ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

ワーズワースと至福の時

2014年04月20日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

イギリスの湖水地方をこよなく愛した詩人、ワーズワースの視点に立って心象風景を描くというアイデアが斬新だ。

その美しいフィーリングに敬意を表して、その美しみに溢れた部分から。

自然の方も、美しさに注目する者にはお返しに、ワーズワースによれば、わたしたち自身の内にある善きものを突き止めることに力を貸してくれる。

ワーズワースは読者に、いつもの物の見方を捨てて、しばらくはこの世界が他者の眼にどんなふうに映るかを考えてみたらと誘う。
人間の物の見方と、自然の物の見方との間を行き来してみたらと、。

なぜなら不幸は、たぶん、たったひとつの物の見方しかできないところに生まれるからだ。

幾たび、孤独な部屋で、街や都会の喧騒のさなかで
わたしはここにある美しいかたちの者たちに力を借りたことか。

誇張ではない。何十年経ってもアルプスは彼の中に生き続け、彼が呼び出すたびに、いつでも力を与えてくれるのだった。

わたしたちは自然の中で、人生を通じて自分の中に留まるような情景を目撃することがある。
その情景は、意識に入ってくるたびに、現在の困難を相対化し、救い手となってくれる。
彼は、そのような自然のなかの経験に「至高の時」という表現を与えた。

われらの存在の中には 至高の時がある。
その時はくっきりと際立ち 保つのだ
われらを力づける美徳を。
その時は われらを貫流し、堕落の時にあってもわれらを支え、
攀じ登る力を与えてくれるのだ。

自然のなかでのささやかだが、決定的な瞬間への信仰が、
自分の詩の多くにワーズワースが例のない特殊なサブタイトルのつけ方をする理由を説明してくれる。

たとえば、「ティンターン僧院」の副題、「旅の途上 ワイ渓谷の河岸を再訪して。1798年7月13日」は正確な年月日を明記する。

峡谷を見下ろす束の間の時が、人生でもっとも重大で有意義な時間の仲間入りをし、
誕生日や結婚記念日と同じに、正確に記憶すべき価値を持つものとなっている。

TwitterでフォローさせていただいているKAGAYAさんが、2013年の夏にアイスランドで撮影されてきた写真から。
映画「風立ちぬ」でも空の雲の色彩や描写の美しさに打たれましたが、この写真の雲や虹や空の奥行きのある立体感はどうでしょう。
なにも晴天の青空だけが美しいわけではないことを教えてくれる。厳しい嵐の後の天球の自然の美しさ。

よく晴れた昨日、めりはりのある寒暖のせいか、ハナミズキの花色が際立って映えているように感じました。
駅前にもう数十年もしたらすごい景観になるかもしれないって期待しているハナミズキ通りがあるのですが、
特に紅色のハナミズキの花色がどこか東洋風で、ユートピアに咲く異国の花のように思えました。

同じような花姿を求めても、曇天の今日は昨日の印象には遭遇できません。

ですが、曇天には曇天の風情、湖水地方だって雨の日や曇天の日が多いのです。

湿り気を含ませながら、花の季節は次のシャクナゲへと。

オーガスタにも負けない紅の印象、アザレア。

荒ぶる自然の力を下ろしてくるような、霧が立ち込めてくる光景。スコットランド風の地謡のようにも思えます。

原題は「キンタイア岬」なのですが、邦題の「夢の旅人」からして、どこかしら夢幻能の世界に通じるものがあるようにも感じる。

Paul McCartney Mull Of Kintyre Versions I & II 1977

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主演あやめ、助演つつじ- Summer's Day Song

2013年04月29日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

ツツジは夏の季語だということになっている。

夏の夢だったらいいのに。

悪夢であっても、明日になれば終わる。 世界は目醒める、ある夏の日に。

Paul McCartney - Summer's Day Song - Lyrics

春がくると、その年その年で、気になる花が微妙に変化する。

木蓮やマグノリアがやたらと気になることもあれば、ハナミズキにばかり目が行くこともある。

オーガスタにも咲いていたアザレアやマグノリア、西洋種の珍しくて可憐な花姿が目にとまるせいかもしれない。

ツツジと同じ仲間のシャクナゲの花期が今年は短かったような気がしますが、
その分、今年気になったのは、ツツジや西洋ツツジ(アザレア)でしょうか。

初夏の花に似つかわしい色彩の花もあって。

                           

 

しかし、皐月の季節、主演女優賞をさらっていったのは、あやめでした。

このような神秘めいた姿を見せるとは。

ベルベッドのような花弁の中には、ベールに包まれた生命の神秘があるかのようです。

すみませぬ。 (´・ω・`)

主演女優賞のあやめを讃える動画には、ハンフリーボガート風に「三つ数えろ」が似つかわしいだろ、と思ったのですが、
カーステにあわせて、ボイレコで面白半分に録ってみた音源を使ってしまいました。
(ボイコレ・アプリは優秀ですね、結構ちゃんと音を拾っている。)

つつじはこんな風な記事になってしまいましたが、
秋だけが旬ではないということを気づかせてくれた、モミジたちの呟きがもうすぐアップされるはずです。

紅葉に染まるとわからなくなってしまう、モミジの葉っぱの色形や模様の数々。

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鼻歌作曲(&作詞)家 ~ 整形外科で待つあなた

2013年04月06日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

ほんとうはこういうの作りたいし、作れそうな気もするんだけど、

なんせ楽器がプレイできないからね…

Paul McCartney - Mary's Song (1999)

で、こんなのしか作れないけど、まぁ、自分で楽しむ分には悪かないかな。
はじめて作詞にも挑戦した曲だし、「即日禁煙」、「ノンスモーカー宣言」した日々の記念に。

(ほんとは、もっとアイドル・チューン風にしたかったんだけど。)

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鼻唄作曲家medley (Far from home/ Interlude/Dr.Foster)

2012年09月04日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

なんだか、音が割れてしましましたが、久しぶりに何曲か鼻唄で作ってみたので、
メドレーにしてみました。

鼻唄作曲家medley (Far from home/ Interlude/Dr.Foster)

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薫風がゆく ~ 鼻唄作曲家もゆく

2012年05月12日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

ふと気づくと、日がずいぶんと長くなっています。

もう皐月も半ば、薫風に吹かれて前向いていきましょ。

Twitterの底に埋もれかけていた鼻唄で作った最初の曲を掘り起こしてきました。
(なんだかスピッツっぽいでしょ)

沙於里さんの書画「薫風」にインスピレーションを得て、
やわらかで強い、生命力に満ちた風が、庭のそこかしこに現れるイメージで。

薫風がゆく

あんまり関係ありませんが、掘り起こすのは仔馬さん ( Dig a pony ,,) 。

Ha ha ha ha ha ha, Hi!、ってポールがユニゾン風の合いの手を入れるとことか、
バックでなにげにキレイな音階を上下するジョージのギターとか、小気味よいのです。

どうして仔馬なの ?(・・?

Because,,  なぜって,それは、

ハァ―ん、アァ―ん~ 

ユニゾンさんはコロッ、と落ちてしまいました。

Dig A Pony - The Beatles

おい、早く薫風にあたってこい。

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花開いて人笑ふ ~ 口笛作曲家

2012年04月15日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

メロディは汲めどもつきぬ泉のように湧いてきて、昨日はとうとうお粗末な念仏ソングまで披露、

この先どこへ向かうのやら。(--〆)

さて、

今年は四月になっても肌寒い日が続き、例年とは違う花景色を楽しまれた方も多いのではないでしょうか。

私も休みの日になると毎週のようにクルマで通る交差点から見える、お気に入りの花木スポットのひとつがありまして、
早春ともなると順繰りに梅やアンズの花、桃に木蓮、そして最期は桜が咲いて一気に春がピークアウトしていくまで一気通貫の花見山のようになるのですが、今年は寒さのせいか夫々の花の期間が長く、桜の頃迄まとめて咲いておりまして実に見事でした。
花見山とは言っても、目の前は国道だし、電線やらクルマやらディスカウントストアやらが視界に入ってくるので、カメラ撮影のビュースポットとしてはまるで適さないのですが、一隅を照らすように春が灯っている、思わずにんまりしてしまう風景なのです。

 花開いて人笑ふ。

タケノコを刺身や、春わかめとの煮物でいただき、これまた旬の生海苔を味噌汁に入れて、食卓まで春爛漫。

というわけで、今宵は食後に日本茶でも飲みながら、春っていいなぁと笑っている、
そんな光景が浮かんでくるような書を見つけたので、汲めどもつきずというかじょろじょろ零れてくるメロディをつけてみました。

沙於里さんの書のイメージをふざけた鼻唄で壊さないように、口笛に替えて、大きな古時計のセンでいってみましたのですが、、m(_ _)m。← だめだしOKですので。

 花開いて人笑ふ

 

 

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そろそろ晴れてきたか ~ 正信偈♪

2012年04月15日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

五七日(いつなのか)。

そろそろ晴れてきたか。

Squidは英語でイカのこと。知らなかった…。

(音はこちらのほうがいいのだが、もういいかい?的な感じがあるほうをクリップした。)

Paul McCartney - Squid

ハリー ベラフォンテが好きだったのだが、かわりに真宗のおつとめをしてみた。

親鸞聖人の「正信偈(しょうしんげ)」と念仏を称え、「和讃(わさん)」を六首読むのが、おつとめなのだが、
割愛したうえ、自分で旋律をつけて、唱えてみた。m(_ _)m 

ばちは当たらないと思う。
念仏とは本来声に出して愉しむように造られたものだから。

正信念仏偈より

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梅の香りに寄せて ~ 鼻唄作曲家

2012年03月31日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

三七日(みなのか)、 梅の香りに寄せて 。

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鼻唄作曲家、調子に乗る ~ Great spirit!

2012年02月18日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

ポールがとうとう、ハリウッドのWalk of Fameの仲間入りを果たしたよう。

あんなに沢山の名曲を書いてきたというのに、たった一つのリフを思いついて喜んでいるポール、
こんな風だから好きにならずにいられないのだ。
(途中のイングランド民謡風の演奏も聴いたことがない曲だ、貴重な映像。)

Paul McCartney - The making of 'Give My Regards To Broad Street' ... part 1

鼻唄作曲家はついにラップまで。(-_-メ)
すっかりハリウッド・スタァ気分だ。(-。-)y-゜゜゜

 

英語の詩はイロクォイの祈りから引いてきたのだが、
実は感動したのはこちらの In a Station of the Metro ――Ezra Pound(地下鉄の駅で ――エズラ・パウンド)の方だった。うまくメロディに乗せられなかった。

The apparition of these faces in the crowd;

ひとごみのなか、つとあらわれたいくつもの顔――

Petals on a wet, black bough.

黒く濡れた大枝にはりついた幾枚もの花びら。

リンク先にこの詩の著者エズラ・バウンドのコメントが掲載されている。
感情にふさわしい言葉を見つけられずにいたら、浮かんできた感情の「模様」。
私の心は夏模様、と歌ったのは井上陽水だが、単語に置き換えられない、ワ―ディングにならないフィーリングというものもある。
ポールがたった1フレーズに狂喜しているのは、そんな何かを探し当てたような感じなのだろうか。

三年前(1911年)のパリ、わたしはコンコルド駅で地下鉄を降りた。
すると突然、美しい顔が目に入った。
それからもうひとつ、またひとつ、そして美しい子どもの顔、さらに美しい女性が。
その日、一日中、そのことがわたしにとってどういう意味だったのか、を表す単語を見つけようとした。
けれども意味のある単語、突然湧き上がった感情にふさわしい、美しい単語はひとつも見つけることができなかった。
その夜、レヌアール通りを歩いて家に帰ったわたしは、まだ探しつづけていた。
そして、突然表現を見つけたのだ。
単語を見つけたのではなく、単語に代わるもの(equation)が浮かび上がってきたのである。
それはことばではなく、色の斑点だった。
ちょうど「模様」のような、だがもし「模様」ということばがなんらかの「繰り返し」を意味するのなら、模様とさえ呼べない。
けれどもそれはたしかにことばだった。わたしにとって、色によることばの始まりだったのだ。……


わたしは三十行の詩を書いたが破ってしまった。それがいわゆる「二次的」な強さしか持たない作品だったからである。六ヶ月後、その半分の長さの詩を書いた。
一年後、『地下鉄の駅で』という発句のような文章を作った。
あえて言ってしまえば、これはある種の思考の流れに乗っていかなければ意味はない。
こうした種類の詩は、外部の客観的なものが、内部の主観的なものへと変形していく、あるいは矢のように移って行く、まさにその瞬間を記録しようとするものなのだ。

リンク先にある解説が秀逸だった。

"apparition"は思いがけなく現れる人やものを指す。訳によっては「現れた幻影」としたものもある。
まずタイトル(詞書き)と一連目から、地下鉄の駅から人がどっとはきだされてきた情景が浮かんでくる。
そして、二連目、一転して、濡れて黒い大きな枝にはりついた花びらが描かれる。この花びらは、大きくて肉厚の花びらではなく、小さなもの。黒い枝、雨のなかに浮かび上がる花びらは、おそらく白にちかいものでなければならない。そう、おそらく桜だろう。
地下鉄からはき出された人波と、雨の中、散る桜。
灰色の情景の中にうかびあがる美しい顔、黒い枝にうかびあがる白い花びら。

ふたつのまったくちがうイメージを重ね合わせることによって、パウンドは、わたしたちに世界をちがったふうに見ることを教えてくれる。

まるで、「神々のいる風景」にも似た、心的風景のイメージ。
うまく映像化する材料がなかったので、ありあわせの旧い写真をいじって遊んでみた。
これはこれで面白かった。

( ↓ ) 私なんぞアマい。
    アマチュアなのでしょうか、Becauseのカバーも凄かったこの女性、
    歴史の先生らしいのですけど、素晴らしすぎる。

Civilization ("Harajuku Girls" by Gwen Stefani)

 

 

 
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Jack&Jill ~ 鼻唄作曲家

2012年02月18日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

鼻唄作曲、あんまり好評でもないのですが、所詮亭主九分九厘のブログなので。(そのうちいいのもできるでしょ、たぶん。)

小雪舞う寒い夜、イギリスの童謡に詩をとって、Ladidaで頭に浮かんだ小唄をつけてみました。

Jack&Jill

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夜のしじまに ~ 鼻唄作曲家

2012年01月28日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

鳴かぬなら 歌ってしまえ ほととぎす。

tweeterでさえずってはいましたが、Ladidaでワルノリ、は山谷を越えてYouTubeに進出いたしました。

GodiegoのIn your eyesをアップしたら削除されてしまったので、それならと。

今日、感動したのは、勘当の系譜を感じる「Always 三丁目の夕日」でしたが、
今宵お届けするのは、月明かりの夜のしじま。
詩はあのシェイクスピア、ヴェニスの商人からの引用です。

あなたの夜のしじまを壊しませんように。

 

なかなかに適当な詩をつけるのは難しいので、メロディだけでも書き溜めていこう。

処女作のこれ ↓ を昨晩飲み屋で聞かせたら、歌詞をつけたらいいのに!、と言われたので木にのぼってみた。
http://khu.sh/usersong_4f1fffb283a71

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やさしさの街角

2011年11月19日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

岡本太郎氏のメッセージ、ややもするとイージーになる私にはなかなかに効くので続けます。

これでしあわせなんだと自分を納得させているが、
一方にほんとうにしあわせなんだろうかというマイナスの面を併せ持っている。
人間として当然だ。
外に向かって発言する時はそれをごまかして、何事もないようににこにこしているが、
もっと正直になって、恐れずに自分の内側を直視していいじゃないか。
必ず心のどこかに満たされていないものがあるはずだ。
それとマトモに向かい合うことはなかなかスリルのある、
しあわせなんかより、もっとキリッとした面白さだと思う。

わが人生、他と比較して自分を決めると言うような卑しいことはやらない。
自信に満ちて見えると言われるけれど、
ぼく自身は自分を始終落ち込ませているんだ。
自信を持ちたいなどという卑しい考えを持たぬように突き放す。
つまり、ぼくがわざと自分を落ち込ませている姿が、他人には自信に満ちているように見えるのかもしれない。
人間は他の動物より進歩した存在のようにみえるかもしれないけれど
不安や恐怖を抱かずにはいられない、悲しい運命を背負っている。
だから、恐怖感は自分ひとりではなく、
これは人類全体の運命なんだと思っていけば、意外に救われるんじゃないか。

金八先生のファイナル編をTVでやっていた。
私が中学生になったばかりの頃に始まったのだが、今や長男が中学校を卒業し、次男が中学校に入学する。
時の経つのは早い。金八先生は定年、である。
しかし、金八先生は、人間的にあれほど立派なのに、決して経済的に豊かに恵まれている風には見えない。
エラくなって校長先生になったというわけでもない。
生ぬるいしあわせなんかより、もっとキリッとして純粋に自分の正義に生きたゆえなのか。
私にもよく分からないが、そのようなモノサシで測れないモノがあることは確かなのだと思う。
人生は自動販売機ではないのだ。

( ↓ ) 学園ドラマといえば、中村雅俊さんでしょう。
    こないだ、YouTubeにアップしたThank you、Babyを、いいだろーと子どもに見せたら、
    " なんだか ジメジメした感じがする " と言ってたが、こういうのが好きなんです。
    青くさいけど、体温を感じるようなやつが。
    " 雨の中泣きながら駆け出していった小さな背中を引き留めもしなかった・・・"
    " 髪濡らし街角で独りさまようおまえ・・・"

    好きで落ち込ませて、じめっ、とする。
    こういうのを豊潤というのだぞ。たぶん。

「優しさの街角」

 ※ このような、街中の風景写真は自分ではなかなか撮ろうとしないが、アメリカの詩人ウィリアムズのよう
    フォト蔵のwangan_boyさんの作品を使用させていただきました。<(_ _)>

<初稿 2011/3/27>

<再稿 2011/11/19>

登録したままになっているFacebook、マジメにやろうかな、と思ったが、
誰かのこんな言葉を思い出した。
~ みんなそれぞれに悩みなんかもあるだろうに、そこでは皆楽しそうにして見える

岡本太郎氏のメッセージに重なるではないか。

明日また休日出勤を控えて、そんな愉しい気分ばかりでもない私には
Facebookで楽しそうにすることもできず、
こっちでじめじめする方が気分に合っていた。
(青春ドラマのエンディングみたく、日本語なのに動画に歌詞を乗せてみた。
 明日横切って渡るであろう交差点の写真もある。) 

 



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In your eyes

2011年10月01日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

風邪をひく。
家ではサムゲタンを沢山食べてスタミナをつけたのだが、鶏肉は体にとてもやさしくて、しかも美味、
身体が弱ってるときには、ことさらだ。

そして風邪をおしての神田は、なかなかな宵だった。
鳥を肴に、金沢の酒を飲んで、風邪をふきとばす。

私はよく適当にメロディをつけて鼻唄や口笛にしてハミングするくせがあって
時々、おっ、これは採譜できたら、すごい曲になるのにもったいない、と思ったりする。
ひとにあまり理解してもらえたためしがないのだが、なんとなく話は通じたような気がする。
In your eyes, タケカワ ユキヒデのヴォーカルのなかでは1,2を争うソウルフルな曲だと思う。
ゴダイゴは大好きなのだが、なかなかYouTubeにないので、自分で気が向いたときにつくってみる。

ベティ デイビスのような瞳を称える歌だ。

休まないスピリット~ thank you、baby

時の落し子 再び

はい、私は、ありがとう。

今回はこちらとコラボさせていただいた。→ http://blog.goo.ne.jp/photo/44759/tn

 

all the long fogotten beauty

 

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再生してゆく春に。

2011年04月10日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

復興を促す自然の力。

再生してゆく春への気持ちを込めて。 


(ズービン・メータ指揮イスラエル・フィル、Vo. 五嶋みどり)

( ↓ )自宅近くの桜木の丘の見事な枝ぶりのサクラ、並べてくっつけてみました。

 

タオ(道)とは天と地のできる前からある働きだ。
あらゆるものの混ざりあった混沌(カオス)。
本当の孤独と静寂に
満ちていて、すべてを
混ぜあい変化させ続け、
あらゆるところに行き渡り、
すべてのものを産む働き ―

このタオに偉大さを、
受け継いだ天は偉大であり、
それを受けた大地は偉大なのだ。
その大地にいる人間だって、
タオにつながる時は偉大なんだよ。

こんな混沌の力は名づけようがないから、
私は仮りに道(タオ)と呼ぶんだが、
それは大きなものだから、
遠くまで行く。
遠くまで行くから、
帰ってくる。                 (「道徳経」より)

タオというのは中国語で道のこと。
西洋では老子の「道徳経」はTao Te Chingとなっていて、
いまではZENと同じように、老子の教えはTaoと呼ばれ、世界語になっているらしい。
老子・荘子の考え方や生き方をタオイズム、それに従おうとする人をタオイストと呼ぶ、とのこと。

タオにつながる
クリエーター情報なし
朝日新聞社

「タオ」とは何か。
ひと口に言えば宇宙エネルギーみたいなものだ。
電磁波のように、あらゆるものに行き渡り、その内に動き働く。
このタオエネルギーが一番よく現れているのは大自然だとして、
老子は自然の在り方からタオを説くことが多い。
(加島祥造氏)

" タオにつながる "、
時空や存在といった人間の根源的な問いにつながる考え、
それでいて実に大らかで温かそうだ。掘り下げていきたく思う。
  

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休まないスピリット~ thank you、baby

2011年02月13日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

トキワマンサクの黄花は紐かブラシのような独特の形をしているのだが、
落葉樹なのに、ユズリハのように前年の枯葉をまとっていることに気がついた。

新葉が出てきて成長するまで古い葉は落ちずにいてあとを譲るから、ゆずりは。

マンサクは、早春にまず咲く(まんず咲く)から、マンサクという説も。
マントをなびかせて咲くからマンサクではない。

ブランケットをまとった風に見える。仲の良いてるてる坊主みたいだ。

夕日が沈んだら暖かい眠りにつくのだろうか。

 

ほのぼのした写真になったので癒される曲をつけました。

My spirit won't let me rest till then, It's a lonely longing,
魂がわたしを休ませてはくれないのである。

 

国木田独歩は、郊外という都市のはずれにいて、
武蔵野の雑木林の美しさ、それまで誰も目にとめなかった風景の美しさを発見した。

風景とは、はじめからそこに存在しているわけではなく、
それを見るもののまなざしによって風景として立ち上がる。

ヨーロッパにあっても風景は近代になって発見された。
18世紀にジャン ジャック ルソーが「新エロイーズ」のなかで、
それまでは恐怖の対象でしかなかったアルプスの山々を美しいと感じ、
個人の内面性と結びついた風景として描き出したのが風景の発見のはじまりとなった。 
それはちょうど農村の田園風景が、
そこで働く農民にとっては生活の一部として当たり前にしか意識されていないのに、
外部から来たものが特別な風景として意識することと同じである。

人が風景を見出すと、こんどは風景のほうが人に働きかけてくる。

「 山は、人が目にしていると思っているままの姿で存在しているわけではない。
 目にしているのは、情熱や才能や詩的霊感によって創造された山である。」

( 「言葉のなかに風景が立ち上がる / 川本三郎」より)

 

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