報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

“私立探偵 愛原学” 「帰仙の旅の終わり」

2023-04-08 20:02:12 | 私立探偵 愛原学シリーズ
[11月5日17時00時 天候:晴 宮城県仙台市青葉区中央 仙台駅前バス停→仙台市地下鉄仙台駅]

〔「ご乗車ありがとうございました。まもなく終点、仙台駅前、仙台駅前です。車内にお忘れ物、落とし物などなさいませんよう、ご注意ください」〕

 私達を乗せたバスが終点の仙台駅前に到着しようとしていた。
 特に高速道路では渋滞にハマることはなかったのだが、車内にトイレが無いタイプなので、もしかしたらトイレが近い人には不向きかもしれない。
 始発の中尊寺から終点の仙台駅前まで乗り通すと、1時間50分掛かるのだ。
 片道1時間程度でもトイレ付きが当たり前の首都圏の高速バスでは、ちょっと考えにくいかもしれない。
 もっとも、その場合は運転手に申し出れば、高速道路上においては、パーキングエリアに立ち寄ってくれることもあるようだ。
 岩手県内では曇り空だったが、仙台市内は晴れていた。
 バスは仙台駅西口のバス停に停車する。
 バスプール内ではなく、青葉通り上。
 かつては、さくらの百貨店があった建物の前だ。
 そこでは乗車券の販売機もあったのだが、百貨店廃業と共に、券売機も撤去されている。

 運転手「はい、ありがとうございました」

 ICカードは使えない為、多くの乗客が現金で支払う。
 バスは結局、9割方の座席が埋まるほどであった。
 東北では鉄道は衰退しつつあるが、それは高速バスが優勢であることも一因なのだろう。
 私達はバスを降り、すぐ近くの地下鉄乗り場に向かった。

 リサ「トイレに行きたい」

 バスの中でトイレに行けなかった為、リサがトイレを申し出た。

 愛原「ああ、ちょっと行ってこよう」

 都営地下鉄もそうだが、仙台市地下鉄においても、トイレは改札外にある。
 こういう公営地下鉄の場合、駅のトイレは単なる駅の設備ではなく、市民に開放する公衆トイレのような意味を持っているのだろう。
 因みにJR仙台駅も例外的に、改札外にトイレがあったりする(作者が知っている限りでは2ヶ所)。
 階段を下りて、東西線乗り場に向かう。

 リサ「ねぇ、まだ?」

 東改札口に向かうまでの間、リサの膀胱が限界に近くなったようだ。

 リサ「このままだと、先生にマーキングしちゃうことになるよ?『1番』にマーキングされて、まだわたし、上書きしてやってないんだからね」
 愛原「分かった分かった。もうすぐだから」

 定期券売り場や自販機コーナーの先に、トイレがある。

 愛原「あそこだよ」
 リサ「行って来る!」

 リサは急いでトイレの中に入った。
 私と高橋も男子トイレに入る。

 高橋「先生。もっと近い所にトイレあったんじゃないスか?リサに『おしがま』プレイですか?」
 愛原「ンなわけないだろ。こっちのトイレの方が空いてるんだよ」
 高橋「そういうことでしたか。確かに多目的トイレも空いてましたね」
 愛原「だろ?」
 高橋「じゃあ先生、そちらに御一緒に……」
 愛原「行くわけねーだろ、バカ」
 高橋「ええーっ!」
 愛原「当たり前だろが!」

 こいつにも、油断も隙も無い。
 地下鉄のトイレながら、東西線乗り場は比較的新しいからか、トイレも比較的きれいである。
 和式トイレもあるにはあるのだが、洋式トイレの割合が多い。
 男子トイレでそうなのだから、女子トイレもそうなんだろう。

 愛原「トイレ、空いてた?」
 リサ「洋式使えた」
 愛原「それは良かった。それじゃ、行くか」

[同日17時23分 天候:晴 同駅→東西線電車(列番不明)先頭車内]

〔4番線に、荒井行き電車が、到着します〕

 地下深いホームで電車を待っていると、4両編成の電車がやってきた。

〔せんだい、仙台。南北線、JR線、仙台空港アクセス線はお乗り換えです〕

 土曜日なので平日ほどのラッシュは無かったが、空席は無く、私達は反対側のドアの前に立った。

〔4番線から、荒井行き電車が発車します。ドアが閉まります。ご注意ください〕

 短い発車サイン音がホームに鳴り響く。

〔ドアが閉まります。ご注意ください〕

 ドアチャイムが鳴って、電車のドアが閉まる。
 仙台市地下鉄では自動列車運転装置による半自動運転が行われているが、毎日各1回ずつ習熟訓練の為に、その装置を解除し、手動運転を行うこともあるという。
 そのタイミングは決まっているのか、それともあえて抜き打ちで行われるのかは不明である。
 乗客としては、運転室からハンドルをガチャガチャ操作する音がしたら、手動運転が行われていると見て良いだろう。
 尚、手動運転をすることに対する乗客への告知は行われないことが多いようだ。

〔次は宮城野通、宮城野通。ユアテック本社前です〕

 愛原「おや?LINEが……」

 私のスマホにLINEの通知があり、それを取ってみると、母親からだった。

 愛原「『帰りに食パンとマーガリンと卵とベーコンと生野菜とドレッシング買ってきて』?」
 高橋「お使いっスね!お任せください!」
 愛原「何でオマエがやる気出すんだよ」
 リサ「家の近くにスーパーあったっけ?」
 愛原「無いな。徒歩圏内にあるのはコンビニだけだ。ぶっちゃけこの内容、コンビニで買える物ばっかりだ。そこで買おう」
 高橋「はあ……。じゃあ、先生の御両親はどうやって買い物してるんスか?」
 愛原「そりゃあ、車で生協に行ったり、イオンに行ったりしてるらしいぞ。あとはネットスーパーとかも使ってるみたいだな」
 高橋「なるほど。そういうパターンですか」
 愛原「高齢夫婦だからな」

[同日17時45分 天候:晴 仙台市若林区某所 愛原家]

 地下鉄は薬師堂駅で下車し、実家に向かう途中にあるコンビニに立ち寄る。
 そこで言われた通り、生卵などを購入した。

 高橋「自分も作る側なんで、明日の朝飯の内容が分かりました」
 愛原「だろうな。ただ、卵は夕食にも使うらしいぞ」
 高橋「えっ?まだ作ってる最中なんスか?」
 愛原「いや、今夜はすき焼きだそうで、それで生卵を使うんだろう」
 リサ「すき焼き……!」

 リサはごくっと生唾を飲み込んだ。
 尚、リサはリサでジュースやらお菓子やらを購入していた。
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“私立探偵 愛原学” 「帰仙のバス旅」

2023-04-08 14:48:32 | 私立探偵 愛原学シリーズ
[11月5日15時00分 天候:曇 岩手県西磐井郡平泉町 さいき食堂→中尊寺バス停→東日本急行バス車内]

 善場主任に連絡して報告したところ、その調査報告に対する労いがあったものの、海に行く必要は今は無いと言われた。
 確かに最寄りの海は、店主が言った通りのルートなのかもしれないが、上野医師と斉藤玲子が本当にそこに行ったのかは分からない。
 また、仮に行ったところで、今はもう痕跡すら残っていないだろうから、行っても無意味だと言われた。

 善場「東日本大震災さえ無ければ、何がしかの名残があったかもしれません。愛原所長が調査されたように、もしかしたら、2人を知る人がいたかもしれません。ですが、平泉町と違って、沿岸部はあまりにも震災の被害が大き過ぎました。大津波などで痕跡はもう無いでしょうし、2人を知る住民が過去にいたとしても、現在も健在かどうかは不明です。そこまで、民間の探偵業者には求めておりませんので」

 ということだった。

 善場「仙台でも、何らかの情報が得られる見込みがあるのですよね?でしたら、そちらをお願いします」
 愛原「分かりました」

 善場主任の言う通りだった。
 私がそういう電話のやり取りをしている間、リサは食堂のトイレを借りていたのだが、外観も内装も昭和ノスタルジー漂う店であるから、当然トイレも……。

 リサ「トイレが和式ーっ!!」

 と、叫んでいたような気がするが、気のせいだということにしておく。

 
(東日本急行バス停。画像はやや古く、今は別のポールが立っている。また、12時40分発は無い)

 さいき食堂から中尊寺バス停までは、路線バスではほんの一区間の距離である。
 しかし、田舎のバスの一区間は長く、実際に歩いてみると15分くらいは掛かった。
 帰りは高速バスに乗ることにした。
 これなら、乗り換え無し且つ低料金で仙台まで戻ることができる。
 まだ少し時間があったので、私達は平泉レストハウスのトイレや自販機、高橋なら喫煙所を利用した。

 愛原「ここのトイレは、洋式があったよ」
 リサ「くそ……」

 そうしてバス停でバスを待っていると、1台のバスが下り方向からやってきた。

 

 愛原「乗車券は持っていませんが……」
 運転手「現金で大丈夫です」

 とのこと。
 バスに乗り込み、1番後ろの席に並んで座った。
 因みに、車内にトイレは無い。
 さすがに高速道路を走行するからか、車種は観光バスタイプであったが。

 高橋「上野医師も、このバスに乗ったんスかね?」
 愛原「いや、乗っていないだろう。中尊寺は確かに50年前も観光地だったとは思うが、こんな便利な高速バスが当時から運行されていたとは思えない。せいぜい、俺達が来る時に乗った一般路線バスがセオリーといったところか」

 しかしながら、どうして上野医師はあの民宿に泊まったかだ。
 あのバスは、終点がイオン前沢である。
 今は奥州市になったのだったか。
 しかし、当時は前沢町という名前だった。
 上野医師が暴力団員に追われ、なるべく東京から離れようとしていたことは分かる。
 それなら、バスもなるべく終点まで乗ろうとするのが人情のはずだ。
 それとも、中尊寺の観光をするくらいには余裕があったのだろうか。
 その答えらしき物は、反対側のバス停にやってきた路線バスにあったような気がした。
 少し離れた反対側のバス停に、一般の路線バスが停車した。
 私達が乗って来た路線バスと同じバス会社であったが、行先表示が中尊寺止まりとなっていた。
 仮に50年前も今も同じ運行形態だったとするならば、中尊寺止まりのバスと、イオン前沢行きのバスが運転されていたのだろう。
 上野医師は中尊寺止まりのバスに乗った為、せっかくだからと観光したのかもしれない。
 そして、今宵の宿を探した時、あのさいき食堂(当時は『民宿さいき』という名前だったらしい)だったのだろう。
 誰かの紹介だった可能性は高い。
 あの民宿は中尊寺から徒歩15分ほど離れており、あまり観光客が宿泊するような感じではなかったからだ。
 少し寂れた感じの民宿の方が、ヤクザに見つかりにくいとでも思ったか。

〔「お待たせ致しました。15時10分発、仙台行き、発車致します」〕

 私が考え事をしていると、いつの間にか発車の時刻になり、バスは前扉を閉めて発車した。
 イオンだが、一関市内にも当然ある。
 そこのバス停までは一般道を経由し、乗車しか取り扱わない。
 そしてその近くにある一関インターから東北自動車道に乗り、仙台宮城インターで降りる。
 仙台市内では電力ビル前バス停に停車し、降車しか取り扱わない。
 そして、終点の仙台駅前に到着するルートである。
 バス車内は半分くらいの乗客が乗っていた。
 途中のバス停からの乗車客数を考えると、満席になるかもしれない。
 なので、空いている座席には荷物を置かないようにという放送があった。

 高橋「先生。このバス、仙台に着くのは夕方になりそうですよ?」
 愛原「そうか。一旦、帰ることになるかな」

 母親が斉藤玲子のことについて、クラスメートだった吹奏楽部の後輩に聞いてみるということだったが、あれはどうなったのだろうか?
 私は母親にLINEを送ってみた。
 一応、今は平泉にいること、これからバスで仙台に戻ること、仙台には夕方に到着することを話した。
 すると母親から返信があり、後輩から話が聞けたという。
 ただ、元々学校を休みがちだった斉藤玲子のことに関しては、『確かにそういうコがいたような気がする』程度の記憶しか無く、あれこれ言えるほどの情報は持ち合わせていないという。

 母親:母「せっかくだから、卒業アルバムを返しに行って」

 ということだった。
 まだ返してなかったのかと思ったが、要は私からも直接会って話を聞けということらしい。
 私が、仙台に戻ったらすぐに行くと返信すると、

 母親「明日にしたらどうだい?後輩も家族持ちだし、夕食の時間帯にお邪魔したら、迷惑になる」

 とのことだった。
 まあ、確かに言われてみればその通りである。
 取りあえず今日のところは、実家に戻るしか無さそうだ。
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