ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

アムステルダムの船上祝祭日

2011年09月25日 | 日記

「残りの人生をどこで過ごそうと、パリの日々はいつも君と共にある。」(移動祝祭日 ~ La Mer

実にいい言葉だ。

楽しかった日々の思い出は過去の中だけに閉じているわけではない。
そこで培った感じ方や物の見方は、どこで過ごそうと、新しい時空での心象風景をつくるチカラの源、粒粒になるものだと思う。
私たちが「自分の心や意識で感じる心的現実に一番の影響を受けながら生きている」というのは
ほんとうだと思う。
心的現実性こそが重要である

IKEAのエントランスを入ると、ロフト的な広い空間と、漂ってくる匂いがあいまって、あたかも海外に居るような気分になる。

スウェーデンや北欧の家具は確りしていてシンプルだし、ノルウェイの森をイメージしたような空間は憧れ。(ノルウェイの森
家具で名高いだけあってインテリアが日本よりももっと身近な存在なのか、
家具屋なのにスウェーデン・カフェみたいな食事スペースを広くとってある。

これは、スウェーデン・ミートボール。つけあわせがポテトなのに、なぜかジャムがあるのがスウェーデンぽい(ような気がする。)
私の場合、この類の料理の醸す匂いで、あっという間にUCLAのカフェテリアに居た時の心象風景を重ね合わせることができる。
マクドナルドのソーセージ・マフィンなんかでも同じような気分になれるから便利なものだ。

ブログ書くようになって、デスク用の椅子に、写真よりも鮮やかなオレンジの椅子に新調したくなった。
ヘッドレスト部分まで背筋をサポートするつくりも快適で気に入った。
しかし、へたってきた子ども二人のデスクの椅子やらコーヒーテーブルやらを買ったら結構な荷物になる。おしまい。
忘れるといけないから、貼っておいた。(MARKUS社の回転チェア)

 

店を出たら拡がっていたオレンジ。
朝焼けを芝生の上で迎え、暮れなずむ茜色の夕空をまた趣きの違う空間で過ごす、
早朝ゴルフで始まる朝が、ささやかだが、実に立体的な、地球一周的な祝祭日を爽やかに演出してくれる。
空中を縦にたなびく雲までも、シルバーウィークの終りに相応しい夕暮れだ。

少々南下する。

アァ~ン de アムステルダムの挨拶か。妙に艶のある挨拶だな。

アムステルダムの街、船上に集う人たちが思い思いに口ずさむ、幸せの宵の御裾分けだ。

Aan de Amsterdamse grachten door Eva-Maria Westbroek

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ノルウェイの森

2011年09月25日 | お気に入り♪(ビートリー)

ビートルズのこの曲、大人の雰囲気に憧れていました。

ラバーソウルの静謐でクールな響きに憧れ過ぎて、ビートルズに紛れてみたりしたほどです。(ビートルズに紛れてみた。

陰影にあふれた曲はもちろん、
"昔 女をひっかけた、それとも俺がひっかけられたのかな"と
ストーリーが静かに始まっていくところとか、
“norwegian wood”というのが、もともと“knowing she would”だったという、
大人のシャレみたいな歌詞を含めて、
爽やかでいながら、大人の匂いが漂っているようで。
(この歌詞については、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に詳細に解説されているので引用しておきました。)

一見ふられたような歌詞にも受け取れるが、「it's time for bed(ベッドへいきましょう)」の後の間奏の間に情事があり、
その後の歌詞は情事の後の会話として受け取ることもできる。
最後の火をつけるラインはポールによるもので、
ポールの解説によれば風呂で寝ることになってしまった復讐をするために、
その場所を燃やしてしまうことにしたというもの。

また、確固たる証言は無いものの、
「I was knowing she would」
(オレは彼女がそうすると(俗的に言えば「ヤらせてくれる」と)知っていた)
という言葉を早く言った場合に「Norwegian Wood」の発音と似ているためではないか、
という説も古くから言われている。
確かに歌詞の内容からは会いに行った彼女とうまくいかなかったことを想起させる「オチ」になっているため、
ジョンの言葉遊びとしてとれば面白い説である。

ノルウェーの森Norwegian Wood (This Bird Has Flown)/The Beatles

( ↓ ) 埋め込み無効になっていますが、ノルウェイの柔らかな日射しに包まれるような素晴らしい映像です。NORWEGIAN WOOD by The Beatles 【INMONO】


この曲の影響によるところ大なのですが、家具のIKEAが出店する前から、
リビングには北欧風の家具を入れたくて、
結局ノルウェイではなく、スウェーデン製の家具とか、にしたのですが、自由が丘なんかにもよく探しにいってました。
デンマークは家具で有名だし、北欧の家具はシンプルで丈夫で、好みにぴったり。
IKEAが出てきたときは、自分たちは5年以上先をいってたなぁと嬉しいようでいて、
こんな手頃な価格になって今ごろになって日本進出か、おそい~、と複雑な気分。

 もひとつ歌詞の内容に沿ったストーリー仕立てになっているのを見つけました。
 家具が最後に燃やされちゃうところが、
 何気に残酷なマザーグース風のイギリスっぽさを感じさせます。)

Norwegian Wood - Danny's love story


<初稿  2009/5/15>

<第2稿 2010/9/23>
  削除されていた映像も入れ替えました。

<第3稿 2011/9/25>
 またまた削除されていた映像を入れ替えて手を加えました。

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<2011年9月 大宮カントリークラブ(ハーフ)>けれん味のないショットを

2011年09月25日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

 朝6時からの早朝ハーフ。すっかり涼しくなって、実に爽快。

初めて来たが、スタートホールから左OBのホールが続き、
フック球が本当に矯正できたかどうか試すには絶好のコース。

ハンドアップの効果はほんとうにすごくて、
出だしから、S/5 (Straight/5点満点)。結局この日は一発もフック球は出なかった。
フック球、完全に撲滅宣言です。

腕をしなやかに使った方が飛ぶのだが、
6番、7番あたりでは240Yの黄色の旗の先、数十ヤードY 位まで飛距離も戻ってきた。
左が怖くなくなると、しなやかな腕使いも段々とできるようになってくる。
曲がりの範囲が想定できる、ベースになる打ち方を持って、
叩いても大丈夫な安心感があると、やっぱり実践で強いのだ。

他がいまひとつで(特にショートホール)、スコアは48と凡庸に終わったが、
9番は確りパーで締め、Myパーに設定している45でなら、いつでも廻れる感触は取り戻した。
フックでスコアメークどころではなかった不安なラウンドを続けてたことを思えば、上々の再スタート。

左が怖くなくなると、池田勇太プロのようなけれん味のないティーショットが打てるようになる。
埋め込み無効だが、
18番、5:40過ぎのティーショットなんか、気持ちがビシッと入っていて、実に気持ちが良い。
左を恐れず、リーチを長く使って、ヘッドをハイスピード゛で下ろしていくバッバ風のショット、
<ドライバーのチェックポイント3点セット>~右足のつま先にハンドルを切っていく
フックを克服し、このけれん味の無さ、を強くイメージしておくことで、さらに強固なものにしていこう。

池田勇太/2010ANAオープン最終日

池田選手のけれん味の無い叩き方とは違うが、
飯島茜プロ、左への球が許されない場面で、左を恐れずショットしていくイメージが刷り込まれるようなシーンが続く。
これも埋め込み無効になっているが、格好のイメージトレーニングになりそう。
自分を信じながらショットを続けて、迎えた18番、
4:00過ぎのティーショットに始まるバーディーシーンにつなげていく
リズムを引き寄せてくるような丁寧なプレーぶりも見習いたい。

飯島茜/2010ゴルフ5レディス最終日

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怪人の朝食はケークサレ

2011年09月24日 | 日記

花弁を落としたルドベキアに映る日射しは秋色を帯び、

 草はらの猫じゃらしの上で戯れるのは涼しい秋の風

驚いた。 なんと、猫じゃらしは食用になる。

現在は、一般的に食用としては認識されていないが、粟の原種であるので食用に使える。
若い葉と花穂は軽く火であぶり、醤油などで味付けしたり(風味はポップコーンに酷似)、
天ぷらにしたりして食べられる。
ただし、終戦直後大量に食べて中毒を起こした学者がいる。
近代以前の農村では、酷い飢饉の際にカラスムギなどと共にこれを食用としたこともあった。
 

怪人マスクマンの朝食としては最適ではないか。 

怪人の休日の朝食は、かように諸々をポトフにする。
カレーもそうだが、前の晩に飲んで、晩ご飯を家で食べそびれたりすると、
ひと晩寝かせたポトフが二日酔い気味の胃袋に沁みわたる幸せを味わえたりする。
 

怪人の好物は、煮込んでゼラチン質がとろとろした牛すじ肉。
臭みはなく、どて焼きのようにこてこてした味でもなく、上品に澄んだスープになって、
ただひたすらに、とろとろ ぷるぷるする。
(まだ具材には猫じゃらしは入っていない。) 

 

ひと晩寝かすと いろいろなものが美味しくなる。

ケーキだってそうだ。

 

近ごろ気に入ってるのは、デザートではない食事用の塩ケーキ。

ケークサレと言うらしいが、要は塩味のケーキ。
おえっ、と感じる向きがいらっしゃるかもしれませんが、サクサクしたパンみたいなもの。
(これにも、残念ながら猫じゃらしは具材に入っておりませぬ。) 

i had another look & i had a cup of tea and a butter pie

( Butter wouldn't melt so i put in the pie)

もう一回見てみたら、持っていたのは、紅茶のカップとバター・パイ。
(バターはパイに入れるまでは溶けないよね??)

意味不明の歌詞が、二日酔いっぽくて休日の朝にぴったりだ。
カエルの声はおじさんの声にいつのまにか化けてSo sorryだし、
ジプシーになって ちょっくら遊び廻ろう(live a little, be a gypsy, get around,,)って感じで。

Paul Mccartney, Uncle Albert (Lyrics)

 

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フックの直し方に結論 ~ ゾフィーの教え

2011年09月23日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

ここしばらく悩まされ続けたフック星人を撲滅するのは、

ゾフィーの教え。

ゾフィー・マスカラスの教え~フックボールの直し方に結論

仮面ライダー(アマゾン)の次はウルトラマン(ゾフィー)か。手を変え品を変え、よくも飽きずにかぶり続けるものだ、と呆れるなかれ。
毎度々 訳もなく、趣味でかぶっているばかりでもない。
あんなにしつこかったフックがピタリとおさまったのだから、これは魔法発見のような出来事だから、
メモリアルな発見としてレッスン化すべきものなのだ。
80台を続けた後、フック球と共に自滅したラウンドが続いていたが、これで大丈夫だ。
 

コツはハンドアップに構えること。
タテ振りで直線的な動きをリピータブルなものにできる。
左が怖くなくなると、ここぞという時に、ボールをつかまえて飛ばしにいける。

これは実践ラウンドでもきっと役に立つ。
M78星雲のうえ、M79(80切りへのマジック)が点滅しはじめたぞ。

さて、ゾフィーも言っているが、
TVで「外ひじ・内ひじ」について放送されていた。(世界一受けたい授業/奈良工業専門学校 木寺 英史 先生

「気をつけ」をしたときに、腕が上に開き、ひじが外を向くのを外ひじと言う。
この「外ひじ」は力を込めやすく、重心も下がるのでボディバランスも良くなるらしい。
一流アスリートには外ひじの人が多く、
お相撲さんが鉄砲の時指先を外に開くことや脇を締めるということも外肘を作る為、とのこと。
木寺先生は、足の先の開き方や閉じ方(ハの字、逆ハの字)による力の入り方の違いについても指摘する。
(スケートだと分かりやすいが、足先を開くと前進する力が生まれ、足先を閉じると後ろ向きの力が生まれる。)

坂田信弘プロなども伝える筋肉の表と裏筋の使い方。

今回の「ハンドアップ打法」による表側の筋肉使いは、
体を起こして背筋を張った裏筋の筋肉使いとのカウンターバランスを利用した動き、とも言える。

 

 

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年をとるのは、弱虫にはできない

2011年09月23日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

9/19付けの日経の春秋、読まれた方も多いでしょう。

一癖も二癖もある悪女を演じてずぬけた女優を問えば、
古い洋画ファンならアメリカのベティ・デイビスを挙げる人が多いのではないか。
まるで映画に出てくるせりふみたいだが、
「年をとるのは、弱虫にはできない」と彼女が口にしたことがあるのだという。

それを聞いたのがポール・ニューマン。
65歳になってインタビューを受けたとき、「最高の言葉だね」と言ってこの一節に心境を託した。
7月に出た「新藤兼人・私の十本」(立花珠樹著)に紹介されていた逸話だ。

年老いていくことの誇りを感じさせる言葉、力を与えてくれる言葉、を私はこのところ収集している。

「年をとるのは、弱虫にはできない」

新しい人生観の支えになりそうに思える言葉だ。

ただ単に齢に身を任せるばかりでもなく、時には抗い、時にはあきらめ、時には受け入れながらも、
強くなりながら年をとる。
変化のなかで戸惑い、悩みながらも成長していく。若い時代とそう変わりがあるものでもない。

Kim Carnes - Bette Davis Eyes

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あなたのための時間はいくらでもありますよ

2011年09月19日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

梯(かけはし)久美子さんの、インタビューの極意という日経の記事に、箴言を発見した。

現代人は時間にケチである。
二つの場所に同時に身を置くことはできないとわかっているはずなのに、
いま目の前にいる相手のために、自分のすべてを使うことをしない。
それは人生そのものをケチることではないか。

なかなかに身につまされる。
同時併行的にいくつも処理することが効率的で賢いことのような気がしたりもするが、
片や、一意専心、一所懸命、といった言葉がある。
入り込んでいかないとつかめない、そういった謙虚さを持ってことにあたる、ということは大切なように思える。

~ そして人は、相手の気が散っていることを敏感に見抜く。
「この人は" いま "という時間の全部を自分のために使ってくれていないなと気がついてしまうのである。」

女性ならではの視点というのか、なかなかに鋭いではないか。
一本とられたような鮮やかさ、である。

そんな彼女がインタビューの名手だと称賛するのが、児玉清氏。

忙しい方なのに、
人と相対する時の構えがゆったりとしていて、先を急ぐ気配がみじんもなく、
一緒にいると、「あなたのための時間はいくらでもありますよ。」と言われてるよう
で、
実にのびのびとした気分でいられた、と言います。

児玉 清さんは若い人にも人気があったが、
それは現代の若者が、他人からあんな風に受けとめてもらうことを潜在的に求めているからではなかろうか、
あれは児玉さんの生きる姿勢のあらわれだったのだろう、とも。

ひとは、かように、人の姿勢のようなものを感じとる。

時間にケチくさい、というのはみっともないし、何よりひとの居心地をわるくする。
自省しなくては、と思った。

お手本にしようと、児玉清さんの映像を探してみた。梯久美子さんも終盤で登場する。
本稿のテーマからは外れるが、
~哲学というのはやはり西洋という文化圏に特有の不自然な物の考え方だということがわかって、口に出して言えるようになったのが60歳を過ぎてから、
との下りとか、
なかなかに明快な内容に思えたのでクリップ。

反哲学入門

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折れない心をノーマンに学びたい

2011年09月17日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

おい、へぼカラス。

こいつをレンジで試したら、フックがきつくなったぞ。(ー_ー)!!

(しかし、グレッグ ノーマンはじめ名選手は調子が悪くなったら、右ひじをチェックするという。
 そのまんま、鵜呑みにしなくとも、このくらいオーバーだと、
 右ひじを いやがおうにも意識することができる。)

マスカラス・アマゾンの1st Lesson

困ってしまって、ネットで探したら、坂田信弘プロが「一発でフックを直す方法がある」と。

一発でフックを直す方法を問うて来られたが、その方法はあります。
バックスウィング始動時、ボール位置より20センチ離れたところにクラブヘッドを置く。
持つクラブはドライバー。ティの高さは普段の高さの半分にして貰う。

ボールの右、20センチの地面をポンと叩く
次に叩いた位置より10センチ離れた位置、ボールの位置からは30センチ離れた地面をポンと叩く。
次に二度目に叩いた位置より5センチ離れた位置、
アドレス時のボール位置より35センチ離れた位置の地面をソールでポンと叩いて下さい。
そして、バックスウィング始動。

この手順でフックは出なくなりましょう。

フックを打ちたい方は5センチ、10センチ、30センチと距離を離した地面叩きをやればよい。

フック球とスライス球の出る原因は東と西、南と北の位置関係。
フック出したきゃ、スライスの出る方法と逆の事をやりゃいい。それが理屈と言うものだ。

実に単純、理論も実践方法も単純をベストとしよう。
複雑なやり方は、頭は理解せず、体はついて行けない、の状態になりましょうぞ。

以前自分が書いた記事にも、似たのがあったが、
どちらかというと、
ボール後方で地面を叩くことでドロー系の球を打つレッスンだった。
フック防止というよりは、フック気味の、つかまった球を打つ方法だった。
ゴルフレッスンbyマスカラス先生Part4/太もも前でトン、トン、トン♪) ← ここにもグレッグ ノーマンが登場するではないか。

坂田プロの言ってること、単純どころか、言ってることが複雑怪奇に思えてきた。
地面叩きの距離を10,30,35センチに置くか、5,10,15センチに置くか、で
スライス(フック直し)、フック(スライス直し)、になるものなのか。(・・?

しかし、横殴り気味の軌道を修正するのに、
ボールの後方まっすぐのポイントを叩きながら、インサイドに引きすぎないように軌道をイメージする
のは
効果的に思える。
きっと、フック矯正にも、スライス矯正にも効くのだ。
夫々のひとが、夫々の軌道傾向に応じて、夫々のポイントで、地面を叩く。
力のあるストレート ボールの範囲内におさまってゆけばよいのだ。

右足つま先へハンドルを切っていくイメージが、強くなりすぎると、フック球になるし、
その時々のサジ加減というのがあるように思う。
<ドライバーのチェックポイント3点セット>~右足のつま先にハンドルを切っていく
ヘッドを効かせて、体を暴れさせずに、ヘッドスピードをあげるのは、タテ振りの重力パワーを活かしたスイング。

スイングのブレを修正しながら、ブレ幅を小さくしていく。
それが上達というものだ。
ゴルフの世界もまた、絶対理論はなく、相対的なものなのか。

( ↓ ) 折れない心をノーマンに学びたい。

グレッグ ノーマンの悲劇  Greg Norman's collapse at Masters 1996



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怪しい仮面の夜

2011年09月17日 | マスカラスあるいはゴルフィー

夜の階段に怪しげな光の闇を織りなす仮面。

 

2年振りにミル マスカラスのマスクが届けられた。

闘いは続くのだ。

インテリアとしてもなかなかにイカしているではないか。(-。-)y-゜゜゜

 

仮面貴族、千の顔を持つ男、とも呼ばれたミル マスカラスには変面のパフォーマンスがあった。

Mil Mascaras & Rayo de Jalisco

中国にもある伝統芸能の変面。
その技は一子相伝、門外不出とされる。

変面の謎

もっと、スピーディーなパフォーマンスの訓練が必要だ。
ブログも3年目になってV3とタイトルを変えて仮面ライダー風の変貌を遂げたが、
マスカラスにも変貌の時季がやってきた。
V3を通り越して、アマゾン時代に突入か。

Mascaras changing masks (first trial)

( ↓ )いたいた、同志が。うれしいね。気持ちが通じるよ。
Mil Mascaras Mask Is Changed Quickly !

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未完成 まだ意味をなしていないのだが

2011年09月16日 | 日記

十五夜は過ぎたが、綺麗な月。

ぼくの言うことの半分は意味をなしていないけど
ただ、君に近づきたくて言ってるんだ

Half of what i say is meaningless、
but i said is just to reach you 、Julia

誕生日の晩を跨いでしまった。

言葉で表現できない気持ちをこんなにうまく言い当てたような言い方は滅多に見つからない。 
口に出してることの半分くらいは 大抵うまく言い得ていない言葉ばかりだ。

When i can not sing my heart,
i can only speak my mind
 

気持ちを歌うように伝えられなくても
考えてることを話すことくらいならできる

多少酔っ払っていてもね。

morning moon touch me
sleeping sand touch me, silent cloud touch me

朝の月が私に触れる
眠っている砂や 静かな雲までも

何もかもが静かな夜更けの静寂、美しい詩だ。

The Beatles Julia lyrics

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Elgar. Nimrod.

2011年09月11日 | お気に入り♪(クラシック)

ダイナミックではないが、この曲は今日の日に似つかわしい。

イギリスの作曲家エルガーのエニグマ(ギリシア語で「謎」の意味)から9番目の曲、ニムロッド。

それぞれの曲にはエルガーの友人の愛称や呼び名がつけられたという。

ニムロッドと一緒にベートーベンについて語った夜の思い出に捧げられたそうだ。

空気中に漂う目にみえないエーテルのような波動のような存在を感じずにはいられない。

音楽には、そのような霊性的で粒だった目に見えない存在の波動と、瞬間々々に共鳴しながら、
粒粒を汲みあげては顕現させる力があるように思える。

ニムロッドと呼ばれた人の意識は粒となってきっと今も存在する。(石や木や水と私たちの関係について

Elgar. Nimrod.

3.11から6カ月を経た9.11。これは前日、運動会の日に中学校の校庭から見上げた空です。

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移動祝祭日 ~ La Mer

2011年09月04日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

ヘミングウェイが若き日のパリの思い出を綴った「移動祝祭日」を氏は愛読しているそうだ。

「もし君が若い時にパリで暮らすことができれば、残りの人生をどこで過ごそうと、パリの日々はいつも君と共にある。
 なぜならパリは移動祝祭日なのだから」
(ヘミングウェイ)

パリで暮らした日々は、移動祝祭日(movable feast, 年によって日が変わる祝祭日)、
その人の一生のどこにも祝祭日としてついてゆく、という。

海野弘 本を旅する
海野 弘
ポプラ社

作家のインタビューなどを読むと、驚かされることがある。
たとえば村上春樹氏はこう語る。
~小説家として長い歳月にわたって小説を書き続けながら、同時に誰かに好かれることが可能であるとは思えない、
嫌われたり、蔑まれたりする方が、どちらかといえばナチュラルなことみたいに思える。

そんなふうに自嘲することはない。
表現者はたしかに、表現することによって一種の旗を掲げるようなものだから、
選ばれない、支持されないリスクを引き受けなくてはいけないかもしれないが、
岡本太郎氏が言うように嫌われるくらいで丁度いいのだ。
逆説的だが、嫌われる分だけ、のびのびと自由になる権利を獲得できるようにも思える。
岡本太郎氏は、そっちの方が全然大切だと諭しているのではないだろうか。

私が作家先生に求めるのは、強さを持った、全人的な魅力であるようにも思えて、
そこへ行くと、ヘミングウェイの言葉のなんと爽やかで頼もしいことか。
パリなんぞには行ったこともないのだが、言わんとすることは、なんとなく分かる(ような気がする)。

ゆっくりと台風が西日本を通過して、関東でもときどき思い出したように、バラバラっと雨が降る週末。
夕方暗くなった空をよく見ると、今夏あんまり見なかった入道雲がまだむくむくと覆っていた。

( ↓ ) よい歌に恵まれた今年の夏を象徴するかのよう。← 気が早いぞ、紅白は12月だ。
    メロディを少し離れて、少しふざけながら愉しげに、寄り添いながら舞い踊るようにハミングしている。
    ポール マッカートニー風の外し方というか、いくつかのメロディやアイデアが自由に、少し気まぐれに降ってくる。
    こういうイメージは「移動祝祭日」となって、ついてきてくれるのだ。

La Mer (Beyond The Sea) - YouTube Co-Production

 

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魚たちのある光景

2011年09月03日 | 日記

子どもの頃、休みの日になると、父が夕方からTVで笑点なんぞを見ながら、家族に先駆けて早めの晩酌を始めている、、
昭和の家庭にはどこにでもあった光景ではないでしょうか。

そしてなぜか酒の肴は太刀魚(タチウオ)の塩焼だったイメージがあるのです。
タチウオの塩焼きの上品な味は私も好物なのだが、
成長期の子どもたちの好み等々もあって、近ごろあまり口にしなくなった。

秋刀魚(さんま)も旨いが、太刀魚も夏から秋が旬。
鎌倉時代の武将、新田義貞が海に太刀を投げ入れたところ魚になったという伝説がある一方で、
太刀魚は " 立ち魚”でもある。
身体が長いんだから、無理に横に泳がなくても、
重力に任せてタテで居る方が楽でしょ、と言わんばかりの魚らしくないふるまい。
見ようによってはリッパである。
周囲の魚たちをものともしないその自然体さ加減は、コペルニクス的ですらある。

すこし話しが横滑りします。
私にはむかしダイビングをやっていた時期がある。
(衣をつけたムニエル待ちのようなこの写真は5年ほど前のものですが。)
しかし、このような太刀魚の姿を海で観たことはない。
刀のようにきらきら光る、カマスの大群に海中で遭遇して、当たったら痛いやろなー、というのはありますが。

もとへ。
太刀魚をたまには食べたいなぁ、と思っていたら、のどぐろがなんと破格の500円で一匹だけあったのです。(小さいけど)

刺身で食べる程度の肉厚の大きなものになると数千円はする高級魚の代表格、
そうそう食卓にのぼるものではないが、
小さいことだし、ビールの肴に今回は塩焼きにしてみよう、とあいなった。

昭和のお父さんではないので、自分の肴はたまには自分で作りましょー、である。
はらわたを取ったハラや、エラにもしっかり塩をすりこんで焼くのだ。

化粧塩までまぶしたのに、写真も撮り忘れたまま、よろこび勇んで食す。
( 撮り忘れたところで、家庭科と音楽は昔からなぜかだめで人様に見せるよなものでもないし、単なる塩焼だし。)

しかし、のどぐろはやっぱり刺身が一番なのではないか、との結論に達した。
白身魚のトロと呼ばれる、独特の濃厚な脂は、焼き魚より刺身で堪能したほうがよいと思う。
のどぐろ / 大阪はおいしい )  

さて、豹柄のテンプレートに変えたばかりなのに、ふさわしくない記事になってしまいますが、
続けて今度は、会津の料亭 田季野で食してから好物になった、にしん。

数の子は子どものときからの大好物だけど、にしんはあんまりパッとしたイメージを持っていませんでした。
身欠きにしんの魚版ビーフジャーキー的な味ってどうよ、って印象を持っていましたが、
美味しいのにあたると、あたりまえの話だが、見方が変わる。
なんのことだか分からないと思いますが、私的には、しば漬けと共通するものがある。

旬の春先でもないのに、外国産でなく北海道産の一夜干しにした数の子にしんを見つけた。
がるる。。(豹らしくなってきたぞ)

くりかえしますが、家庭科は苦手でした。

なんだか、私の手にかかると、器も泣いている。キャンプ料理風にしかみえないぞ。

台風が通り過ぎて、お天気雨。

ラブ・スコール  サンドラ・ホーン

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3チアーズ、3マスカラ、今度はおじさんへの声援を

2011年09月03日 | マスカラスあるいはゴルフィー

女子への3つの声援(3チアーズ)が ヒップ、ヒップ、ヒップなら
男子への3つの声援はマスカラ、マスカラ、マスカラである。

3枚目のMascaraのオークションに入札した。
あわせて、ブログの背景をひょう柄に変えてみた。 野生を取り戻せ。

届いたら、ピンナップでも作ってみるか。

マスカラス生誕45周年当時の記念プレート。奇しくもひょう柄。

 

 さて、前にも書いたが、エリック・クラプトンを帯同しての日本公演、大阪城ホールで観たジョージは実に恰好よかった。
渋くて、それでいて甘い声、期待以上で唸ってしまった思い出がある。

3Cheers!のあとは、Cheer downだ。
クールに抑えていこう。
これは、仕事で疲れて、年を取ったような気分になったおじさんへの声援だ。

GEORGE HARRISON &ERIC CLAPTON-LIVE IN JAPAN

I can see by your grin    /  にやりと笑っているけど
That you're trembling within / 心の中では怯えているんだろう
It's all over town, cheer down / うす笑いが街中を覆ってるけど、落ち着いていこう
And the smile on your face /  顔に浮かぶ微笑み
Is sometimes out of place  /  時としては それすらも場違いになってしまうものだ
Don't mind, no frowns, cheer down / 気にするな、 しかめっ面になる必要もない、浮つかずにいこう

If your hair should fall     /  髪の毛が抜け落ちたって
If your shares should crash /  取り分を失っても
You'll get by even without getting a rash /  焦らなければ そこそこやっていけるものだ
There's no tears to be shed / 涙を流すことはない
I'm gonna love you instead / 私は愛しているから 
I want you around, cheer down / 君にはそばにいてほしい, 上ずらないでいこう

When your teeth drop out / 歯が全部抜けてしまったら
You'll get by even without taking a bite /  噛むことをやめたら いいだけだろう
If your dog should be dead / 大事な飼い犬が死んでしまったら 
I'm gonna love you instead / 私がそのぶんまで愛そう
The world loves a clown, cheer down / 皆はひょうきん者が好きだけど、元気ぶる必要はないんだ

おじさんたちによる、ジョージのビートルズ時代の曲のカバー。
この大阪城ホールでの公演時のアレンジにも似た、
おじさんならではの「If I needed Someone (恋をするなら)」。

George Harrison - If I Needed Soneone -mikeCtv

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋

このブログの記事には、よくおじさんになっていく自分自身への励ましのようなこと、
あるいは老いさらばえることをいかに愉しみにできるか、ということのヒントを探す視点を持ちながら書いている。
(おばさん、にも当てはまる部分は多いと思うし、若くたって、誰にでも老いはさけられないものだ。)

僕にとって ― あるいはほかの誰にとってもおそらくそうなのだろうが、―
年を取るのはこれが生まれて初めての体験だし、そこで味わっている感情も、やはり初めて味わう感情なのだ。
以前に一度でも経験したことであれば、もう少しクリアにいろんなことが腑分けできるのだろうが、
なにしろ初めてのことなのでそんな簡単にはいかない。
ミックジャガーは45歳になってサティスファクションを歌っているくらいなら死んだ方がましだ、と若い時に言ったが、60歳をとっくに過ぎてもまだ歌い続けている。
若き日のミックジャガーには45歳になった自分の姿を想像することができなかったのだ。
そして、僕はその「想像もつかなかった」世界の中に身を置いて生きている。
そこにいる僕という人間が幸福なのか不幸なのか、自分でもうまく見分けがつかないけれど、
そこにあるものをあるがままに受け入れ、それとともにとりあえず生きていくしかないわけだ。
そしてそこには、ある種のおかしみのようなものが間違いなく存在するし、
それは考え方によってはまんざら捨てたものでもない、という気がする。

村上春樹氏のような、世間一般的には大成功をおさめていると言っていい作家先生にして、この言である。
老いというにはまだ早いが、45を過ぎて体力やさまざまな環境が右肩上がりばかりではなくなってゆく年代を、
どういう心持ちでもって、充実させて、愉しく過ごしてゆくか、
備えあればなんとやら、引き出しは沢山作っておいたほうがいいと思う。

コメント (2)
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