[11月12日16時37分 天候:曇 福島県いわき市小川郷高萩 JR小川郷駅→磐越東線736D列車最後尾車両]
善場主任の母方の祖父から話を聞いた私達は、礼を言って、その家をあとにした。
そして、再び最寄り駅のJR小川郷駅に向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fd/63994044530977e6faaa3e566b5c7179.jpg)
小川郷駅は、かつては有人駅だったそうだが、今は無人駅となっている。
有人駅だった頃の名残で、木造だが駅舎があり、待合室もある。
但し、キップ売り場があったと思われる場所は板で塞がれている。
辛うじてカウンターだけが残っており、そこが窓口であった名残である。
待合室には、まるで学校の図書室のように本棚がいくつか置かれており、それなりに本もある。
駅舎の外に自販機はあるが、待合室内やホームにそれは無い。
また、トイレも、駅前広場に新しめの公衆トイレがあるだけだ。
ホームへの行き来は、地下道で行われる。
ホームに行って列車を待っていると、踏切の警報機が聞こえてきた。
やってきたのは、2両編成のディーゼルカー。
ワンマン運転であった。
こういう時、無人駅では、前の車両のドアしか開かないんだっけ。
無人駅だが、ホームにはちゃんと乗車口の表示がしてある。
そして、コロナ禍でボタン式半自動ドアを取りやめている線区でも、ワンマン列車では引き続きそれが行われている。
〔ドアボタンを押してお乗りになり、整理券をお取りください。いわき行き、ワンマンカーです〕
実は駅構内に乗車証明書発行機があって、それを発行していた。
これは本来、ツーマン運転列車の時に車掌に渡して、運賃を払う為のものなのだろう。
しかし、ワンマン列車においては、車内にも整理券発行機があるので、どちらでも構わないことになっている。
乗車証明書というのは、要は無料で発券される入場券のようなもの。
但し、入場券が旅客営業規則上、列車内に立ち入ることはできないのに対し、乗車証明書は乗車券の代わりにもなるので、乗車することができる。
こういうワンマン運転列車の場合、乗降の都合上、先頭車の方が混んでいることがある。
実際この列車も、先頭車はほぼ満席状態だったのだが、後ろの車両は空席があった。
その為、先頭車から乗った私達は、2両目に移る。
2両編成なので、リサが一緒でも、どちらに乗っても良い。
2両目でもまるっと空いているボックスシートは無かったので、ロングシートに座った。
ここなら、隣同士で座れる。
対向列車との行き違いができる駅ではあるが、この時間帯はそれが無い為か、列車は乗降が終わると、すぐにドアを閉めて発車した。
電車とは違い、ディーゼルエンジンのアイドリング音が響く。
リサ「だいぶ薄暗くなったね」
愛原「だいぶ日も短くなったし、あと、何だか曇って来た。そのせいでもあるだろう」
リサ「うん」
リサは体をよじらせて、窓の外を見た。
リサ「この景色を……お父さんとお母さんは見ていたんだね」
愛原「もちろん、50年前と今とでは、だいぶ風景も変わっただろうがな」
そして、当時走っていた国鉄型の気動車は、もうこの線区には存在しない。
私達が乗っているのは、JR東日本が発足してから製造された車両だ。
上野医師と斉藤玲子は、何を思ってリサと同じ窓の外を見ていたのだろう?
[同日16時48分 天候:曇 同県いわき市平田町 JRいわき駅]
私達を乗せた列車は、定刻通りにいわき駅に接近した。
〔ピンポーン♪ まもなく終点、いわき、いわきです。お近くのドアボタンを押して、お降りください。乗車券、運賃、整理券は、駅係員にお渡しください。いわきから、常磐線はお乗り換えです。今日もJR東日本、磐越東線『ゆうゆうあぶくまライン』をご利用くださいまして、ありがとうございました〕
小さなトンネルを抜けて、列車は減速し、いわき駅の磐越東線ホーム6番線に入線した。
磐越東線のホームは5番線と6番線だが、ワンマン列車は6番線に到着するようである。
さすがに東北地方で2番目に人口の多い町の中心駅ということもあり、例えローカル線でも、ホームには乗客が大勢待っていた。
〔ご乗車、ありがとうございました。終点、いわき、いわきです。……〕
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/f4/1aedb91cc50f3619713b763ee12023ca.jpg)
いわき駅のホームに降り立つ。
上野医師達も、ここに降りたのだろうか。
磐越東線のホームと言っても、それの専用線は6番線で、5番線は常磐線との共用である。
だから、このホームにいる乗客達全員が、磐越東線を待っていたわけではない。
愛原「新しい駅だな……」
階段を上って、改札口に向かう。
今、私達の手には乗車証明書と整理券しか無いので、有人改札口に行って精算することになる。
こういう感じで改札口を出るのは久しぶりだ。
駅の改札口は自動改札機が設置されている。
しかも、Suicaに対応しており、まるで東北地方ではなく、関東地方にいるかのようだ。
実際、茨城県との県境の町ということもあり、方言も茨城弁に近いのだという。
愛原「小川郷駅から大人2人です」
私は乗車証明書と整理券を4枚出しながら言った。
駅員「それでは480円になります」
愛原「はい」
私はここで運賃を払った。
乗車時間からして、恐らくこの運賃は首都圏の感覚からすれば高いのだろう。
だが、『地方交通線』は『幹線』よりも運賃が高めに設定されているのが通例だ。
私はお釣りと精算書をもらうと、リサを連れて改札口を出た。
この精算書は、領収書の代わりになる。
『精算書 いわき駅 東日本旅客鉄道株式会社』とある。
上野医師達は、こんな改札口の出方はしなかっただろう。
何しろあの当時、磐越東線では、まだワンマン運転は行われておらず、どの列車にも車掌が乗務していた。
上野医師が善場主任の祖父を助けるきっかけになったのも、車掌が正にドラマのように、『お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか!?』と、車内放送したからだという。
新聞記事にそう書いてあった。
ワンマン運転当たり前の今ならそんなことはできないだろうし、恐らく最寄りの駅に停車して、運転士が指令所に連絡。
指令所から119番通報されて、そこで救急車が到着といった感じだろう。
リサ「ここに、お父さんとお母さんが……」
愛原「恐らく、全然名残無いんだろうな」
いわき駅の正面口は、南口。
駅裏の北口もあるのだが、そちらはどちらかというと山の方なので、海に行こうとするなら、やはりこの南口だろう。
しかし、駅前は再開発が進められており、恐らく50年前の名残など無いと思われる。
震災前なら、辛うじてあったのかもしれないが……。
愛原「取りあえず、ホテルに行こう。この町で一泊する予定だから」
リサ「分かった」
ホテルに行く前に、駅前のバスプールの案内板を見てみた。
もしこの駅から海に行こうとする際、歩きは厳しいだろうから、バスに乗ったかもしれないと思ったからである。
しかし、現時点のバス路線を見る限り、海の方に行きそうなバスは殆ど無かった。
小名浜方面とかなら、名前的に海の方に行きそうだが……。
分からんな。
ただ、ヤクザや警察に追われている者が、バスで簡単に行けるような場所に行くかなと思う。
もっと、人目に付かない所に行こうとするのではないかと思う。
50年前は探せばそういう隠れ家的な浜もあったのかもしれないが、今は震災によって地形が変わったり、再開発などで、そういうのも無くなってしまったことだろう。
リサ「先生?」
愛原「いや、何でもない。早くホテルに行こう」
それに、50年前と今とでは、バス路線もだいぶ違ったかもしれない。
やはり、半世紀のブランクは大きい。
私達は、繁華街にあるビジネスホテルへと向かった。
善場主任の母方の祖父から話を聞いた私達は、礼を言って、その家をあとにした。
そして、再び最寄り駅のJR小川郷駅に向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fd/63994044530977e6faaa3e566b5c7179.jpg)
小川郷駅は、かつては有人駅だったそうだが、今は無人駅となっている。
有人駅だった頃の名残で、木造だが駅舎があり、待合室もある。
但し、キップ売り場があったと思われる場所は板で塞がれている。
辛うじてカウンターだけが残っており、そこが窓口であった名残である。
待合室には、まるで学校の図書室のように本棚がいくつか置かれており、それなりに本もある。
駅舎の外に自販機はあるが、待合室内やホームにそれは無い。
また、トイレも、駅前広場に新しめの公衆トイレがあるだけだ。
ホームへの行き来は、地下道で行われる。
ホームに行って列車を待っていると、踏切の警報機が聞こえてきた。
やってきたのは、2両編成のディーゼルカー。
ワンマン運転であった。
こういう時、無人駅では、前の車両のドアしか開かないんだっけ。
無人駅だが、ホームにはちゃんと乗車口の表示がしてある。
そして、コロナ禍でボタン式半自動ドアを取りやめている線区でも、ワンマン列車では引き続きそれが行われている。
〔ドアボタンを押してお乗りになり、整理券をお取りください。いわき行き、ワンマンカーです〕
実は駅構内に乗車証明書発行機があって、それを発行していた。
これは本来、ツーマン運転列車の時に車掌に渡して、運賃を払う為のものなのだろう。
しかし、ワンマン列車においては、車内にも整理券発行機があるので、どちらでも構わないことになっている。
乗車証明書というのは、要は無料で発券される入場券のようなもの。
但し、入場券が旅客営業規則上、列車内に立ち入ることはできないのに対し、乗車証明書は乗車券の代わりにもなるので、乗車することができる。
こういうワンマン運転列車の場合、乗降の都合上、先頭車の方が混んでいることがある。
実際この列車も、先頭車はほぼ満席状態だったのだが、後ろの車両は空席があった。
その為、先頭車から乗った私達は、2両目に移る。
2両編成なので、リサが一緒でも、どちらに乗っても良い。
2両目でもまるっと空いているボックスシートは無かったので、ロングシートに座った。
ここなら、隣同士で座れる。
対向列車との行き違いができる駅ではあるが、この時間帯はそれが無い為か、列車は乗降が終わると、すぐにドアを閉めて発車した。
電車とは違い、ディーゼルエンジンのアイドリング音が響く。
リサ「だいぶ薄暗くなったね」
愛原「だいぶ日も短くなったし、あと、何だか曇って来た。そのせいでもあるだろう」
リサ「うん」
リサは体をよじらせて、窓の外を見た。
リサ「この景色を……お父さんとお母さんは見ていたんだね」
愛原「もちろん、50年前と今とでは、だいぶ風景も変わっただろうがな」
そして、当時走っていた国鉄型の気動車は、もうこの線区には存在しない。
私達が乗っているのは、JR東日本が発足してから製造された車両だ。
上野医師と斉藤玲子は、何を思ってリサと同じ窓の外を見ていたのだろう?
[同日16時48分 天候:曇 同県いわき市平田町 JRいわき駅]
私達を乗せた列車は、定刻通りにいわき駅に接近した。
〔ピンポーン♪ まもなく終点、いわき、いわきです。お近くのドアボタンを押して、お降りください。乗車券、運賃、整理券は、駅係員にお渡しください。いわきから、常磐線はお乗り換えです。今日もJR東日本、磐越東線『ゆうゆうあぶくまライン』をご利用くださいまして、ありがとうございました〕
小さなトンネルを抜けて、列車は減速し、いわき駅の磐越東線ホーム6番線に入線した。
磐越東線のホームは5番線と6番線だが、ワンマン列車は6番線に到着するようである。
さすがに東北地方で2番目に人口の多い町の中心駅ということもあり、例えローカル線でも、ホームには乗客が大勢待っていた。
〔ご乗車、ありがとうございました。終点、いわき、いわきです。……〕
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/f4/1aedb91cc50f3619713b763ee12023ca.jpg)
いわき駅のホームに降り立つ。
上野医師達も、ここに降りたのだろうか。
磐越東線のホームと言っても、それの専用線は6番線で、5番線は常磐線との共用である。
だから、このホームにいる乗客達全員が、磐越東線を待っていたわけではない。
愛原「新しい駅だな……」
階段を上って、改札口に向かう。
今、私達の手には乗車証明書と整理券しか無いので、有人改札口に行って精算することになる。
こういう感じで改札口を出るのは久しぶりだ。
駅の改札口は自動改札機が設置されている。
しかも、Suicaに対応しており、まるで東北地方ではなく、関東地方にいるかのようだ。
実際、茨城県との県境の町ということもあり、方言も茨城弁に近いのだという。
愛原「小川郷駅から大人2人です」
私は乗車証明書と整理券を4枚出しながら言った。
駅員「それでは480円になります」
愛原「はい」
私はここで運賃を払った。
乗車時間からして、恐らくこの運賃は首都圏の感覚からすれば高いのだろう。
だが、『地方交通線』は『幹線』よりも運賃が高めに設定されているのが通例だ。
私はお釣りと精算書をもらうと、リサを連れて改札口を出た。
この精算書は、領収書の代わりになる。
『精算書 いわき駅 東日本旅客鉄道株式会社』とある。
上野医師達は、こんな改札口の出方はしなかっただろう。
何しろあの当時、磐越東線では、まだワンマン運転は行われておらず、どの列車にも車掌が乗務していた。
上野医師が善場主任の祖父を助けるきっかけになったのも、車掌が正にドラマのように、『お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか!?』と、車内放送したからだという。
新聞記事にそう書いてあった。
ワンマン運転当たり前の今ならそんなことはできないだろうし、恐らく最寄りの駅に停車して、運転士が指令所に連絡。
指令所から119番通報されて、そこで救急車が到着といった感じだろう。
リサ「ここに、お父さんとお母さんが……」
愛原「恐らく、全然名残無いんだろうな」
いわき駅の正面口は、南口。
駅裏の北口もあるのだが、そちらはどちらかというと山の方なので、海に行こうとするなら、やはりこの南口だろう。
しかし、駅前は再開発が進められており、恐らく50年前の名残など無いと思われる。
震災前なら、辛うじてあったのかもしれないが……。
愛原「取りあえず、ホテルに行こう。この町で一泊する予定だから」
リサ「分かった」
ホテルに行く前に、駅前のバスプールの案内板を見てみた。
もしこの駅から海に行こうとする際、歩きは厳しいだろうから、バスに乗ったかもしれないと思ったからである。
しかし、現時点のバス路線を見る限り、海の方に行きそうなバスは殆ど無かった。
小名浜方面とかなら、名前的に海の方に行きそうだが……。
分からんな。
ただ、ヤクザや警察に追われている者が、バスで簡単に行けるような場所に行くかなと思う。
もっと、人目に付かない所に行こうとするのではないかと思う。
50年前は探せばそういう隠れ家的な浜もあったのかもしれないが、今は震災によって地形が変わったり、再開発などで、そういうのも無くなってしまったことだろう。
リサ「先生?」
愛原「いや、何でもない。早くホテルに行こう」
それに、50年前と今とでは、バス路線もだいぶ違ったかもしれない。
やはり、半世紀のブランクは大きい。
私達は、繁華街にあるビジネスホテルへと向かった。