これは私見かもしれないが、何時の間にか、身の周りからベートーベン的なものが少なくなっているような気がする。
苦悩を克服した先にある歓喜、のような物語性を持ったものは、重厚長大に過ぎて、コマーシャルになかなか乗らないのかもしれない。
私が子供だった1970年代には、ベートーベン的なものがもっと尊重され、巷に溢れていたような気がする。
スマートでないものを抱えたまんまの、めんどくさい人がもっと多かったような気がする。
大河ドラマ「八重の桜」の音楽を手がけているのは坂本龍一氏。
ドラマの要所々々で、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレ辺りを意識したのではないか、というような美メロが登場する。
(八重の桜 ~ 2013年の磔刑(たっけい))
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お茶の間に迎合しないという面において前衛的であり、意欲作であったがために、低視聴率に終わった前作の平清盛の音楽を手がけていた吉松隆氏のコメントが興味深い。
現代音楽というフォーマットではなく、心を打つ音楽として構成してくれたということに、″はじめて同時代の作曲家として嫉妬を感じた″。
この佐村河内守という方のドキュメンタリーをTVでやっていたのですが、 まるでベートーベンのようです。
聴覚を失うという音楽家にとって絶望的なほどの苦悩のクオリアの中にあってさえ、
" 僅か1%の晴れ間を押し広げ、99%だった曇天の世界を晴れ渡った美しいアルファの世界に変えていく " 、
そのような志向を持ったものに、共感を抱くようになった。 がん患いが私に与えてくれた恵みなのかもしれない。
4分過ぎから登場する豊穣な響き、魂を揺さぶる音楽。
交響曲第1番《HIROSHIMA》 / 佐村河内守
これもまた、「暗から明へのシンフォニー」。
チャイコフスキーの交響曲といえば「悲愴」の名前ばかりを聞くような気がしますが、5番シンフォニーの第2楽章にはチャイコフスキーのキャリアのなかでも特筆すべき美メロが2つも登場するといいます。あれほどのメロディメイカーはなかなかにいないくらいなのに。
チャイコフスキー:交響曲第5番 第2楽章/Tchaikovsky:Symphony No.5
ホルンがなぞる、ほの暗いトーン、
愛でているのはメロディというより、そこに立ち上がる空気そのもののような気がします。
私は肺患いの身となってしまいましたが、呼吸や身体のトーンを、慈しんでは撫で上げるようなのをクリップ。
たとえ、ほの暗かろうと美しい。
FBで知ったのだが、西洋音楽の歴史を一気に俯瞰できるような動画がありました。
ポールも敬愛するMonteverdi(モンテヴェルディ)、顧みられることは殆ど無いように思えるが、この動画の中では、バッハ以前の時代に確りした立ち位置に居たように思える。
(モンテヴェルディについて: 一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。)
5万年におよぶ音楽の歴史を7分で見渡せる動画
音楽は勉強するようなものではないようにも思えるが、新しいアプローチや視点を与える助けとしては面白かったりする。