ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

思考の整理学 / 外山滋比古(とやましげひこ)

2009年09月30日 | 読書ノート
思考の整理学 (ちくま文庫)
外山 滋比古
筑摩書房

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なんでも、東大・京大生に2008年にもっとも読まれた本、とのこと。
(昨日 南北線の中でこの本を読んでる学生とおぼしき人も見かけました。結構、さらっと読めてしまいます。)
この本、勝間和代さんや、勝間さんが影響を受けた神田昌典さんの本に登場するような、
"セレンディティピティ"、といった言葉とか、頭の使い方、に通じる話がいたるところに出てきます。
セレンディテイピティ、
(潜水艦の機関音をキャッチしようとして、偶然イルカの交信音をとらえたように、偶然に別の発見が導かれるような事象のこと。)
言いにくい独特の語感もあって、ちょっとオカルト的印象を抱きやすい言葉ですが、語源はセイロン性といったほどの意味らしい。
(セイロン国にいた、物を失くす名人が、失くしては探し、予期しないものを見つける名人でもあったという童話に由来するとのこと。)

例によって、いくつか抜き書き。
のちのちシンプルなスッキリ頭を確立するためにもこれは大切な修行。( ..)φ

○ 夜考えることと、朝考えることは、同じ人間でもかなり違っているのではないかということに何年か前に気づいた。
 考えてみると面白い問題である。

(↑)物事によっては、考える時間を選んで、それまであせらず寝かせることも必要。

○ 読書をして、感心するところ、違和感をいだくところ、こういうものを抜き書きしておくこと。
  これは、ビール作りに例えれば、素材、麦。
○ これに、別の場所(他の読書や雑談、TVなど)から、思いもかけないヒントやアイデアが出てくれば、
  ビールを発酵させる酵素になる。
○ そして、しばらく寝かせること。頭の中の醸造所で時間をかける。
  " 見つめるナベは煮えない"。熟したテーマは向こうからやってくる。
  発酵が始まれば、自然に頭の中で動きだし、見過ごすことはまずない。

(↑)寝かせることは単なる時間のばしではない。あわてない。

 ○ 「 発想 」というが、新しいことはそうそうない。
  すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。
  発想の母体は触媒である。
  発想の面白さは化合物であり、元素をつくり出すことではない。
  寝かせる、忘れる時間をつくる、ということも、主観や個性を抑えて、
  頭の中で自由な化合が起こる状態を準備することにほかならない。

(↑)以前 取り上げたピカソも、同じようなことを言ってました。

○ 思考の整理とは、重要なものを残し、他を廃棄するような量的処理のことではない。
  断片化した発想を、化合させ、立体的・質的な統合を行ない、普遍化されたメタ思考とすることである。

(↑)簡単にいうと、知識の寄せ集めではなく、自らが触媒となって、そこに何らかのバリューを加えるということなのですな。


この本では、アイデアを寝かせるための方法として、スクラップや手帖やノートの活用方法に言及しています。
その中で、様々なアイデアを分類(タグ付け)したり、
前後づけ(コンテクスト、文脈)による縛りから解放させるための、メタノートへの移植(別のノートへの書き移し)
といったテクニックを紹介しています。

しかし、ブログを活用すれば、、ここのところの手間ヒマは、大幅に簡素化されます。
マインドマップの如く、興味あるテーマを枝分かれさせていって、
タグ付けされた分かりやすい情報の引出しをこしらえて、リンクやカテゴリ分けを適宜施すことで、実現できます。
スクラップはスキャニングや画像データに変わり、ビジョンボードとして適宜統合化も可能。

勝間さんの著書にもありましたが、 
ブログは、単なる情報発信の手段以上のもの、グーテンベルク以来の大発明、だと思います。
活用しないと損。

○ 歴史家は現代に近づくことを恐れる。なぜ、一番よく分かっているはずの目前のことについて分からないのか?
  それは、それまでの考えや、周りが等しくかけている眼鏡が、
  一時的な流行や色眼鏡なのかどうか、看破するのが難しいから。

(↑) 同時並行で『騙される脳 ~ ブームはこうして発生する ~/ 米山公啓』を読んでますが、同様の指摘がありました。

○ われわれの現実に起こっているのは、具体的な問題である。
  これは、ひとつひとつ特殊な形をしているから、一見解決が困難に見える。
  しかし、自分の思考を整理し、一般的で普性の高いものにまとめて、
  自分だけの"ことわざ"みたいなものをコシラエテおく。
  すると簡単に処理できる問題も多いし、コシラエタものに照応してそれがますます強化される。

(↓)マインドマップ(まだ試したことありませんが。)やフォトリーディングについての対談。
   フォトリーディングとは、速読を目的とした読書法ではないのです。
   こうやって、気になるフレージングを探しながら読む、とういうこともフォトリーディングになっているのです。

 勝間和代&神田昌典セミナー「新時代のスピード情報編集法 その1」

(↓) 両氏に関係する、これまで書いたブログ記事を抜粋してみました。

・ 非常識な成功法則/神田昌典 http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/1149937da1a479b573d926d0e8b59f4a

・読書進化論/勝間和代 http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/8cd91ed10ab8ad9f75142a9580524b19

・ブログを使って仕組みをつくる http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/f6bbcec7d678073e4414d17a68ff7504

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歳には、勝てる / 鳥越俊太郎

2009年09月27日 | 読書ノート
歳には、勝てる
鳥越 俊太郎
マガジンハウス

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たまに、軽いエッセイが読みたくなります。
アマゾンで見たら、他にも著作があるので、これはたぶんお遊び、みたいなノリで出された本なのだと思います。
でも、ちょっとカッコいい、年上のジャーナリストの素顔みたいな感じがあって、存外こんなものかも、という親近感を持ちました。
(どうでもいいことが、真面目に、沢山書いてあります。でも、このどうでもいいこと、が大事なのですぞ。。)

◆ よく寝る前に「ひと風呂」とかいうけど、旅行しても絶対ありえない。

(↑) おんなじだ。(・。・; 朝のシャワーで済ますところも。
   そういえば、作家の五木寛之さん(なんか鳥越さんに風貌似てます)は、もっと上を行ってました。

◆ 肉体的な衰えとして真っ先に気づくのが、陰毛に白いものがまじること。
  最初に見つけるんだ。僕の場合、四十過ぎくらいだったかな。その次、鼻毛が白くなった。

(↑)(゜o゜) 何言ってるんだこの人は。。
   でも、そういうものなのか、ふむふむ。(人によってきっと順番ちがうよ)

◆ だいたい普通の人は、他人の視線と自己コントロールに対して四十から五十くらいのところでカンネンの山をこえる。
  観念してしまうんだ。でも、ストイズムでもナルシストでも何でもいいんだ。
  僕は、自分で自分のことをコントロールできなくなったら、もう死ぬときだ、と本気で思ってる。

(↑)そうか、これから10年くらいが、分かれ道、分岐点だ。コラエよう。
   目指せ、男版 岸 惠子。(・・?

◆ 僕なんか当年とって65歳。大半は昔話を喋りながら生きているわけだ。それが取り柄でもある。
  そこを基本にして、今現在のこと、これからのこと、両方に対しての発言ができるわけだ。若さに対して卑屈になる必要なんてない。

(↑)昔話のどこがわるい、こういう自信ある60代でいたいものです。

◆ 「 青春、朱夏、白秋、玄冬 」 という言葉がある。
  朱色にやけたような狂おしい夏のあと、白々しい光の秋が来て、暗い(玄)冬が来て枯れていく。
  日本人は、春夏秋冬を人生だと思っている。歳とともに考え方も服装も生きていること自体もグレーだと感じるようになる。
  人生そのものまでが四季の移ろいと同じだと信じ込んで、いや信じ込まされている。

(↑)これは、うまいとこ、突いてるな、と感じ入りました。ざぶとん五枚! (^O^)/
   豊かな四季や、もののあはれ、といった日本的情緒は素晴らしいのですが、 
     たしかに、それを何でもかんでもに、あてはめるのは愚かな所業。

 ◆ 僕みたいに飽きっぽくて、常に興味の対象がポンポン飛びまくっている人間は、地道にコツコツやるなんてあり得ない話なのだ。
  何となくボーッと生きてきた。だけど、目の前にハードルが迫ってくると、結果的に集中力で乗り越えてきた。
  なんとかなる、という余裕の気持ち、常に自己の能力のうち、六、七割しか出してない、という気持ちがある。

(↑)似ている。。(・。・; 
   家内に、同じようなことをよく言われる。尻に火がついてもすぐにはやらない。
   良く言えば前向き、または、根拠のない自信。

◆ 「定年まであと、十何年か~」、「どうしよう」と思った。
  なんとなくの流れでここまで来たけど、これから人生の後半戦に入る。
  レールに乗って、人事異動のたびに"あっち行け、こっち行け"と言われて、それに従ってきたけど、
  このまま定年になったんでは大変だなと思った。
  自分に対する投資をもう一回して、自分で自分の道を切り開くようなことをしないといけない、と思った。

(↑)とりあえず英会話ができないとダメだと、鳥越さんは英会話学校に通い、42歳にして研修でアメリカに行きます。
   新聞社にいた鳥越さんですが、49歳の時にTV番組(「ザ・スクープ」)の話があったそうです。
   曰く、
    ”運命というのはうまくできている。自分の気持ちのなかで、機が熟しているかどうか分からないけど、
      そういった心境になっているときにピッタリの話があったわけだ。”

(↓)鳥越俊太郎さん(68)もそうですが、岸惠子さん、75歳ですか、おどろきました。
   75にしてこのコケティッシュな魅力、ある意味、化け物みたいな人です。
   信じられません。この若さの秘訣は何でしょう?
   (ベストセラー「国家の品格」の著者である数学者 藤原先生を交えてのTV対談。)

岸惠子×鳥越俊太郎×藤原正彦 3/3

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2009年09月26日 | 日記
茶道の楽しみは、亭主七分に客三分、といわれます。
亭主の七分には、客の喜びを自分の喜びとする意味も込められているのですが、
芸事や音楽など、おおかた、自分が楽しむことがまずは第一なのではないでしょうか。

という講釈をたれたところで、今回は極めてパーソナルな記事です。
ブログは目に見えない"お客さま"はいますが、亭主十分、といっていいくらいなので、好きなようにやりましょう。

9月25日は、父の命日。遠くてお墓参りには行けません。
(映画のシーンによくあるように、困った時に墓前に相談に行けるくらい、近くにいるといいのに、と思います。)
95年の秋のことですから、もうかれこれ14年になります。

(↓)リビングに飾っているお気に入りの写真のひとつ。
   これくらい旧いと、何がなんだかわからんでしょうから、そのまんま。
   腹ばいになってるのは ぼくではありません。念のため。



   どこの家にも写真立てがあるかと思いますが、あふれかえってませんか。(+_+)

(↓) IKEAで買ったシンプルでモダンな写真立て。
    両面入りポケットがいくつもあるので、写真を沢山入れておけます。
    横置き・縦置きの両方使えるBOOKタイプ、
    その時々でお気に入りの写真を表側に持ってこれるところも便利。



(↓)ちょっと感傷的に過ぎる感じはありますが、似つかわしいように思えたので。

ニュー・シネマ・パラダイス Nuovo Cinema Paradiso Part17/17


 ※You Tubeにいいコメントが寄せられていました。(↓)

  これほどまでに愛に溢れた映画は未だかつて観たことがありません 。
  人生はきれいごとだけではなく、辛くても受け入れなければならないことも沢山ある。
  それを観る側に「悟す」。
  それを心からの愛をもって伝えているからこそ素晴らしい。
  この作品に出会い、愛を感じて涙した方はかけがえの無い心の財産を手に入れたといってもいいだろう。



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水琴窟の調べ ~ 京都大原 宝泉院 / 三千院

2009年09月26日 | 心の筋力トレーニングを続けよう
You Tube偉い!

水琴窟(すいきんくつ)の音、京都大原 宝泉院のものを見つけました。

水琴窟については、「茶道のほんとう」(http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/debb33e384125c25a04a464aa034aba2
で取り上げましたが、
京都 大原の鄙びた風情が好きで、独立させて、"切り取って"みました。

.:*・゜癒しの音 。.*.。京都水琴窟の調べ 1 ゜・*:.


なんでも、この水琴の音には、脳にエネルギーを与える「高周波」がたっぷりと含まれているそうです。

< 高周波の音には若返りの作用がある >
生体や物質は、固有の振動数を持っており、周波数が高いほど、躍動や喜び、若返りの方向の作用があるといいます。
(逆に、都市ノイズに多く含まれる低周波の音は、停滞や老化などの悪い作用を含んでいる。
年をとって高音が聞き取りにくくなるといいますが、言い換えれば、高音(高周波)が聞こえなくなり、脳のエネルギーが乏しくなって、老化を招くのだ、とも。)

< 高周波の音によって「場が整う」>

高周波の音が流れることで その空間自体の周波数も上がり、「場が整う」効果があるとのこと。

そのために、耳に聞こえないほどの音量でも、なんとなく気持ちがいい、と感じるそうです。
(古代の日本人は、生命エネルギーである「気」が満ち溢れた場所を
 " 弥盛地(イヤシロチ)"と呼び、
逆に気が枯渇し、そこにいるとなんとなく調子が悪くなる場所を
 "気枯地(ケガレチ)"と呼んでいたそうですが、
 水琴の音を流すことで「場」の浄化になるとのこと。)

水琴に限らず、自然界の音や楽器の音には、高周波の音が多く含まれ、
一方で、おおかたの人工物(車のエンジン音や、冷蔵庫やエアコンなどの都市ノイズ)には低周波の音が多く含まれます。

< 脳のエネルギーは耳から >

 音セラピーで著名な篠原佳年先生という方は、フランスのトマティス博士の
”脳はエネルギーの90%を耳から調達し、血液などからは10%を調達しているにすぎない”との理論を紹介しています。

< 水琴の倍音、水のもつ共振効果 >

自然界や音楽には高周波の音を含むものが多いのですが、
なかでも水琴には、群を抜いて倍音
(音の跳ね返りによって、もとの音の周波数が整数倍となり、より高い周波となった音)が多く、
もともと耳には聞こえない波長の高周波(すなわち超音波)がたくさん含まれていて、
これが脳や身体によい作用をもたらすそうです。

また、同じ周波数は共振するという物理法則を引きあいに出して、
高周波の音が、いきいきとした喜びのエネルギーを持った人や物事を引き寄せる、
「共振効果」をもたらす、と説明しています。

さらに、水は共振しやすい性質を持つがゆえに、音という情報を記憶する素材だと位置付けています。
いい音楽を聞かせた水は きれいな結晶ができる。
ならば、体内の大部分を占める水に高周波といういい情報を記憶させた方がよい。

経営コンサルタントの船井幸雄さんの著書にも、
波動、とかそういう類のことを利用した幸福論について触れているものがあります。
まだ、十分に科学的に立証はされていないのでしょうが、
ガリレオやコペルニクスの地動説も、当時は、宗教的な意味合いもあって、異端扱いを受けました。
今の科学で証明されていないから、科学的でない、というのは愚かなようにも思えて、
ぼくは、こういう"気"や" 波動 "といった現象には、結構ほんとうがあるのではないか、と思っています。
(科学的でないがために、まやかしやインチキも多いとは思いますが。)

~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~~‥~

宝泉院の額縁庭園で抹茶をいただいたことがあります。

風景を、床柱で四角く切り取って楽しむ、という発想が面白いと思いました。
たとえば、同じ夕日を見ても美しいと感じるか、ただの夕日かと感じるか、の違いがあるように、
同じ風景でも ただ見るだけでなく、アレンジして、自分の方へ引き寄せてみるという発想。
先人の自由なアイデアと風雅さに頭がさがります。

あらためて季節を変えて、ぜひ愛でにいきたいと思います。
(夜のライトアップとか、紅葉や大雪の頃とか、時節によって趣きがずいぶん変わりそうです。)

エンディング近くで見られる、綺麗に苔むした地面のうえでニッコリ笑ってるお地蔵様、
同じく京都大原の三千院(宝泉院のすぐ近く)の中にあって、とても印象的でした。

(↓)これこれ。(^v^)他にもいくつか庭に点在してました。

 

(↓)宝泉院の中で佇むマスカラス(ちょっと遊んでみました。<(_ _)> )


 (ブログの利用方法(ビジョンボードetc.)については、始めた頃から何度か書いてきましたが、
  たとえば、禅の本を読む時などにBGMのように使ってみるとか、" 再利用できるブログ " というのが、1つの目標です。
  いつでもアクセスできるようデータベース化して、読書しっぱなしではなく、
  身につけ、引出しを増やし、記録することでアウトプット力(ぢから)を磨く。
  江連コーチの言うところの日記ではなく日誌。あるいは、夢や目標を引き寄せるためのビジョンボード。
  そしてときどき(?)ストレス解消。)





 
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近くへ行きたい

2009年09月25日 | 日記
先日、アップしたばかりだというのに、下の記事のサルスベリ、
今日、家内が見たら、切り倒され、整地されていたとのこと。
あぁ 無常。。

この気持ちを歌に込めて。

 さるすべり
   桃花消ゆる 秋茜(あきあかね)  (・。・;

いまひとつ、気持ちが込めきれないので、
ポールの " 歌に愛を込めて( love in song )を。

" I can see the places that we used to go to、now .
Happiness in the homeland "
( いつも 僕らが目にしていたサルスベリの姿が、はっきりと目に浮かぶよ
大地にかえって幸せかい。 )

 すんごい意訳でごぺんなさい。<(_ _)>

Paul McCartney&Wings - "Love In Song"




<初稿 2009/9/23 >

この春から夏の間に近所の住宅造成もかなり進みました。



(この春の様子: http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/a18f35b8495c4b153cc3ef5595611317


坂をあがっていくと、便利な抜け道ができました。週末は愛用してます。秋はきれいな紅葉も見れそう。
しかし、この道も元は林だったのが造成されてできたもの、この美しい林がそのまま、だったらいいのですが。。



夏の終わりのサルスベリ。木のぼり名人の猿もすべるくらい、つるつるの幹肌。
(ピンク花品種が多いですが、白花品種もあります。
 家から30分くらいかけて行く河川敷のコースに向かう途中、
 白いサルスベリが街路樹になってて、夏の盛りの頃は見事な花ぶりでした。)
写真は、ベランダ越しに見えるくらい近くにある鮮やかなピンク花です。



山のあなた、ではないですが、遠くへ行かずとも、近くにも美しい自然があるので、
もっと" 目においしいもの探し "をやってみようと思います。
車から眺めていても、例えば、春にあそこで見たモクレンが綺麗だったとか結構お気に入りの通り道があったりします。

「近くへいきたい」、おもしろそう。


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秋の日のドラゴンフライ(とんぼ)

2009年09月23日 | 日記

息子のインフルで人混みへの外出をなるべく避けています。
引きこもり状態も、とうとう4日目、
ほんとは、プールにでも行ってストレッチ&ストレングスでもしたいところですが、がまんがまん。。
(ようやく今日で軟禁期間が終わります。)
なにかいい気分転換はないかと、朝、久しぶりに河川敷のショートコースに" 風と遊び "に行ってきました。
ここなら、風が吹いてて、人も少ないし、そんなに人と近づくこともありません。
えらく上手なおばちゃんと一緒に廻りました。(ひとりで自転車に乗ってきたというツワモノでした。 (*_*;))

秋の河川敷には、ちらほらと、とんぼの姿がみえます。

河川敷にいると、子どもの頃 夕方遅くまで外で遊んでた時のような風の匂いがします。
そんななかで、ボールの回転具合に気をつけながら、球を追いかけてるのは とても気持ちがいい。
(この春から値上げになって、顔なじみになってた人たちも来なくなって、ぼくの足も遠のいてましたが、やっぱりいいものです。)

今日は秋らしく、とんぼ(dragonfly)づくしで。  

  面白好きなのか、この××づくし、っていうのがお気に入り。
   ちなみに晩飯はキノコづくしでいこか、って考えてます。
 (まつたけがなくても、株のなめこや、しめじ、しいたけ、えりんぎ、まいたけ、ひらたけ、なんかを揃えてのキノコづくし、いけます。) 
  前にマグロづくしのコース料理を食べたことがありますが、デザートのシャーベットまでツナで、おみごとでした。
  鮨屋に行っても、もうしばらく食べたくないと思うくらいまで、好きな えんがわだけ注文し続けたりします。
 (少し大人げなくて恥ずかしいし、最近はさすがに、バランスよくなってきましたが。)

(↓)4:45過ぎにバックで聴こえる伽藍のごとき笛の音に 風を感じます。
  (短いですが、ひゅるーるる~って風みたいに聞こえません?)
    窓のそばを飛び回るドラゴンフライ(とんぼ)にまつわる叙情歌。(あのねのね?)

Paul McCartney - Little lamb dragonfly


(↓)息子の帽子のてっぺんにとまっている赤とんぼ。
   帽子の正面のつばにとまっているショット(これが一番傑作なのですが)を含めて、ほんとは3枚セットみたいになってます。
 (昨日、ながらく溜まってたアルバムの整理をしました。)


(↓)湿原なんかを散策するときには、義母の影響で、一緒にスケッチをすることがあります。
  水彩色えんぴつを使ったりして。
  足を止めて、スケッチしてると、五感が澄んでくるような感覚があります。
  この日は、正面の景色ばかりでは おもしろくないので、後ろ向いて、そこにいた とんぼをスケッチ。
  とんぼにばかり目がいって、背景は超てきとーです。

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マイケル・ナイマン・バンドの輝かしい響き

2009年09月23日 | お気に入り♪(CM/TV/映画)
映画ピアノレッスンのテーマ曲が有名なマイケル・ナイマン。
彼の" マイケル・ナイマン・バンド "の奏でる輝かしい音色が好きでした。
ちょっと現代音楽的なところもありますが、これなんか、純粋に音色が楽しい。

(一番好きだった" あのひとのワルツ " 、ちゃんとしたの見つけたらアップしたいです。)

Michael Nyman Band - Chasing Sheep is Best Left to Shepherds




(↓)あのひとのワルツ、音がクリアでないので音色を楽しむような感じではないですが、
   以前にCMで使われてた画像をアップしたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/6ee396da77c1ddcdb671c16f65ea2f51

(↓)映画ピアノレッスンから。

The Sacrifice - Michael Nyman

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山のあなた

2009年09月22日 | お気に入り♪(CM/TV/映画)

お口直しが必要かも。
さすがにぼくも、今見るといっぱいいっぱいかもしれません、スカーフェイス。

今日観た2本目は、まったりした時間の流れる草薙剛くん主演の「山のあなた」。
"東京のお客さん"が、大正ロマンの香りがして素敵でした。
 台詞の言い回しまでレトロ。

鄙びた温泉に行きたくなりました。 

Trailer: 山のあなた Yama No Anata (2008)


山のあなたといえば、教科書にありました。(カール・ブッセ詩、上田 敏訳)  
もっとロマンチックな詩かと思いきや、意外に冷静沈着、逆説的な言い方をしています。

 山のあなたの 空遠く
 幸い住むと人のいう
 噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて
 涙さしぐみ、かえりきぬ
 山のあなたに なお遠く
 幸い住むと人のいう

  山の向こう遠い彼方に
 幸福があると人は言っていた。
 他人をさそって行ったけれども
 幸福を見つけることはできなかった。
 それであきらめたかというと、そうでもない。
 人はまた、こう言う。
 「あなたが出かけていった山は近すぎたんですよ。
  もっと遠くの山ならば幸福があったのに」

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アル・パチーノ

2009年09月22日 | お気に入り♪(CM/TV/映画)
狂気の中で、それに合わせて生きて行かざるを得ない時代や環境。

今より若いころは、人間の究極を描いたような映画が好きでした。

極限状態のなかで現われる人間の本質、みたいなもの。

(↓)善良で堅気な人生を望んでいたマイケルが、ゴッドファーザーと呼ばれるようになるまで。

ゴッドファーザー コルレオーネの歴史 Part?


(↓)このImmigrantって曲のドラマティックなところ、テーマ曲より好きでした。
   太陽がいっぱい、ロミオとジュリエットなどでも有名なニーノ・ロータ、
   モリコーネと並ぶイタリアの映画音楽の作曲家です。

The Immigrant (Main Title)


(↓)映画「スカーフェイス」
  (これはちょっとバイオレンスきつくて、成人指定ものかも。)
   捜査官の暗殺を計画するも、関係のないファミリーを巻き添えにすることを躊躇した
   トニーの一瞬の優しさが、悲劇の結末につながっていきます。
   バイオレンスと言えばそれまでですが、このラストシーンは衝撃的でした。

Scarface - Montana's Downfall


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明日地球が滅びるとも、

2009年09月21日 | 日記

~ 明日地球が滅びるとも、今日、君は林檎の木を植える ~

昨日からなるだけ外出を控えて、シルバーウィークを家の中で過ごしています。
したの子を連れて、久しぶりに近所のレンタルビデオ屋に行ってきました。

「感染列島」、良かったですね~
(観た映画は、しらけた見方をしてソンした気分になるのが嫌なのか、おおかた素直に称賛する傾向がありまするが。。)

最後はなくなってしまうエイコ先生が大切にしていた言葉、感動しました。
"パンのみにて人は生きるにあらず"ではないですが、
見返りや報酬だけで動くのではない、人の努力の尊さに感じ入りました。

感染列島PV 「PANDEMIC」

モーツァルトのレクイエムを聴きたくなりました。

Requiem K.626 Dies irae Mozart



さて、うちは、うえの子のインフルで昨日から戒厳令体制にあります。(-"-)
リビングのテーブルの真ん中には殺菌用の消毒液の入ったプラボトルが鎮座し、
家内は、なんだか保健局の職員みたいです。

うえの子の熱はおさまり、今日は見舞いを兼ねて部活動の顧問の先生と部活仲間が来てくれました。
(さすが、部長 )
インフル疾患時のルールで24日も、うえの子は登校できないので、
代わりに生徒会の立候補用紙まで持ってきてくれました。
(推薦人を埋めて代わりに出してくれるって・・・ )

伸び放題で放っていた庭の手入れもして、無事パンパスグラスも大株になる前に引っこ抜きました。

たまには、こういう休日も悪くありません。
(でも、あと2日もあるのでした (-_-メ) )

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茶道のほんとう

2009年09月20日 | 読書ノート
男子の茶の湯ことはじめ―サラリーマンが茶人になりました
堀内 議司男
原書房

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お茶の格式や作法にばかり焦点をあてた本を見て、そこに仰々しく道具なんぞを"拝見"している様子などが紹介されていると、
正直、コミカルなものを感じていました。

例の茶碗を回してから飲む作法も、千利休の時代にはなく、
その後の文献等を辿ってみても、一般的になったのは、どうも明治時代に入ってからのことらしいです。

そのこころは、お茶を点てた亭主は茶碗の一番美しい正面を向けて差し上げ、
客はその心遣いに感謝し、正面から口をつけるのを遠慮して茶碗を回して違う箇所からいただく、という気持ち。

粋な作法ですが、型ばかりが先行しすぎて、
グルグル回して結局正面に口づけ、てのも、あながちジョークでもないような感じがします。

で、この本ですが、茶の湯の世界の真髄の入り口を感じさせてくれたような気がしました。
着眼点が実に素朴で、しなやか、です。
これが17世紀から四百年に渡って続いてきた茶道のほんとう、なのだと考えさせるものがありました。
(桜田門外の変で知られる井伊直弼が幕末期の大茶人で、茶の心をあらわす一期一会という言葉を広めた人だというのも初めて知りました。)

ぼくは、所作や習慣づけのためにも、型から入る教育に賛成しますが、それで終わってしまってはいけません。

<袱紗(ふくさ)で清める動作>
客の前に持ち出す道具は当然きれいに洗ってるのに、なぜあらためて清めるのでしょう?
日本人の生活や歳時記に溶け込んでいる陰陽五行の思想、そのバランスが崩れた状態を「けがれ」といいます。
お宮参りや地鎮祭などの行事なども、このバランスが崩れた状態を清め、祓うという意味が込められています。
(「七歳までは神のうち」といって、子どもは異界に対して敏感だといいます。
 この異界との接点やバランスにまで気を配っているのです。)

お茶を点て、道具を動かすと、バランスが崩れ、「けがれ」の状態が発生する。
それゆえ使う道具を袱紗で清め、バランス良く道具の置き合わせを展開していく。

<ずらし、の極意>
例えば、丸いお盆に茶碗を置くとき、名人はわずかに中心をずらして置く、といいます。
地球の極点(北極、南極)は、一定ではなく20mの範囲で移動し、地軸からわずかにズレを生じている、らしいです。
自然界に存在するものは、左右対称でなく、不完全な存在が調和している。
自然界の音もしかり、茶室の中にも、釜の煮える松風の音(風雅な呼び名)、すだれを巻き上げる音、など
「1/fのゆらぎ」が溢れているといいます。
動くものは丸く(茶室の中の動く茶道具や、手前の手の動き)、天を動き円を描きますが、
一方、動かないものは四角(畳や棚、炉)であらわされます。
この両者がわずかにズレて、世界はバランスよく調和しています。

<世界に誇れる日本の音、水琴窟(すいきんくつ)>
つくばいの水が溢れないよう工夫した茶の湯が発明した仕掛け、水琴窟。
深く掘った穴に、底に穴をあけた瓶をふせて埋め、
使用した水が水滴となって落ち、瓶の空洞に反響し、あたかも地の底から音が響くかのように聞こえます。

瓶を埋めたりする工夫は、能の舞台下などにも見られ、音響効果上の工夫以外に、
神への祈りや交わりといったこととも関係があるようです。

サウンドポエム・水琴窟


■著者のHPです。
 http://homepage2.nifty.com/TEA/



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茶室 ~ 不審庵3号

2009年09月20日 | 旅と帰省とお出かけと
不審庵でのお茶を追体験風にまとめてみると、長くなったので3号にしました。
不審庵って、そもそも変な名前です。
不審庵2号、になると、愛人みたいでますます怪しくなりますが、3号ともなると、どうでもよくなります。
めでたし、めでたし。(・。・;

でも、なるほど、確かに不審庵に似せた造りになっています。


(↓)客人はこの門を通って、茶室の入り口(にじり口)へと向かいます。
   にじり口の上、カヤで覆われている格子窓を連子(れんじ)窓、と呼びます。
 

(↓)つくばい、と呼ばれる石の手水鉢(ちょうずばち)につくばって、手と口を清めてから、にじり口をくぐります。
   武士ならば腰の刀を外さないと、狭くて中に入れませぬ。



(↓)入って正面に床の間と火灯口があります。そして、吊り棚のある点前座側から炉を見た様子。
   炉の切り方や、炉を囲んでいる木の仕上げ(写真は塗りのない仕上げ)など、
   細部にもそれぞれ様式があるようです。


おしまい。



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茶室 ~ 不審庵2号

2009年09月20日 | 旅と帰省とお出かけと
会津の”不審庵”の写真です。
ややこしいので、タイトルだけ、不審庵2号にしました。
茶化す、ってのはこういうことを言うのでしょうか。<(_ _)>

(↓)亭主、とか、お茶に由来する言葉は多く、客が最初に集まってくる所は寄り付とか待合いと呼びます。

待合いへと続く門( 修復済みですが、元の姿をとどめているかどうかは不明。。)、
そして、待合い。( 扉が閉じられてるので物置にしか見えませんが。。)



(↓)露地(庭)の飛び石、そして、つくばいと灯篭の跡。
   (一番手前の飛び石に、花火に使ったロウソクが残ってます。。
   ちなみに灯篭は、間の石が抜けてしまっているとのこと)


(↓)今は単なる縁側になってしまってますが、たぶん、ここが外腰掛。
   客が、亭主が茶室の用意を済ませて、露地の中門に迎えにくるのを待つところ。



(↓)庭の様子。(もっと撮っておけばよかった。秋の風景がないのが残念。。)
 門かぶりの松、ではなく、梅、の根元に咲くシャガ。垣根のムクゲなど、茶花が多いことに気づきました。



 代表的な茶花のひとつ、椿。
 秘すれば花、って感じで隠れるように咲いていた一輪。


 春の庭の様子。来るたびに、芝刈りや草抜き、剪定仕事が待ってました。
 中央のマキ、など、かなり大胆に素人庭師に刈込みされて、すかすかになってます。
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茶室 ~ 不審庵

2009年09月20日 | 旅と帰省とお出かけと
明日からの予定だった、取り壊しが決まっている会津の旧宅行き、でしたが、
そんなわけで取りやめ、になりました。

秋の写真を撮ってからアップしようと思ってましたが、いたしかたありませぬ。。

この旧い家、むかしは表千家の茶道教室として使われてました。
その名も“ 不審庵 ”。
ちょっとエラそうですが、千利休の「わび茶」の心にかなった小間草庵の茶室、の名前をそのままつけています。

大きな書院に主客がすわり、別室から茶をはこばせていた方法を改め、
小さな茶室(村田珠光によって開かれた四畳半の茶室が、利休の晩年には二畳敷にまで縮小されます)
に炉を切り、主人と客が対座し、主人みずからの点前にて客に茶をもてなす。
かつては、客を迎えることのない「かげ」の道具や所作であったものが、
「おもて」向きのものとなり、「晴れ」の世界として具現化されたものが、いわゆる茶道、とのことです。

(↓)不審庵(本物)の紹介記事。   



茶道、というと、表千家・裏千家が有名。
陰陽師的な、神的な響きがありますが、その名前の由来は単純で、
利休の孫 宋旦が、千家に伝わる不審庵を三男の宋左(表千家)に譲り、
その裏庭に建てた今日庵を四男の宋室(裏千家)に譲ったから、とのこと。

一見、複雑に見える茶道の流派も、千家の家系(表千家、裏千家、武者小路千家)と、それ以外の二つの流れに分かれます。
大きく分けると、宋旦が育てた門人たちの流れである町衆茶道(江戸千家、宋偏流、松尾流など)、そして
古田織部、小堀遠州など、利休以降の茶道界に大きな影響を与えた武家茶道の流派。
遠州派は、利休の侘びさび、とは一味違った「綺麗さび」、
要は、シャープであったりモダンであったりする要素を取り入れた”粋”に通じる美意識、であったりして、
意外な拡がりを感じました。
千利休がすべてだと思うと、茶道の歴史が損なわれ、博物館行き、になるように思います。
   
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愛すべきものを、ていねいに、愛していく。

2009年09月20日 | 日記
しみじみ、するような いいコピーですねぇ。

インフルで、独り和室で寝ているうえの子、
部活で日焼けして、犬というより、ツキノワグマみたい。

今朝、ゴルフ場へ向かって東北自動車道を栃木方面に走らせていると、家から電話が。
”(うえの子が)39℃の熱、出してる”
シルバーウィーク渋滞のなか、栃木県に入ろうかというところでしたが、無念のUターン。

やはり…、流行りのA型インフルでした。。
ぼくはゴルフをあきらめましたが、かれも試合に行けませんでした。。

明日から予定していた帰省も取りやめ、です。

しかし、休みを3日間も残して、予定が消えて、どうしましょ(・・?



(↓)ジョージウィンストンがピアノカバーを演ってた、マーサ・マイ・ディア。
  マーサって名前は、ポールの愛犬からきています。

Martha my dear - The Beatles

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