ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

ゴッホ巡り

2017年11月26日 | 日記

チャレンジングな試みだ。
油絵が動く映画ってのが、とてもユニーク。
そして、そこにはゴッホの絵こそが映えるように思った。

炎の画家と呼ばれるゴッホの絵には、そもそも動きを感じるから。

(今月オープンしたばかりの上野のシネコン、TOHOシネマズ 上野にて。)

Loving Vincent, behind the scenes

空間の中に在るオーラのようなものまでがデフォルメされて、いわゆる拡張現実(Augumented Reality)のようだ。

感覚が増強されているような感じがあるが、ゴッホのような画家が知覚していた世界はこれに近かったのかもしれない。

オルセー美術館展以来になるゴッホ作品の展示も観に行ってきました。

(オルセー美術館展2010deデート)

(「ゴッホの椅子」)

今回は3バージョンある「ゴッホの寝室」のうち、ゴーギャンとの共同生活を始める前の、
希望に充ちていた時期に描かれた、鮮やかな色彩の第1バージョンの展示でした。

映画を観た後だったので、有名な耳きり事件で苦しむゴッホの姿が重なります。


モネに代表される印象派の画家が日本に憧れていたというのは、よく言われることですが、
ゴッホも日本の浮世絵や、そこに描かれている素朴で美しい光景に憧れていた。

そして、日本によく似た光景のある場所がアルルなんだとか。

ジャポニズムって、印象派期の画家が抱いていた、
日本的で風変わりなものへの好奇心や軽い異国趣味、程度に思っていたのですが、
その惚れ込みぶりは結構本気だったようです。

ゴッホも憧れた日本の美しい風景が、近くにある幸せ。

毎年秋に訪れる近所のもみじ園だが、毎年遭遇する光景は一期一会なのです。

今年は、永らくスマホに頼りきりで放ったらかしだったデジカメの電池が液漏れを起こしていたので買い替え、
初めての撮影がこのもみじ園の風景となりました。

紅も美しいが、緑や黄色との鮮やかなコントラストやグラデーションが殊のほか見事です。

 

印象派が求めたような、豊かな光が、ここにもありそうだ。

   

  

スティングはどこかゴッホに似ている。まるでゴッホの黄色のような「フィールズ・オブ・ゴールド」を作ったし。)

眠ろうとした。祈ろうとした。でもだめだった。
人生のぞっとするような不可思議さが悩ましい。
私はどうやってここまで辿り着いたのか。
フランセスと出逢うまでの私の人生は、とりとめのない断片もいいところだった。
瑣末な選択と取るに足らない決断を集めただけのものだった。
にもかかわらず、そんな、私の人生のちょっとしたコンパス調整が、いつの間にか私を容易ならざる責任へと追い込んでしまっている。
今この瞬間から、過去の自分の軌跡を逆に辿ってみようか。
小さな変更がひとつ、わずかな進路の逸脱が一度でもあれば、回る車輪のセット全体が、
入り組んだ運命の歯車に巻き込まれてしまうのだろうか。
(スティング)


トム・ウェイツもゴッホに似ていると思う。

  

今、シューベルトの「楽に寄す」に取り組んでいるのだが、またまた私には難曲だ。
コードも和声もおんなじようなもんだと思っていたが、クラシックはちょっと違ってるみたいだ。

上の和音が八分音符なのに、ルート音だけ四分音符なので、
ルート音を弾く親指を一拍分残しながら、中指と小指で違う音を押さえたりする。


左右の手で同じ鍵盤の音を弾く箇所が出てくる(右手のト音記号のA音と、左手のヘ音記号のA音が同じ音階のAなのだ)。
右手は0.5拍 × 2回、鍵盤を叩くのだが、左手は1拍の間、鍵盤を押さえている。
同じ鍵盤上なのに、それは無理というものだ。

(左手は0.5拍を引きずるように0.6拍くらいのイメージで弾くらしい。)

一見簡単そうだが、私にとってはチャレンジングだ。
(しかも、私は弾き歌いをやってみたいと思っている。伴奏つき歌唱は見るが、弾き歌いは見たことがない。)

そんな風に難儀してるというのに、同時にトム・ウェイツをやってみたくなってきたのです。
「If I have to go」に取り組もうと思うのだが、これもコード弾きではない。
音数は少ないが、左右がばらばらで、リズムの取り方が違う。
おまけに歌メロも別だ。
(黒鍵が多いのだが、黒鍵を使うと、隣り合わせの音に半音が混じる白鍵よりも音を重ねた時の和音がクリアで濁らないらしい。)


難儀しそうだけど、完成しなくてもいいや、くらいの気持ちで難儀することを愉しもうと思います。

そういう停滞ならいいと思う。停滞というよりは、目に見えた成果は無くても進化の途上なのだし。

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シンボルツリーは龍脈のように

2017年11月19日 | 日記

2017年11月、武田巡りの旅から戻ってから、
ずいぶん高くなったシンボルツリーの芯止めを行ないました。

2001年の暮れ、こちらに引っ越したばかりの頃、母も来ていた年の瀬に植えて以来16年になります。

武田巡りの旅は、龍脈を辿る旅でもあり、
常磐木
(ときわぎ)である、ホプシー(ファットアルバータ)の姿は青々と逞しい竜のようでもあります。

 

16年前は小学校入学と幼稚園入園を春に控えた頃でしたが、

今年は二人共 大学生。

 

ホプシー色の『楽に寄す』。

さぁ、練習しよう。日本語詩で弾き歌いたいのです。

感謝する気持ちや幸福感のようなものの強化になると思う。

龍脈を押すように。

 

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昇仙峡とキンタイア岬

2017年11月18日 | 旅と帰省とお出かけと

イギリスかぶれの山遊記、締めの一本。

渓谷美で名高い昇仙峡ロープウェイを昇り、パノラマ台駅から少し歩くと、弥三郎岳の天辺。
(弥三郎岳・展望台・パノラマ台を総称して羅漢寺山(らかんじやま)というらしい。)

まるでOnce upon a long agoに出てくる巨石の風景みたいだ。

Paul McCartney - Once Upon A Long Ago - 1987 Music Video HD

金櫻神社は金峰山を「ご神体」とし、奥秩父連峰の最高峰である頂上に本宮があって、そこは昇仙峡の源流でもある。
山麓にある神社は「本宮」ではなく「里宮」になる。

[外部リンク]
 (信仰の山 金峰山)(金櫻神社)

 

昇仙峡の渓谷を行く前に、夕方になってから昇仙峡ロープウェイでパノラマ台へ。
(昇仙峡のシンボルのようになっている覚円峰は夜の遊歩道を歩いたので、横は通りましたが景色は見ずでした。)

 

奥に見えるのは荒川ダム。(山梨県にも、富士川水系の、別の荒川がある。)

山の天気は不思議で、麓では宵闇迫る曇天だったのだが、山頂が近づくにつれて明るくなった。

 

パノラマ台からの眺め。

空や眼下の山々に、龍の気脈のようなパワーが充ちているのを感じる。

富士山遥拝。

 

鳥のように高い目線で地平を俯瞰し、そこに龍脈の流れを見ていた山岳信仰の時代の人々の、
パノラマ的な立体感覚やイメージの力にあらためて驚く。 

麓でパワースポットの解説を目にした時は冗談ぽく感じられたのに、山頂では感じ方が変わる。
髄液が何らかの影響を受けて、変性するのでしょうか。

 

和合権現が、龍脈の流れの中で中心を占めている。
日本の神道では、イザナギとイザナミが「みとのまぐわい」をして国を生み出した。

 

女神であるイザナミは、イザナギと交わることによって日本列島を次々と産出しただけでなく、
そこに海、山、野原、草木なども産み落とした万物の創造主。
そして、その死体から、さまざまなオロチが誕生してくる光景は、
彼女自身の正体がオロチであったことをほのめかしている、と言います。

オロチは横溢な生命力を持つ女神であり、
雌雄のオロチが交尾する姿が、神社に飾られるしめ縄との説には説得力がある。

 

ヒンズー教や山岳信仰だけではなく、日本の神道も実は生々しい。

こっちから見ると「マル・オブ・キンタイア規定」にそっくりだ。
この程度なら、きっと規定にはひっかからない。

  

キンタイア半島の地図の出てくるバージョンもあったが、冬らしくて、口ずさめるこちらのバージョンを。
Paul McCartney & Wings - Mull Of Kintyre

 

最後に霊峰 富士を拝しながら。

そして夜の帳の甲府盆地。

 

「昇仙峡とキンタイア岬」ってタイトルにした。
峡谷と岬、女と男、とも読める。

神さまの秘め事のようで
なぜか神秘的に感じられる謎が、少し解明できたような気がする。

 

モノを生み続ける山には子宮がなくてはならない。
深くて暗い谷、大きな洞窟なども、その形状から子宮とみなされていた。滝もそうである。
両脇から欝蒼と生い茂った森林の襞に包まれて、山の体液を流し続ける滝は女陰である。
(「山の霊力」より)

昇仙峡 仙娥滝ライトアップ(20171107)

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武田巡りの旅 ~ 龍と水晶巡り

2017年11月18日 | 旅と帰省とお出かけと

今年の夏は、8月末に再検査を控えていたので、万一に備えて、夏休みをとらずに温存していました。

 

かねてから、そのうち行ってみたいと思っているのはイギリス。
子供が二人とも大学生になったので、塾だ部活だといった子供の都合縛りが緩んで、ようやく旅行に出かける自由が出てきました。
イギリスはビートルズの聖地だというのに、私は行ったこともないし、つまにとっては中学・高校時代の大部分を過ごした国。
今年は検査が一段落してから、遅めの休みをぱぱっと取ることにしたので、パスポートの更新とか徐々に準備を始めつつ、
イギリスとかではなく、ルーツを辿るような手近な旅へ。

大事に備える気持ちからなのか、どこか神の依り代を求めているような所があって、
占いやスピリチュアルなものに興味が向きます。

そもそも、人間の認識できる世界がすべてだとは思っていませんし、
むしろ、説明ができないから切り捨ててしまうという態度のほうが、おかしいと思う。

社会学者の書いたものがあまり面白くないのは、あの人たちは、「生きている人間」の世界にしか興味がないからである。
霊能者の書いたものがあまり面白くないのは、あの人たちは平気で「あっち側」のことを実体めかして語るからだ。

「こっち側」と「あっち側」の「あわい」でどう振る舞うかということを正しく主題化する人はほんとうに少ない。
(内田 樹 ~ 「あわい」でどう振る舞うかということ ~ However absurd♪

内田先生はこうも言います。

ローカルな世界でローカルなルールに基づいて、ものごとが整合的に運んでゆく話なんか、誰も読まないですよ。
手持ちの常識が通じない場所で、何を信じ、何を信じてはいけないのかを判断しなければならない。
「人知を絶した境域における適切なふるまい方」、それを主題にした文学作品が世界性を獲得する、僕はそう思う。
「どうしていいか分からない時に、どうすればいいか」という難問を扱っているから世界文学になり得る。

私には「天龍千晶」という、戒名でもない天誓の御名があると教えられました。

「龍」と「水晶」を訪ねることが、いつの間にやら今回の旅のテーマに。


先日も筑波山で、安っぽいお土産の龍を買ってしまったが、龍やら水晶やらに惹かれてしまうのは今に始まったことでもない。
(家の中には三匹の竜を飼え、って言ってたのはDr.コパだったかな。)

イギリスと言えば、ウェールズの国旗も赤い竜です。
(カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」でも雌竜クエルグが登場し、人々から記憶を奪う霧を吐く。)

甲斐善光寺の鳴き竜も赤かった。
(実は赤い塊を見ただけで、天井をしばらく見ていても、どれが二匹の竜なのか判別がつかなかった。)


甲斐善光寺、開基は武田信玄公。
川中島合戦の折、長野の善光寺焼失を怖れた信玄公が、諸仏寺宝類を奉遷したのが始まりらしい。


 

日本最古の彫像と云われる源頼朝像。木肌も露わだが、何かが宿っている雰囲気があった。

お戒壇巡りは漆黒の闇の中、
途中鍵に触れることで御本尊と縁結びをするという趣向を知らずに、慌てて廻ってしまった。

冬が近づき、曇天だと日が逃げ足を早めるかのように急に暗くなっていく。
おい、慌てるな。

現世的な世界が、徐々に墨色に翳っていく宵にあって、
池は澄み、鯉の鱗は金色に光っていた。

 

「君の名は」でも、夕暮れ時を意味する「黄昏 = 誰そ彼」というのが出てくるが、
かつて日が落ちた後は人の世界から神々や妖怪の世界へと変わり、
見分けにくい相手が人なのか神なのかを問う言葉だともいわれる。( 君の名は。~ 聖地巡礼つき

カラッとした晴れ上がりも良いが、薄暗い曇天も悪くない。
大蛇(オロチ)は水を呼び、龍神は雷や雨雲を巻き起こすと云うから、
天気が悪いのは龍神がそばにいる兆しだと思えば、かえって有難いくらいだ。
(我ながら良いことを言う。)

何を感じようとしたいのかがモンダイだ。

 

大蛇(オロチ)と龍は、同じものかと思っていたらそうではないようだ。
山のヌシであり、永遠に生まれ変わる生命力の象徴であった蛇(しめ縄はオロチが交尾する姿らしい。)だったが、
豊かな水の恵みを必要とする稲作文化の始まった弥生時代の頃から、長いヒゲと四本足を持つ龍神が大蛇を駆逐していったらしい。

水晶発祥の金櫻神社で、ご神宝の生涯守りを求める。

 

霊峰 富士にかざしてきた。

昇り竜と下り竜。

霊峰 富士を巡る旅、続く。

Procol Harum - Wreck Of The Hesperus

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武田巡りの旅 ~ 甲府でコウフク、武田神社へ

2017年11月16日 | 旅と帰省とお出かけと

甲府でコウフクになろう。

甲府市内に入ると、旧いCMではありませんが、まさしく” タケダ、タケダ、タケダ ”です。
「武田」っていう交差点を曲がると「武田通り」、真っ直ぐ北上すると「武田神社」です。

 

宿をとったのは、葛飾北斎が「勝景奇覧 甲州湯村」に描いた温泉地、湯村温泉にある常磐ホテル。

武田巡りの旅は、富岳三十六景的な旅でもあるのです。

(写真はHPから)

庭園が有名なようで、井伏鱒二が好んだという欅(けやき)の紅葉ライトアップが幻想的でした。
虹鱒なのに身が赤い「銀ひかり」の如く、時々ピンクがかった紅色になる。

門かぶりの松はよく見るが、これは沢かぶりの松、とでもいうんでしょか。

昔は宿の敷地内にゴルフ練習場まであったらしく、高松宮殿下の始球式の様子を撮った写真があった。
(少しレイド・オフ気味に見える。)

二階レストランに行くと、うちのリビングと同じ壁紙が使われていて、なんだか嬉しかった。
(ここは甲府の迎賓館らしいので。)

武田信玄が砦とした、ここ武田神社は、躑躅ヶ崎(つつじがさき)館と呼ばれている。

「城」ではなく「館」である。

”人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、仇は敵なり。” 

戦に強いばかりではなく、「お屋形様」と慕われたという信玄公らしい。

 

 

観世家の方が能の練習をされていた。

紅葉も素晴らしかったが、

 

つまが、圧倒的な関心を示したのが、未だ発掘調査中の郭(くるわ、曲輪)。

西曲輪の外に出ると、味噌曲輪と呼ばれる、手つかずのままのような光景があった。


( ↓ ) 館の東側に並ぶ石塁。かつて正門があったのは、大手と呼ばれるこちららしい。

 

甲府盆地の西、山梨県韮崎に、武田勝頼が築城途上で織田軍に攻められ、自ら火を放ったといわれる新府城があって、
混同しやすいが、甲府の南側には甲府城がある。
(徳川家康が築城したとの説もある豊臣大名時代からの城。)

 

甲府駅南口に信玄公がいるので、甲府城のことを勘違いしそうになる。

甲府城から富士山を望む。

 

たまに焼き鳥で食べることはあっても、キンカンって他の食べ方を知らなかった。
店によって同じ鳥もつ煮でも入ってない店もあるらしく、一軒目ではありつけずでしたが、二軒目で巡り会う。
駅前で入った奥藤、調べて行ったわけではないが、鳥もつ煮発祥の店でした。

死後三年を経て恵林寺で葬儀が執り行われるまでの間、
秘密裏に火葬の上、埋葬されていた信玄公廟所にもお参りいたしました。

 

カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」に出てくる雌竜クエルグではないが、
龍神を探しながら、みたいなところのある今回の武田巡りの旅に似つかわしい。

Gary Brookerって、若い時、信玄公に似ているような気がするしね。

彼女は上陸する時、家に居るわ、って言った。
本当は海にいるのに。
だから姿見の前に連れて行って、分からせようとしたんだ。
君はマーメイドなんだよ、って。
そして、ネプチューンに乗っているんだよ、とも。

青い影 [日本語訳付き] 
プロコル・ハルム

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武田巡りの旅 ~ 恵林寺詣より始める

2017年11月11日 | 旅と帰省とお出かけと

今回の旅のテーマは武田巡り。

先に風林火山や日ノ丸の御旗の記事をアップしましたが、
(武田巡りの旅 ~ 風林火山と日ノ丸の御旗
)
先ずは旅の始まりに信玄公へのお参りをと、向かったのは恵林寺。

  

鎌倉時代に臨済宗の僧・夢窓疎石によって開かれた古刹を、信玄公が武田家の菩提寺と定め、
死後三年秘された後の葬儀は、勝頼を喪主として、快川(かいせん)和尚によって執り行われた。

 

恵林寺は織田信長によって全山が焼かれ、上の赤門は徳川家康によって再建。

家康の意思を継ぎ、江戸中期には柳沢吉保が修復を行なった。

( ↓ )
武田氏滅亡の翌月、織田軍が恵林寺に押し寄せ、
潜伏保護されていた者達の引き渡しを拒否した快川和尚をはじめとする僧侶を封じ込め、火を放った。
この山門(三門)楼上で、壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈(いげ)、
「安禅必ずしも山水を須いず(もちいず)、心頭滅却すれば火も自ずから涼し」が掲げられている。

信玄を描いたものは数あれど、信玄の墓の前にある明王殿には、
信玄31歳のときに京都から仏師を招いて、対面で模刻させたという武田不動尊像が安置されている。
信玄の髪を胸に塗り込んであるらしい。
 

残念ながら、墓には月命日の12日だけしか入れないが、
少なくとも高野山の奥の院の時よりも、近くまでお詣りさせていただいた感じがありました。
(
高野山 /奥の院 ~ 史上最大のお墓参り)

  

夢窓疎石による作庭。

 

今回の武田巡りの旅は、自ずとパワースポット巡りの旅になった。

空にたびたび龍の姿を見る。

風林火山の孫子の旗も、雲峰寺で謁見する前に、恵林寺の宝物館に残る一旒を見たのが初めてなのでした。

影武者 KAGEMUSHA 黒澤明 Akira Kurosawa

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武田巡りの旅 ~ 風林火山と日ノ丸の御旗

2017年11月10日 | 旅と帰省とお出かけと

カズオ・イシグロの「忘れられた巨人(The Buried Giant)」に描かれている世界の在り方、
霧の中に消えていく記憶のような昔日に想いを寄せてみる。
カズオ・イシグロの世界に呼吸を合わせてみる )

サクソン人とブリテン人のように、かつて日本にも海民(平氏)と騎馬民族(源氏)がいた。
海と風を操る異能者と、当時最速であった馬という野生動物を制御する異能者の対立。
陸には白旗、沖には赤旗という、陸と海の図式的な対立が源平合戦の基本構図であり、
運動会の赤白に至るまで、源氏と平氏の対立構造が、日本人の考え方の軸になっているという。
聖地巡礼 )

武田勝頼が天目山の戦に敗れ自刃した後、敗残の兵が大菩薩嶺の山麓にある雲峰寺(うんぽうじ)に奉納したのが
日本最古と云われる日の丸の御旗。
甲斐武田氏が源氏の嫡流である証しとして、武田家代々の重宝であったと伝わる。

(近くでみると縫い目まで見えて、これが平安期の手仕事なのか、と思いましたが、
 現存するのは室町期の作だとのこと。)

雲峰寺の名前の通り、勝沼のワイン畑を抜け、雲を眼下にした山上にありました。


風林火山で有名な「孫子の旗」は、7旒のうち1旒が恵林寺に、残り6旒が雲峰寺にあります。
(武田神社にも特別展示として1旒ありましたが、様式や大きさが違っていて別物のようです。
ここ雲峰寺でも展示されているのは3旒で、残り3旒は損傷が酷い為にしまわれているとのこと。
”京都南禅寺で小僧をしていた”というご住職に教えていただきました。)

 

陣頭に立てていた軍旗「諏訪神号旗(すわしんごうき)」は、信玄直筆。
信玄の居場所を示す「馬標旗(うまじるしき)」は、武田家家紋の「武田菱(四菱)」を花模様に変化させた
「花菱」と呼ばれる控え紋が使われている。
直筆の筆致もそうだが、花菱を自分の影のように使ったり、
信玄は一般的なイメージよりも美意識の高い人だったようにも思える。

昔日のことを思い出せば、めずらしく父と行った映画が影武者だった。

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