で本当にご苦労されている公務員のみなさんを一緒にして、議論するのは間違いです

今回の震災を通じて、現場では公務員があまりにも不足していることが明らかとなりました。避難所に責任のもてる職員がいない。あまりにも忙しくて、政府の通達を読むことすらできない。支援物資が来ても対応ができない。それでも、自ら被災しても、自分の家族のことよりも、地域住民のために不眠不休でたくさんの公務員のみなさんが頑張っています。こうした職員のみなさんのことを、あのテレビに出ている国会議員や評論家ははどれだけ知っているのでしょうか。宮城選出の方もいましたが…

南三陸町の職員だった遠藤未希さんは、防災対策庁舎でマイクを握り、町民に避難を呼びかけ続け、津波に流されました。岩沼市職員だった多田裕一さんは、公用車で避難誘導中、津波に襲われました。最後まで住民の役に立ちたいという思いで、多くの自治体職員が犠牲になりました。そのことをしっかりとみて、公務員バッシングがあたかも改革のような風潮は、社会全体で見直すべきです。

 

内閣不信任案の騒動などやっている暇があれば、「現地で被災者の話を聞け、農民・漁民・中小企業の社長さんの話を聞け」「ハローワークに行ってみろ」といってやりたい。

どこかの知事もそうですが、あまりにも現代のエリートは、想像力がなさすぎます。それでも謙虚さがあれば、まだ救われるのですが、そういう方に限って傲慢です。

それがすべてではありませんが、いまの受験体制に大きな原因の一つがあるのではないか。新自由主義が子育て、教育を飲み込み、子どもが小さいころから親も子も教師も行政も点取り競争に巻き込まれ、その結果、「勝ち組」といわれる人たちは、非常に歪んだエリート意識が植えつけられてきた。あの東電の幹部を見ていると痛感します。

そうしたつけが、今回の福島第一原発の事故で一気に表面化しました。宮城県の女川原発も福島原発と紙一重でした。

私たちはいま時代の転換点に立っています。

その中で、私たちの党自身も試されていることを自覚したいと思います。