ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

LIPAとリバプール大聖堂と夏の終わり

2018年09月30日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

夏が終わり、 9月も終わりになろうかとしているので、そろそろイギリス旅行記も手じまいです。
手じまいはリバプールを再び。
(リバプールの後に訪れた湖水地方のことはまた後日。)

リバプールへやって来た!
マジカル ”ミラクル” ツアー

マジカル“ ミラクル” ツアー 後編

”残りの人生をどこで過ごそうと、リバプールでの日々はいつも君と共にある。(移動祝祭日 ~ La Mer )"

IN LIVERPOOL" BY PAUL McCARTNEY 

港町リバプールの朝、宿泊したA Hard day's Night hotel辺りまでもカモメが行き交っていた。

A Hard day's Night hotelのレストラン、Blakes。

此処に限らず、イギリスでの朝食はいつもこれがあった。
ケチャップ煮のような大豆、焼きトマト、
薄めのトースト、カリカリに焼いたベーコン。

壁に架かっているのはサージェント・ペパーズのジャケットに登場する50人を超えるという人物の写真だった。

ホテルからピア・ヘッドのあるマージ―河方面へと歩いていくと、
かつてリバプール城があったという場所にヴィクトリア女王像がある。

 

ロイヤル・ライバー・ビルディングと朝陽。
ライバーバードのことは前に書いたが、(リバプールへやって来た!)
朝陽の写真に写っているのは雌雄2匹のうち、雄のライバーバード。

雌は港の方を向いて船員の安全を見守り、雄は街の方を向いて市民の平和を見守っていると云う。
(間を取り持つように架かる月。)

( ↓ )マージー・ドック。ピアヘッドとアルバート・ドックの名前はあちこちで見るが、マージー・ドックというのは見ない。

( ↓ )マージ―河のフェリーボートに届かず。

( ↓ )朝はピアヘッドにあるビートルズ像に届かず。これは後姿だ。

Paul McCartney & Others Ferry Cross the Mersey 1989

届いた!

ピアヘッドにある産業革命の反映を物語ったような美しい3つの建物
(左からロイヤル・ライバー・ビルディング、キューナードビルディング、リバプール港ビルディング(ドックビルディング))
をスリーグレース(三女神)という。

リバプール博物館。

マージ―河が流れ込む先は大西洋ではなく、アイリッシュ海だ。
今となっては、この後お世話になったアイリッシュ海に面したホーリーヘッドへと、
繋がっているように見える。
(【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】ホーリーヘッドの試練)

( ↓ ) 港湾都市リバプールの面影が濃く残るアルバートドック。

 

アルバートドックの一角にある博物館”ビートルズ・ストーリー”。

アスコットには行けなかったが、”ビートルズ・ストーリー”にイマジンの展示があった。
(ロンドン郊外のアスコット、ケンウッド)

ルイス・デパート。
ポールはリバプール・インスティテュート中退後、ここで短期間配送の助手をやっていたというし、

ビートルズはキャバーン・クラブ時代にここの最上階で演奏したという。
ビートルズのマネージャーだったエプスタインの助手ピーター ブラウンはここのレコード売り場の責任者だったという。
地元ならではのエピソードの数々だ。

意味不明な像があった。

ひひーん。

 

ここから、
順不同で先に記事化した、パブ「Philharmonic Dining Rooms」で夕食を採るまで、
【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】半世紀後のアビイロードへ。)
ホープストリート方面へと長い散策。

帰国してから藤本国彦氏の本が発売されていた。(2018年8月15日 初版発行)
下はこの本に掲載されている地図。
これが旅のお伴にあったら、どんなにか分かり易かっただろう。
一方でこれを手にしていたら、ロンドン郊外では「トゥィッケナムの奇跡」は起きず、
フライヤーパーク(Friar Park) 」に足が向いたような気がする。

(右はロンドン編のみが発売されていた今回の旅のお伴。
ロンドンに限っていえば、分かり易さは兎も角、情報量は”歩き方”の方が多いように思う。
しかし、プレジデント・ホテルの前で一所懸命写真を撮ったが、”ここで生まれた”にあるように
あれはリージェントStのBBCパリス・スタジオ前が正解だったようだ。)

 

住宅街を歩いていると、庭がよく手入れされていてとても綺麗。
イギリスの気候に合っているのでしょう、
ここかしこで見かけたブッドレア。

紫陽花という呼称も綺麗なハイドランジア。

 リバプール大聖堂も見えてきました。

 

ポールが1995年から96年にかけて設立したLIPA(リバプール・インスティチュート・フォー・パフォーミング・アーツ)。
LIPAはポールとジョージが通った
リバプール・インスティチュート・ハイスクール・フォー・ボーイズの校舎を有効活用している。
私たちが訪れたのは7月8日だったが、
ポールは、7月25日に
ここで学生たちと語り合うQ&Aセッションを行なった。

LIPAをリバプール大聖堂側からホープ・ストリート側に抜けた所。
どちらが正門なのか分からない程に立派な門構え。

ジョン レノンが通ったリバプール・カレッジ・オブ・アートはLIPAの隣にある。、

( ↓ )ホープ・ストリートからマージ―河~リバプール市街中心部方向を見下ろす。

リバプール・カレッジ・オブ・アートの前に風変わりなオブジェがあった。
藤本氏の本によれば、「A CASE HISTORY」というオブジェで、
ギターのオブジェには"Sir Paul McCartney"と書かれている。
気づかなかったが、横になっているギターがそうだ。

  

 

 

ポール初のクラシック曲「リバプール・オラトリオ」が初演されたリバプール大聖堂教会。
~Ecce Cor Meum(エッチェ・コール・メウム。邦題「心の翼」)は「我が心を見よ」という意味のラテン語)もここで演奏された。
1900年代初頭に建築が始まり、完成したのは1978年というから、完成に要した期間の長さもさることながら、
建築された年代の新しいことに驚く。
(古代からそびえ立っているような威厳があるから。)

高さ101mのゴシック建築の大寺院で、ヨーロッパ最大級のアングリカン(英国国教会)大聖堂。
ペニーレイン傍にあるセント・バルナバス教会の聖歌隊のメンバーだったポールだが、
11歳の時に、ここの聖歌隊のオーディションには落ちたらしい。



リバプール・オラトリオ

Ecce Cor Meum/MccartneyとKate Royal

  

一見明るいですが、サマータイムのせい。
最終入場時刻の16時30分をとうに過ぎていた。

 

1991 McCartney Liverpool Oratorio Part 13/13

 

 

夏の終わり。

9月21日(金)の晩は立ち飲み屋(焼き鳥屋の串吟)で飲んでる最中に倒れて、
生まれて初めて救急車で御茶ノ水の病院に搬送された。
車中で血圧が60台にまで下がって、みるみる顔が白くなったらしい。
たぶんアルコールの降圧作用とアバスチン副作用の高血圧を抑える降圧剤の組合せなどで自立神経が混乱したのだと思う。
ミイラの祝福などではなく、やはり祟りだったのでしょうか。
あの記事が倒れた時の最新記事でもあったので、せっせと更新。
エジプトステーション的大英博物館 ~ ミイラの祝福

搬送先で血圧が正常に戻ってから、ピカードさんにタクシーで家まで送り届けて頂きました。

m(_ _)m

台風24号が来て日本女子オープンゴルフ選手権観戦予定が中止になった今日は9月最終日。
イギリスフィーバーの夏を終えて、秋へと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エジプトステーション的大英博物館 ~ ミイラの祝福

2018年09月17日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

”大英博物館に行ったら、古代エジプトの展示に行くべし。”を実践。
(
渡英まで一カ月のサプライズたち(ポールの新曲まで出た))

~ 大英博物館の古代ギリシャとローマの展示をテーマにして書いた
 「バロックかゴシックか(I Don't Know)」に続く大英博物館の続編は、エジプト・中東編です。

大英博物館のあるブルームズベリー(Bloomsbury)エリアの北部には
今回なじみの深かったユーストン駅の他にも、セント・パンクラス駅や、ハリーポッターに登場するキングズ・クロス駅がある。
(メリルボーン駅とアッシャーの記憶(旅行用に図鑑づくり))
南へ抜けるとSOHOエリアだ。

( ↓ )1998年に大英博物館から分離独立した大英図書館から歩いてすぐのセント・パンクラス駅
パリやブリュッセルとを結ぶユーロスターの発着駅でもあるゴシック様式の建物。

医師であり、考古学者や旅行家でもあった18世紀のハンス・スローン卿のコレクションが国に寄贈されたのが
大英博物館創立のきっかけになったらしい。
同じ18世紀末のイギリスにいたスウェーデンボルグ関係の展示を
大英図書館で見ることを愉しみにしていたのだが、
なぜか話が通じず、見つけることができなかった。
(イマジンの世界観)
Yesterdayの手書き歌詞原稿もなく、She said , she saidの手書き原稿の展示があった位。
She said,も好きなんだけどねぇ。


かつて大英図書館があった場所に建てられたグレートコート。


視線の高さに来るギリシャ・ローマ彫刻も気になりましたが、(バロックかゴシックか(I Don't Know))
やはりミイラの展示に興味が向きます。

幽霊好きだったりもするイギリス人のスピリチュアルぶり、
性と死は人間の根源に関わる何かがあるのでしょう。


博物館の展示を遺物としてではなく、今に復元して来るものとして観る。

左:「女神官ヘヌトメヒトの棺」

 

「ミイラ肖像画」の制作年度は紀元前30年ごろから3世紀にかけてであって、
それ以降は制作されなくなったというから、これもまた3世紀より以前に制作されたものなのか。
なぜにこうもマンガのように鮮やかなのか。



頭部に残っていた髪が赤毛だったことから、ジンジャーと名付けられたミイラ。
本来のミイラとは違って、埋葬された場所で自然にミイラ化してしまったもの。

 


これが一番なまめかしかった。

生っぽくて、やばい感じがするが、匂いは展示されていない。

 

グレートコートの北側に鎮座していたモアイ。

 

(↓)左:ラムセス2世(エジプト/BC1250年頃)
   右:アッシリアの守護獣神像(Assyrian gateway figures)(イラク北部(メソポタミア))

(↓)アッシリア宮殿のレリーフ。

イギリスでは伝統的に美術や文化は大陸からやって来るものであったというが、
時代や国境を越えた膨大なコレクションを有する大英博物館を観ていてもそのような側面を感じます。
イタリアのルネサンスやバロック、フランス古典主義の後塵を拝していたイギリスは
18世紀になってから、ようやく自国の文化を発展させていくことになったという。

 

ポールの新作「エジプト・ステーション」の収録曲の数々には
何度も聴きかえしたくなる、くすぐるような魅力がある。

たとえば「パイプス オブ ピース」を初めて聴いた時のような

バーン!って感じの分かり易い感動や衝撃とは違って、
そこに歌われているクールなフィーリングや感じ方のようなものを何度もなぞってみたくなる。

Paul McCartney - Hand In Hand (Full Lyrics)

Hand in hand                 手に手をとって
Walking through life     人生を歩いて行こう

We can make this dream come true この夢は実現できる
Only if we want it to          そうなることを望んだ時にだけ それは起こる

Paul McCartney - Do It Now (Full Lyrics)

古代エジプトに死者の書というのがあるが、
ずっと昔に分離した精霊と魂が、エコーしながらメッセージしてくるような歌だ。

Do it now, do it now   今実行しろ
While the vision is clear ビジョンがはっきりしている間に

Do it now        今実行しろ
While the feeling is here フィーリングがここに在るうちに


世界を形作っているストーリーを発見せよ


 <追記>

2018/9/17に本稿をアップした翌日9/18に
「エジプト・ステーション」がビルボードのアルバム・チャートで「タッグ・オブ・ウォー」以来、
36年ぶりに全米1位になったというニュースが飛び込んで来ました。しかも初登場での1位。

ファラオの呪いどころか、ミイラの祝福です。

なんだか、サプライズだらけの渡英を挟んでの夏でありました。

 ( 図書館戦争 " 歪んでいるのは世界なのか " )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タケカワユキヒデLIVE!(ハタチのお祝い)

2018年09月17日 | 日記

タケカワユキヒデさんの出身地である浦和の小さな会場でのLIVEに行って来ました。

”鳶色の雲はつづれ織りに 君を不思議な小径へと誘う”

カトマンズ(この日のLIVEでも歌われた。)に出てくるフレーズ。
このようなフレーズを生み出す感性を育んだ土地に住まう喜び。

(武蔵野線の走る武蔵浦和や東浦和、東川口辺りも広い意味では武蔵野なのかと思ったが、
「武蔵野」を書いた国木田独歩の記述によると、
”武蔵野の範囲は現在の東京23区西部と立川以東の市部、
埼玉県川越市以南の中南部、神奈川県川崎市北部のごく一部ということが推測される。”とある。

やはり武蔵野台地のある荒川の西側辺りまでのようです。

うちからクルマで30分、浦和駅あたりはまだ荒川の東側ですから、武蔵野とは言わないのかもしれません。
(少なくとも「武蔵野台地」ではなさそうです。)

( ↓ ) LIVE会場の浦和フォーラムがある柏屋楽器のビル。

(写真右:この日はまー君の20歳のバースデーのお祝い。
 あんまり興味はないみたいだけど、この土地が生んだバイブレーションのようなものを伝えたくなった。
 今の身体実感をベースに、それにピッタリくるものだけでなくて、
 スペースに押し込んでおくことで、いつか受肉することが起きることだってある。(アデルの倍音
 「成人の日のプレゼント」はまた冬になった頃に。)

 

Open時刻の前に到着。ほんとにこじんまりしてて、間近でLIVEを体験できそう。

( ↓ ) こんな風なピアノの弾き語りを期待していましたが。。

 タケカワユキヒデ CMソンググラフィティメドレー

 

LIVE名称が「カヴァーズPart22 & CMソンググラフィティ2」となっていて、その通りの内容。

( ↓ ) Twitterで事前に公開されてたセットリスト。

正直、カバーなんか歌うのではなく、ゴダイゴの曲をもっと演ってほしかったのですが、
オリジナル(CMソンググラフィティ2)のほうは、
同じタイトルのアルバムと曲順までぴったり一緒でした。
看板に偽りなし、ファンに対する誠実さの証しのような気がするほどにそのままです。

 

LIVEの雰囲気を伝えたくとも、会場内は撮影禁止ですので、会場に着いた頃のスタッフによるツイートから。
本番ではグリーンのジャケット姿に変わり、キツ目にオーダーするという衣装トークまで舌好調。
話好きで自然体な感じのタケカワさんは前半カバー曲の合間はずっと喋りっ放し。
”ギターでこの曲のフレーズをちゃんと弾けたことないんだよなあ、今日はちゃんと出来んのかなぁ”
って感じで若干おじさん落語会的な雰囲気の前半。

会場の物販コーナーで、タケカワユキヒデの素顔に迫るマネージャーをやってた方の本を購入。

ピアノ弾き語りなし、練習中というギターを抱えてのLIVEは、
カバー曲のせいだったりするのかもしれません。

ピアノ演奏を任せられた若いお兄さんが、
ドラムなし、タケカワさんのギターと2人編成のサウンドをコーラスを含めて支えておりました。
(名前を忘れてしまいましたが、”君たちはどう生きるか”の主人公( ↓ )にそっくり!
というのが、まーくんとつまの一致した意見。)

後半のCMソンググラフィティ2は素晴らしかった

前半と違って曲間のお喋りも殆ど無く、純粋にその秀でた音楽性に惚れ惚れしてしまった。

他のジャパニーズ・ポップスとは違う独特のバイブレーション、雰囲気がある。

 

美しさは君のハートのなかに育てるものだ ~ ゴダイゴ ♪」で採り上げたタケカワ ユキヒデさんのデモ音源集、
今回のLIVEのEncoreでは、この中から「ユニコ」(vol 9に収録されている)が歌われた。
手塚治さんの連載マンガ「ユニコ」の20分程の短編アニメが試作された際に作られながら、
未発表のままになっている作品だ。

ゴダイゴはほんとうに好きでこんなのも持ってる。

今回、ゴダイゴの有名曲があまり演奏されなかった中で、
光っていたマジック・カプセル。

私はピアノ下手なただのおじさんだが、こんな風に音楽を愉しめたらいいなぁ、と思える映像です。
ピアノに向かって曲作りしているシーンとかとてもいい。

MAGIC CAPSULEができるまで

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トゥィッケナムの奇跡

2018年09月08日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

マンチェスター空港からリバプールに向かう列車もそうだったが、
ホーリーヘッドの悲劇があったせいか、
オイスターカードで楽々乗車出来て路線も分かり易い地下鉄(tube/underground)には慣れても
イギリス鉄道はまた間違ってしまうようで気乗りがしないらしい。

ロンドン郊外には他にも行きたい所がありましたが、

(スピリチュアルを探しにイギリス の旅へ(チズイック・パーク))
(スッカン沢 (Waterfalls))
(ロンドン郊外のアスコット、ケンウッド)
(フライヤーパーク(Friar Park))

アビイロードと並んでビートルズの活動の集積度が高いと思うトゥィッケナムに向かうことに。

( ↓ )オイスターカードに慣れてしまうと、
ウォータールー発セント・マーガレット下車のイギリス鉄道の乗車券を窓口で買うのも面倒に思えてくる。



乗車案内は電光掲示板を見るように言われたが、
土地勘がないので、表示されている駅名がどっち方面なのかすら、よく分からない。

それらしい列車を見つけても何番プラットホームから出発するのか表示がない。
出発5分前を切ってからようやくプラットホーム番号が表示され、
チェスターで乗り間違えた時のように、またもや走って乗車です。

 

イギリス鉄道South western Lineの車内は綺麗で快適でした。スマホの充電も出来る。

そして、セント・マーガレット駅に到着。

駅前の売店から出てきたおじさんが、タブロイド紙を手にしながらトランプ大統領の悪口を言っていたのですが、
トランプ大統領はこの日エリザベス女王表敬訪問の為に、セント・マーガレットの南にあるウィンザー城を訪れていました。

 

セント・マーガレット(トゥィッケナム)の街もイギリスらしくて綺麗。

トゥィッケナム・スタジオは駅前の案内図にも書かれていません。
さすが、隠れた名所だ。

ロンドン郊外、トゥィッケナム(Twickenham)には行かないと。」に書いた通り、
トゥィッケナム(Twickenham)は、
ビートルズの活動の集積度合いからすれば、アビイロードと双璧を成す場所ではなかろうか。
音の制作現場がアビイロード・スタジオなら、映像の制作現場がトゥィッケナム・スタジオだった。

そんなトゥィッケナムだが、映画「ヘルプ!」では街中でロケ撮影も行われている。


( ↓ )郵便ポストは無いので、家の煙突や当時からの街路樹の成長具合を頼りに場所を推定してみた。

  

 

 

( ↓ ) 映画ヘルプ の中で4人が住んでいた家を探して、AILSA Aveへと。

 

映画ヘルプ!のシーン中の電柱位置なども参考にして。

The Beatles At Home, From The Film Help!

 

 

改築されている部分もあって、4人が入っていったドアが何処なのか見当はついても確信が持てません。
(向かって左端の家が改築されていたようです。)

郵便配達のおじさんにきいてみても分かりませんでしたが、
家から出てきたおじさんに聞いてみて、これがそうだと、ようやく分かりました。

 

 

当時リンゴが度々訪れ、映画の打ち上げパーティーの会場にもなったというパブ、
タークス・ヘッドではイギリスに来てからようやく初めてのフィッシュ&チップスを頂きました。



すっかりジンジャービールのファンになってしまいました。
パブの店内には、トゥィッケナムに因んだビートルズの写真が飾られています。


ヘイ ジュードやレボリューションのクリップや映画レット イット ビーに至るまで、
ビートルズのビジュアル面における拠点ともいえるトゥィッケナム スタジオ

( ↓ ) ジョージとジョンの足元のマンホールのような四角い格子が目印になった。

 

( ↓ ) 掛け合いコーラスのシーンが印象的な「恋のアドバイス」は第2スタジオで撮られたらしい。
The Beatles - You're Going To Lose That Girl HD

ここは小さなスタジオが集まっている場所に止まらない。
ここで産み出されたイメージが世界に拡がっていったのです。

 

 

Brintons case study | Twickenham Studios

〜「トゥィッケナムの奇跡」〜

受付の方にお願いして誓約書に署名までしたので、多くは書けませんが、
あの日、あの場所、至福の時間。
オスカー、モリー、アリッサ、そしてかけあってくれたレセプションの女性に感謝を。

前回は来日を祝してイエスタディをやったので、([ピアノ弾きおじさんへの道] Yesterdayに寄せて
今回は中途半端なままのレット イット ビーもやってみよう。
トゥィッケナム・スタジオの空気に浸ったイメージで。

The Beatles - Let It Be (Film Outtakes - January 31st, 1969 - Takes 22 & 23)

The Beatles "Let It Be" piano cover with middle solo.


( ↓ ) これもトゥィッケナムだったか。(たしか私がまだ大学4年だった頃の夜のヒットスタジオ。)

Macca at Twickenham - June 7th 1989...

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たそがれのテムズ河 〜 ロンドンタウン

2018年09月01日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

四泊予定が三泊となったロンドン初日は、
ラッセル・スクエアに立ち寄ってからユーストン駅まで歩き、そこから郊外のフィンチレーへ。
(【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】七夕始め ~ プレジデント)
(フィンチレーの不思議)

二日目は朝からロンドン北西部のアビイロードに行き、
午後になって、ようやくロンドン中心部の観光名所を巡ってみることに。
(
【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】半世紀後のアビイロードへ。)

Abbey Road を経て、
先ず向かったのはWestminster Abbey 。
(ヘンリー王子結婚の日に寄せて ~ウェストミンスター寺院)

ウェストミンスター寺院は流石に一時間待ちの行列。
左手の小さな教会はチャーチルが結婚式を挙げたことで知られるセント・マーガレット教会。

 

 イエスを抱く聖母マリア。

 

ウェストミンスター寺院は入口側から見ると、おどろおどろしいが、
出口側は端正でゴシック様式の美しさが際立って見える。

ウェストミンスター寺院は、11世紀にエドワード証誓王(Edward Confessor)によって
イングランド王国の中心とすべく大規模寺院として造られたのだが、
8世紀にはすでに元となる教会は存在していた。
(ロンドンのDNA)

( ↓ )寺院内部は撮影禁止なので、印象に近い雰囲気のある映像を見つけてきました。
 墓所を奉るように祭壇化せず、近くに横たわっていたり、足許に墓碑銘があったりするせいか、
 エリザベス1世やスコットランド女王のメアリー スチュアートからニュートンに至るまで
   傍にいる身近な魂のように感じられる。

 London, England: Westminster Abbey


( ↓ ) これはThe Pyx Chamberと呼ばれるウェストンスター寺院の中でも最古の部分。




教会内部を出た回廊にて。右はステンドグラスが美しいChapter House。

  

ピカデリーサーカスとエロスの像。

ウェストミンスター寺院横には、国会議事堂(House of parliament)がある。

あとでテムズ河クルーズの時になってから気づいたのだが、ビッグベンは工事中(2017-2021)で
下の写真でも端に工事用の足場で覆われているビッグベンの姿が写っている。

 

緑のウェストミンスター橋のたもとには、
紀元60年頃、侵入するローマ帝国に戦いを挑んだケルト人の伝説の女王ブーディカ(Boudica)の像が見える。

(
Arc Of A Diver(パンツをはいた2本の脚)


( ↓ )そして、たそがれのロンドン・クルーズへと。

 

 

このプロモの影響もあって、歴史あるロンドン市街は、
テムズ河のリバークルーズで巡ってみようと決めていました。

(できればグリニッジまで南下して、地球の東半球と西半球を分ける線をひと跨ぎしてみたい、とも思いましたが、
 グリニッジの経度ゼロ線を跨いでみても足りない時間をリセット出来るわけでもありません。)

Paul McCartney & Wings London Town LP promotion


東京の川上り(隅田川)かロンドンの川下り(テムズ河)か。」で
予行演習していたテムズ河クルーズの動画化。
カメラの電池切れのおかげで、
たまたまiPhoneのLIVE機能を使ったのを繋ぎ合わせてみたら、
動画になることに気がついたのです。

〜その頃、教えてもらったSNOWっていう自撮りアプリも使ってみました。
肌が滑らかに撮れたりして、いわゆる盛れるアプリ。

高分子標的薬タルセバは皮膚組織の表層部を攻撃するので、爪が剥がれたり、下痢に苦しんだりはしますが、
髪が抜けることもなく、むしろ白髪は減ったくらい。
攻撃というよりは細胞表層部に刺激を与えてくれているのかもしれません。
50を越えて、抗がん剤治療を続けながら、いつまでもこんな風に黒々していないでしょうから、
映像の合間に少し挟んでみました。

バックの音楽には「たそがれのロンドンタウン」をほんとは使いたかったのですが、
すぐにブロックされてしまいそうなので、昔自作自演した曲をつけてみることに。

テムズ河リバーボート20180712

モネがホテル・サヴォイ(ジョージが歌にしている!)のバルコニーから連作のモチーフとしたウォータールー橋。



「たそがれのロンドンタウン」に“パープル・アフタヌーン”って詞が出て来ますが、
宵の長い時季のせいか、テムズ河の空気の色は変化して、時にパープルがかっているように感じます。
ロンドンにはどこか雲の色の中に色彩を感じさせるようなところがあります。
( 風立ちぬ、生きねば。)
それがモネを惹きつけたのかもしれません。

ロンドン塔へ投獄される者がテムズ河からくぐったTraitor's Gate(反逆者の門)。
エリザベス1世も投獄された時にここをくぐった。


1973年に架け替えられたロンドン橋。
(最近のことぢゃないか。)
1176年から33年をかけて建造された初代の石橋は今よりやや上流にあって、
500年後にウェストミンスター橋が出来るまでテムズ河に架かる唯一の橋だったという。
そして、橋の上には処刑者の首のさらし台があった。

Flow mighty river through me !

Paul McCartney - Daytime Nightime Suffering - Lyrics

( ↓ ) タワー・ブリッジの中央をロンドンバスが走っている。

 

ロンドン、テムズ河の光芒。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする