ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

もみじの気持ち

2010年11月28日 | 日記

今日は、カオリな気分で。

~ トーストにママレードをぬる母の手は白い。静脈が白く透けている。
  厚ぼったいステンドグラスごしに、遅い朝の日ざしが溢れかえっている。
  光は水のように自在で、食器の表面を滑ったかと思えば家具に吸い込まれ、
  同時にあちこちに存在し、微細な塵(ちり)や埃(ほこり)の一つずつにまで届く
  (江國 香織)

同時にあちこちに存在する、、、ブンガク的であると同時に量子力学的でもある。

リビングから見える柿の木あたり、秋の遅い朝の日ざしが溢れかえっている。

光は水のように自在である。

葉を落とした街路樹を歩く別の佳織さん、光に溢れかえっている。

Kaori Muraji - Juin

~ 「ある人の価値は、その人がどれくらい自分自身から解放されているかということによって決まる。」(アインシュタイン)
   アインシュタインの意中にあったのは、「私」という立場の特別性は認めた上で、
   世界の中の様々な他者と行き交うために、思想的な工夫を凝らすということであったはずだ。
   リンゴなんて何だか知らないけれど、勝手に木から落ちるんだろう、と思っているうちは、それ以上の思考には発展しない。
   ニュートンはいわば「リンゴの気持ち」になって、
   「どうして私は木から落ちなければならないのか」と想像してみたからこそ、万有引力の法則を発見した。

   相手が人間であっても同じことである。
   道をとぼとぼ歩くお婆さん、人生に疲れた中年男、派手な服を着た若い女、、
   それぞれ勝手に生きてるんだろうと片付けてしまうんではなく、
   その来し方行く末を、その立場に自分を置いて想像してみる関心があってこそ見えてくることがある。
   科学における客観性は、ともすれば冷たいものと考えられがちだが、
   自分自身から解放されるための思想的な工夫の一つである。( 茂木健一郎 )

来し方行く末を想像する視点、
All the lonely people , where do they all come from,
All the Lonely people, where do they all belong, 
エリナー リグビーみたいだ。   

邪悪な私にはむずかしそうだが、カオリの気持ちになって、リンゴではなく、もみじの気持ちを考えてみた。

もっと光を。

  

 

3週続けて飽きもせず、週末の秋散歩をする妻と夫。

もみじ園のおじさんによると、この辺りは、ハヤブサが飛び、夜になると フクロウまでいるらしい。

( ↓ ) 舞っているのは枯葉。 ( ハヤブサではない。) 万有引力の法則は発見できそうにない。

( ↓ ) もみじ葉に映る揺れあう影に思いを至す妻、着眼点がすばらしい

    風に揺れる葉っぱと影、写真撮影も居合いのようになる。
    葉っぱと呼吸を合わせないと、影を捉えることができない。

 

龍の魂 〆

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コイと冬のカプセル

2010年11月27日 | 日記

やったぁ、鯉と鰻のまるます家に行ったぞ。
(朝の9時からやってるけど、夜も9時に終わってしまうので、都内勤務だとなかなか行けない。)

お薦めはなんですか、って聞いたら、みんな美味しいよ、と自信満々のおばさん。

隣でひとり呑みしてる常連ぽいおじさんが、鯖の味噌煮が旨いよ、というので、まずはそれを注文。たしかにいい味付け。

で、やっぱり、看板料理を食べなきゃってことで、、

鯉の刺身って初めてかも。生姜とにんにく醤油のつけだれは馬刺しのやつみたい。シソの実を添えて。
臭みもなく、旨かった、オドロキ。

  

おっ、ここはすっぽん鍋も名物なのか。今度食べてみたいな。

今度は鯉の洗いを、酢味噌でいただく。鯉って鯉こくとかのイメージしかなかったけど、新鮮だとこんなにあっさりして旨いものなのか。

 

反対隣で、たぶん鰻の柳川鍋風の卵で閉じたのをはふはふ食べてるの見たら、食べたくなった。

鰻の店だけど、珍し物好きの私は、どじょうの方をチョイス。

そう、ここはまだ1軒目なのでした。この後、行ったモツの店、名前忘れた。(-_-メ)

店内いっぱいで店の軒先でストーブと七輪で暖をとりながら。
それでも寒がる私に、首元に巻くストールを差し出してくれたりして心も温まる。

だがしかし、金曜日の晩、ただでは帰らないツレと、またもカプセルに泊まるの巻。

朝起きて、ひと風呂浴びたら、朝からまた呑む。

こういう非日常もわるくない、、、

       

身長177cm、体重77kg、 なんか縁起のよい身体だ。

 

風邪には気をつけてお過ごしください。<(_ _)>

今週は、月曜から昔の職場の大阪の同期と日本橋で呑んで、
来週は、ゴルフサークルの忘年会もある。

ほんとは、こういう休日の朝は、プールにでも行って、体しぼりたいんだけど、
アルコール入ってて車乗れないので、天気いいけど、ブログを書いております。

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近代からこぼれ落ちた感情 ~ Oh my love

2010年11月26日 | 読書ノート

ブログに暗いことを書くと嫌われる、という話をきいた。

茂木健一郎氏の言葉を思い出した。

" 現代社会の中で許容される人間の感情の幅は、どんどん狭くなっていっている。
  考えてみると恐ろしい。
 私たちは近代からこぼれ落ちてしまった感情を、一体どうすればよいのだろう。"

キャラ立て、とかいう言葉も聞きますが、処世の技術としてならいいけど、ひとはマンガでもない。

欲望する脳 (集英社新書 418G)
茂木 健一郎
集英社

進化論的に見た適応性が直ちに明らかではない感情は、
近代から現代にかけての社会では どちらかと言えば疎外されてきた存在でもある。
NY株式市場について考えることは現代生活を営むうえで適応的かもしれないが、
宇宙の果てしなさを前に畏敬の念に震えることが適応的であるとは限らない。
むしろ、役立たずの夢想家として軽んじられるか、
もっと現実的になれよと言われるのが関の山かもしれない。

先祖を敬う気持、神を畏れる感情、決して到達できない遥か彼方を思う心、
このような「無限」や「不可能」に対する感情のはたらきは、
脳のはたらきの中で、これらの感情が無視できない地位を占めることは疑いようのない事実であるのにもかかわらず、
実際的であることを尊び、具体的な選択に落とすことを旨とする、現代社会の中で軽んじられている。

経済学や科学といった実際的で、実証を重んずる知の体系が現代のメルクマールになっており、
そのような「あまりに人間的な感情」は、芸術的な分野において扱われることになる。

自分自身そうだと思う。
日常生活では、どちらかといえば、現実的で実際的なものを優先しがちである。
ところが近頃は、効率優先、実学優先、で来たけど そればかりではないなぁ、と感じることも多い。

大人は、仕事場、家庭、飲み屋、クラブ、それぞれの社会的文脈(場の空気)、自分が置かれた文脈を引き受ける多重文脈者である。
しかし、大人は時に文脈に過度に縛られ過ぎてしまう。
国宝や美術品、ブランド、といった文脈を離れて、
朝露や何気ない青空や、行き交う人々の笑顔、あらゆるところに美が溢れていることは世界の真実であるはずだが、うかつにもそのことを忘れてしまう。
子供が優れているのは、既に多くの文脈を積み重ねた大人よりも、比較的文脈から自由であること。

" 否定的な感情を消し去りさえすればよい、というのは、行き過ぎた「衛生思想」ではないのか
  むしろ、肯定的な感情は、否定的な感情があるからこそ健全に育まれるのではないか。"

孔子の「七十従心」は、聖人の心にも立ち上がるよこしまな心を一掃する感情の抗菌作用によって実現されるものではなく、
正の感情も負の感情も引き受ける、人間的な猥雑さのなかから生まれてくるものでないのか。
それは泥の栄養をたっぷりと吸い取って咲く蓮の花の美しさであって、
それを無視した、明るいだけの全面的なポジティヴ・シンキングはうさんくさい。
強迫的な無菌状態を求める衝動に駆られた、単なる文脈依存症である。

( ↓ ) あらゆるところに美が溢れている。問題は意識に上げて見るかどうかなのだ、きっと。
    エンディングの、こぼれ落ちるように聞こえるピアノの音がよい。

john lennon- Oh My Love Digital Remaster (2000)


Oh my love for the first time in my life,  My eyes are wide open,
Oh my lover for the first time in my life,  My eyes can see,
I see the wind,  Oh I see the trees,  Everything is clear in my heart,
I see the clouds, Oh I see the sky,   Everything is clear in our world,

Oh my love for the first time in my life,  My mind is wide open,
oh my lover for the first time in my life,   My mind can feel,
I feel the sorrow,  Oh I feel dreams,  Everything is clear in my heart,
I feel life,        Oh I feel love,    Everything is clear in our world.

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ヘイリーの歌声

2010年11月24日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

先日、ゴルフに向かう車中で、ツレが " いいなぁ、これ"って気に入ってたのがこの曲。
男心をくすぐるなぁ、これ。

高音なんだけど、声をはりあげるわけでもなく、はかなく歌い流れていくようなニュアンス、
心のひだに優しくしっとり寄り添ってくるような艶やかなヘイリーの歌声。
暗闇で苦しんでないで、淋しさはシェアするからラクになって、みたいな気持ちになるから不思議。

最近PCでもヘッドフォンで音楽を聴くようになったら、
低音の厚みとか、弦の音が鮮明に聞こえてきて、ますますこの曲気に入った。

Hayley Westenra - Beat of Your Heart


曲でいうと、これ(かのジュージ・マーティンが曲を提供しています)と
never say goodbye(ラヴェルの「亡き王女のためパヴァーヌ」が原曲)がお気に入りでした。

( ↓ )これからの季節にピッタリないいのを見つけたので併せてクリップ。

   ヴィヴァルディの四季と言えば、日本では圧倒的に"春"が有名ですが、
   私はむしろ、"冬"のラルゴの方が好み。
   昨冬、いいのを見つけてアップしたのですが、残念ながら削除されていました。

    クラシック・バージョンではないヘイリー版で。


Hayley Westenra - River of Dreams (adapted from "Winter")

< 初稿 2009/4/27 >

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11月23日は紅葉(もみじ)の日

2010年11月23日 | 日記

11月23日は、「いい夫妻の日」ということになっているらしい。

先週は盛りの一歩手前だったかなぁ、と朝から用事を済ませて、また近くのabbey roadへ。

 

このもみじ園、毎年紅葉の盛りの11月23日には、饅頭や甘酒、とん汁などを出してくれるそうです。

11月23日は、このような眼にも胃袋にも美味しい思いが味わえるのか。

 これからは11月23日を「紅葉(もみじ)の日」にしよう。 

( ↓ ) こんな旨い田楽を食べたのははじめて。
     レシピをちゃんと聞いて帰ってきました。

 

     味噌100 酒3/4カップ、砂糖80g、みりんは照りづけ程度に少々。
     味噌は「久」(かくきゅう)という八丁味噌を使っているとのこと。
         こんにゃくも硬派、というかフニャフニャせず、身の締まった感じが田楽らしくてよい。

春の花の頃も大好きで、本ブログにも多々写真をアップしましたが、この辺りは秋の紅葉の頃も実に見事。

近くにこのような壮麗な自然がある、幸せ。

田園調布ならぬ、森林調布、とでもネーミングしたくなる。

訪れていたおばちゃん達も、こないだ行った日光の紅葉より凄いね~、と感心していました。

( ↓ ) 京都の紅葉にも勝るとも劣らぬ見事な景観である。

 

燃えるような輝き。。

枝垂れモミジの中に身を隠すとなぜか安心する。

 

 

( ↓ )写真多すぎたので、スライドショーに集めました。
   先週から僅か一週間で、季節が一層深まったのがよく分っておもしろい。

近くに美しい紅葉がある幸せ
 

 

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[2010年11月/ 下仁田カントリークラブ]

2010年11月20日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

あらら、18H パーが来ないまま、終わってしまった。。

ゴルフ・コミュニティの公式コンペに参加してきましたが、このところの悪い面がすべて出たようなラウンド。

特に後半のアウトコース、なんとか48で堪えたものの、
180Y 強の3番Par3でピン傍2mくらいにワンオンしたのに、3パットのボギーとした辺りから、
パーチャンスをことごとく逃し、ひたすらボギーを重ねます。
パッティングはことごとくカップをかすめ、あげく50cmのパットさえ2回も外す始末。。

おまけにショットもさえず、アイアンもアプローチもトップ気味、
ドライバーまでチョロが出たりして、押し返すチカラを発揮できずに、ジレンマだらけのラウンドで終了しました。
(右肩と頭を残すイシキが足りなかったかなぁ、と思ってみたり。。)

しかし、多く語るようなことはありません。。

上手いひとは上手い。下手くそは下手くそ。

ツレも言っておりました。

" 上手いひとはいつも綺麗におんなじようにスイングしてるから大崩れしない。"

それに比べ、調子が上ずってると、修正がすぐできない自分は、
まだまだスイングが固まってないのでしょう。
調子が上ずっている時こそ、本当の力がついているかどうかがわかるように思います。

修正がすぐにできるように、もっと修正ポイントを絞りこんでいかなくちゃ。。

ゴルフの修練は、いろんなことにも繋がるのだ、と言い聞かせて、
再現性の高い、(技術も、気持ちも)高いレベルで安定したパフォーマンスを発揮できること、を目標に取り組みを続けていきましょ。

ただ、写真を撮ってないのが残念ですが、秋晴れの好天候に恵まれた今日は、
澄んだ空気の中の紅葉や黄葉がキレイでした。
綺麗に刈り取られたグリーン周りの赤っぽい枯れ芝までも美しかった。

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[2010年11月/朝霞パブリックゴルフ場]

2010年11月20日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

センセイと手近なコースでラウンドしてきました。
最初は少し戸惑う感じがありましたが、はじめて会った気がしないね~、の一言でぐっと気分が楽になりました。

結果は54/53の107。ヘボ過ぎます。。しかも、パーがひとつもこない。

ドライバー~ショットは球が真っすぐいってるのですが、アプローチとパットがまとまらない。。

この悪い傾向はこのところ、しばらく続いております。。
パーチャンスはいくつもあったはずなのに、18hでパーが一つもないってどういうこと...。(-"-)

センセイにもショットはいいのにねー、と言われたのですが、
いかんせん、ショートゲームが冴えない。

ほんと、最近、ゴルフって自分には向いていないスポーツなのでは、と思ってしまう。
ドライバーやショットでチャンスメークできてるのに、いかんせんスコアとして結実してこない。

私は、生来、イージーで大雑把なところがあって、詰めがアマい、というかシビアさに欠ける面がある。
きっちり1ホール、1ラウンドを、一貫していいリズムで通す、ということが不得手なのでは、とよく思います。(-_-)
気持をうまく高めていかないと、集中力を欠いたショットやパットをしがち。

センセイの丁寧なプレーぶりを見習いたいものですが、
間もなくアップするNext Roundでもこの傾向は続きます。

冬場にかけて、昨年同様、スランプにならなければいいのですが。。

興が乗って、冬場で日が短くなってきてますが、追加ハーフ。
しかも、むかい風のなか、センセイ、タフです。

で、パーもとれなかったのに、いきなりバーディーパットが決まりました。イメージが湧いてきて、ようやく集中力が湧いてきた感じ。(遅そ...)

パー5でも2打目でGエッジまで運び、2mくらいのフックラインを沈めてバーディー。
パッティングのフィーリングも出てきたぞ。

その後、むかい風の中、スコアを伸ばせずに45で終了しましたが、少し停滞気味だったフィーリングが戻ってきた感じ。

センセイ、お心尽くしのラウンドをありがとうございました。

(でも、この後のラウンド、またヘボりました。)(-_-メ)

似てるかなぁ ~ ヘ?(・・?

都道府県覚え歌

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ジョージ・ハリスン ~ The Inner Light

2010年11月14日 | お気に入り♪(ビートリー)

ヨガや瞑想を通して、立ち昇る意識のクオリア(質感)。

一リットルの脳髄内の活動によって生み出されているにもかかわらず、
無限定な世界へと向かい得る人間の意識。

世界中を飛び回っていると錯覚しつつも
実は狭い脳髄を一瞬たりとも離れない脳内現象としてこの世界にある人間の意識。

The Beatles *Inner Light* Indian Love Story

< 初稿 2009/5/20 >

静かなるビートル、とも呼ばれたジョージ・ハリスン。

このthe inner lightはとても地味な扱いを受けてるナンバーですが、
僕は大好きな曲です。
うまく表現するのは難しいですが、
夕映えの穏やかな空に、風や雲が溶け込んでいくような不思議な浮遊感を感じます。
ポールもいつだったか、”聴いてごらんよ。とても美しい曲だよ”と讃えていました。

音楽CDに関しては、海賊版というものを著作権の関係で目にすることが殆ど無くなりましたが、
You Tubeを見ていると、alternative mixやremixのバージョンが溢れていて、
中にはこれはいい!と唸ってしまうようなものがあります。
このthe Inner lightにも唸ってしまいました。

(オリジナルがさほど有名でないので、どこが?という人が多いと思います。
 ジョージはnowegian wood(http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/40db5e05c3fd056e91d47dc37331fdb6
 のバックで、初めてロックにインドのシタールという楽器を取り入れたのですが、この画像で一緒に写っているのが、ジョージの友人でありシタール奏者の第一人者であったラヴィ・シャンカール氏です。)

いまでこそワールド・ミュージック系の音楽が当たり前になっていますが、
オリジナルは数十年早過ぎた感じがあってもったいない気がします。

The Beatles - The Inner Light - Remix


もひとつ、エリック・クラプトンのギターなんかが入るオリジナル完成前の
アコースティックな"While My Guitar Gently Weeps"を。
(このバージョンは、アンソロジーなんかで公式発売されてしまってますが、
初めて聞いた時は、(かなり寂しい感じはしますが)こっちの方が原曲の美しさがそのまんま、でいいと感じたものです。

"While My Guitar Gently Weeps" George Harrison Lyrics Chords


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若冲の雀 ~ 一リットルの脳髄

2010年11月14日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

秋らしい爽やかな空のような村治佳織さんの曲を。

Kaori Muraji - Le ciel~空~

茂木健一郎氏が、江戸時代の画家、伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)の動植綵絵(どうぶつさいえ)について語っているくだりが印象的でした。

(↓)このをまとった孔雀なんかは、いまの感覚に合っててウケそうに思える。

鶏や雀、カエルや昆虫に至るまで生きとし生けるものへの慈しみの視線、
茂木氏は、「秋塘(しゅうとう)群雀図」が一番好きだといいます。

何故か一羽だけ白いスズメがいる。

敢えて一匹を白い雀にした。その趣向の中に、私は若冲の温かくそして厳しい現実の認識を感じる。
そもそも意識を持ってしまった以上、私たちは群雀の中の一羽の白い雀であるしかない。
選ばれしものであると同時に差別される側でもある。
白い雀が生きる上でやっかいなことは様々あろうに、そんなことを露とも感じさせないで無心のままに一緒に群れ飛んでいる。その姿に私は深く感動するのである。
誰にとっても、自分とは世界の中で特別な存在である。たとえ、群衆の中に紛れ込んでしまえば一つの粒に過ぎないということはわかっていても、あたかも自分を中心に世界があるように思いこんでしまうことを避けられない。欲望を持った存在として、自らの幸福をなによりも強く思わざるをえない。
「秋塘(しゅうとう)群雀図」は私たちの煩悩の有り様を描き、そして恐らくはゆるやかな形で肯定してくれてもいる。

一枚の絵から、そのようなことを知覚する茂木氏の洞察力や感受性も深い。


意識の中で志向されるものは、それが一リットルの脳髄内の活動によって生み出されているにもかかわらず、無限定な世界へと向かい得る。
人の意識は世界中を飛び回っていると錯覚しつつも実は狭い脳髄を一瞬たりとも離れない脳内現象としてこの世界にある。

Without going out of your door, you can know the ways of heaven、
まるで、ジョージ ハリスンのThe Inner Lightみたいだ。
( 動画削除されてたので、別のやつをアップしなおしました。)

禅僧の座禅の姿は、世界に対するコミュニケーションの拒絶ではなく、内なる宇宙に全開されたチャネルを示す。
世知に長けている大人たちからニートだフリーターだと片付けられる若者たちの中にも、自らの内面を見つめることで広い世界に到達するたくましい輩もいる。
単なる偏屈と、世界に開かれた慈愛精神の分かれ目はどこにあるのか?
魂のほんの小さな差異が大きな違いにつながるのではないか?

若冲の描く虫たちは ぎゅっと縮んだバネを秘めたような忘れ難い姿をしている。
『狭くてやりきれない自己の内に立て篭もる、やっかいな歓び』を知らない人に対し、世界はその秘密を解き明かしてはくれない。
「七十従心」のような孔子の境地は、孔子が意識を持ち、時には悩む存在であったと信じるからこそ私たちの心に響く。もし、「孔子」が「倫理機械」だったとしたら、私たちに同じような感銘を与えることはできなかったろう。

人間の身体組成の50-70%は水からできている。
私たちは身体が固体であるというイメージを抱きがちだが、
実際には皮膚という膜を剥がしてしまうと私たちの身体は形を成さなくなってしまう。
意識もこれまた、一リットルの脳髄、水、であったか。

身体や意識を、流れる水というクオリア(質感)でとらえると、実は生物学的には自然なのかもしれない。

おぉ、やっぱり、意識の中に三匹の龍を飼うというのは、あながち的外れなイメージでもなかったのだ。
龍は水生生物だと考えられていますから。

ドラゴンへの道は続く。

欲望する脳 (集英社新書 418G)
茂木 健一郎
集英社
龍の起源
荒川 紘
紀伊國屋書店

龍 〆

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紅葉(もみじ)する ~ 黄金のまどろみ

2010年11月14日 | 日記

藤に続いては、春にユニークな花を咲かせていたマロニエも葉を落とそうとしています。(写真左)

右手の樹形も鮮やかなオレンジはカツラの木。葉っぱがハート形なので見分けやすい。

春に見つけたラ・サグラダ・ファミリアのそびえるモミジ園の様子を見に行ってきました。

 

 来週末頃が最盛期かな、ここの紅葉。 近くにきれいな自然がある幸せ。

ひとくちにモミジやカエデっていっても、黄色~ オレンジ~赤 ~深紅、とグラデーションがあり、葉の形にも特徴がある。
カナダはケベックの紅葉なんかも凄いと思いますが、欧米の紅葉に比べて日本の紅葉は葉色のグラデーションが豊か、らしい。

(↓)よく分っていなかった、モミジとカエデの区別。

~ 「かえで」の語源は葉の形が蛙の手に似ていることに由来し、万葉集では「もみじ」と共に「かえるで」の表現があります。植物分類上はカエデ科カエデ属に属する樹木で、この中にイロハモミジ、ヤマモミジ、イタヤカエデ、ハウチワカエデなどがありますが、ヒトツバカエデ、ミツデカエデ、メグスリノキなど蛙の手とは似ていない種類も含まれています。

 「もみじ」は、「紅葉(もみじ)する(「黄葉する」とも書く)。」すなわち、カエデ科の樹木の他にツタ、ヤマウルシ、サクラ類、イチョウ、ブナなども含めて、秋に葉が赤や黄色に変色する現象に由来しており、植物分類上の言葉ではありません。一般にはたくさんの紅葉する木を代表してカエデ属が「もみじ」と呼ばれています。

 このように、カエデとモミジはならべて区別する言葉ではありません。童謡「もみじ」の一節~松をいろどる楓や蔦は山のふもとの裾模様~、が良くこのことを表現しています。

 ところが、盆栽関係ではこれを区別して使っています。イロハモミジのように葉の切れ込みが五つ以上のカエデ属だけをモミジと呼び、その他のカエデ属をカエデと呼んでいます。

モミジのトンネル風。

こうして、枝垂れさせてナチュラルに伸ばすとオシャレな感じ。秋の趣きが一層感じられる。

しばし、ブログのアイコンのジョン レノン風な気分になる。

ここ、夕刻にかけて日の光がもっと射しこむと、えもいわれぬ光景に出会えそうです。
西日に照らされた紅葉は美しい、と言われますが、方角を計算して作られているかのよう。

今日は曇天でしたが、暮れなずむ夕日を追いかけてみました。

曇っていても、このfoggyな感じもいいなぁ。

90年代以降のコンサートでは定番の演目になっている、Abbey roadのエンディングのメドレー。
" And in the end, the love you take is equal to the love you make "、
loveを歌ったビートルズが最後のレコーディングのラストで残したメッセージ。

式で書くと、the love you take = the love you make となる。(式にしなくてもわかるか。)
結局はそういうことなんですな、と悟る。

(↓) いつものロック・コンサートではシンセサイザーで演っているから、
   オーケストラを従えての演奏は珍しい。

Golden Slumbers - Carry That Weight - The End

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秋のフジ

2010年11月13日 | 日記

秋も深まり、藤棚もすっかり秋模様。

枝豆と糸瓜(へちま)のあいの子みたいなのが、ぶらんぶらんしてて、なかなか壮観である。

( ↓ )フジとかけて、富士ととく。
   葛飾北斎の富嶽三十六景。36というのはゴルファーにとって縁起のよい数字。

   ご利益がありますように。
   (練習レンジに行ったら、パーマーズ・ロックのパターは冴えていましたが、ドライバーがまた暴れ出した。)

   音楽は何も表記がなかったけど、たぶん、上妻宏光(あがつま ひろみつ)さんだと思う。
     三味線がピアノと絡むとこんなにモダンになるのか、と驚いたことがあります。

Ukiyo-e: World of Hokusai -- HD version --

( ↓ )これ、粋です。
    浮世絵の中の銀幕のスター、息遣いまで聞こえてくるよう。
   

 

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君はいずこへ

2010年11月11日 | お気に入り♪(ビートリー)

ブログに書いてるよなことは、内容にもよりますが、ダイレクトに普段の会話の中であんまり喋ったりはしない。
だって、少しヘンでしょ、生命哲学や時空や、好きな音楽や詞についてばかり日常生活で喋ってるって。
(ゴルフに関しても当然だれかれ構わずに熱心に話すことはしない、相手を選びますし。)
普段は仕事してるし、家族もいるし、日常生活的にはいくらでも他に話すことがある。

ジョン レノンがアスコットの自宅の庭に紛れこんできた熱心なヒッピー風の若者に向かって、
" 歌をきいて、オレのことを分かったなんて思うな。
 オレが普段、話してるのは、今日はいい天気だな、とか、今日は快便だった、とかそんなことだ。
 夢にだけ生きてるようでは おしまいだ。"
 みたいなことを諭すように語っているシーンを観たことがあります。
(その後、さぁ中に入れ、と言って汚い格好の(だけど眼のキレイな)若者に、温かいミルクか何かをふるまうのです。 涙。)

でも、日常生活を送っているだけでは、思いを至さない所って沢山あると思うのです。
そういうところを掘り下げたり、書き留めたりしながら、
こんなことを考えていたのか、って自分で自分のココロや考えの輪郭のようなものに気づくこともしばしば。

以前何度か取り上げた吉本隆明さんに眼を開かされた言葉があります。

わたしはふと気がついた。
じぶんの周囲には、あまり じぶんの同類はみつからないのに、
書物のなかにはたくさんの同類がみつけられるというのはなぜだろうか。
ひとつの答えは、書物の書き手になった人間は、じぶんと同じように周囲に同類はみつからず、
また喋言ることでは他者に通じないという思いに悩まされた人たちではないのだろうか、ということである。

もうひとつの答えは、
じぶんの周囲にいる人たちもみな、じつは喋言ることでは他者と疎通しない、という思いに悩まされているのではないか。
ただ、外からはそう視えないだけではないのか
、ということである。

後者の答えに思いいたったとき、わたしは、はっとした。
わたしもまた、周囲の人たちからみると思いの通じない人間に視えているにちがいない。
うかつにも、わたしはこの時期にはじめて、じぶんの姿をじぶんの外で視るとどう視えるか、を知った。
わたしはわたしが判ったとおもった。
もっとおおげさにいうと、人間が判ったような気がした。

ブログに書くことは、普段あんまり表明することの少ない、それでいて、自分の頭をよぎっている、
どちらかというと私秘的な思いやアイデア、なんかがどうしても中心になってしまう。
誰にだって、そういう別世界のような小宇宙のようなモノがあると思う。


日常生活とはちょっと離れた隠れ家で独り、自由に思いつくまま好きな話しを書き下ろしているような感じ。

~ 現実は、私たちの生存を支える不可欠な条件である。
  しかし、仮想が現実に比べて劣るというのでは決してない。
  モーツァルトやアインシュタインといった創造的な天才の中では、
  むしろ仮想が現実よりも魂に近かったのではないか。( 茂木 健一郎)


それだけに、あんまり通じないかもな、って話が通じたひとが、居なくなるって淋しいものです。それも突然に。どして!?

ビートルズはもはや私にとっては単なるLove songではない。
Loveってのが、愛すべきもの、もっと広義なものになっている。

 Love has a nasty habit of disappearing over night、
~ 空虚な無常観をサラりと調べに乗せた名フレーズだと思う。 

 Beatles Song lyrics slide show: I'm Looking Through You

(↓)この曲のTake1、映像もいいけど、
   生ギターが緩やかなテンポで絡まるところとか、穏やかな木漏れ日のきらめきのようで極上の美しさ。

The Beatles - I'm Looking Through You (Take 1)

 

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Carla Etude ~ 宇宙より

2010年11月10日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

なかなか記事にできませぬが、宇宙の暗黒エネルギーや暗黒物質(ダーク・マター)についても近々アップ予定。
( 宇宙と素粒子の本を読み終えたら、今度は釈迦と脳科学についての本を読み始めてしまいました。
  プロジェクト・マネジメントの研修も受けています。
 いまや、会社のプロジェクトも大がかりなものになると、NASAやペンタゴンのプロジェクト管理手法が導入されている。
 クリントン政権時代に副大統領のアル・ゴアが国家プロジェクトのマネジメント手法として採用していた指標なんかもあって、なかなか面白いところもあります。

  思えば、約20年前ゴルバチョフ - レーガン時代に米ソ冷戦が終結して、
 それまで極秘だった軍事技術が民間に導入されるようになった。
 インターネットもそうだし、Suica等のICカードや通信の暗号化に採用されているRSAなどの暗号化技術だってそう。
   冷戦終結が無かったら、世界は今とは随分様子が違っていただろうと思う。
  Web2.0も未だ到来せず、ブログもない私は新年に日記を買っては3日ともたずに何処かに放置している生活を送っていたに違いない。
) 

Elton John - Carla Etude

イスカンダル星ではなく この地球上に、イダルツと呼ばれる人類の祖先がいたそうです。

( ↓ ) いま聴くと、結構笑える歌詞だったりする、、オトコってやつは、、、。

【MAD】宇宙戦艦ヤマト・ 真っ赤なスカーフSpacebattleshipYAMATO

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ゴルフヨガ・メソッドとカブレラ打法

2010年11月10日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

ゴルフでのちょっとした待ち時間をうまく有効活用できるとよい。

前の組に待たされて、リズムがくるっちゃうなぁ、って時に、
逆にそういった時間を使ってリズムを整える引き出しを持っておく。

いらいら不要、いいわけ不要、リズムは自分でコントロールする。

ゴルフヨガ・メソッド

パワフルながら、軌道を正確になぞるようなマグワイア打法、もいいけど、
カブレラ打法もドライバーのスイングの参考になる点が多い。

その1 アドレスで上体を起こして背筋を覚醒させている。上のゴルフヨガ・メソッドにも通じる動き。

その2 「右、腕、返し」「リッキーファウラーのイメージ」にも似た右手の返し方。
         " インパクトで右手が上 "になり、右手がフォローにかけてスーっと伸びていく。
      左肩がイカらず、水平に保ったままフォローでキレイに抜けていくスイングなんかは特に参考になる。

      背筋を覚醒する" 大人(たいじん) 構え "の動きのせいか、大振りの印象がありますが、
      よく見ると いわゆるビジネスゾーンは意外にコンパクト。
      身体の中心にバットを引きつけて、パワーロスなくボールを厚く捕えている。
  
      右足軸がしっかりしているので、インパクトでの体の開きもない。

プロ野球 西武ライオンズ『アレックス・カブレラの2006年HR集』

( ↓ )何度か記事にしてきたけど、やっぱりコレがあってる。

 

(↓) 肩甲骨や足の付け根のストレッチ、
   バレエの動きにも通じるこのしなやかな動き、ゴルフ場ではできにくいけど、
   週末のストレッチ&エクササイズに限らず、お手本にしたい。

 山本邦子先生のヨガ、ゴルフにも効くらしい。

週末だけではなく、
④や⑥あたりのポーズ、毎日 ちょっとした隙間時間を見つけて習慣化できると、しなやかで強靭な体幹造りがすすむかも。 

龍のゴルフ 〆 

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体幹のホームベースを持った龍になれ

2010年11月09日 | 養生訓

心身のパフォーマンスを高める。

修正箇所を少なくして、安定したパフォーマンスを得る。

胆力を鍛える、ハラをつくれ、などと言われますが、日常のなかで出来ることはなにか。



ゴルフのパッティングで気づいたパーマーズ・ロックのいいところは、修正箇所を絞れること

ならば… 心身のパフォーマンスを高めるうえで、ハラも意識するポイントを明確にしてはどうか。

( ↓ ) 著者が" 体幹のホームベース "と呼んでいるのがこれ。
       歩くときに、このホームベースを地面に垂直にすると自然と姿勢がよくなるそう。
    胸を張ると肋骨の10番(ホームベースの上の両角部分)が前に突き出てしまうので、
    胸を張るというよりも 背中や肩の力を抜いて、
      " 身体を上に細く引き上げるイメージ " がいいらしい

   「丹田」というとポイントが小さすぎるが、これくらい大きいとわかりやすいような気がする。
    昔どこかの野球選手がバッターボックスに入ったら、ホームベースの隅にバットを当てて確認してました。
    同じように手でさわって確認すると意識が向くような気がします。

   ドローイン・メソッドにも相通じる。
       身体意識における『制空権』と『膜』の概念

        30秒ドローイン/腹を凹ます最強メソッド

    週末にプールでストレッチ&ストレンクスをするときに ヨガみたいなポーズを取り入れたりしていますが、
    もっと日常のなか~通勤電車とか歩いている時とか~で意識できれば効果があると思います。
    油断すると、たるみやすくなったような気もするし。

  首廻りのリンパの流れにも気をつけたい。  

慢性疲労は首で治せる! (角川oneテーマ21)
松井 孝嘉
角川グループパブリッシング

( ↓ )これ、ききそう。
    食べ過ぎや飲みすぎで、首が廻らないような気がする時ってのは、
    きっとリンパが上手く流れずにうっ血したような状態になっているんだと思う。

3分で小顔になるフェイシャルマッサージのやり方-3min Face Massage therapy 1/7

作家の五木木寛之氏が養生訓みたいな本を出されてました。
このような戯れ言でもカテゴリー分けして整理していけば、自分に合った養生訓として役に立つかもしれない。

アンチエイジング万歳。

抗加齢、年齢に抗う(あらがう)、というのはナチュラルな感じがしないなぁと思うことも多かったのですが、
人間は抗って(あらがって)なんぼ、なのかもしれぬ。

10数年前、八ヶ岳に住まう柳生博さんの本にあった言葉に、なるほどと頷いたことがあります。

人の手の入ってない自然というのは荒れ放題でただの原野になってしまう。
人が暮らしやすく、自然と共生できる気持ちの良い雑木林というのは人の手が入っているもの、なのです。

ナチュラル、の意味を取り違えていた、と感じました。
のびのびした自然というと聞こえはいいが、
放任したままの自然は、
必ずしも人にとって気持ちのいい自然ではない。

人の手が入ればこそ、(言い方は悪いですが、ある意味"抗う(あらがう)"ことで)
自然や生命と上手に人は共生できるように思います。

体幹のホームベースを持った龍になれ。

龍 〆

 

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