ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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感情のコントラストを取り戻そう ~ 空に終点はあるか

2011年06月12日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

~ 空に終点はあるのかしら。どんな道にも終点があるでしょ。

   終りがないものってあるのかしら。夜が来て一日は終わるでしょ。

空の終点 /手嶌葵

こんなシュールな会話は、残念ながら私の日常生活のなかでは出てこないが、しみじみしていい感じだ。
手嶌葵さんの声には、頼りなげだけど、凛としてそこにある存在感を感じる。
強いばかりが、ほんとに強いってわけじゃないでしょ、とでも言われそうな、手強さを持っている。

こういう機微のある肌理細やかな感性というものは、現実社会ではあまり役にも立たないから、切り捨てられがちだが、私の心のひだに寄り添ってくる。

ブログを始めて間もない頃、吉本隆明氏の言葉に深く頷いた。

わたしはふと気がついた。
じぶんの周囲には、あまり じぶんの同類はみつからないのに、
書物のなかにはたくさんの同類がみつけられるというのはなぜだろうか。
ひとつの答えは、書物の書き手になった人間は、じぶんと同じように周囲に同類はみつからず、
また喋言ることでは他者に通じないという思いに悩まされた人たちではないのだろうか、ということである。

もうひとつの答えは、
じぶんの周囲にいる人たちもみな、じつは喋言ることでは他者と疎通しない、という思いに悩まされているのではないか。
ただ、外からはそう視えないだけではないのか
、ということである。

後者の答えに思いいたったとき、わたしは、はっとした。
わたしもまた、周囲の人たちからみると思いの通じない人間に視えているにちがいない。
うかつにも、わたしはこの時期にはじめて、じぶんの姿をじぶんの外で視るとどう視えるか、を知った。
わたしはわたしが判ったとおもった。
もっとおおげさにいうと、人間が判ったような気がした。

齢を重ねると、周囲の出来事が、同じことの繰り返しのように思えてきて、新鮮な驚きを失いがちだ。

感情のコントラストが薄らボケてくる。

感覚をリセットするようなwordingや、切り口の違った視点を、面白がって探しているくらいで丁度いいのだが、
そのような表現力を持って、日常生活を送っている人に出会うことはそうそうあることではない。

声楽家であり、エッセイストでもある塩谷靖子(しおのや のぶこ)さんの文章を読んでいて、
そのような表現力を持った人がここにもいた、と思った。

今、節電のために街の照明が暗くなっているという。
とはいっても、私が8歳で失明する前に見たかつての街に比べれば、はるかに明るいに違いない。
夕方ともなれば、路地のあちこちに濃い闇が潜み始める。
家族で夕食を囲む茶の間は電灯の下だけが明るく、部屋の隅では柱時計や人形がぼんやりした明かりの中で侘しげにしていた。
あの頃はまだ、小泉八雲や谷崎潤一郎が愛してやまなかった、陰翳に富む日常が残っていたように思う。
この節電を機に、そんな日本的な美意識が復活するのではないだろうか。

一般に失明している人の日常は闇であると思われているようだが、
感覚的には目の見える人が想像しているような闇ではない、と彼女は言います。

直後は闇であったとしても、いずれ明るくも暗くもない状態に入っていく。
常に明がない者にとっては暗もないのだ。
だから、「失明」という言葉は、正しくは「失明暗」と言うべきかもしれない。
光と色に溢れる世界をもう一度見たいというのは失明者の偽らざる気持だが、
それと同時に、ふと闇が恋しくなることもあるのだ。
失明者が闇を恋しがると言うと奇異に思われるかもしれないが、「失明暗」の状態にある者にとっては、真夜中の森を覆い尽くす闇や、カーテンを閉めて明かりを消した寝室に漂う闇が恋しくなるのだ。

節電によって、確かに街も家も若干、明るさが薄らいだ。
海外の空港や街の雰囲気に近くなったようにも思う。これまでが過剰だったのは確かだと思う。
そして、過剰な明るさばかりが強調されないからこそ浮かびあがってくる、美意識や文化、というのもきっとありそうだ。
節電というのは、ある意味、またとないチャンス、機会でもあるように思えてきた。

日焼けして退色してしまった、経年劣化した感性が甦って、
これまで気づかなかった感情のコントラストを感じられるようになったなら、
人生における、またとないプレゼントになるかもしれないくらい、
それは素晴らしい出来事ではないか。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久しぶりです! (テン子)
2011-06-13 11:45:39
「空の終点」谷山浩子の作曲なんですね。納得。
手嶌葵さんの声って彼女に似てる。懐かしい!

昨日の日経朝刊、私も読みふけりました。

「燈ともせと云いつつ出るや秋の暮」
塩谷さんのエッセイ、新鮮でした。

西洋史家の横山氏の視点も斬新でした。

隆明氏の言葉から
さまざまなジャンルの方々の思想を結ぶゴルフィーさんの視線
相変わらず、素敵です






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ネタばれ(笑) (テン子さんへ)
2011-06-13 12:15:56
日曜版、よくはまります。
谷山さんは よく流れてましたが、当時は趣味に合わなかったのか、1曲も思い浮かびません。

よいこと教わりました、
ありがとう
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コントラスト (若ちゃん)
2011-06-15 11:54:02
天気にはないですよぉ。
よう変わるからなぁ! 鳥の写真ええですなぁ。
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梅雨は終わってほしいけどなぁ (若ちゃんへ)
2011-06-15 12:20:41
コメントありがとー。
関西の匂いがなつかしいわぁ
来月は出張がてら大阪に帰ろ、と思ってます。
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