ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2011年6月 上武カントリークラブ] ~ 始まりはいつも雨。

2011年06月26日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

始まりはいつも雨。
新生ミラーマンのスタートは、しとしと降る雨と霧の中、しかも苦手な山岳コース。

トリッキーなコースを見切れず、2打目以降のOBが続出。
ラフに入ったボールは草むらの長く伸びたグラスn根元に沈み、出すのが精いっぱい。
つれてアプローチも強く入って、リズムを崩し、前半久しぶりに切れた凧のようなボロボロゴルフ。

( ↓ ) ハーフをあがってきたレストランでは、口をきく元気さえなく、ケータイに向かってつぶやいた。。

>ハーフ63(-.-;)
>苦手な山岳コース、
>ティーショットまずまずも2打目以降OB連発、つれてアプがずたずた…
>後半がんばる宣言でもしないと、帰りたくなる

<(_ _)> アニカ姐さま、励ましの言葉をありがとうございました。<(_ _)> 

さぁ、言い訳に聞こえるかもしれないが、敗因を分析し、今後の糧にしよう。

私はスコア記録用とショット記録用の2枚を持ってラウンドするのだが、右側がショット記録用のもの。
ティーショットがまずまずなのに、2打目以降でのOB ( - )が多い。
2打目をOBしたときのショックは、ゴルフをする方ならご察しいただけるところがあると思いますが、
私の場合、続くアプローチ( A )がずさんになる。最終9番ホールに至ってはAが5つ並んでいる。
これはカンタンにいうと100Yから同じクラブでせっせと5回打ってやっとグリーンに乗ったということ。
ありえないくらい、てきとーにやっていたとしか思えない。。反省。

 

 朝一のティーショットから、谷へ打ちおろすPar3って。。 左バンカーに入れてダボスタート。

なが物(ティーショット)は悪くない。

2番ティーショットはS/4、つまりストレート弾道で5点満点の4点、
3番は3W/5、3Wで打っての5点満点ショット、
4番はS/深ラフ、つまり、ストレート弾道で距離も出ているのに、深いラフ(というよりは草むら)の中からPwで出すのが精いっぱいだったということ。

愚痴らせていただきます。 m(. _ .)m
なぜ、真っすぐ飛んだ球がフェアウェイ中央近くにせり出した草むらに入るのだ!?
飛距離のアドバンテージがなくなる。
(後半は、懲りて、5ホール目までドライバーを持たなかった。飛んで火に入る夏の虫、だから。)

前半半ばのショートホールで7番アイアンを2段グリーン横2mにピッタリつけるなど、ショット自体は悪くはないが、
狭いFwと深いラフ(くどいが草むらである)と斜面、
そして何より谷になって先が見えないブラインドとOB
に悩まされてリズムを崩した。もろい。

ニアピンに続いてドラコンくらいはとっておこうと力みまくった7番はティーショット脇の垣根にポコッと入る空振りに近いショット。

ずるっ。。

8番はティーショットをUtilityで打たざるを得ないくらいような右曲がりのヘンなホール、続く4番アイアンをナイスショットしたらOB 、

ずるずるずる。。

アプローチを5回打った9番で9を叩くと、今日は帰ろか~と思った。(-_-)

しかし、負けで始まる勝ちもある。

気を取り直しての後半は出だし10番から3Wで満点ショットだったがパーを取り切れず、
11番、13番も狭いFWの左サイドを避けるため、3wでティーショット、
しかしいずれも僅かに(3W/ L )左(Left)に打ったらOB 、(決して大きく左に打ちだしたわけでもなく、高くあげて巻き玉を防止しているのだ)
これまた大キライなプレイング4である。

 ショット記録用のカードに「浅~」と2回も書いている。
   
左が思った以上に浅くて、なんじゃこれ!? って、気持ちになったのを吐き出して頭を冷やしている。

13番でまたもプレイング4からのAwをG奥バンカーへ目玉をつくって9を叩いた後、14番でようやくドライバーを手にした。

 


このホールからHDCPが1,2,3,4と難易度の高いホールになるのだが、
 
むしろ私としてはようやく普通にゴルフができるホールがきたって感じだった。
14番、15番と連続ボギーの後、
16番はドラコン取って、タップイン・パー、
17番はバーディー、
18番はパー。

後半になってゴルフをプレーしている気分を取り戻すことができ、Myリーダーズボードも+6までいってたのを
4つ戻して47(+2)でホールアウト。

トリッキーなコースでは、しばらくやりたくない。

しかし、それでも修正しながら、後半上がり3ホールで粘り強く、スコアを戻してホールアウトできたのはよかった。

ショットは良くなっている。いやー、だいぶすっとした。ブログにはこのような効用もある。

( ↓ )歪んだ王国の、歪んだ鏡を正せよ、ミラーマン。

王国 - 谷山浩子

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クジラの如く悠々と

2011年06月25日 | 日記

勇ましく汽笛のような潮を吹きながら、大海に悠々と向かうblue whale(シロナガスクジラ)のように。

へぼゴルフィーには別れを告げよう。ミラーマンが降臨したから。

ひとたび変身したら、新生ゴルフィーライフの始まりだ。

Blue Whale - Blue Planet - BBC wildlife

(↓)埋め込み無効だが、よりクジラと気持が一体化するよな気がする。50万人目は私だ。

   辛い時、苦しい時、そして嬉しい時に、この映像にまた逢いにくると思う。

BBC Planet Earth (Blue whale)

ごめん、食べてしまって。。だけど、大好きなんだよ。

私はわるものだ。 家人はダイソンくん、とも呼ぶ。

掃除機のダイソンはいいやつだけどね。

 

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鳶色の夕べ

2011年06月25日 | 日記

鳶色(とびいろ)の雲は つづれ織りに

君を不思議な小径(こみち)へと誘う

(coming together in) Kathmandu  ゴダイゴ

タケカワ ユキヒデさんが生まれ育ったのとほど近い場所で、
同じような雲や風の匂いのなかで住まうことに喜びを感じたりする。

6/23は夏至だった。一年中で一番日の長い日。

そんな時季、異容な花姿を顕すのがトーチ・リリー。和名はトリトマ。

torchという名前の通り、タイマツの灯りのように、燃えるようで透き通るような橙。

武蔵野は所沢辺りで、群植された姿を車窓越しに見てカンゲキして以来、
家の西の片隅で、玄関の明りより先に、おかえりのお出迎えをしてくれる。

もっとも西日射す夕暮れ時の時刻に家に着くようなこともなく、
それは単なるサザエさん的郷愁のイメージなのかもしれぬが、
そのような気分を醸してくれることに変わりはない。

おー、おまえたち猛々しいなぁ、夏らしく、びんびんじゃないか。

ひかえめに頭だけ出しているやつらもいる。

米国の建築家、フランク ロイド ライトの日本好み、
歌川広重の描いた「名所江戸百景/真間の紅葉手古刹(てこな)の社継(やしろつぎ)はし」。

賑やかしいネオンもよいが、このような鳶色に誘われてみたい節電の夏の宵。

庭仕事の愉しみ
ヘルマン・ヘッセ
草思社

遠くヒマラヤの深い森をも照らす。

Landour, Mussoorie

 

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NAOMIさんからの招待状

2011年06月23日 | ブログについて

ボスニア ヘルツェゴビナ共和国の12歳の女の子からYouTubeの友だちに招待された。

先日のサンフランシスコの音楽家、ダニエルさんからの招待状に続く海外からのご招待である。
ダニエルからの招待状

NAOMI、って数年前に結婚式の2次会で、女装した時に名乗った(名乗らされた)名前なのだが
こちらのNAOMIさんはbeautifulな才媛だ。

NAOMI DRUSKIC,12 age, Chopin Competition Singapore,Nocturne B-minor,op.9 No 1

先日また1663PV で自己ベストの数字だった。

なんでだろ

Naomiさんへの自己紹介代わり。

鳥がさえずる渡良瀬川沿いにて。

Dawn of Japanese Links

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10cc - Lying Here With You

2011年06月19日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

疲れ気味の夜、10ccのロマンティックなピアノの小品でも聴いて眠りにつこう。

10cc - Lying Here With You

愛するクリーブくんの夢でもみながら。

ハング・アップしちゃだめだよ。

10cc - Don't Hang Up (1976)

 

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[2011年6月 古河ゴルフリンクス(2)]~ ミラーマン降臨

2011年06月19日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

深夜まで仕事の続くウィークデーに加え、土曜日もしっかり出勤した疲れが溜まっていたので、
早起きする自信すらなかったが、やっぱりゴルフが好きなのだ。
目覚めよく早朝スルーに向かう。

雨上がりのキレイな朝焼けを期待したが、それほどではなかった。

( ↓ ) しばし、渡瀬川を眺める。

朝焼けの光のなかに立つ影は。。

 ミラーマン

そう、今日は新しいウルトラ・アイ(先日購入したサングラス)でのコースデビュー。

右目をつぶりすぎて、ティーショットからボールにまともにクラブが当たらないよなスタート。

腰を痛めたゴルフばかは手打ちゴルフに徹し、前半は絶好調のマグワイア氏が席巻する展開。
(この日、積年のライバル (・・? であるマグワイア氏は私の87を上回る86の自己新でホールアウト。

  トロフィーを購入し、2011~2041と予め刻むことにして、むこう30年間の闘いを誓うことにした。

しかし、ミラーマンも沈黙を続けているわけではない。

後半に入るや、徐々に巨大化するミラーマン。 

 さすが、ミラーマン、である。

後半は出だし5ホールで1バーディーと3つのパーで、Myリーダーズボードを5アンダーまで伸ばし、
16番を終わるまで、5アンダーをキープ。

残り17番・18番をボギーとパーであがればハーフ30台達成、である。

しかし、17番(なぜかいつもティーショットが左に行く)に魔物が潜んでいた。

いつものように左に打ち出したティーショット、いつもスタイミーになる木の根元あたりに落ちたかに見えたが、
跳ね方が悪かったのか、さらに左の池に転げ落ちた模様。。
このホールを7とし、30台は朝露のように消えてしまった。

しかし、最終18番のPar5をしっかりパーで締めて、ハーフ41を達成。

お、アニカ先生への挑戦権を、実力で手にしたぞ。

相変わらずティーショットに課題を残すが、後半はまた16パットでまとめた。

もう80台(90切り)とかいう次元でのゴルフではなく、ハーフ41のその上のゴルフを目指そう。

スコアは水モノだが、そのうち結果もついてくるだろう。 (← ミラーマン)

リミッターを決めてはいけない、それが心のブレーキになってしまう。それはビジョン54の教えでもある。

 

このブログは、これ(ブログ開始 ~ ゴルフ84ビジョン宣言)で始まったのだが、近くまで来た感じがする。

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感情のコントラストを取り戻そう ~ 空に終点はあるか

2011年06月12日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

~ 空に終点はあるのかしら。どんな道にも終点があるでしょ。

   終りがないものってあるのかしら。夜が来て一日は終わるでしょ。

空の終点 /手嶌葵

こんなシュールな会話は、残念ながら私の日常生活のなかでは出てこないが、しみじみしていい感じだ。
手嶌葵さんの声には、頼りなげだけど、凛としてそこにある存在感を感じる。
強いばかりが、ほんとに強いってわけじゃないでしょ、とでも言われそうな、手強さを持っている。

こういう機微のある肌理細やかな感性というものは、現実社会ではあまり役にも立たないから、切り捨てられがちだが、私の心のひだに寄り添ってくる。

ブログを始めて間もない頃、吉本隆明氏の言葉に深く頷いた。

わたしはふと気がついた。
じぶんの周囲には、あまり じぶんの同類はみつからないのに、
書物のなかにはたくさんの同類がみつけられるというのはなぜだろうか。
ひとつの答えは、書物の書き手になった人間は、じぶんと同じように周囲に同類はみつからず、
また喋言ることでは他者に通じないという思いに悩まされた人たちではないのだろうか、ということである。

もうひとつの答えは、
じぶんの周囲にいる人たちもみな、じつは喋言ることでは他者と疎通しない、という思いに悩まされているのではないか。
ただ、外からはそう視えないだけではないのか
、ということである。

後者の答えに思いいたったとき、わたしは、はっとした。
わたしもまた、周囲の人たちからみると思いの通じない人間に視えているにちがいない。
うかつにも、わたしはこの時期にはじめて、じぶんの姿をじぶんの外で視るとどう視えるか、を知った。
わたしはわたしが判ったとおもった。
もっとおおげさにいうと、人間が判ったような気がした。

齢を重ねると、周囲の出来事が、同じことの繰り返しのように思えてきて、新鮮な驚きを失いがちだ。

感情のコントラストが薄らボケてくる。

感覚をリセットするようなwordingや、切り口の違った視点を、面白がって探しているくらいで丁度いいのだが、
そのような表現力を持って、日常生活を送っている人に出会うことはそうそうあることではない。

声楽家であり、エッセイストでもある塩谷靖子(しおのや のぶこ)さんの文章を読んでいて、
そのような表現力を持った人がここにもいた、と思った。

今、節電のために街の照明が暗くなっているという。
とはいっても、私が8歳で失明する前に見たかつての街に比べれば、はるかに明るいに違いない。
夕方ともなれば、路地のあちこちに濃い闇が潜み始める。
家族で夕食を囲む茶の間は電灯の下だけが明るく、部屋の隅では柱時計や人形がぼんやりした明かりの中で侘しげにしていた。
あの頃はまだ、小泉八雲や谷崎潤一郎が愛してやまなかった、陰翳に富む日常が残っていたように思う。
この節電を機に、そんな日本的な美意識が復活するのではないだろうか。

一般に失明している人の日常は闇であると思われているようだが、
感覚的には目の見える人が想像しているような闇ではない、と彼女は言います。

直後は闇であったとしても、いずれ明るくも暗くもない状態に入っていく。
常に明がない者にとっては暗もないのだ。
だから、「失明」という言葉は、正しくは「失明暗」と言うべきかもしれない。
光と色に溢れる世界をもう一度見たいというのは失明者の偽らざる気持だが、
それと同時に、ふと闇が恋しくなることもあるのだ。
失明者が闇を恋しがると言うと奇異に思われるかもしれないが、「失明暗」の状態にある者にとっては、真夜中の森を覆い尽くす闇や、カーテンを閉めて明かりを消した寝室に漂う闇が恋しくなるのだ。

節電によって、確かに街も家も若干、明るさが薄らいだ。
海外の空港や街の雰囲気に近くなったようにも思う。これまでが過剰だったのは確かだと思う。
そして、過剰な明るさばかりが強調されないからこそ浮かびあがってくる、美意識や文化、というのもきっとありそうだ。
節電というのは、ある意味、またとないチャンス、機会でもあるように思えてきた。

日焼けして退色してしまった、経年劣化した感性が甦って、
これまで気づかなかった感情のコントラストを感じられるようになったなら、
人生における、またとないプレゼントになるかもしれないくらい、
それは素晴らしい出来事ではないか。

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世界は「物理」と「物語」で成り立っている ~ With A Little Luck

2011年06月12日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

" いま、私たちは新しい物語を必要としているのではあるまいか。
 仏教の古い物語に帰依できない凡人のための、浄土を、浄土という言葉ではなく表現する鮮烈なイメージをである。"

モノである「からだ」と「こころ」が消えても、「自然(じねん)」である「いのち」は消えない。
「からだ」と「こころ」という親し
いパートナーと別れ、服を脱ぎ捨てた裸の「いのち=たましい」として
元の気(元気)の海に還るのだ。

元気―人はみな元気に生まれ元気の海へ還る
五木 寛之
幻冬舎

以前取り上げた、『電子が現象化するためのコーディネーターである』という物語、
「物理」と「物語」の境界線上にあるような話だが、説得力を持って迫ってきた。

つながってきた ~ 真実への目覚め

石や木や水と私たちの関係について


昔、大河の一滴を読んだときには、ネガティブな感想を拭えなかった五木寛之氏だが、さすがに良いことを言う。

"この世の中のことは、すべて「物理」か「物語」かのどちらかであると私は思う。
 「物理」は証明できなければならない。そして「物語」は共感されなければならない。
 その両方が大切なのだ。"

モノによって証明されるものは、すべて「物理」である。
そして、言葉によって語られ、字によって書かれるものはすべて「物語」である。
古代から中世にかけては、ほとんどが「物語」の時代だった。
都市が焼ければ神の怒りであり、人が死ねば天国か地獄へ行くと信じられた。
やがて「物理」が確実に一歩ずつ「物語」の世界を打ち崩していった。
では、「物語」の世界は一方的に後退するだけだったのだろうか。
そうではない。二十世紀は民主主義や共産主義という「物語」、市場原理と自由競争という「物語」、核兵器による力の均衡という「物語」の黄金時代だった。

「物語」は、それがどんなに精緻な論理によって組み立てられていようとも、しょせんその本質は夢であり、人間の願望を映す鏡にすぎない。
どんな理屈をつけようとも、本当はその「物語」に共感しただけのことだ。
人はまず信じて、それから納得できる理由を探すのである。

「物語」を侮ってはいけない、と思った。
人を、時代を、突き動かすのは、いつだって「物語」である、と思う。
人が証明抜きで、無条件に、時に生命を投げうつことさえいとわなくさせてきたのは「物語」のほうである。 

歴史とか、時代とか、政治とか、たいそうなことでなくても、
日常的な些細な身の回りのことも、大抵は「物語」でできている。

ならば、元気づける「物語」こそが必要だ。

「青い鳥」はいない、とか、物知り顔をしてすましている場合ではないのである。
ストーリーテラーこそがエライのである。

( ↓ ) ノルウェイが1905年、わずか100年ちょっと前に独立した国で、それまではスウェーデンの一部だった、とは意外な感じがした。 

    イプセンのことはよく知らないが、「叫び」を描いたムンクであっても、後年に求めたのは、安寧や温和の世界だったのか。

2011/6/12日経から


ぬくぬくとした家庭生活で牙を抜かれた、と揶揄されるのは、芸術家の宿命なのかもしれないが、
幸せな暮らしから生まれるものが、刺激を失った辛くないモノばかりだとも思えない。
孤独や不条理だけが真実ではない。もっと世界は広いし温かいところもあるはずだ。
そのような物語を作ることも芸術なのではないか。バランスの問題だと思う。

( ↓ )2:30過ぎからシャウトするポール、
   ちょっとしたキッカケ(Luck)があれば、ぼくらにだってできる、終りなんかない、という物語。

Paul McCartney - With A Little Luck


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シルバーフレームのサングラス

2011年06月12日 | ゴルフィーライフ

愛用していたサングラスがとうとう割れた。

よく分からないかもしれぬが、両目がつながった1枚レンズのサングラスの鼻っ柱の辺りが割れた。

私にとってサングラスは、度つきのレンズが入っていて、ゴルフの時にはなくてはならぬもの。

かけた時に、ほど良い変身感を感じられるものがほしかった。

( ↓ ) なんとも言えない快感を覚える変身音だ。よく真似をしたものだが、この音を聴くと、今もときめく。

UltraSeven Henshin

私の深層心理には、どうもこの辺りが刻印されているように思う。

忍び、へのあこがれ。

しゅっ、しゅっ、しゅしゅしゅっ。

忍者マーチ四連発/仮面の忍者赤影 OP

先日、朝焼けのリンクスを眼の前にしたとき、頭のなかに聴こえてきたのは、朝焼けの光のなかに立つ影、の歌。

今度はシルバーフレームだ。

シルバー仮面 主題歌~故郷は地球

サイボーグのような強いゴルファーになりたい。

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[2011年6月 古河ゴルフリンクス(1)]~右目をつぶった座頭市

2011年06月05日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

皐月から水無月へと月が変わっても、「おとなの朝練」は続く。

今朝も渡良瀬川から立ち昇る朝霧に包まれてのスタート。

朝の5時前であるが、陽はかなり高い。

  

                                           ~ 白い朝、の始まり。

最近不振に陥っていたホワイトドライバーだが、少しずつ元に戻ってきた。

コツは、無理にドローボールなんて求めないで、
ボールに厚めにインパクトしてのストロング・フェードで攻めていく気持ちをもつこと。
これだと大きなミスにはつながりにくい。
縦振りになるので、体が暴れず、ビシッとした振りが戻りつつある。
やはり私はフェード系をベースにした方が安定する。
それでいて、肩や腰の開きの無い動きが出来ている時には強いストレート系のドローになる。

 GW後半から飛距離が落ちていたが、
今日は410Y のPar4で第2打を残り100Y杭の横からウェッジで打つ場面も。
240Yの旗を30-50Yオーバーするショットが後半になって徐々に戻ってきた。

( ↓ ) 今月号のALBAに掲載されていた、『右目をつぶっての素振り』

    『座頭市打法』とネーミングして調子に乗っていたが、
    いきなりコレで打つと視界が悪くなるのでインパクトの精度が落ちる。

    途中から素振りで採り入れ、アドレスで採り入れ、テークバックで採り入れ、と、
    右目をつぶるタイミングを変えながら、振っていくと、
    右胸を閉じる動き、手元やヘッドの軌跡が揃って、
    閉じた右目― 右肩 - 右胸 - 手元の軌道、 のラインも揃ってきた。

    右目を閉じることで、そのあたりの感覚がかえって鋭敏になってゆく気がする。

    まだ完成はしていないが、この「座頭市打法」、完成した暁にはタイヘンなことになりぞうだ。
    眼の見えない座頭市が開眼する、のである。

クリーブくんも時々、オレはプロか と思える見事なアプローチを演出。

14番ではバーディーも来たが、イマイチ波に乗っていけない。

 後半はチャンスはいくつもあったがついに、ひとつもParがこなかった。それでも46/45の91。

   ややもするとイージーなゴルフ、マネジメント内容。
   これまでなら素ダボを続けていたような内容だったのが、
   波に乗ってゆけずとも、「素ボギー」を続けるゴルフに変質してきたような感がある。
   ランクアップしているのを実感した。   

    50cmのパーパットを外したり、Fwから残り100Yで手前につけるべきところをイージーに奥まで打ったり、と
   気合いが上手く乗っていかず、マネジメントにも気が廻っていないような内容。
   Parチャンスを淡々とボギーにしてゆく淡白なゴルフ。

   しかし、素ダボにはならず、素ボギーになる。
   スコアメイク力の底上げができていることをあらためて実感。

    このところのスコアの凋落傾向にも歯止めがかかった。
   ツレもハーフ40で廻り、70台を目指す手ごたえを掴んだようだ。
   夏場に向けて、アサレン効果が表れ始めてきたぞ。

 

(↓) しかし9ホール連続ボギー、というのも、めずらしい。

    後半出だしで3パットしてパーを逃すと、そのまま、ずるずると。。
    
    いつもなぜか左ラフにいく6番のティーショット、Fwキープしながら第2打をG奥の難しいところまで打ってしまい、
    苦手にしている7番では、50Y のアプをピン手前50cmにつけながらパーパットを決めれず、
     ポットバンカーが待ち受けるpar3の8番は1オンしながらパットが緩み、
    9番でも第2打でG手前まで運びながら3オン、3パット…
    (もっとも、これは強気にバーディパットを狙ったから仕方ないけど)

    内容的には悪くはなかった。持ち直してきた。
    気持ちが乗っていけば、きっと、いい夏になるぞ。

問答無用のカタルシスを求めて。
Zatoichi Trailer

 

    

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サガンはお好き? ~ セーヌのカフェテラス

2011年06月04日 | 読書ノート

フランス人には、人間の一生なんて働かずにノホホンと暮らせればそれが一番だと考えるところがあるという。
フランス人は男女の愛についても道徳的に寛大なところがあって、日本とは事情がずいぶん違うようだ。

私が好きな内田 樹(たつる)氏もフランス思想が専門である。

― こんな生き方、こんな考え方もあるのか ―

そのような発見や気づきを与えてくれるものは、これまで見落としていたもののなかにあるのではないか。

フィガロブックス サガン 疾走する生 (FIGARO BOOKS)
マリー=ドミニク・ルリエーヴル
阪急コミュニケーションズ

フランソワーズ・サガン、1950年代に18歳で「悲しみよ こんにちは」でデビューしたフランス人作家。

人間の暗部(真実には当然、毒や悪も含まれる)を表現可能な、公然として社会的に認められたフォーマットが小説やフィクションならば、
小説の類をほとんど読まない私は、実は人間世界の深さや広さに触れるチャンスを逃し続けているのかもしれない、、

芸術とは、驚きという形で具現化されるもの。
普段は気にもせず、ただ刻々と過ぎていく瞬間をきちんと捉えなおし、
ある種の感情を呼び起こす特別な時間に変えること。
芸術にとってリアルかどうかを問うても意味がない。
いわゆるリアリズム小説ほど非現実的なものはないし、あんなのは悪夢だ。
(肩越しの回想/サガン)

「悲しみよ こんにちは」はおろか、サガンはどの作品も悲しいことに読んだことがない。
で、手にしたのがこの本である。
サガンなのに小説をチョイスしない、悲しい性(サガ)。。(-_-メ)

サガンのこんなインタビューが紹介されていた。

"どうして やっつけ仕事で小説を書くのですか"
「怠け者だからです。」
"でも作家というのは真面目な仕事でしょう"
「ええ、私は真面目に怠けているんです。」

"あなたにとって知性とは?"
「さぁ、ひとつの質問に対して、できるだけ多くの視点から考えられること。
 視点を変えて考え、学ぶことのできる能力かしら。」

 ~サッカーでも文学でも音楽でも「フランス的」と称されるのは、知的な敏捷性や遊び心のある娯楽性である。
そして、サガンはまさにフランス的なフランス人作家なのだ。
サガンは「親切」ではなかった。聡明すぎたのだ。だが、彼女には思いやりがあった。
二人とも(晩年のサルトルと、ずいぶんと年齢は離れていたが親交のあったサガンのこと)、絶対音感ならぬ絶対知性を持っていたのだ。
変えられないものに無用に腹を立てたりしない。
他人の粗探しをする眼力ではなく、一歩引いたところから眺め、理解しようとする知力。それが優しさになるのだ。

なんだか、サガンには共感するところがある。
日本は文明開化以降、もっぱらアメリカやイギリス、ドイツから多くのものを取り入れて
インフラが出来上がっているように思える。
日本社会は、社会的な通念、道徳的・思想的なインフラ基盤が偏っているのかもしれない。

 Interview de Sagan par Desproges

 美人ではないかもしれないが、個性的でスタイリッシュ。
シャイだけど自由奔放な彼女を時代は憧れの対象にした。

 

サルトルと親しかったサガンは「ブラームスはお好き?」って小説も書いた。
エルトンの「ブルースはお好き?」は、これをもじっていたのか。(なんで、人がこれをブルースっていうのか分かった
サガンには、おじさんの気持ちがわかるのだ。

( ↓ ) これはメロディアスなブラームス弦楽六重奏曲第一番の2楽章。

Brahms String Sextet n.1°/2nd mvt

そういえば、我が家のリビングにあるのはモネの絵と、
無名の画家の描いたモンマルトルの丘の絵。

そこだけはフランス好みだ。

さすがにモネは複製だが、こちらはワン・アンド・オンリーの油彩画、なんで有名にならないのだ、DIMARIさん。

左手のカフェの看板の文字がMcCartneyに見える。。

Paul McCartney & Wings - Cafe on the left bank

セーヌの左岸(サガン)で、
Ordinary wineでContinental breakfastを食べ、
English speaking peopleはGerman Beerを呑んでいる、
このちゃんぽん感、ある意味日本的だ。

サガンだけでいくつかダジャレをちりばめることに成功した。
touching all the girls with your eyes, というのもおじさんっぽい。
夜になったらモンマルトルから南下して、アルルのカフェの絵に変わってると、もっとよい。

 

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