ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

ゴールデンウィークから始める黄金分割

2016年04月29日 | ゴルフィーライフ

週刊パーゴルフが、週刊現代みたいな表紙に変わっていた。
ヌードグラビアとかなさげだったゴルフ雑誌の風情がなくなってしまって、場所をわきまえずに開いてしまうと、いけない感じ。
記事のヘッドラインまで週刊現代だ。

 

このヘッドライン(美人女子プロ、ここまでやった! 云々。)で、これでは、おじさんの気持ちに対して失礼だと思う。

でも、大叩きが治らず、ぐしゅぐしゅしているメンタルに効きそうな記事を見つけた。

スコアカードの使い方の話だ。



なにはともあれ、スコアメイクするためには、大叩きを致命傷に至らせず最小限の傷にとどめて、
ややもするとスコアメイクを投げてしまう堪えのなさを正していく方法を考えないといけない。

ショットやスイングの練習より、メンタルの練習や技法に気をつけたほうがいい。

メンタルは「強い弱い」のモンダイではなく、コントロール法を「身につけてるか身につけてないか」のモンダイだと思う。
技術的なモンダイなら、学習すれば解決できる。

私の場合は、ハーフで4-3-2がいいような気がする。

4: 出だしで叩いても4つ目までに整える。あるいは出だしから好調でも半ばで大叩きしてしまうクセを4つ目まで堪える。
3: 中弛みしがちなモンダイのミドル、ここが堪えどころ。三つ堪えろよ。
2: 上がり三つでパーを取って巻き返そうとするケースが多いのだが、三つだと集中力をキープするのがしんどいような気もするので、クロージャーは二イニングで。あ、野球とおんなじだ、先発投手なら四つ堪えて五つ目で勝ち投手の権利を得る。クロージャーは八回・九回をセーブする。

4→3→2、とタームが短くなっていくから、堪えるゴルフをする時にもいい。
自分史上最高スコアを目指す展開を作る時でも、
スタートダッシュを長めに設定して(4つ)、つないで(3つ)、仕上げられる(2つ)からいい。

良い時にはダッシュを効かせやすく、
悪い時にも辛抱を効かせやすくする。

良いスコアが望めなくなったらスコアメイクは終わり、ではなく、悪い時でも悪いを最低限に留めておく。
スコアメイクにはその両面がある。

スコアメイクのためのスコアカードの黄金分割。

ゴールデンウィーク遠征からは、
良い時、悪い時の両面に備えた、新しい考え方で、黄金分割で、いこう。

( ↓ ) 黄金ばかりじゃないよ。いい大人なんだから、ブルースだって愉しめるんでしょ。

Christelle Berthon Still Got The Blues

足元を初めてのBoaクロージャの靴でかためて、赤城攻めに向かいます。
ブリヂストンは、ツアーステージ・ブランドをやめてから良くなったと思う。
タイヤメーカーとして培われたグリップの効いたスパイクレス。

爪を剥してからというもの、週末は履くのが楽なジッパーの付いた靴でいることが多いが、Boaもすごく便利。
底がすり減って、ゴルフに必要なグリップ力がなくなっても、散歩履きにしたいくらい。


 

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断片がつながって来た ~ Hey Jude (大人サロンコンサートに向けて)

2016年04月29日 | ツールとしての音楽

トップノートを大事にしようと思います。
全て和音でアプローチするのではなく、しつこかったり、幼稚な響きを、引き算でキレイにしていく発想。
GWに良い課題が見つかりました。

5月下旬に開かれる”大人サロンコンサート”なる、小じんまり乍ら発表会への出席表明をしてしまったものですから、
あれもこれも、と言ってる場合ではなくて、ヘイ・ジュードを断片でなく、通しで弾いてみましょう!、ってことに。
なんとか弾き歌いになっているのかも!? 、辺りのレベルを目指します。

( ↓ ) トップノート採用前のヘイ・ジュード。
あんまり褒められたものでもないが、発表会よりはマシだと思う。
参加表明したら、予想外に喜んでいただけてびっくりするほどだったのですが、
まさか出るとは、のサプライズを起こしたのはわたしの方だったのかもしれない。
こうして見るとアラも自覚できるからよい。

Hey Jude cover(take2)Almost full version

引き算で無駄な音を覗いて、キレイにしていくのはこれからですが、
断片的にしか弾けなかったのが、通しで弾けるようになってきました。
(断片的弾語り ~ Hey Jude)

わずか30分のレッスンなのに、いろいろ手を出して、とっ散らかり気味だったので、
一曲ちゃんと弾き歌いの曲をやってみましょう、ということで、ここのところ、未完成だったヘイジュードに再び取り組んでいます。

下降進行(walk down)の部分に歌が乗らなかったのですが、
コード音を鳴らすタイミングと同時に歌うのではなくで、少しタメてから発声するとうまくコード進行に歌が乗る。
へぇ、そうだったのか!って。

(マーサ マイ ディアといい、音を揃えてバーンと弾くのではなく、タメを持たせながら乗せていく感覚であるとか、
 拍子の取り方がずいぶん変わってきました。)

Bメロ冒頭、anytime you feel the pain, hey Jude,refrain、、のとこだって、
F7がどうもしっくりこなかったのですが、気づきがありました。
Aメロとのつなぎで、ラファ→ラミ→ラミ♭と弾く3つ目の音が、F7の頭の音になってる(すでにその小節の第1音になってる)んですって!
左手でFを押さえてると、F7の構成音のファ・ラ・ド・ミ(この曲はキーがF Majorだからミ♭)のうち、ファ・ラ・ミ♭を鳴らしてるから、それはもうF7になってる。

7thのコードでは、ルート音(ファ)とセブンス(ミ♭)の端と端が大事で、間にある音が抜けているボイシングもあり、なんです。
~これまで、3つの音を弾いてから、またF7の小節の頭から弾こうとしてたから、タイム感が崩れるのも当然だったのです。
へぇー、なるほど、
F7の頭の小節から弾くというよりは、その前の小節(F)からの流れで弾く。

出だしのF(ファ、ラ、ド)のトップノートのドで歌い出しの音程感を掴んだり、
べたっとCで弾いていたところを、Csus4で第三音のミをファで弾いてみたり、C7でセブンスを加えてみたり。
単調だったAメロにも変化が生まれます。
レッスンに行く前にさらっと譜面を見たりするようになって、適当にCだけ弾くのではなく、ちゃんとC7やCsus4を入れて弾くことに気づく。
これもレッスンがあればこその気づきの効果。

Aメロでメロディに併走して弾く、ミ⇒ファ⇒ソの3つ目の音の「ソ」で左手でルート音を鳴らして、4分の4拍子のリズムをキープしたり、と、
一つ一つ改良は進んでいるのですが、まだ音作りに粗さが目立つ。

GWの課題は、先に書いたように、トップノートによる引き算の発想です。
べたっとした演奏を、キレイにしていく。


1. 全て和音でアプローチしなくてもよい

アンサンブルやバンド演奏をやっているわけではないので、コードボイシングの考え方が硬直的になりがちだ。
右手の押さえ方は、左手で何を押さえているかによるし、
他の楽器は何があってどういう音を担当してるかによって、どんどん変わる。


コードを構成している基本和音にこだわりすぎると、稚拙で単調になってしまうのだと思います。
アンサンブルを分かっていないだけでなく、たとえばジャズピアノがどういうものなのかも、ちゃんと分かっていませんから、
ボイシングに関する狭い見識を押し広げていかないと。


全て和音でアプローチするのではなく、始点と終点を和音にして、あとは単音で上下行するとか
(シンプルなコードトーンだけのほうが効果的な場合はあるが)、
ジャズのように何にでもテンションをぶち込む位の気構えで取り組んでみたり、アプローチは色々だ。


2. 歌を支えるトップノート

トップノートをメロディに合わせると、歌うときに音を拾いやすくなるのだそうです。

べたっとユニゾンで弾いてしまうと、ダサくなってしまうので、
トップノートを合わせるのは強拍の位置。

4分の4分拍子の場合だったら1拍目と3拍目の強拍の位置、ということです。

ちなみに、弾き歌いでは、左手のルート音でリズムをキープするのが大切になってきますが、
左手のルート音の場合は、右手とは違って、裏拍(4分の4拍子の場合、1拍目の次は4拍目)で入れるようにすると、
日本的ではないグルーヴ感が出たりするらしい。


レットイットビーで、試してみましたが、オリジナルの雰囲気からは離れてしまう。
他の曲で使ってみよう。

3. 分散和音的な響き

これは私見なのですが、全ての和音を鳴らさずにトップノートを選んで弾くようにすると、
分散和音を弾いているような効果を感じます。

ヘイジョードの演奏をいくつか聴いてると、
たとえばCコードの「ドミソ」を「ミソ、ド、ミソ、ド」と分散和音で弾いてる演奏があったりしますが、
真似してやってみると、かえって単調に感じられたり、何より歌を乗せにくかったりします。


コードの構成音を一音ずつばらして展開して弾くのはアルペジオだと思ってたのですが、
ネットを見ていると、
”分散和音は CM7 を例にすれば「ドミソシ」を一度に押さえずに一音ずつ弾くこと”

とありました。

だとすると、トップノートを混えながらコードを弾くのは、まさに分散和音的な弾き方ということになる。
トップノートの背景に自然と前後で鳴っているコードの和音を感じるから、キレイに聴こえるのかもしれません。


そんなところに気をつけて弾くと、べたっとしていたコード弾きが多少スッキリしてきました。

大人のピアノ会に向けて、洗練させていきましょう。

声を頸椎(首の後ろ側)から出すように意識してみたり、色々と工夫してみると、面白い。

( ↓ )  声をどこで発するか、意識を後ろに持ってくるのがポイントのようです。

これは地声と裏声を融合させる、いわゆるミックス・ボイスでもよく言われることです。

響く声の出し方カンタンポイント!深みのあるいい声になる!【スピリットボイストレーニング46】

( ↓ ) 丹田呼吸法をボイストレーニングに活用する。

呼吸と歌の力で、身心を強化し、安定させることができる。潜在能力を向上させることもできる。
身体を楽器のように自在に振動させることを目指す。

ケリーが言うように、
”私たちは生活の中で、自分を研究対象にできるのであり、ぜひともそうしていただきたいのです。”
(未来の自分とのつながりを強化していくこと ( one of these days ) )

音楽から何を学ぶのか。
丹田を強化するボイス・トレーニングとか、愉しみながら生活のクオリティまでも向上させるような方法が沢山ありそうだ。

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自分なりのリベラルアーツを

2016年04月22日 | ツールとしての音楽

マーシャルアーツの話ではない。

現代のアメリカの大学では、” 音楽で学ぶ” リベラル・アーツ教育が盛んなのだという。
音楽そのものを学ぶだけではなく、音楽をとおして人間や世界をどう学ぶか。

” 芸術はあいまいさを受け入れ、創造的に考え、問いかけ、また挑戦することを教えてくれます。”

既成概念を打破し、既存の価値観や美意識にあらがいながら、人の感覚や知覚を大きく広げてきた芸術や音楽には、
社会に多様性や創造性をもたらす新しいフレームワークとしての役割が期待されているのだといいます。

”世界の難題に立ち向かうには、科学技術に加え、文化・政治・経済活動を営む人間そのものに対する理解が必要”。

人間が何千年もかけて受け継ぎ培ってきた知や情の集合体であり文化的資源である音楽を、今の私たちにどうやって活かしていくかを工夫する。

古代ギリシアでもっとも重要視されていた教育科目は、健全な肉体と魂を育む体育と音楽だったといいます。

なかでも肉体より魂に価値を置いたギリシア人にとって、音楽を学ぶことは最上であると考えられていた。

「音楽のリズムやハーモニーが魂の内奥まで入り込み、力強く引き締め、優雅さを授け、正しい魂の在り方へ導いてくれる」

現代社会では、科学技術への偏重や、経済的、あるいは社会的活動上の要請から、重視される教育が偏っているのだと思う。

体育と音楽はやっぱり、個々人の向上や覚醒、人間としての基礎や総合力、みたいなものを鍛えるうえでは今も最重要科目なのではあるまいか。

”音楽、文芸と体育とを最もうまく混ぜ合わせて、これを魂に差し向ける人”

ゴルフやピアノだけではない、呼吸法やボイス・トレーニングも併せて、

自分なりのリベラル・アーツに取り組んでみようと思うのです。

ゴルフだって、ピアノだって、誰かに認めてもらえるようなエクセレントなプレイヤーになろうとしているわけではない。

自分なりの修業を続けていたいのです。

“こういうことは誰の本にも書いてない。だから、自分の身体が習い覚えたことを、自分の言葉で語ってゆくほかないのである。”

(大切なのは、まず「身体を割る」ことなのだ。

 

 

東洋経済オンラインに面白い記事があったので引用します。(本物のリベラルアーツを日本人は知らない)

ここでのポイントは、欧米の学問体系は大きく2つに分かれていること。
ひとつは「アート、art」で、もうひとつは「サイエンス、science」である。
アートが日本でいう「文系」で、サイエンスが「理系」と考えてもいいが、その本質はまったく違う。

なぜなら、キリスト教世界に生きている欧米人にとって、
アートは「人間がつくったもの」のことを指し、その科目がアートだからだ。
美術、文学、音楽はもちろん、歴史、哲学もアートだ。

では、サイエンスは何かというと、「神がつくった世界=自然(ネイチャー)」を研究する科目だ。
このうち、化学や物理学を自然科学といい、経済学や心理学などを社会科学という。

ところが、日本では、各学科はこのような体系で分類されていない。
明治期以来、輸入されてきた学科が、文系、理系の違いを深く考えずに、継ぎはぎに されて存在するだけである。
だから「文学部心理学科」のような欧米の伝統的な学問体系に基づいたらありえないことが、日本では起こる。

アート=芸術の指す範囲は意外にも広く、
人が作った世界がアートであり、神が作った世界がサイエンスである、という説明になるほどと思いました。

理系・文系というのは日本独特の分け隔ての仕方らしいのですが、しっくりきません。違和感があります。
サイエンスとアートという分類の方が納得感がある。

『心は数学である』、理系と文系みたいな発想しか持てないようだと意味不明になってしまいますが、

アートとサイエンスの分け方でいくと、
心は、神の世界を掬い上げて表現するサイエンスとしての数学と同じ領域にあるということになります。

これは『心は自分ではない』にも通じる考え方、(★★『心は自分ではない』★★)

自分ではない、ネイチャーとしての心と、自分で選び取ったアートとしての心を分けて考えてみると、
ネイチャーとしての心は、神の領域の出来事であって、混沌(カオス)の状態があたりまえ。
人知でどうにかなるものでもない。そのカオスから何を選択していくかが大切。

さわやかに晴れ渡ったアルファの心の状態であることがたとえ1%であっても、
濁ってぐちょぐちょした曇天なベータの心の状態でいることが99%を占めていようとも、
1%のアルファの方が本来の自分だと捉えてみる。
時間の長さの問題ではない。

自分自身が機能しやすい状態とはどんな状態か、これが本来の自分だったらいいな、の方に信頼を置く。
「心の状態」(コンディション)と、「自分」を明確に区別する。

( ↓ )  サイエンス&アート的 自由七科 リベラルアーツの歌って感じ。

What a wonderful world - James Taylor, Simon & Garfunkel W/ Lyrics

同じアルバム「ウォーターマーク」に入ってたこっちの曲の方が好きだったなぁと探してみたらあった,Someone else。
これからの夏の夕方、ゆっくりした宵に似合いそうな曲。

Art Garfunkel Someone Else 1977

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端点をキメてペンタゴン打法を強化する ~ リベラル・アーツとしてのゴルフ

2016年04月17日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

さて、あまり成果をあせらず、じっくりと愉しみながら、
ペンタゴン・スイングの強化に取り組むことにします。
(★★ ミッション1 = ペンタゴン作戦 ★★)

向上する途上にあって、何かしらがんばっている、というのが楽しいから。

さて、先日来、シャンクに悩まされたが、転んでもただでは起きない、そこから何かを掴みとる。

一つ、(フォローの出し方)

左太ももに向けて振っていくイメージを持つと、シャンク防止だけではなく、
身体の中心にクラブを引きつけて打つことができる。

( ↓ ) 右小指プラス右薬指もかけて、一つのところを二つかけることで、いつも以上に左右の腕の一体感が出るという。
    そのような詰めた握りはこれまで試したことがない。技の引き出しが増えそうなアイデア。

二つ、(テークバックは締めていけ)

左脇を締めたままハーフウェイ・バックまで引く。軌道が安定して、都度調整する必要がなくなる。

縦振りになるから、チーピンや引っかけの防止にもなる。

フェース面をボールに向けたままテークバックする、
左手のコックをキープして、フェースローテーションを抑えたスイングは、オースチン打法(ペンタゴン打法)の動きに似ている。

( ↓ ) こないだ、骨ストレッチをゴルフスイングに活かすという発想が同じで驚いていたら、
今度はオースチン打法×田村プロという着想での特集です。

資本主義社会にいながら、最近になって頓に使われるようになった、”シェア”という言葉。

同じような考え方をする人が現れては、アイデアを共有したり、シェアすることで、拡がりが生まれていくのがいい。

(骨ストレッチのゴルフ ~ ゴルフの真髄へ)
([2014年11月] イーグル奪取でタコ男決戦を制す)

田村尚之も大絶賛!50歳からの飛ばしは「オースチン打法」【月刊GD5月号予告】

あのデビッド レッドベターが、Atheletic スイングに代わる新しいAスイング(Altenativeスイング)を提唱し、6月には邦訳版も出版されるようだが、このAスイングも動きが似ている。
”あらかじめ手首のコックを完了させておいて”、そのままテークバックしていくとある。
ペンタゴン打法にも共通した考え方だ。
(★★ ミッション1 = ペンタゴン作戦 ★★)

( ↓ ) ジャック ニクラウスのスイングにも似たクラブを縦に引いて、縦に収める動き。
しかし、スイングは直線的な動きをするのではなく、身体の中心にクラブを通すようにループする。

 

「一つ、二つ」で、端点をキメれば正確性が担保されるから、あとはダイナミックなクラブ使いが出来る。

 

 

ゴルフ・スイングについて考えて、身をもって実践してみるというのは、
私にとってのリベラル・アーツみたいなものです。

”音楽、文芸と体育とを最もうまく混ぜ合わせて、これを魂に差し向ける人”

そのようなハルモニウム(調和)を目指すようにしたい。
(試行錯誤の不協和音ばっかりですが。)

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[2016年4月] ペンタゴンは一日にして成らず ~オーセンティックなキャロウェイ母艦を

2016年04月03日 | ゴルフィーライフ

そういえば、「ビジョン84宣言」を掲げて始めたこのブログだったが、
84を達成してからというもの、スコアは冴えを失ってしまっている。

ペンタゴン作戦のミッションを「ビジョン82」にしよう。
(ハーフ41なら昨年の暮れに続けて出せているから、宣言することで目標化すればきっと達成できるはずだ。
そこに行ければ、ハーフ30台、夢の70台も引き寄せることができるかもしれない。)

ドライバーが良ければショートゲームが雑になり、

アイアンがキレているのに、3パットを連発する、

返しのパットを決めては堪えるが、OBで身を持ち崩す、

そんなゼロサム・ゲームは卒業して、プラスサム・ゲームへの転換を図っていこう。

たとえ、スコアがすぐに良くならなくたって、

大切なのはビジョンと、それを支える気構えと余裕だ。


縁起良さげな太陽オレンジの手袋と、ペンタゴン印のボール、

春分の日を跨いで、日が伸びていくように、ゴルフも上昇していけ。

 

しかし、スタートホールのさくら草OUTの一球目、高い放物線を描いた球はフック気味に左へのOB。

ミッションを遂行することもなく、わずか一球で、ペンタゴンボールは春の曇り空へと消えていったのでした。太陽は何処へ、あぁ。

私も酷いが、みんな酷い。。
(後半は、ショット記録も疎かになっています。)

奥田プロがいいことを書いています。

ペンタゴンの流儀へのこだわりが何らかの偏りとなって、度を越したただのやり過ぎへと変わってしまう。
” スイングというのは、都合よく一番いい状態で変化をやめてくれません。”

そろそろ替え時を迎えていたのは、十年来愛用していたキャロウェイのキャディバッグ。

今度は、ザ・ゴルフ・メーカーといった風のロゴの入ったのではなく、
カッター&バックあたりで洒落っ気のあるやつを探していたのですが、ここでも妙に偏りが入っていたようです。

ロゴにチカラがないと、くたびれて、くたっとしてきた頃に、へたっとして元気のないバッグになってしまうかもしれません。

前のと同じ、ブラックを基調にしたモノトーンのキャロウェイだが、

くたっとしたゴルフを許してくれそうにない、オーセンティックで、がっしりした造りのやつ。

ペンタゴン作戦に相応しい、オーセンティックな母艦を得る。

 

エナメルの光沢を保つために、これまた十年来のグリッターを持ち出してきて、塗り込みました。
キャディバッグの中を整理して、旧いグッズの掃除も。
アイアン・プロテクターを引き続き使用しようとしましたが、
今度のバッグの仕切りの配置は、固定紐を通すのに適した造りでないので、やめました。

 

ペンタゴンの方針には誤りはないと思う。(「右肩を引く」を忘れて、左手甲の角度を固めることばかりに気が偏っていたように思います。)

一回や二回のラウンドで習得できるようなものでもない。釣果をあせらず、じっくり構えていこう。

「翻訳は良い趣味だ」(内田樹)

ジョージ マーティンのアレンジによる、地球上に引かれたラティテュード(緯度線)のワルツ。

太陽の周りを巡る公転面は、地球の緯度線を北上し春分地点を過ぎました。
夜を折り畳んで明るい朝の光を迎えよう、ということで。

Latitude - Elton John

Grey London morning, wet London streets  ロンドンのような灰色の朝、ロンドンのように濡れた道
Rain on the window, wind in the trees     雨風が吹いている時は
It's my time to write, it's your time to call あなた(ナイス・スコア)を求めて手紙を書くから、どうか僕を呼び出してください。
There's something about distance that gets to us all ずいぶんな距離の隔たりがあるのだ、僕らの間には。

Dark clouds above me, little people below    頭上を覆う暗い雲、下へ行けば下手くそだ、
All walk with a purpose with someplace to go  目的を持ってラウンドしろ、辿り着く目的地があるだろ、
It's my place to paint my own selfish scene   そこが僕の場所だ。自分勝手な夢のシーンを描いている。
On this cold lonely canvas, it's just the weather and me  まったくぞっとするようなお寒いカンヴァスは、この天気や僕と同なじ。

And latitude                          春分の日を跨いでいくのは、ラティテュード(緯度線)
Fold back the morning and bring on the night   明るい朝を折り畳んで 闇夜のほうを持ち出してしまったか。
There's an alien moon                  異郷の月が
That hangs between darkness and light       暗闇と光の間に架かっている
Latitude between me and you              ラティテュード(緯度線)、僕とあなたを分かつ 
You're a straight line of distance           あなたの真っ直ぐなラインが、二人の間に距離を作る。
A cold strech of black across blue          ブルーの地球を跨いで、黒く冷たく伸びる、ラティテュード
Latitude

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