報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
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 実際のものとは異なります。

“私立探偵 愛原学” 「いわき市で一泊」

2023-05-04 21:13:24 | 私立探偵 愛原学シリーズ
[11月12日16時37分 天候:曇 福島県いわき市小川郷高萩 JR小川郷駅→磐越東線736D列車最後尾車両]

 善場主任の母方の祖父から話を聞いた私達は、礼を言って、その家をあとにした。
 そして、再び最寄り駅のJR小川郷駅に向かった。

 

 小川郷駅は、かつては有人駅だったそうだが、今は無人駅となっている。
 有人駅だった頃の名残で、木造だが駅舎があり、待合室もある。
 但し、キップ売り場があったと思われる場所は板で塞がれている。
 辛うじてカウンターだけが残っており、そこが窓口であった名残である。
 待合室には、まるで学校の図書室のように本棚がいくつか置かれており、それなりに本もある。
 駅舎の外に自販機はあるが、待合室内やホームにそれは無い。
 また、トイレも、駅前広場に新しめの公衆トイレがあるだけだ。
 ホームへの行き来は、地下道で行われる。
 ホームに行って列車を待っていると、踏切の警報機が聞こえてきた。
 やってきたのは、2両編成のディーゼルカー。
 ワンマン運転であった。
 こういう時、無人駅では、前の車両のドアしか開かないんだっけ。
 無人駅だが、ホームにはちゃんと乗車口の表示がしてある。
 そして、コロナ禍でボタン式半自動ドアを取りやめている線区でも、ワンマン列車では引き続きそれが行われている。

〔ドアボタンを押してお乗りになり、整理券をお取りください。いわき行き、ワンマンカーです〕

 実は駅構内に乗車証明書発行機があって、それを発行していた。
 これは本来、ツーマン運転列車の時に車掌に渡して、運賃を払う為のものなのだろう。
 しかし、ワンマン列車においては、車内にも整理券発行機があるので、どちらでも構わないことになっている。
 乗車証明書というのは、要は無料で発券される入場券のようなもの。
 但し、入場券が旅客営業規則上、列車内に立ち入ることはできないのに対し、乗車証明書は乗車券の代わりにもなるので、乗車することができる。
 こういうワンマン運転列車の場合、乗降の都合上、先頭車の方が混んでいることがある。
 実際この列車も、先頭車はほぼ満席状態だったのだが、後ろの車両は空席があった。
 その為、先頭車から乗った私達は、2両目に移る。
 2両編成なので、リサが一緒でも、どちらに乗っても良い。
 2両目でもまるっと空いているボックスシートは無かったので、ロングシートに座った。
 ここなら、隣同士で座れる。
 対向列車との行き違いができる駅ではあるが、この時間帯はそれが無い為か、列車は乗降が終わると、すぐにドアを閉めて発車した。
 電車とは違い、ディーゼルエンジンのアイドリング音が響く。

 リサ「だいぶ薄暗くなったね」
 愛原「だいぶ日も短くなったし、あと、何だか曇って来た。そのせいでもあるだろう」
 リサ「うん」

 リサは体をよじらせて、窓の外を見た。

 リサ「この景色を……お父さんとお母さんは見ていたんだね」
 愛原「もちろん、50年前と今とでは、だいぶ風景も変わっただろうがな」

 そして、当時走っていた国鉄型の気動車は、もうこの線区には存在しない。
 私達が乗っているのは、JR東日本が発足してから製造された車両だ。
 上野医師と斉藤玲子は、何を思ってリサと同じ窓の外を見ていたのだろう?

[同日16時48分 天候:曇 同県いわき市平田町 JRいわき駅]

 私達を乗せた列車は、定刻通りにいわき駅に接近した。

〔ピンポーン♪ まもなく終点、いわき、いわきです。お近くのドアボタンを押して、お降りください。乗車券、運賃、整理券は、駅係員にお渡しください。いわきから、常磐線はお乗り換えです。今日もJR東日本、磐越東線『ゆうゆうあぶくまライン』をご利用くださいまして、ありがとうございました〕

 小さなトンネルを抜けて、列車は減速し、いわき駅の磐越東線ホーム6番線に入線した。
 磐越東線のホームは5番線と6番線だが、ワンマン列車は6番線に到着するようである。
 さすがに東北地方で2番目に人口の多い町の中心駅ということもあり、例えローカル線でも、ホームには乗客が大勢待っていた。

〔ご乗車、ありがとうございました。終点、いわき、いわきです。……〕

 

 いわき駅のホームに降り立つ。
 上野医師達も、ここに降りたのだろうか。
 磐越東線のホームと言っても、それの専用線は6番線で、5番線は常磐線との共用である。
 だから、このホームにいる乗客達全員が、磐越東線を待っていたわけではない。

 愛原「新しい駅だな……」

 階段を上って、改札口に向かう。
 今、私達の手には乗車証明書と整理券しか無いので、有人改札口に行って精算することになる。
 こういう感じで改札口を出るのは久しぶりだ。
 駅の改札口は自動改札機が設置されている。
 しかも、Suicaに対応しており、まるで東北地方ではなく、関東地方にいるかのようだ。
 実際、茨城県との県境の町ということもあり、方言も茨城弁に近いのだという。

 愛原「小川郷駅から大人2人です」

 私は乗車証明書と整理券を4枚出しながら言った。

 駅員「それでは480円になります」
 愛原「はい」

 私はここで運賃を払った。
 乗車時間からして、恐らくこの運賃は首都圏の感覚からすれば高いのだろう。
 だが、『地方交通線』は『幹線』よりも運賃が高めに設定されているのが通例だ。
 私はお釣りと精算書をもらうと、リサを連れて改札口を出た。
 この精算書は、領収書の代わりになる。
 『精算書 いわき駅 東日本旅客鉄道株式会社』とある。
 上野医師達は、こんな改札口の出方はしなかっただろう。
 何しろあの当時、磐越東線では、まだワンマン運転は行われておらず、どの列車にも車掌が乗務していた。
 上野医師が善場主任の祖父を助けるきっかけになったのも、車掌が正にドラマのように、『お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか!?』と、車内放送したからだという。
 新聞記事にそう書いてあった。
 ワンマン運転当たり前の今ならそんなことはできないだろうし、恐らく最寄りの駅に停車して、運転士が指令所に連絡。
 指令所から119番通報されて、そこで救急車が到着といった感じだろう。

 リサ「ここに、お父さんとお母さんが……」
 愛原「恐らく、全然名残無いんだろうな」

 いわき駅の正面口は、南口。
 駅裏の北口もあるのだが、そちらはどちらかというと山の方なので、海に行こうとするなら、やはりこの南口だろう。
 しかし、駅前は再開発が進められており、恐らく50年前の名残など無いと思われる。
 震災前なら、辛うじてあったのかもしれないが……。

 愛原「取りあえず、ホテルに行こう。この町で一泊する予定だから」
 リサ「分かった」

 ホテルに行く前に、駅前のバスプールの案内板を見てみた。
 もしこの駅から海に行こうとする際、歩きは厳しいだろうから、バスに乗ったかもしれないと思ったからである。
 しかし、現時点のバス路線を見る限り、海の方に行きそうなバスは殆ど無かった。
 小名浜方面とかなら、名前的に海の方に行きそうだが……。
 分からんな。
 ただ、ヤクザや警察に追われている者が、バスで簡単に行けるような場所に行くかなと思う。
 もっと、人目に付かない所に行こうとするのではないかと思う。
 50年前は探せばそういう隠れ家的な浜もあったのかもしれないが、今は震災によって地形が変わったり、再開発などで、そういうのも無くなってしまったことだろう。

 リサ「先生?」
 愛原「いや、何でもない。早くホテルに行こう」

 それに、50年前と今とでは、バス路線もだいぶ違ったかもしれない。
 やはり、半世紀のブランクは大きい。
 私達は、繁華街にあるビジネスホテルへと向かった。
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“私立探偵 愛原学” 「いわき市での聞き込み」 1

2023-05-04 15:40:55 | 私立探偵 愛原学シリーズ
[11月12日15時15分 天候:晴 福島県いわき市小川郷高萩 善場家]

 善場主任の母方の祖父母の家。
 こちらに、私とリサはお邪魔した。
 応接間に行くと、仙台の小松先生と同じような年代の老人が待っていた。
 但し、小松先生が痩身長躯の体型だったのに対し、こちらは中肉中背で日に焼けている。
 実際、農業をやっているようだ。

 善場の祖父「優菜のお知り合いだとか……」
 愛原「突然お邪魔して、申し訳ございません。私、東京で探偵をやっている愛原と申します。善場優菜主任の所属されているNPO法人デイライトより、とある調査の依頼を受けております」
 善場の祖父「デイライト?知らんな。優菜は東京で、国の役人をやっているはずじゃが……」
 愛原「そうです。今はその国の機関から、デイライトという出先機関に出向されておられるのです」
 善場の祖父「あんな固い仕事をしていては、結婚なんぞ、難し過ぎるべ」

 祖父の言葉に対し、リサが笑いを堪えた。

 愛原「おい」

 私はそんなリサを軽く𠮟り付けた。
 笑ってはいけない。
 ここで笑ったら、後でケツバットでは済まないだろう。

 愛原「えーと……そのことについては、私共からは何とも申し上げられません。私達が本日お伺いしたのは……」
 善場の祖父「聞いてる。ワシが50年前、磐越東線の汽車の中で倒れた時の話を聞きたいのじゃろ?」
 愛原「そうです!実は……」

 私が話をしようとすると、善場主任の祖父はそれを制した。
 代わりにアルバムのような本を持って来た。
 そして、それを開く。
 それは新聞の切り抜きであった。

 愛原「これは……!?」
 善場の祖父「ワシらの事を書いた新聞記事じゃ。どうやら乗り合わせた乗客の中に、新聞記者の友人がいたらしくてな。その人が新聞社に連絡したようじゃ。本人もカメラマンだったらしく、写真だけは撮ったようじゃ」

 そうなのだ。
 その切り抜き記事には、『旅の医者、お手柄!』『急病人、危機一髪!』『的確な心肺蘇生で乗客の命 取り留める』という見出しが書かれていた。
 地元の新聞社にはこのように大きく載った上、他のページには全国紙の記事の切り抜きもあった。
 さすがに全国紙の記事はさほど大きくはなかったが、それでも全国紙に載るほどの大きな出来事だったようだ。

 リサ「これが……わたしのお父さん?」
 善場の祖父「なに?」

 私達は初めて、上野医師の写真を見た。
 地元の新聞社の記事には、若かりし頃の善場主任の祖父の心肺蘇生を行う医師の姿が映っていた。
 その後ろには、リサによく似た少女が映っている。
 それは、斉藤玲子だろう。
 上野医師は当時の年齢でも50代だったはずだが、写真で見る限りは、もっと年若く見えた。
 髪は七三分けだが、白髪が殆ど見受けられないからだ。
 また、頭髪にも剥げている部分は見られない。
 私と同じぐらいの歳だと言えば、それくらいに見えるほど若く見えた。
 髪は七三分けで、黒縁の眼鏡を掛けている。
 典型的なインテリジェンスであった。
 惹かれる女性はいるかもしれない。
 もしもリサの父親がこの上野医師であるのならば、確かにリサの地頭がとても良いことが納得できる。
 記事をよく読んでみた。
 また、写真も見てみる。
 今ならカラー写真が使われそうなものだが、さすがに70年代の印刷技術では、まだ新聞紙でカラー印刷は難しかったか。
 それでも、大きな写真なので、列車の中とかがよく見える。
 座席の形状や網棚の形状からして、恐らく列車は客車ではなく、気動車だっただろう。
 キハ58系かキハ40系のどちらか。
 8月の話だったからか、全員が軽装である。

 愛原「『郡山発平行きの普通列車』か……」

 上野医師達は優等列車ではなく、郡山駅から平(現・いわき)駅に向かう普通列車に乗ったのだ。
 郡山に、何か用があったのかもしれない。
 考えられることは、斉藤玲子の実家だ。
 恐らく上野医師は、斉藤玲子を実家に帰そうとしたのではないか。
 しかしながら複雑な家庭環境の状況は改善されておらず、引き取りを断られたか。
 それで仕方なく上野医師は、逃亡と斉藤玲子の療養を行うことにしたのかもしれない。
 それで海の方、つまり今のいわき市に向かったと。
 こう考えられる。

 愛原「お祖父さんが倒れられた時のことを覚えていますか?」
 善場の祖父「うむ……。ワシは元々心臓が弱くてな。元々あの日も、病院に行って薬を貰いに行こうと思ってたんじゃ。そんな時、郡山に住む姪っ子の誕生日であったことを思い出してな。プレゼントを渡してから行こうと思ったんじゃ。そして、昼飯を食べて、ワシは郡山駅から、平行きの磐越東線に乗った」
 愛原「そして、突然具合が悪くなられたのですね?」
 善場の祖父「不覚じゃった。意識が朦朧としていると、眼鏡を掛けた医者が駆け寄ってくれてな……。目が覚めた時、小川郷の駅の近くじゃったよ……」
 愛原「そうでしたか」
 善場の祖父「あの先生は、ワシの命の恩人じゃ。しかし、あの先生は謝礼を全く受け取ろうとしなかったし、どこの誰とも名乗りたがらなかった」

 ヤクザと警察に終われ、しかも当時からしても犯罪であっただろう、JC連れ回しをしていては、堂々と名乗れなかったか。
 いや、まあ、JC連れ回しについては、1度実家に帰そうとしていたのだから、そこは温情があっても良いとは思うがな。
 実家が引き取りを拒否したのか、斉藤玲子が帰宅を拒否したのかは不明だがな。

 愛原「女子中学生の女の子が一緒でしたか?」
 善場の祖父「うむ。確か、そうじゃった。……あー、いや、そこの娘さんよりも年上じゃないかな?」
 リサ「むー……わたし、もう高校生ですけど」

 リサは少しむくれた様子で言った。
 変化前は中学生と誤解されてもおかしくないロリ体型であったが、変化後の今は平均的な高校生の体型にはなっている。
 とはいうものの……。

 愛原「そういえばさ……」

 私は改めて写真を見て気づいた。
 今まで斉藤玲子の写真は、上半身から上くらいの物しか見ていなかった。
 しかし、この新聞の写真は辛うじて全身が映っている。
 目撃談の通り、ジーンズを穿いている。
 上は白っぽい半袖のシャツを着ていた。

 愛原「斉藤玲子って、発育いいな?」

 当時14~15歳の女子中学生にしては身長が高く、薄着だからか胸の双丘もよく見える。
 本人の前では口が裂けても言えないが、高校2年生のリサよりも胸が大きいように見えた。

 善場の祖父「うむ。ワシは先生の娘さんか誰かと思っておったが、高校生か大学生くらいに見えたよ」

 その場に居合わせた人物がそう言っているのだから、やはりそうなのだろう。
 実際は中学生だったわけだが。
 まあ、今はそんなことはどうでも良い。

 愛原「それで、お祖父さんはいわき駅……もとい、平駅まで乗って行かれたのですね?」
 善場の祖父「うむ。先生のおかげで一命は取り留めたが、いつまた発作が起きるか分からん。急いで病院に行く必要があった」
 愛原「上野医師達も終点まで乗って行ったと思いますが、平駅からどこへ向かったかは御存知ですか?」
 善場の祖父「いや、知らんな……。ワシも、『これからどこへ行かれるのか?』と聞いたのじゃが、せいぜい『海に行く』という答えだけじゃった」
 愛原「どこの海かは……?」
 善場の祖父「いや、言っとらんかった」
 愛原「四ツ倉とか久ノ浜とか……」
 善場の祖父「いやあ……」

 善場主任のお祖父さんは、首を傾げた。

 愛原「平駅で列車を降りた時、その2人はどこへ向かったか分かりますか?多分、常磐線のホームに向かったと思いますが……」

 平駅、今のいわき駅から、斉藤玲子の思い出の海である四ツ倉やら久ノ浜やらに行く為には、そこから常磐線下りに乗り換える必要がある。
 だが、お祖父さんは意外なことを言った。

 善場の祖父「いや、一緒に駅を出たよ」
 愛原「は?」
 善場の祖父「一緒に駅を出た。そして、ワシは急いで病院に行く必要があったので、そのままタクシーに乗ってしまった。じゃから申し訳ないが、駅前広場から先生方がどこへ行ったのかは知らんのじゃよ」
 愛原「駅を出たんですか?」

 それはどうしてだろう?
 列車の接続が悪かったのか?
 それにしても、ヤクザや警察に追われているのだから、ヘタに駅を出るより、まだ駅構内の方が安全だと思われるが……。

 善場の祖父「ワシが知っているのは、大方こんなところじゃが……」
 愛原「あ、はい。ありがとうございました。ちょっとこの新聞記事、写真を撮らせて頂いても?」
 善場の祖父「構わんよ」

 私はデジカメや自分のスマホを取り出し、新聞の切り抜き記事を何枚も撮影した。

 リサ「わたしも……」

 リサも自分のスマホを取り出し、あの大きな写真を撮影したのだった。
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