ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

LIFE ITSELF ~ コトとしての生命

2013年01月27日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

モノとしての個体の枠を取り払うこと、モノとしての生命を相対化すること。

現実に存在する生物個体としてのモノからいったん離れて、
その生きているコトとしてのプロセス、進化に徹底してこだわる。

進化のダイナミクスに照準を合わせ、モノから決別して徹底的にコトにこだわったときに浮かび上がってくる生命のプロセスを
「共進化(coevolution)」と著者は定義する。

時間は、世界や物質から切り離して相対化されたときに、プロセスやスケール(モノサシ)としての概念が残った。
生命もまたそのようにプロセスそのものに帰結し得るものなのか。
一方、私たちが「生命」という時には、モノとは不可分の個体の生命をさすケースが殆どだと思う。
時間は流れない、世界が流れる - She's Leaving Home )

■ 共進化(coevolution)としての生命

 著者のいう「コト的生命観」から抜粋を続けながら。

二種の生物間でお互いに利用したり、搾取されたりといった影響を与えあったり、
同種の生物間、あるいは生命と社会的環境や文化的・言語的環境の間でも「共進化」は起こっている。
そして、生命が共進化を起こしているのではなく、共進化こそが生命プロセス(コトとしての生命)そのものである。
自らの生涯という比較的短い時間スケールの中で、自らを変えることができる(表現型可塑性=学習)、相手を変えることができる、ということが、人のアイデンティティにほかならない。

モノと不可分な、個体の生命である「私」。しかし、「私」の範囲をとらえ直すことはできる。
~ 私一人の私、という利己主義だけが本来の生物の生態ではない。
  個体としての生命だけを考えるのではなく、もう少し大きな生態系のなかで続いてゆく私がある。
( 神が宿る風景 ~ 私の範囲をとらえ直す )

■ インテグレートしてゆく発想

共進化という生命プロセスを考えるには、対象物を細分化していく「要素還元論」ではなく、
対象物を統合し作り上げていく「構成論的手法」が大事になってくる、と。

近代科学が様々な分野において実績をあげてきたのは「要素還元論」的手法に依存している。
理解しようとする対象をバラバラに分解して、構成物を丹念に調べてゆくことによって、対象を理解しようとする。

” 時間空間の大きなスケールの中において、共進化という生命のプロセスにアプローチすることを志す場合には、要素還元論的方法は明らかに無力である。”

「構成論的手法」は実に難儀を伴うものだと思う。
生命の本質が、要素に還元できないもの、バラバラにしてしまうと失われてしまうものであるならば、
本質を失った要素を単純に積み上げたところで、肝心な部分が欠落してしまうことは、容易に想像がつくからです。
仏つくって魂入れず、魂は別のところから持ってこないといけなくなる。
音楽家のバレンボイム氏は、音楽はインテグレートすることだと語ったが、
インテグレートするためには、プラスアルファの魂、霊性(インスピレーション)のような何かが要るのだと思う。

(クレシェンドの瞬間は教えることができない)

このプラスアルファを生みだす魔法が何なのか。

この本でも「ラングストンの蟻」の話が引用されていたが、
シンプルなルール(自然法則)のなかで、一種の「場」のなかで、
個体が環境と影響を与えながら運動しているときに、ある臨界点で魔法が現れたかのように思えるだけのことなのか。

神秘を創造するシンプルな仕組み )

量子力学においても、宇宙生成時のトンネル効果のような、魔法のような現象が事実として観測されている。
トンネル効果というアイデアは、無(真空)から有(粒子)が出現するという、無から有へのベクトルを実際にリンクづける役割を持った、インテグレート的発想だといえなくもない。
宇宙の始まりのタネ )  

このように現象をインテグレートしてゆく意思(WILL )のようなパワーは、やはり存在するのだと思います。
現象化しないために、WILLは目に見えないが、至るところにWILLは存在しているはず。
石や木や水と私たちの関係について )

生物や医学の世界でも、対象をメスで切り刻む要素還元論的手法に拠った従来の西洋医学ではなく、
包括的に人の心身をインテグレートして捉えていこうというアプローチが生まれてきているようです。

( → 須藤研究室 - 工学的な視点による再生医療を)

この本が指し示すところは、なかなかに深い。

具体的にブログに書き出すのは、なかなかに難しいのですが、興味深いテーマをあと2つほど上げておきます。

■ 進化と学習

~ 進化は、世代を超える長い時間スケールの適応プロセスである。
  一方、学習は、一個体の生涯という短い時間スケールの適応プロセスである。
  二つのプロセスがどう関わるかという問題はなかなか奥深くチャレンジしがいのあるテーマである。

著者は、学習はそれなりに(メカニズム的にも、エネルギー的にも、時間的にも)コストがかかるものであるから、
進化のプロセスで淘汰されるものだと説明している。

このドラスティックな学習の役割の変化によって進化を促進する現象はボールドウィン効果と呼ばれるらしい。

すなわち、
低いレベルから高いレベルへの進化を考えてみたときに、
高いレベルを学習して体得できる「可塑性の高い個体」は適応性が高いということになり、学習(可塑性)はメリットとして働く。
しかし、進化によって、生得的に高レベルな個体が多数を占めるようになると、学習がうまくいくかどうかに依存している 「可塑性の高い個体」は、その学習のコストが不利に働いて淘汰されてしまう。
メリットであった学習が、レベルの底上げによって、コストとなりデメリットに変わる。

私たちは一個体である限り、学習して、あるレベルに達したら、
次のレベルへと学習を続けなくては、進化論的には淘汰されてしまうものなのだ。

■ 人間は根幹的な部分で、生きているコトをモノから相対化する志向を持っている

「知の逆転」でノーム・チョムスキー(ニューヨークタイムス誌が”生きている人の中でおそらく最も重要な知識人”と評し、プラトン、フロイト、聖書と並んでもっとも引用回数の多い著者とされるMIT言語学教授)が指摘しているとおり、人類をホモサピエンスとして大躍進(great leap forward)させたものは言語。

ヒトは言語を獲得したとき、今 目の前に存在する物事に対して即応的にシグナルを発するという段階から、
時間的にも空間的にも離れた場所に存在する物事を記述できるようになった。
これは、現前するモノにしばられていたヒトにとって、非常に大きな飛躍であった。

「人間の、その意識のなかには、空間への志向、地球からの離脱への憧れがあるのだ。」
アーティストには普遍的にそのようなモチベーションが存在し、アート作品の中にも現れている。

心的現実性こそが重要である 」、
~ 客観的現実に人は生きるのではなく、自分の心や意識で感じる心的現実に一番の影響を受けながら生きている
アーティストに限った話でもなく、その通りだと思います。

 現代的な用法によれば、目の前にある机やコップこそが「具体」であり、信頼に足るもの。
  一方で、言語や数学、自我といったものは「抽象」であり実在性が低い。

  しかし、プラトンの体系にしたがえば、具体と抽象の関係は逆転する。
  目を閉じて思い浮かべる観念の世界のほうが、
  よほど確固とした精神世界における「具体」=「イデア」につながっている。
  目の前のコップなどは、イデアの不完全な影にすぎないのである。

~ 現実は、私たちの生存を支える不可欠な条件である。
  しかし、仮想が現実に比べて劣るというのでは決してない。
  
モーツァルトやアインシュタインといった創造的な天才の中では、
  むしろ仮想が現実よりも魂に近かったのではないか。

 「LIFE ITSELF」、
この本にあなたの名前がないのはおかしいと思う。

LIFE ITSELF George Harrison

私一人の私、という利己主義だけが本来の生物の生態ではない。
個体としての生命だけではない私。
 

I Me Mine The Beatles-Last Recording

 

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雨ニモマケズ

2013年01月23日 | しょうもなくてすみません

よう来らったなし、ささ、あがってくらんしょ。
~ 今宵は暖かくどこか懐かしい会津っぽクラブ・バージョンで。

ミスは往々にしてグレーゾーンに発生するものだ、ということを体感する出来事がありました。

咳と高熱で、病院に行ってインフルエンザ検査を受けてみたら異常なし。(マイナス判定)
発症後24時間経たないと正確な判定は出ないから、とのことでしたが、
素直に(
インフルエンザには)効くはずもない抗生物質、や鎮痛剤、解熱剤をもらってきました。

翌日の出勤に向けて、解熱剤の効果が若干なりとあったのか、熱は38°程度にまで持ち直しはしましたが、結構ツラい。
朝方はまたも首都圏は雪になるかもとの予報もあったので、早めに支度を済ませて家を出ます。

奥さんは子どものインフルエンザの経験値があるからか、しつこいくらいに2度目の検査に行かないとだめだと言ってました。
~ タミフルは発症して48時間以内でないと効かないんだからって。

仕事場のそばに比較的空いている穴場の内科があるのを知っていたので、時間をつくれたら行こうくらいに思ってました。
(そんな容易に判定が覆るとは思えないけど、万一インフルだったら周りに迷惑をかけることになるから。)

しかし、朝の通勤電車で、しんどくなってきて、意識が遠のいていくような気分がするなと思ってたら、ふっと意識が無くなって、しりもちをついて倒れてました。
酔っ払って寝込むことはあっても、電車の中で倒れるなんて初めてのこと。
倒れたあと、こちらを向いている周りのひとの顔がスローモーションのように見えて、ふつうの時間の長さに戻るのに少し間があったような。
KO喰らったボクサーってこんな感じなんだろうなって。

周囲の方々が心配してくださり、席をゆずってもらいましたが、何と有難かったことか。
健常者でいる限りは、なかなかに体感としては分からなかったことです。

そして、昼休みを利用して再検査をぱぱっと済ますつもりで行ってみると、万一くらいに考えていたはずの陽性判定が出て、今週いっぱい休暇を取らざるを得なくなりました。
インフルではないのだから、多少のムリは効くはずだからって、仕事を片付けようとして行ったのに。

 インフルエンザの教訓 

病院は必ずしも、患者の生活サイクルや事情を考えてくれるわけではない。

ふつう、会社勤めの人間からみれば、病院に検査に行ける時間は限られています。
一方で、発症してから24時間経過した後、タミフルが効き目を発揮する48時間までの間に検査を受けないといけないという制約は結構きびしいはず。
ましてや、一度検査に行って、再度検査を受けるなんて、ふつうはしないように思いますから、
一度目の検査のときに、グレーだったら、グレーなりの処方なりアドバイスがあってしかるべき。
グレーゾーンである以上、少なくとも二分の一の確率でクロになる可能性があるのですから。
めったに病院にいかない(いけない)人たちが、わざわざ病院で検査したのに、残りわずかな48時間内のリミットタイムまでにもう一度検査に行くということは普通ないでしょ。

薬事法の問題なのか何かわかりませんが、グレーゾーンにある静止点だけで、そこだけの対処しかしないというのはいかがなものか。

子どもを抱えた主婦のほうがはるかに賢明だ。点ではなく、線で捉えている。

賢明さの問題というよりは、グレーゾーンにいる当事者かどうか、リスクを負っている者かどうか、というシンプルな話かもしれません。

皆さま、お気をつけください。m(_ _)m

( ↓ ) 宮沢賢治の雨ニモ負ケズ、こんなに生き活きしたものだったのか。インフルエンザなんかさすけねぇ。

"雨ニモマケズ"東北弁朗読 今野東

iPhoneのPhotoSpeakerってアプリで少し練習してみました。
アプリの録音時間の制約で1分間で終わってしまいますけど。

( ↓ ) こんなこともできるんです、このアプリ。おもしろそう。
    (夏目さんでなくて猪苗代出身の野口先生です。)

夏目さんカレーライスを語る

本場のタイカレーが1缶わずか100円程度で。
同級生のなかで話題になっていたので、レッド×グリーンのダブル乗せでいただきました。
ココナツミルクの効いた東南アジア系の甘味の好き嫌いで評価が分かれるかもしれませんが、ぜひ食べてみてくなんしょ。

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クラブ みや子 ~ しょうもなくてすみません。

2013年01月19日 | しょうもなくてすみません

ブログはビジョン・ボードとして使いたいってところもあるので、気軽なツールにするのを、自分で不便にしているよなところが。

ほんとうは、もっとコメントが集まるようなブログになればいいのですが、訪問者が増えても、
隠れ家「Club ゴルフィー」の看板のせいか、無口なお客様が多いようで、一流Clubへの道は険しいのであります。

そんな折り、失敗作をアップするのはよそう、って書いたら、
失敗作でもアップするのが、らしい、みたいな嬉しいコメントが。
アンソロジーみたいな、未完成なやつって好きだし。

あ( ̄○ ̄)り( ̄◇ ̄)が( ̄△ ̄)と( ̄0 ̄)う( ̄ー ̄)

「しょうもなくてすみません」コーナーを作って、アウトレット的にアップしときます。

(他のも しょうもないぞ!って言われたら、はいそうです、と答えるしかないですけど。)

客人のみなさまのお声を拝聴させていただくブログにしていこうと思いますので、ご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m ペコッ

(客が入ってなんぼやろ。 はい、お客様あってこそのクラブでございます。)

皆様に気軽に話しかけていただけることを祈念いたしまして、
「クラブ みや子 
でございます。 

記念すべき100本目なのだが、うまく歌えないのだ。
 

あるら~、みや子ちゃん、お客様はもうお帰りみたいよ (>_<)

哀しい、哀愁のクラブでございます。。

ちゃんとしたのを聞きたいひとはこちらからどうぞ。
http://r90bluez.fan-site.net/

日本人バンドとは思えない迫力あるブルースロックを演るのがRoute90というバンド。
ファーストシングルになるこの曲、「宮古の夜明」は、
スイートなときのローリング・ストーンズみたい。

そして、この曲「Dawn of Miyako」は東北復興の支援ソングでもあるのです。
宮古というのは、岩手県の三陸海岸沿いにある町。

 The clouds begin to be dyed vermillion、ってリリカルです。
朱色に染まりゆく空、vermillion、英語にもこんな豊かな語感的イメージをもつ言葉があるんだな、って。
鳶色の雲はつづれ織りに♪ ってGodiegoが歌っているのを聴いたときに、
日本語の微妙で多様な色の表現に驚いたように。

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Route90 on FM Dawn of Miyako

2013年01月16日 | お気に入り♪(いろいろ)

8月発売にされたファーストアルバムからのシングルがうちにも届きました。

なんとか愛唱歌にしようと、いつもながらのマスクで歌いながらiPhone撮りしたのだが、
歌うのむずかしい~。(>_<)

失敗作なのだが、この日の記念にYouTubeにアップしよかと思ったけど、さすがにやめました。

Route90 on FM Dawn of Miyako

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[2013年1月 ホームコース申込ラウンド] ☆彡 アルバトロス達成 ☆彡

2013年01月13日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

そしてあなたは物語に加わったのよ。

ついにやったわね。 誰もができることじゃないわ。

 アルバトロス

Albatross、あほう鳥。

~ 色々なデータを目にするが、アルバトロスの出る確率は 100万回から 200万回に 1 回ということで、
米国では年間 40,000回程度のパー 3 のホールインワンが出るにも係わらず、アルバトロスは 200回程度しか出ないそうだから、
そのデータによれば アルバトロスは パー 3 のホールインワンより 200倍 難しいことになる。 


しかし、一般アマチュア・ゴルファーの場合、ほぼ 90% のゴルファーが パー 5 は 距離的に 2 オン出来ないから、
アルバトロスが出る確率は さらに低くなり 600万回に 1回程度になる と言われており、概ね 600倍も難しい計算になる。
アルバトロスの多くは、残念ながら、飛距離の出るプロやトップ・アマのような人たちの独壇場と言うことになるようだ。

新天地での活躍が期待されるゴルフィー選手が、
入団申込を行ったその日のラウンドで2011年7月にマークした85の自己ベストを更新する84を叩き出し、自らの入団に花を添えました。

しかも、17番ロングではホールインワンの数百倍難しいと言われる『 アルバトロス 』の快挙まで達成。

手厳しいことで知られるNCCメディアからも、メジャーでも十分対応できる、と評価する声が。


スタジアムはスタンディング・オベーションに包まれました。(写真左) 
立ってるの木だけでしょ、
パチパチパチって祝福の拍手が、きこえたんですけど?

右の写真はアルバトロス・ホールでカップから私に微笑みかけたボール。湯気が立つようなできたてほやほやの幸運です。

  

アルバトロスはご祝儀みたいなもんですけど、これで一生言える、アルバトロスやったことあるよ、って。

ティーショットを左の隣ホールまでぶん曲げてしまった、第2打目、残りは200Y以上。
Greenが空くのを待って自信のあるUtilityで狙いに行ったら、
トントントンと転がってカップインしたみたいです。
グリーンオンしたのは分かったのでこぼれていないと良いなぁと思って歩いていくと、グリーン周りにボールがない。
入ったよー、との声に、まさかと思ってカップを見たら、ほんとにボールがありました。

ヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノ

さて、あれから2年(唇に触れもせず)、待った甲斐がありました。
まさしく、自分の庭のような、至近な立地のホームコースです。

宿泊施設もある関越の赤城や上毛方面のコースとの共通会員権なので、都心を離れて温泉にでも浸かりながら、みたいな休日の過ごし方もできるし。

初心者向けの7ホールのコースもあるから、家族や初心者連れでも楽しめる。
(マスカラス・アカデミーでも開講するか。(~o~))

ゆくゆくは、会員権を子どもなどに譲って終身会員になれば、年会費も年齢に応じて減額され、無料でペア会員登録までできる。

ホームコースは近場でふらっと行ける距離のところにあるのが一番だと思っていたので、希望にぴったり。

友人が夕暮れのコースを見渡して、" これが手に入るってすごくないか。"
" おまえ、信長の野望のやりすぎでないの ?? "

( ↓ ) このゴルフ場は3コースあるのですが、今日廻ったコースは11番と12番の間は船に乗って渡ります。
   ほんとは明日予定だったのを、厳しい天気になりそうなので、急遽今日の朝になって本日の午後スルーに変更したこともあって、
   INの12番からのスタートという一見変則的なラウンドになりました。
   アルバトロスを除いてはそんなにラッシュがあったわけでもないのですが、ダボが2回だけという、安定した別人のようなゴルフ。

       IN 41/16パット、OUT 43/15パットの計 84/31パット 
   (パッティングも丁寧に打てて、1mくらいの微妙に外しがちなラインのパットもしっかり決めれた。)

前回のラウンドでも想定外のラッシュとインスピレーションに恵まれたこのコース、
″ コースがわたしを愛してくれている ″ような気がするほど。 
この記事はこのコースから生まれたものです。 ⇒ ★★『心は自分ではない』★★

これからメンバーになるのだからと、けじめのある丁寧なプレーを心がけたのが好結果につながったように思います。

新春チャンピオンカーニバルで、ベルトを持っていかれた、いしこ選手にもタテ・ヨコ共に快勝して、雪辱を果たせましたし。
今シーズンは、夏合宿のロペを除いてはいい結果につながってなかっただけに、嬉しかった。

あんまりいいスコアが出ないと思ってた冬場に自己ベストを更新できたのも収穫です。
これで春夏秋冬、一年中がシーズンになる、オフシーズンとか、からだに油がのってくる夏場を待って、とかしなくてもよい。

アックス・ボンバー打法もだいぶ板についてきて、ポジショニング・ゲーム、ターゲットゲームとしてのゴルフがわかってきたので、
強いゴルファーを目指していきましょ。
( アックス・ボンバー打法 / 必殺 アックス・ボンバー ~ 「勁(けい)」のエネルギーの体現者たち)

 ブログを始めたときに宣言した 「ブログ開始 ~ ゴルフ84ビジョン宣言」、85で足踏みしていましたが、なんとか宣言した目標は達成。

   第一章、「へぼゴルファーのへぼへぼ日記」、了。 〆

   新しいステージで、強いゴルファーとしての再出発、第二章へ。(To be continued)

John Lennon - Starting over.

P.S.昨日の初稿ではパリス・ヒルトン嬢にお祝いしてもらう企画にしたのですが、どうもしっくりこなかったので、歴史を刻んだアルバトロス・バージョンに差し替え。

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★★『心は自分ではない』★★

2013年01月13日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

座右の銘にするには、人に公言するには、少々イミ不明になってしまいますが、

「心は自分ではない」

これは、かなり有用な、効く言葉だと思います。

ネガティブな感情が心を占めてくるようなことがあっても、雨や曇空のこともあるわな、って思える。
感情に振り回されてばかりではなく、傘でもさすか、雨宿りでもしてよか、って思える。

心は光の17倍の速度で変わるという仏教の旧い教えがあるくらい、心とは変わりやすいもの。

さわやかに晴れ渡ったアルファの心の状態であることがたとえ1%であっても、
濁ってぐちょぐちょした曇天なベータの心の状態でいることが99%を占めていようとも、
1%のアルファの方が本来の自分だと捉えてみる。
時間の長さの問題ではない。

自分自身が機能しやすい状態とはどんな状態か、これが本来の自分だったらいいな、の方に信頼を置く。
「心の状態」(コンディション)と、「自分」を明確に区別する。

スポーツの世界ならば、一番良いコンディションの時に出た最高のパフォーマンスがその選手のアイデンティティとして人の記憶に残る。
心は決して静物ではなく、絶えず動いている物なので、性善説とか性悪説とか、どちらか一方に片付けようとするほうがどうかしているのだと思います。

仏教では人間の「欲」を戒めているが、片や悪人正機説という考え方もある。暴れ馬である心というものの本質を分かっているのだ。

(煩悩にくらくらしても、″ ちょっとあの時は調子(コンディション)がわるかったからごめんね " っていう風になる。
 邪悪な心があってもよい、心は自分ではないから。
 都合が良すぎるといえばそれまでだけど、心と意志(Will)は違うということをわきまえていると、すごく寛容でラクチンだ。)

 「これもまた過ぎ去る。」(「これもまた過ぎ去る。」~ 今にとどまる言葉としての諸行無常)に始まる、
 「今、ここ」 にとどまり、「今、ここ」にきちんと対処するための気持ちの持ち方。

( ↓ ) ゴルフ日記のなかに埋もれさせてしまうにはもったいないので、もう一度。
   おぉ、この素晴らしいインスピレーションをもたらしてくれたコースには、末永くお付き合いさせていただきたく考えておりまする。


世界を住みよく変えるための人の絶え間ない努力は何のためにあったのか。われわれの心が満足するためではなかったのか。
  しかるに、この心は相変わらず瞬間瞬間」で違う感覚に弄ばれ、ゆったりくつろぐ暇すらなく、嵐の中で身を翻し続けるばかりなのです。
   われわれの心に対する処遇や知識が現状のままでは、世界を映し出す鏡(こころ)が歪み汚れたままになってしまう。
   なぜならば、われわれはその鏡に映すことに拠ってしか、世界を見、味わうことができないのですから。

 

「心に対する処遇」をとらえ直す、という視点がおもしろい。

一方で、人と人が関わる時に、それをいちいち愛情に転化してしまうという私たちの心のクセというか、ヤワさ加減についても指摘している。

~ 人間はあらゆるコミュニケーションを愛情欲求としてやっているという面を理解した上でフォローしあうと同時に、
   そこから幾ばくかずつでも自由になろうという努力が必要だと思います。
   この点は、僕が最近すごく関心を持っていることです。

仕事でもなんでも、絶えず喜んだり、腹が立ったり、傷ついたり、落ち込んだりするのは、
相手の視線や態度から、いちいち好意や愛情を得たい、承認されたい、という潜在欲求の裏返しなのだという指摘。
 ちょっとした知恵なのだが、それをわきまえていると心の持ちようが変わる。
最悪に甘やかされた人間という種なんだから、しょうがないなぁ。
「心は自分ではない」というのは、さらに踏み込んで、ただでさえ変わりやすい心に、いちいち振り回されないための知恵なのです。
心は暴れ馬だという前提でいるから、制御することもできる。
暴れ馬なのだから、適当に暴れさせておけ、っていうふうにもできる。

( ↓ ) おじさんはただ寝ているだけのように見えるが、暖かい晴れ間をうまく見つけたのかもしれない。
    引いたりフォーカスしたり、立体的な視点や風景を感じる音楽。
   (映像は(おじさんは)微動だにしない。(´・ω・`))

BACK ON MY FEET - MCCARTNEY- MAC MANUS

How many days will the wet weather last?     この湿っぽい天気はいつになったら終わるのか?
I want know will the clouds when they roll back 曇天の雲はいつになったら退散してくれるのだろう
Reveal a man in an old mac               古びたコート(マッキントッシュ)を着た男が明らかにしてくれる
Living on a park bench Sitting on his own?     公園のベンチに住んでる彼、ひとりで座ってるのかな?

Cut to the rain as it runs down the grass          場面は変わって、草原をなぐるような雨   
Eventually through the lightning and thunder  やがて稲妻と雷鳴の中
We see a man going under              男は行くんだ
This is how it happens、This is what he said    こんな風になって 彼は言うんだ
             

I don't need love、Though temptation is sweet  愛なんか要らない、誘惑は甘美だけどね
Give me your hand 'til I'm back on my feet          元気が回復するまで手を貸してくれ
You're always telling me about my misery       いつだって、オレのことを惨めだって言うけど
I've seen things you will never see、Don't pity me あんたには分からないことだって沢山見てきたんだ、同情はやめてくれ

Focus in on the breath of a man                男の息遣いにフォーカスしてみよう                  
Who takes a brown paper bag from his knapsack ナップサックから取り出した茶色の紙袋
Between his whispers and wise cracks          囁きと冷やかしの間で       
He's looking for permission、Screaming at the sky   許しを請い 空に向かって叫んでる

I'll be right again、Be upright without you       立ち直ってみせる、力を借りずに立ち直ってやるんだ
I'll stand up again、Kick up a fuss again too      もう一度立ち上がって、ひと騒ぎ起こしてやる

Cut back again to a girl walking by           場面はまた変わって 歩いている女の子
Until the feet that are all shoes and no socks     靴を素足に履いて   
Climb an invisible soap box                見えない石鹸の箱を登る
Laughing at the traffic、Shouting at the world    混雑を嘲笑い 世界に向かって怒鳴ってる

We see a life through the eyes of a man       われわれは男の眼を通して人生を見てる       
As he live and he dies By a simple tattoo       彼の生き死にと シンプルな刺青を通して

Well there you go, though we tried hard to know him  さぁ行くんだ、 彼を理解することは難しいけど
It's there on his face                        彼の顔には書いてある
He's a case where there's clearly no hope          彼に望みがないのは明らかだ

His face starts to fade as we pull down the shade          彼の顔が消えてゆく 僕らがシェードを引っ張るにつれて
And the picture we made is in glorious cinemascope   僕らの創り上げた映像は 栄光のシネマスコープの中に在る

 
on one's feetは、on one's back の「反対の表現」です。
I fell on my back.(私は、あおむけに倒れた)
He was on his back.(彼は病床に就いていた)
体が「背中の上」から、普通に「足の上」にある状態に back したので、「元気になった」「回復した」という意味になります。
二つの表現を比較すると分かり易いと思います。

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Paul McCartney&Wings - "Love In Song"

2013年01月12日 | 政治と経済のお勉強

Paul McCartney&Wings - "Love In Song"

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世界は動いている。

2013年01月06日 | 政治と経済のお勉強

 「2010年代 東アジアの大転換の時代」という記事タイトルだけつけてから、大河ドラマ「八重の桜」をみてきました。

記事タイトル変更、「世界は動いている」。番組の中で使われていたフレーズです。
(会津藩校 日新館で教えられたという什の掟(じゅうのおきて)- 「ならぬことはならぬものです。」、
近年見直されているようで、会津に行くたびに目にしたこの言葉が随所で繰り返し使われていました。)

幕末という大きな時代の変わり目を描くこの番組には、日本の今と重なるものがありそう。
黒船という分かりやすい、目に見える形で変化がやって来るとは限らない。

( ↓ ) Googleは中国から撤退し、サービス提供も中国政府によって規制されていたはずなのに、、
    年初の記事に違和感を感じました。
    中国政府が管理を強化しても、「ソーシャル・メディア等による情報の拡散は止められない」のだ。
    こういった記事にはアメリカやヨーロッパの企業やサービス名が並ぶのが常だったので、
    読んでて、妙なつっかえ感がありました。
    (`・ω・´) mixiはどこ行った? あれ、単位が億人だ、中国は13億人もいるから。
    

 

( ↓ ) 昨年(2011年)の正月、2010年のGDPで中国が日本を追い抜いたとの報道でにぎわった後に購入したきりになっていた本。

19世紀後半、福澤諭吉が「脱亜論」を著して以来150年間、日本は中国より軍事的、経済的に上にあった。
日本は準白人としてアジア人の立ち入りが禁じられていた欧米のゴルフ場に出入りし、アジア諸国の中で日本だけがOECDやIMF、主要国首脳会議(G7)に参加し、我々はこれを当然のように考えていた。

~ 我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可ならず、むしろ其の伍(一緒になる)を脱して、西洋の文明国と進退を共にする

この思想は日本の中枢を占める政治家も、官僚も、マスコミも、経済人もすべてが共有した。
150年間の重みがある。
今日の日本外交や安全保障の考え方の思想的原点はここに示されている。

″ 中国の大国化という歴史的大変化を前に、日本では変化に対応する戦略の用意がない " との警鐘。
「米国との関係を重視さえすれば、日本の繁栄がある」という図式は変わった、
過去の延長線上でうまくゆく、というような幻想に囚われずに、不愉快な現実を直視しなさい、との箴言。
事実、米国の世論調査で、米国にとって東アジアで最も重要視すべき国は日本から中国に変わってしまっている。
前提条件が変われば、結果や結論が変わる。プロセス、解き方を変えないと前と同じような答えにはならない。

 

欧州共同体やASEANの発足をアメリカは軍事的理由から後押ししたが、
東アジア共同体には反対の立場をとっている。

ASEAN諸国(インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、シンガポール、ミャンマー、ベトナム、カンボジア、ブルネイ、ラオス)は、宗教的にもばらばら、外交政策もばらばらで、紛争が絶えずまとまる要素がないと見る向きも多かったのに、平和と経済的安寧を育む理念のもと、
″ 平和をもたらす手段を専ら平和的手段に委ねた ″。

銀行の健全性と安定性の強化に資するという謳い文句ばかりに目が行きがちなBIS規制(バーゼル合意)についても、
BIS規制実施後の日本の銀行の凋落の原因から、真の目的が何だったかという説明がされている。
政治とは戦略なのだな、と納得させられるような内容も多かった。

よくありがちな中国に対する言説に疑問を抱かざるを得ない文章があったので引用。

「日米は民主主義という共通の価値観を持っている。他方、中国は共産主義独裁国で、米中には共通の価値観がない」と言う。
我々は客観的に見る必要がある。
米国要人に「あなたは日本要人と中国要人のどちらが自分に近いと思いますか。」と問えば、圧倒的に中国人と答える。

不勉強とは怖いものです。
ひょっとすると、ガラパゴス的誤認があたかも正論みたいに日本ではまかり通っているのかもしれない。

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八重の桜 ~ 2013年の磔刑(たっけい)

2013年01月05日 | お気に入り♪(いろいろ)

明日からいよいよ始まる今年の大河ドラマは会津が舞台、そして主演は「干物女」の綾瀬はるかさん、とても楽しみです。
会津と「八重の桜」、そして歌われざる英雄について

内田 樹先生の本を紐ときながら。
(民主主義についての中沢新一先生との対談なのですが、デモクラシーを今の社会システムと置き換えてみたほうが身近なモンダイとして捉えることができる。)

日本の文脈
内田 樹,中沢 新一
角川書店(角川グループパブリッシング)

今の社会システムが昔から自然物のようにずっとあったものだと思い出すと、うまく機能しなくなる。
みんながそのシステムから自分はどういう利益を引き出せるのか、どういう権利を行使できるのかだけを考えるようになって、
そのシステムを支えるためにどんな仕事があるのかを問わなくなってしまう。

あらためて言うまでもないことだけど、文明というのは凄い。

汗水垂らして橋梁を作り道路を建造しなくても、運転免許をお金を払って(多少の訓練を受けて)取得すればクルマで高速道路を走ることができる、
自分の身体よりはるかに大きい飛行機に乗って、地上よりはるかに高い空の中で、地上とは気象条件のまるで異なるにちがいない空を飛んでいても、そんなに怖がることもない。
(ものはすぐ落とすくせに、そのような大きな重力に抗うことにどうして抵抗を感じないのでしょう。)
食料品店に行けば、海とは無縁な内陸に住んでいようが新鮮な魚介類が買えるし、世界中の食材だって手に入る。
(食べてしまうと一瞬なのに、食欲というのはどうして飽くことを知らないのでしょう。)

そして、それらの大抵は、所与のものとして、あたかも自然物として当たり前にあるかのように感じられます。
それらの登場のために費やされた努力や功績に、自分は関わっていない。

仕事という形で若干なり、この社会システムの形成や維持に関与しているにせよ、
自分が乗っかっているシステム全体をコントロールしているわけでもないし、掌握しているわけでもない。
そして、多分それは程度の差はあっても、誰しも似たようなものだ。(たとえ一国の首相であっても多分それは同じ。)
ぼくらは、それらを上手に乗りこなす為の教育やトレーニングは受けるけど、全体を掌握するには細分化されて複雑になり過ぎている。
現に暮らしているにもかかわらず、もはや等身大のシステムとは言い難い。

自分の身体的、頭脳的実感とは次元を異にするくらいに肥大化した生態系といってもいいくらいなので、自らの原始的感覚を放棄して全面的に信任するくらいしかできなくなっている。
生まれた時からそうなっている、、そんなの常識だから、、、。

細分化された社会システムが、全体として大きなインフラやルールとしてインテグレートされていることは凄いことだけど、
人間ひとりのチカラでは精通して束ねていくことなんてできそうもないスケールになってしまっていて、指揮者不在のオーケストラみたい。
なんだか無責任で、怖いといえば怖い。
そして、肥大化して正直ひとりひとりの手には負えなくなってきている文明は、ついこないだまで赤ちゃんだった次の世代に受け継がれていく。

八重の生きた幕末の会津、
幕末といっても遥か昔の話でもない、たかだか140年、最近といえば最近の辛苦なのですね。

歴史は勝者によって作られる一方で、敗者の大義というものがある、みたいな言い方がされていますが、
会津は幕末の敗者として歴史から切り捨てられているとは思えないです。
決勝戦に残れなかったから、決勝戦としての歴史がないだけで、
敗者によって作られる歴史というものもまた、後世への物語として受け継がれていくものなのだと思います。
白虎隊のように。

西欧のダイナミックな歴史をつくり上げたもとになっているのはキリストの磔刑像だ、と内田先生は言います。

ヨーロッパやアメリカにおいて、政治を実行するひとたちの正義の源としてあったのがキリスト教であるならば、
日本においても、同じような磔刑像は形を変えて存在しているにちがいない。
磔刑像のように「目に見える形」として残っているかどうか、誰もが「見れば分かる」共通の正義や大義として存在してるかどうかの違いだけ。
それを、キリストは敗者だなんてことを言う人はいないでしょう。

キリスト教というのは、いろいろ問題はあるにせよ、長い間よいことも沢山してきました。
それは、イエス・キリストという人が身銭を切っているからなんですね。
自分の生命を犠牲として捧げたという、ものすごい贈与を行ったことが、まず最初にあります。
教会へ行くと、イエス・キリストの磔刑像があって、
どんなに時間が経っても、「私はあなたがたに贈与しましたよ」というメッセージが伝達され続けている。
起点に贈与があって、それが目に見える形で存在していることが、ヨーロッパのダイナミックな歴史をつくり上げたもとになっている。

( ↓ ) 干物女って??って、後でならないように。
    ムリ、ムリ。 ずっきゅんばっきゅん。ゴロゴロ。

コメント (4)
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[2013年1月 / 南摩城カントリークラブ] 打ち初めの魔女

2013年01月03日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

@なんまじょ。
新春チャンピオンカーニバル開幕。

栄光のチャンピオンベルトを巻くのはどの腰か。( なんだか物いいがへんですが。)

「アックスボンバー打法」は炸裂するのでしょうか。

 


必殺技ラリアット&アックスボンバーを従え、トペの栄光よふたたび。(ロペにかけてます)

初代統一王者をかけて、がんばれマスカラス!
魔女が微笑むのは あなたしかいない。

===== 以上 朝の部終了 ======

正月三が日にゴルフというのは初めての経験なのです。

しかし、結果は。。。

出だしから冴えませんが、なんだか皆振るわず混戦模様。。

Gが難しく、後半に入って、本命ハリーレイスが戦線から脱落。

出だしボギーでスタートして、ハリーレイス選手を捉えると、
その後も手堅くボギーを重ね、口髭を生やしたホセ・メンドーサの追撃をかわし続けます。

しかし、後半6番ティーショット、狭いFwを狙うティーショットで″ 3番アイアンで打つのをみたい ″と口撃にでるホセ。

へへへ、(o ̄∇ ̄o)♪ 3番アイアンは得意だって言ってるのに、210Y先のFwを堅実にヒット。

しかし、百戦錬磨のホセ・メンドーサにやられました。
3番アイアンの後、なぜだか狂い出すリズム、、さっきまでクリアしていたバンカーでも3度叩き、3パットでこのホール9。

チャンピオンベルトが遠のくとジョーのパンチが空を切り出します。

せめて意地をみせたい最終ロングホールでしたが、1m弱のバーディーパットを外すと、3パットのボギーで終了。

1位 無敵の統一王者 ホセ・メンドーサ選手 100 (54/46)

2位 飛べないマスカラス  106(53/53)

3位 2012マスターズ覇者 ハリーレイス選手   108 (52/56)

皆様にチャンピオンベルトを巻いた勇姿をお披露目できる日を楽しみにしておりましたが、
このような結果に終わり、残念です。(控え室でのマスカラス選手コメント)

試合後、宿敵、口髭のホセからこのような写真が。。

おぬし、憎っきカネック一族だったか。くそぉー。

なんまじょよ、おまえはカネックに微笑んだか。

Witchy Woman - Eagles

打倒カネック、

 必殺技アックス・ボンバーに磨きをかけて、ベルトを奪還するぞ。

アックスボンバー(ラリアット)

 

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1月1日(火)のつぶやき

2013年01月02日 | ひそひそツイート

今年は日本橋 大和屋の削り節で。去年の八木長のような尖ったような際だった感はなく、まろやか、上品でございまする。 pic.twitter.com/oEesJZ6x


油断すると、かずのこは軽んじられがちだ。ひたし豆とのセットは会津風。美味いけど、鰹節まぶして豪快にざくざく食べたいのです。 pic.twitter.com/Z00oIjNV


文句いってはいけません。関西のひとには信じ難いと思うけど、丸もちがこちらではあんまり売ってない。お雑煮のお餅って丸くて、つるっとしてるから、おかわりしたくなるものだ、というようなお父さんを抱えたおうちでは、わざわざ注文しないといけないのです。


真宗に喪中はないから初詣もオッケーなのですが( 現職の住職に確認したのだから まちがいない )、やめとこかー。さて、ポチ袋もって お散歩に出かけるとするか。ワンワン。


千家十職の宗哲の作品らしい、あんまり おもちゃみたいに扱ったらいかんぜよ。 pic.twitter.com/muGD5xed


昼は会津風のお雑煮を。おせち料理も持ち寄るとバラエティー豊か。松前漬のかずのこはもったいないけど、子持ち昆布のかずのこはよいなぁ。昆布巻きもノーマル、ニシン入り、シャケ入り。たらふく頂いたら,眠くなってきました Σ( ̄。 ̄ノ)ノ


ぶりぶり香合、っていうお正月の初釜でよく使われる茶具らしい。素人っぽい絵がバッタ臭いと思ってたら、これを奈良絵というとのことだった。へぇー。 mobile.twitter.com/lifelongpassio…


茶陶は、一に楽焼 二に萩焼で三に唐津焼。お正月だからちょっとお勉強。 pic.twitter.com/F9gMu3S8


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