『世界観がすべてを決定する』
ラジオ番組で何気なく話されていたトークなのだが、その通りだと思う。
がんに限ったハナシでもないが、5年生存率云々という具合に、統計学的な見地から確率や数字が引っ張ってこられることがある。
しかし、私はあまり気にしないようにしている。
自分自身のモンダイと、一定の母集団が集まらないと成立しない確率・統計では、見立て方が違う。
自分自身のモンダイは、生きるか死ぬか、転んだほうが100%になるものだと思う。
それは多分に、モンダイをどう捉え、どう決定するか、という態度や世界観によって事後的に決定されるものだ。
可能性として存在する量子的な事象は、決定によって、100%の現実として現象化する。
事前に可能性を確率的に数字で捉えることにそれ程イミがあるとは思わない。
だいたい、「がんの顔」と言われるくらい、各々に個性があり、病という連続的で動的な一回性を有する事象が、
静的に、確率論的に話されることのほうがおかしい。そういうものだと思います。
物事を静的に対象化して判断するときに生じる矛盾は、アキレスと亀や、量子論におけるヤングの実験にも見られる。
(時間は流れない ~ 世界は過ぎ去り時間はとどまる)
(量子力学が検知したミッシング・リンク)
アインシュタインは晩年になってインドの大詩人タゴールに
" 誰も見ていない時は、空にかかる月は存在しないのでしょうか。 "と訊ねたといます。
可能性として存在する不確定な世界は、意思が現れ、決定がなされた時に、現実世界となって収束する。
目に見えない意思のチカラというものが、世界を決定していく。
意志(Will)は未来形の語法として用いられるが、言葉の起源として素晴らしいアイデアであることに気がつきました。
未来に意志が干渉し、影響を及ぼし、さらには意志が生み出すところの世界観が現実世界を決定していくという、叡智が込められているのではないか。
一見不確定なものとして存在する未来なのだが、実は世界は意思によって事後的に決定されているのではないか、という見立て。
時間だけを基準にとった発想では、時間的に後にある未来が事後的に決定される、というアイデアは成立しない。
物事は過去から未来へと流れる絶対時間の時間軸上に、現実としてプロットされるという見立てに基づいているから、
時間こそが絶対的なものであって、常に未来は現実の向こう側にある未到来の事で、事後になり得ない。
一方で、時間というモノサシは実はあてにならないという相対論的立場に立ってみると、
未来という不確定な領域は、意思によって確定され、結果的に(事後的に)、人間の想像上の概念であるところの時間(現実)に反映されている、
と考えることもできる。
時間は流れない、世界が流れる - She's Leaving Home
私は、ある意味、荒天のさなかに居るといえなくもない。いかに荒天に処していくかというテーマに惹かれます。
武術に限った話ではなく、物のことわりとしての物理的世界観は、あらゆる分野に通じるはず。
実際に武道家二人による武術を巡る対談は、武術の枠を越えて、より普遍的なテーマへと拡がっていく。
~ ぼくは武道というのは最終的に自在に「時間をいじる」技術に行き着くんじゃないかと思ってるんです。
人間は、たぶん生活の便宜上から、過去から未来へ等速に流れるという人工的な時間意識を採用している。
人類は言葉と共にあった。
言葉が文字ではなく音声として与えられるとき、時間をかけて展開するということが起きる。
言語と時間は根は同じものです。
言語というのは時間の中で、音の順列として生じている。
ある単語の音を聞いている人は、実際にはもう消えてしまった音をまだ聞いていて、まだ聞こえない音を先取りして聞いている。
「ぼくが」という単語を聞いているとき、「く」と言った時には、「ぼ」はもう聞こえていないし、「は」はまだ聞こえていない。
でも私たちは「ぼくが」という音の固まりが、まるでごろんと実体的に存在するかのように思っている。
ジョン レノンはAcross the universeのなかで、言葉(Words)と思考(Thoughts)について歌っているが、
一瞬のうちに与えられるものがある一方で、時間をかけて展開されることを必要とするものがある。
武道家はこれを、無時間的なものと、時間的に展開されるものとに、直感的に区別している。
その直感が、武術の範疇に留まらず、音楽や自然のありようにまで及んでいることに驚く。
私の中で思うことと考えることはすごく明白に分かれていて、
考えるときには文字がなく、感覚が形を得ようとしています。
思っているときには、風景や状況に属する言葉から文字が浮上してきます。
モーツァルトは一瞬のうちに交響曲の全体が頭に浮かんで、後はただそれを楽譜に転写していくだけだったそうです。
頭に浮かんだ曲想がどんなものであるかを他人に示すためには、演奏という時間的な現象にそれを展開しなければならない。
自然はたぶん無時間でしょう。
しかし、人が解釈した自然は人間の干渉があるので、時間が編成されていると思います。
時間で編成された自然は、人にとっては現実的であり、加えて社会性や共通認識が現実の形を決めます。
私たちにとっての現実は、「こういうものですよね」という客観的共通認識の中で築かれてゆくから、時間的干渉を免れないと思います。
若干ハナシが横道にそれるが、「音声言語や物語り=展開を必要とするもの」という捉え方がオモシロイと思いました。
展開のスピードや波長に合わせるということが、快感になったり苦痛になったりもする。
好きな音楽を聞いているときの快感であったり、なぜか小説やドラマの順列的な型やスピードに噛み合わない、ということが起きる。
気持ちが常に前に行っていて、意識の焦点がズレてしまっているという、想念の途切れ現象については先日も採り上げたばかり。
(一瞬を捉える鋭い洞察力を涵養する、基礎練習としての瞑想)
そして、「機」についてのハナシになってくると、自然界に天与のものとして存在するNature's Planにまで対象は拡がっていく。
つまり、展開される物語り(時間)は、タネのなかに既に織り込まれているということ。
(生命に宿る黄金比とらせんエネルギー)
自然というのは自ずと然りと言うくらいですから、それはそれとしてある。
時間では計測できないところから出来事が立ち上がってくる。
ぼくは武道の用語で言う「機」とはその無時間のことではないかと思っています。
展開していくと何十時間も要するものが、無時間的に一挙に与えられる、そういう現象のことを言うのではないでしょうか。
「機」は「それ以外にない」ということで、時の外にある無時間的なもの、
タイミングと誤解されやすいが、時間の内にあるタイミングのように合わせるものではないという指摘。
無時間的な「機」は、振り返りという意識の干渉によって、意識できる「あの時」に事後的に線引きがなされる、という。
まるで量子論的なハナシだ。
「機が熟す」とは時間的なものではないと思います。
機は原因と結果といった線上の因果関係にはありません。
物事を振り返ったときに、線上の出来事に見えてくるわけです。
振り返って事後的に因果関係を見い出し、作りだしたときに、過去に向けて線を引いていくわけですが、
実際は多元的に物事が変化していく中の、私の一番見やすいところが一本の線として見えているに過ぎないのです。
到底、私の認識できない膨大なことが干渉して、事後が成立しているわけです。
「位」は線上を振り返って見えてくる「あの時」にはありません。
「今ここ」というところにしかない。
でも「今ここ」さえも、認識した途端、今ここじゃなくなる。
そういうところから「今ここ」をどう読み解いていくか、意挙の場合はそれが稽古の中心になります。
それは自分の「位」を理解するということです。
今ここにいる私がどういう構造をしており、どういう感覚を伴っているのか、
それらが歪んでいたら、私の見ている世界が歪みます。
外を見ている私自身が整った状態にあるかどうかがまず問われる。それが稽古の第一歩です。
" 知りたいのは普遍的でありながら共有されにくいところですよね。
形の内側にある、普遍的な要素に目を向けることでしか本当に知りたいことは学べないわけですから、
そこを指し示せるかどうかが、ある流派や流儀を受け継いだり創始したりする上で重要でしょう。″(光岡英稔)
形や手順ではなく、本質がその内側に在るのであれば、武術に限ったハナシではない。
本質に至るためにはいくつものルートがあるのだと思う。
音楽家のバレンボイム氏は「クレシェンドの瞬間は教えることができない」といったが、音楽と宇宙、人間の共鳴というテーマはおもしろい。
瞑想を、禅やヨガのような身体運用と関連づけて書かれたものは多いが、瞑想と音楽体験について踏み込んで書かれたものは少ない。
3ヶ月でピアノを弾くとかそんなのではなく、もっとスローライフに、瞑想のツールのように音楽にさわってみるというアイデアがあってもいいのではないか。
想念の途切れについて図示されると理解が深まったように、具体的な手がかりがあった方がいい。(一瞬を捉える鋭い洞察力を涵養する、基礎練習としての瞑想)
ピアノの運指をちょっとやってみるだけでも、意識の向け方みたいなところの手がかりになりそうな気がします。
和音や調(Key)が提示する世界観」、そして、織り込まれたコードをアルペジオに展開したりといった音楽上のツールや技法は、音楽以上の拡がりを見つけることができるもののように思えます。
別にキレイにマスターする必要もないし。
Cの和音が作りだす世界観。
Orlando Gibbons Fantasy in C
ピアニストのグレン グールド、祈りのような唸りのような声が聴こえてきますが、そのまま歌を続けたらトム ウェイツのようになると思う。
キレイというよりも美しい。こんな感じに。
Tom Waits - If I have to go
And if I have to go, will you remember me?
Will you find someone else, while I'm away?
There's nothing for me, in this world full of strangers
It's all someone else's idea
I don't belong here, and you can't go with me
You'll only slow me down
Until I send for you, don't wear your hair that way
If you cannot be true, I'll understand
Tell all the others, you'll hold in your arms
That I said I'd come back for you
I'll leave my jacket to keep you warm
That's all that I can do
And if I have to go, will you remember me?
Will you find someone else, while I'm away?