ある方から、「加藤さんは、どうして少数派の共産党から立候補するのですか」と質問を受けました。先の総選挙では、票を大きく減らしたのに、なぜまた懲りずに立候補するのかと有権者のみなさんが不思議に思うのも無理はありません。
民主党政権に変わって、日本はよくなっているのでしょうか。
たしかに、民主党政権の下で、来年度予算案で、生活保護世帯への母子加算の復活・継続、父子家庭への児童扶養手当の支給、高校の授業料無償化など、国民のたたかいを反映した前進面もあります。しかし、巨大企業の横暴には腰砕けの状態です。大企業や高額所得者、株取引への減税は継続するなど、巨大企業にしっかりものが言えない弱点は、自公政権と大差がありません。
いまの日本は、「超」異常な競争主義、財界中心の利潤第一主義が、子どもたちから高齢者まで全国民を巻き込んでいます。本来、人間は誰しもすばらしい能力と個性、輝く宝をもっています。幼稚園や保育園の子どもたちは実に生き生きしています。ところが、小学校に入学すると、異常な競争教育の下で、経済的な事情などで家庭の支援を得られない子どもたちは、どんどん振り落とされます。かつて、「学校教育では3割の子どもがわかればいい」と言い放った文部科学省の役人がいましたが、システムそのものがそうなっているのです。
運よく大学進学できた場合もしかり。先日の「産経新聞」にも出ていましたが、ある「超一流」大学の女子学生が、就職面接で全部失敗して「自分は社会に必要とされてないのか」と思ったといいます。企業の新人採用の尺度に合わない学生は、どんな有名大学を出ていようとも、ばっさり切り捨てられます。
さらには、職場でも、仕事ができない社員は、徹底したいじめにあい、精神的に追い詰めて職場にいられなくする事例は、あとを絶ちません。派遣労働に見られるように、人間を人間としてではなく、コピー機のトナーやインクなど消耗品のように、使い捨てにする労働実態が横行しています。
巨大企業の論理、新自由主義ほど、非人間的な思想はありません。この実に「冷酷な論理」が、どれほど国民(特に青年)を苦しめていることでしょうか。私も高校時代に競争主義教育には、相当苦しめられましたが(「私と日本共産党その1」参照)、その"怪物"は、いま、「自己責任論」を最大の武器に、“巨大なモンスター”に進化しています。
戦前、私たち日本共産党の先輩方は、「お国のために死ぬ」ことを強制した絶対主義的天皇制権力と真正面からたたかいました。今日では、この巨大企業の非人道的な論理、異常な利潤第一主義と真正面からたたかい、ヨーロッパ並みの資本主義にすることが私たちの最大の責任だと思っています。
政治、経済、文化、教育など、日本社会の隅々にまで、巨大企業の論理、利潤第一主義が浸透している日本で、巨大企業の横暴を規制するルールをつくる、まともな資本主義にすることは、一回や二回の選挙でできるほど容易なことではありません。しかし、いまの私たちのたたかいは、必ず未来に生きると信じています。
私は、国政選挙という舞台を最大限に生かして、そのことを徹底して訴え抜きたいと決意しています。
(ブログは、今年はこれをもって終了です。来年は、1月4日から再開します。来年も、よろしくお願いします)