ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

きっと強くなる ~ 小学校卒業式

2011年03月26日 | 日記

いまだ震災の余震が続く中、したの子の小学校卒業式。

震災後、スーパーの照明は薄暗くなり、モノもウソのように売り場の陳列棚から無くなった。
一時はコメもスーパーの店頭から消え、計画停電でロウソクの灯りのもとで夕食を食べた。
学校給食はお弁当に変わり、最後の給食はパンと牛乳だけだった。

親なら皆、同じような思いを持っていると思いますが、この子たちは、きっと強くなる。
戦後65年にして未曾有の危機、大きな変わり目の時期にそれぞれ、中学校・高校に進学し、
近い将来、復興のチカラとなって、新しい日本を創ってゆく世代。
うすっぺらでも、レールに乗ってしまえばどうにかおさまってしまうような時代ではきっとなくなる。
しっかりとした足腰と精神が必要だ。
大したことは出来ないかもしれないが、もっと強くなるまでいつも応援していてあげたいと思う。

卒業式のセレモニー終了後、両サイドに在校生が並ぶ中を一緒に歩いて見送りを受ける。

And I, never thought I'd feel this way   こんな風に感じるなんて思ってなかった
And as far as I'm concerned                 少なくとも私について言えば

And if, I should ever go away                もし遠くへ行ってしまう事があっても
Well then close your eyes                     そんな時は目を閉じて 
and try to feel the way we do today      僕らが今日感じたように感じてみて
And then if you can remember              もし憶えていたら

That's What Friends Are For - Dionne Warwick & Friends HQ

Keep smiling, keep shining                    微笑みを絶やさず 輝きつづけて
Knowing you can always count on me  どんな時だって 私を頼りにしたらいいんだ
for sure                       信じたらいい
That's what friends are for          それが友だちってもんだろ
For good times and bad times        いい時だって 悪い時だって
I'll be on your side forever more      いつだって ずっと味方でいるから

ちょっとcoolでないな、今日は。 どうしたんだ、ボケナスらしくない。

そろそろ、復興だ。

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唇に触れもせず

2011年03月23日 | ゴルフィーライフ

震災の折り、PGMコースの会員権、違約金を払ってキャンセルした。

「天地人」(「天の時 地の利 人の和」)でいう天の時が揃わなかった、というか待ったをかけたのだ。
震災の前日に発注を出していたのだが、やはりこのタイミングでの購入には踏み切れなかった。
別の方法を考えよう。

ゴルフどころではないだろ、という意見もあるが、
消費の自粛は、復興にブレーキをかけることにつながる、との意見もある。
そういう見地からすると、一ゴルファーとして賢明な選択だったとも言い切れない。
節電しながら普段通りの生活を送ること、過剰な生活防衛に閉じこもらないことが日本の復興には必要だという意見すらある。

ゴルフには、ややもすると金持ちの道楽や悪しき接待ゴルフのイメージがついて廻る。
まったく的外れではないにせよ、それはオリンピックは金満だと非難するのと同じくらい偏った考え方だ。
ゴルフはスコアを自己申告するという稀有なスポーツであり、オネストな紳士であることが求められるスポーツである。
あらゆる身体動作の在り方にまで関心が向く、心身の総合格闘技的な奥行きのあるスポーツである。
自然の中で、日がな一日、大のおとなが無邪気に球を追いかけることのできる懐の深いスポーツである。

悪いのは、絶対にゴルフではない。

風の大地よ、すまぬ。
唇に触れもせず 挨拶だけでお別れになってしまった。

熱き心に 小林旭

ロケ地は明らかに磐梯山、中瀬沼だ。
カウボーイ風の荒野は浄土平、吾妻小富士も見える。

 

磐梯山のあるのは福島でも内陸のほうだが、会津方面にも福島原発から避難してくる方々がいる。

ほんとうに美しいところなのです。
早く平穏が訪れますように。

急遽引っ越しの手伝いに行った晩。これも震災に端を発したと言えなくもない。
おでんの牛すじで、こんな旨いのにはなかなかアタらない。
ゴルフ好きのオヤジさんだった。

  

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Viva La Vida(生命万歳)

2011年03月20日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

サイクリングシーンに似合うなぁと思ってた曲、曲名を教えていただきました。

( SCOOTERではなく) Coldplay 2008年の作品「Viva La Vida 」でした。

ジャケットに使われている絵画はドラクロワの「民衆を導く自由の女神」、なんだかこの激動の時期にぴったり。

Coldplay - Viva La Vida (Lyrics)

歌詞の意味や詳細については、こちらのサイトが詳しいです。

( ↓ ) 日本語訳の動画があったので一緒にクリップしました。
    オーオーオーってのが、草原を渡る歌声のようで爽快だ、と思っていましたが、そんな明朗快活な内容の詩でもない。
    なんだか怖いくらいに今回の状況を言い当てているような気がする。

海は水位をあげた、
ほんの前は鍵を握っていたのに 次の瞬間には壁が迫っていた
私の城が支えられていたことに気づいた、塩の柱と砂の柱によって・・・
    

viva la vida / Coldplay 日本語 歌詞 

精神をつかおう、私の鏡 剣 盾となれ。

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にわかにサイクリングに興味を持つ

2011年03月20日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

学校の用事組と、家の用事組で、手分けして過ごす。

GS渋滞なんかも起こってて、なんだか騒がしいので、家の用事組は自転車に乗って買い物に出かける。

ママチャリで買い物なんて、しばらくぶりでしたが、
先日の徒歩帰宅でカラダが目覚めたのか、自転車というのが意外に気持ちがいい。
車では行かないような所をぬって走ると、普段の週末とは目線が変わる。
銭湯にまで入ってきた。

 荒川河川敷のサイクリングロードでは、都内で唯一の長距離サイクリング大会「荒川ハーフセンチュリーライド」が2008年秋から開催されているらしい。
    センチュリー(100マイル=160km)の半分、最長80kmを葛西臨海公園から走るとのこと。

    なんだか興味が湧いてきた。
    minivelo(ミニベロ)とかコンパクトなモデルには折り畳み機構のついたものもあってかさばらない。

Bicycle Plus(バイシクル・プラス) (エイムック 2138)
クリエーター情報なし
エイ出版社

( ↓ ) 0:20あたりから流れる曲が爽快。
    (SCOOTERというミュージシャンの曲のようなのですが、曲名が不明。 知っている方がいたら、どうぞお教えください。)

月例 荒川サイクリング

テクノ~トランス系の音楽にはあまり興味がなかったのだが、このSCOOTERの曲はなかなかに面白い。
トランス系ポップ界のマイケル ナイマンとでもいうような斬新さを感じます。

SCOOTER - IM RAVING

2011/3/20>颯爽とした曲はSCOOTERではなくColdplayのViva La Vidaでした。

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持久走だ、たくましくいこう

2011年03月18日 | 日記

持久走になったからには、持久走に馴染む気持ちに切り替えていかなくては。

 
人の恣意の入る余地もなく咲くサクラ。
無邪気な子どもと同じ、慈しむべきもの。

延々と続く震災の凄惨な映像に心を痛め過ぎるひとも多いと思う。
世の中タフガイばかりではないはずだ。
正確な情報は大切だが、情報を上手く消化できる人ばかりとも限らない。

緊張や悲しみを無理強いしてはいけない、
どこもかしこもで、逃げ場をつくらずに、共倒れさせるようなことではいけない、と感じた。
一致団結と、負の感情の連鎖は別物だ。

そんななか、ある方のブログの記事に感銘を受けたので引用させていただくことにした。

気付いていない人も多いかもしれないが、
不幸とは、心が苦しむことだ。それ以外には、実は無い。

他人には、どんなに悲惨でひどい状況に見えようが、
本人の心が苦痛を感じていなければ不幸でも何でもない。

こんな話がある。
ある男は、家族が皆殺しにされた時と、財産を強奪された時、最高の喜びを感じた。
それから、再び富豪となったが、その資産を全て誰かに譲って奴隷になった。
そして、自分の死期が迫った時、再度、無上の歓喜を得た。

こんな妙なお話を書いたのは、20世紀最大の詩人と言われたアイルランドのW.B.イェイツだ。
彼は1923年にノーベル文学賞を受賞している。
この男は、それらの出来事を、神の思し召しとして受容したのではない。
それらを、自分の意志であるとしたのだ。

あなたに不幸なことなど、何も起こらない。
どんな出来事も、自分が望んだことと思えば良い。
それが無理でも、心が苦しむのを拒否すれば良い。
それも難しければ、心に勝手に苦しませ、それを科学者のように冷徹に観察すれば良い。
それすら出来ないなら・・・もう自分を笑うしかない。

これだ、と思った。 心が苦しむのを拒否すればよいのだ。
感情の向け方をコントロールする術を学ばないと、感情にただ流されてしまう。

ウィリアム・バトラー・イェイツについて調べてみたら、日本総研のホームページに「ビジネスの詩学」と題したコラムを見つけた。
まるで、シューマッハーの仏教経済学のよう。

コミュニケーションに対する欲求、他者と分かり合いたいという欲求は、人間の根源的な欲求である。
絶対に分かり合うことはできないとわかっていても、コミュニケーションの回路が開かれ、
一瞬でも何かを分かち合えたという思いを共有できた時、人は無上の喜びや幸せを感じる生き物なのである。
そういう喜び、幸せな思い出を積み重ねていくことが、「自己実現」という言葉の本質であると思う。

ビジネスは、その人間の根源的な欲求であるコミュニケーションに関係している。
食べるために仕事をするのは間違いないが、多くの人が仕事にそれ以上のものを求める理由は、実はここにある。
だからこそ、ビジネス(物々交換も含めた商い)は、人間の歴史と同じくらい古いものなのだ。
ただ、ビジネスの場合、
コミュニケーションを言葉ではなく、商品を媒介にして成立させないといけない点に、そのユニークな本質がある。

~ 我々は他人との争いから弁舌を生むが、自己との争いから詩を生み出す。
  自分が把握した、あるいは把握し得る群集を念頭に置いて確信に満ちた声を発する弁舌家とは違って、
  我々は不安の中で歌うのである。(W.B.イェイツ『月の沈黙を友として」』)

アイルランドの詩人イェイツは、不安の中で自己と格闘することに詩の本質があると言った。
他人との争いから生れる「確信に満ちた」戦略論的弁舌に頼ることなく、
常に自己と戦い続けるプロセスを歌うように楽しむこと。
その行為を追求していけば、ビジネスという世界においても美しい詩が発生するはずだ。
美しい詩は、自ずと人を魅了するものとなる。
20世紀は拡張と攻略の世紀だった。しかし、その結果はどうなのだろう?
人の心も、自然も荒廃してしまったのではなかろうか。
だから、これからの世紀は、拡張や攻略ではなく、このような詩学に基づいたビジネス観に転換していくべきだと思う。
拡張や攻略に替えて、対話や共生にこそ価値を置く詩的な経済活動としてビジネスを捉え直すこと。
顧客や社員に愛される企業になるための一歩はそこから始まるのだと思う。
カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドは「演奏は競技ではない。恋愛です。」と言う言葉を残している。
ビジネスもまた拡張や攻略のための競技ではなく、相手(顧客)との合一を夢見て詩を紡ぎ出す恋愛に似た行為なのだと言えよう。

喫緊の公共インフラや人命に関わる職ではない仕事であっても無意味ではないはず、
と自宅待機の一日、そのようなことを考える。

震災から1週間、計画停電などの影響が続き、大規模停電の恐れから昨夕の首都圏は一斉帰宅のラッシュ。
朝も1時間半ほど早めの起床になっている。
連日泊り込みを余儀なくされている友人もいる。

節約生活を無理強いされるものと考えると苦になるが、
昨晩は計画停電のおかげで、街灯も消え、月明かりってこんなにも明るいのかと思った。

これは今夕、玄関先から見える柿の木に昇ってきた月。

夜明けへの扉は開かれる。

Secret Garden- Gates of dawn (with lyrics)

 

謹んで哀悼の念を捧げますと共に、より良い時代が訪れることを祈ります。

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きっと晴れるや

2011年03月12日 | 日記

M8.8の大地震。( 3/18 追記 > 発生後間もなくM 9.0に修正されました。)
震災時に革靴で帰宅できるのは首都圏なら20km程度が限界とも言われるが、多くの人が歩いた。
余震は続いてるし、帰路がどういう状態になっているのかもよく分からなかったが、
電話やメールもつながらないので、泊らずに歩いて帰ることにした。

冷たい風の吹く荒川に架かる橋から津波の影響があるのかと気になって太平洋側を見ながら歩いたが、暗い水面は意外なほど静かだった。

Paul McCartney - All My Trials

River Jordan is chilly and cold         ヨルダン河は 凍てつくように冷たい
chill the body、but not the soul        でも 身体が凍えようとも 魂までは冷やせない
All my trials、Lord will soon be over        神よ、わたしの苦労は 間もなく 報われるのでしょう

震災の被害の深刻さを考えると不謹慎に思われるかもしれません
が、緊急の必要はなくても、心を温める、強くするものも大切だと思う。
緊張をすべての人に強いるような場の空気があるのであれば、
逆に音楽を流したり、ほっとする気分になれるような番組があってもいいとも思った。
昨晩 道路沿いの電話ボックスで家族と電話が通じたらほっとして、
そばにあった饅頭屋さんで力づけに塩大福を2つ買おうとしたら、3つだったらマケとくよっ、と言ってたおばさん、
荷物はいらないけど、こういう晩に手土産持参もわるかないなと思ったおじさん。
道の途中では、汐留の方からもう5時間歩いてるという年配の方との話がはずんだ。
封鎖された駅の入り口を見るにつけ、年寄りや子どももいるのに日本人はどうしちまったんだろうね、と。
でも地震のさなかに炊き出しってわけにもいかんですからね、と言ってる若めのおじさん。

ついこないだまでカンボジアに行ってた弟と電話で話すと、
日本、なんだかまずい感じがする、プノンペンから随分離れた田舎では1台のバイクに6人くらい乗ってて貧しいんだけど眼がきらきらしてた、と。
とはいえ、昨晩 交通機能がマヒした寒い町中を歩いていると、
まるで集団疎開でもしているような異様な光景でしたが、
パニックが起こるわけでもなく、道徳的で冷静な日本のモラルを感じたりもしました。

余震が今もありました。サイレンの音もきこえます。。
もう少し落ち着いたら近くの神社にでもいこうと思います。

よい歌を教えてもらいました、ハレルヤ (主を信じる)、です。
( 訳詞はネットにあったのを拝借いたしました。)

John Cale - Hallelujah (Lyrics) (best version)

秘密のコードがあると聞いた  ダビデ王がそいつを歌うと神はたいそう喜んだ
でも君は本当は、音楽なんてどうでもいいんだろ?

それはこんな感じ。 第4和音、第5和音、 短調で下りて長調で上がる。
困った王が作ったのがハレルヤ...
君の信仰は厚く、その証明が必要だった
君は屋上で入浴している彼女を見た   月明かりの中の彼女の美しさは君を圧倒した
彼女はキッチンの椅子に君を縛りつけ、君の王位を壊し、君の髪を切り落として
ついには君の唇から引き出したのだ 神を称える歌ハレルヤを...

多分僕は昔、ここに来た事がある。 この部屋を知ってる、この床を歩いたことがある。
僕は君に出会う前に一人でここに住んでいたんだ。
僕はマーブルアーチの上から君の立てた旗を見た。けれども愛は勝利のマーチじゃない。
それは冷たく、途切れがちの賛美歌 、ハレルヤ...

君は僕に話そうとしたことがあったね、何が本当で 下で何が起こっているかを
でも今は決して話そうとしないだろ?
僕が君の中に入っていった時を覚えてる? あのとき聖なる闇も動いたんだ
そして僕らの吐く全ての息が賛美の歌になった 、 ハレルヤ...

多分神は僕らの頭上にいるのだろう   でも僕が愛から学んだことは
どうやって、君が誰かに撃たれる前にそいつを撃つかっていうことだけ
君が夜に聞くのは泣き声ではなく、 光を見た者の歓声でもない
それはただ冷たく、切れぎれの賛美歌 、 ハレルヤ...

< 初稿 2009/12/15 >
  All my trialsの単なる曲紹介でしたが、暗い荒川の光景がモノトーンめいた光景と重なったので。
  はるかに困難で絶望的な辛苦のなかをしたたかに生きる人たち。

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自分のなかに毒を持て

2011年03月07日 | 読書ノート

岡本太郎氏の本、
以前にさらっと読んだ記憶があるのだが、生誕100年ということでTVドラマがあったりと賑わしいなか、
読み返してみると、今度は喰いついてきたので抜き書きしておこうと思った。

とかく素人は玄人の真似をしようとして絶望し、私は不器用だから、などと言って尻込みしてしまう。
大人になると、みっともないと自分で卑しめてやめてしまう。
とんでもない。
むしろ下手な方がよいのだ。笑い出すほど不器用であれば、それはかえって楽しいのではないか。
平気でどんどん、生活を豊かにひらいていく。そうすべきなのである。
それが自分を再発見し、自由を獲得する大きなチャンスなのだ。

下手でいいじゃないか、ゴルフのスコアなんて。(-。-)y-゜゜゜

才能や情熱があるからできるのではない。逆だ。
何かをやろうとするから意志もエネルギーも噴き出してくる。
自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬、ひたすらやってみる。
それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。
意思を強くする方法なんてありはしない。
そんな余計なことを考えるより、ひたすら一瞬一瞬に賭けてやってみる。
そうすると、はたから見れば、あの人はなんと意思の強い人なんだろうということになるんだ。
世の中の一般の人は、あの人は意思が強いから、これだけのことをやったんだと評価するかもしれないが、順番を取り違えているんだ。
うまくいくとか、いかないとか、そんなことはどうでもいいんだ。結果とは関係ない。

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
岡本 太郎
青春出版社


なにをそこに読み取るかが問題なのだ。(-。-)y-゜゜゜

Optical Illusion (Mind trick)

岡本太郎氏は、モンテスキューの唱えた司法・立法・行政の三権分立ならぬ、芸術(人間)・政治・経済の三つが関係性を持った世の中が大切だと説く。
どことなくシューマッハーの仏教経済学に似た、
量重視の現代社会から抜け落ちてしまった質(= 人間らしさ)の復権。

『今までの自分を蹴飛ばしてやる。』

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだが、ぼくは逆に積み減らすべきだと思う。
本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。
捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
今までの自分なんて蹴トバシテやる、そのつもりでちょうどいい。 
自分に忠実と称して狭い枠のなかに自分を守って、格好にとらわれそうになったら、自分を叩きつぶしてやる。
そうすれば、逆に猛烈に自分が開け、モリモリ生きてゆける。
自分自身の生きるスジは誰にも渡してはならないんだ。
失敗したっていいじゃないか。人間の大部分の人々が成功しないのが普通なんだ。
今日の社会システムの中で、安全に生活することばかり考え、
自分を大切にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。

 『自己嫌悪で自分を甘やかすな。』

最悪の敵は自分自身。自分をぶっ壊してやる、というつもりで。
自己嫌悪なんていういい加減なところで自分を甘やかしてないで、自分をもう一度外から眺めるようにしよう。
どんなに制約の有る所でも、
平気で明朗に表していけば、案外通るものなのだ。

『誰もが焦るものだが、無目的・無条件で結構なのだ。』

誰もが何かしなきゃいけないと思っている。
ところがその何かというのが、てんで分からない。
こういう悩みは誰もが持っている。それがごく一般的なのだ。
何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、
ちょっとでも情熱を感じること、惹かれそうなことを無条件にやってみるのだ。
人間本来の生き方は、無目的で無条件であるべきだ。

『滅びたっていいじゃないか。』

目先の利害得失にこだわる現代人のケチくささ、こんな群れの延長である人類の運命などというものは蹴飛ばしてやりたくなる。
どうして人は滅びたくないと考えるのだろう。
滅びたっていいじゃないか、永遠に滅びないとなどと考えるほうがおかしい。当たり前のこと。
未練がましくある必要はないのだ。
無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。
ひとりひとり担う運命が栄光に輝くことも、惨めであることも、共に巨大なドラマとしていつかは消えるのである。
平然とこの世から去るとしたら、それが栄光だとぼくには思える。
 

すべてが合理的に目的化された現代社会では、生きることの非合理や猛烈な情感は顧みられない。
ほとんどの現代人は己の存在の中の芸術家を圧殺している。
だから人々は疎外され、知らず知らずに絶望しているのだ。
絶望しているということさえ知らないほど、深く、空しく。

Bring Me the Disco King-David Bowie (lyrics on the screen)

 

宮沢りえ Be TARO "岡本太郎"を朗読する [2/3]

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Love life, Love golf♪

2011年03月05日 | ゴルフィーライフ

いよいよ今年はメンバーライフを始めようか、とPGMのコースに視察プレーに行ってきました。

高速を降りてすぐ、コースへと向う1本道に入ると、眼前には雪を冠した男体山の壮麗な山景色。
非日常の世界に降り立ったような清々しい風景が拡がります。
道の両側の並木はまだ枯木ではありますが、葉が茂ると朝の木漏れ日の中の休日を演出してくれるんだろうなぁ。
コースの営業担当の方に訊いたら、あれは桜の木なので春は綺麗ですよとのこと。
秋のサクラの橙色の紅葉も好きなので、これはいいわぁと。

( ↓ ) コースに到着してから撮影した男体山。


右に見えるは女体山かと思い込んでいたが、女峰山(にょほうさん)というのだった。

南コース⇒ 東コースをプレーした。

( ↓ ) これは間違えてスタートしかけた北コースの1番。
    勘違いおじさんたちは、遠くに見える女体を追いかける。(-_-メ)

だがしかし、前回同様、アイアンがぼろぼろ。どして ?(・・?

スコアにならないゴルフなのだが、前回のような大叩きほどには至らず、53/53の106だった。
こんなぼろぼろゴルフでもこの程度なら、アイアンが切れてくれば、好スコアも期待できる。
春先には、昨年の87を更新するくらいまでもっていきたい。
期待のホワイトドライバーは、まだモノになっていないので、探りながらなのだが、南コースは飛距離よりも2打目のアイアンが勝負だ。

そして、この日大収穫だったのがCleveland CG15。
練習せずの初打ちだったので、
始めは、距離感とかつかめなくて、インパクトが緩んだり、G奥へオーバーしたり、でしたが、
途中から、ピンそばへバシバシ決まりだした。
パッティングも「ファイナルアンサー」を見つけて安定感が増し、尻上がりにショートゲームがよくなった。

坂田信弘氏「マンガ ゴルフ進化論」より。(→)  
なるほど、Gのピンが刺さっている範囲は意外に小さくなるのだ。
   

湯原信光プロや、あの中部銀次郎氏も言っていたが、
Gセンター狙いに徹するのが基本だというのは本当だと感じた。
ヘンな力みがとれる分、意外なほどにピン傍につく確率が高いように思えた。
Clevelandのウェッジはよく止まるので、ピンが多少手前に切ってあっても安心してGセンターを狙っていけた。
ロフトは48°あるが、フェースを開きやすく、ピンまで距離のあるバンカーでも使えるし、
こいつは強力な武器になりそうだ。
途中からは"クリーブくん"と呼んで、ずいぶん気持ちの良い思いをさせてもらった。

苦手だったショートゲームに俄然自信が湧いてきたぞ。

アイアンが本来のキレを取り戻し、ドライバーに慣れてきたら末恐ろしいことになりそうだ。
       ( ↑ ) 106も叩いているのにナゼニこんなに自信があるのだ。ヘ?(・・?   

スタートの南コース1番ホールでは祝砲のような飛行機雲。彗星のようにもみえる。
                   
                                     
この日最終ホールとなった東コースの9番では
   クラブハウスに招いてくれるような飛行機雲が現れた。 

PGMのコースメンバーになると、P-CAP (PGM Club Advantage Program)という特典があって、
 全国に広がるPGM123コースをメンバー料金+2~3千円でラウンドできる。
 これなら、他流試合に行ってもリーズナブル。

このコース、少し遠いけど、高速使えば便はいい。
 好きな早朝スルー(4/16から始まる)もメンバーなら5千円で廻れる。
 12:30以降ならトワイライトもある。

PGMヤーデージプログラムというのがあって、PGM提携コースのプレー1回で250ヤードが溜まる。
 私が行ってるPGM提携練習場でも1回の練習で100ヤード溜まる。
 オフシーズンなら土日でも18000ヤード(オフシーズンなら12600ヤード)からPGMのコースで無料ラウンドができる。
 平日なら6000ヤード(オフシーズンなら4200ヤード)で無料だ。
 しかも12月末までに6回以上のプレーでヤーデージは来年の12月末まで1年間利用期限が延長される。
 早朝スルーで回数廻れば、冬場に無料プレーくらいはできそうだ。

PGMホールディングスの株式を保有すれば、1株で3500円の割引券がもらえる。
  1株5万円ちょっとくらいだから、3月末の優待期日後に値段が落ちたところで買っておけば、9月末には割引券が手に入る。
   低い配当より全然お得である。( 株はくれぐれも自己責任でお願いいたします<(_ _)> )

南コースは距離が物足りなく思えたが、東コースの後半はドライバーを振っていける。
(ちなみにコースレートは今日廻った南コース/東コースが71.2(Aグリーン)、である。)

苦手だったショートゲームを鍛え直しつつ、
身体が廻り出してきた後半には、ドライバーで攻めていくといったゴルフが実践できる。
しかも、P-CAP制度を利用して、もっとタフなコースをお手頃価格でプレーできるし、
たまには那須や矢板方面のコースまで足を延ばしてもよい。
関越、上信越、常磐道にもP-CAPが利用できるいいコースが沢山ある。

いいではないか。

実は仲介業者と交渉をしているのだが、1口しか売りがない。
今日もゴルフ場の営業担当や会員サービス課の方と色々話をしてきた。
近くにマイホがあるのもかかわらず、一緒にやりたいから買う、といってくれるゴルフバカがいる。

なんとか見つけ出そう。                             

Pacific Golg Management TV CF

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トン、トン、トンで押し開ける、Next stage

2011年03月03日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

たかがゴルフと侮るなかれ。

ゴルフには当然ながらいろんな楽しみ方があるのだが、
あらゆる身体動作の在り方にまで関心が向く、心身の総合格闘技的なところにゴルフの良さがあると思う。
真剣になって遊べる懐の深さがあると思う。

レッスンプロの佐久間馨氏は、『良いイメージをトレースすることが大切』と説いています。

これはアニカ・ソレンスタムのFace the Fearにヒントを得た、
本ブログの副題にもなってるFace the Strength(自分のなかの強さに向き合おう)
を一歩進めた考え方、「Trace the Strength 」だな、と思ってみたり。

トレースする、良いイメージをなぞる、
良い意識のクオリア(質感)を型として反復練習する

このような意識への気持ちの向け方というものは、
おそらくこれからも、ゴルフに限らず、ずっと変わらぬ重要なテーマ。

( ↓ ) アドレスして右腰をキメるときにこの動きを取り入れてみよう。
    残心のゴルフを一歩進化させることができるような気がする。
   ( アイアンが上ずってしまう時の
特効薬にもなりそう。)
    重心を落として、上半身の力みをとる。
    裏筋を使って身体の中心に引きつけて打てる。

<ニュードライバー打法に結論>左手小指でクラブを立てる、でも採り上げた坂田信弘のレッスン、
これまでブログに書き留めてきた身体技法との様々な共通点があります。

(↓) 左手小指を立てる" 引き筋 "によって、支点が固定される。
    これは、甲野善紀氏も指摘する中国武術に伝わる、『 圧倒的な「勁(けい)のエネルギー』を引き出すてこの動き。
  " シャフトが長く使える "との表現、そのような見方ができるのか、と感心いたしました。
   佐久間馨氏は左手が” ストッパー”の役割になるという風に表現する。

  

( ↓ )右手人差し指を抜いて、右手中指と薬指で射抜くような指使い。
    これは練習不足のときなどにも効果的だという。
    ヘンな力みが抜けて身体がよく周り、フォローでクラブが縦に納まる「縦振り」スイングになる。

( ↓ ) まさしく、" 末端への意識で中心感覚がかえって強化される " をマンガで書き表している。

手の指先の握り方の身体技法として紹介されていたのは、小指から握ること。
小指に力を入れると、体の裏筋を通って身体の中心に力が伝わる。
人差指に力が入ると、肩に力が入り、身体が固くなる。

 

ニュードライバー購入後すぐにモニター当選した白の最新ドライバーのニュアンスをつかみ切るところに至っていないなか、
視察プレーに行ってきます。

『トン・トン・ゴルフ』で力みをとって、クラブにしっかり仕事をさせて、リズムをつかみながらラウンドしたい。

久しぶりに良い緊張感に包まれています。
コースに敬意を表し、謙虚なゴルフをする。
単なる娯楽を超えて、ゴルフを通して心身を鍛えていこう、と思い始めた。

私のようにゴルフをすると自分の悪いところがぼろぼろ出てしまうような人間こそ、ゴルフに鍛えていただくべきだ。
大凡の事は勘どころ良くはじめから出来てしまうのだが、突きつめたところまで至らずに適当に流してしまう。
いいショットは打てても、淡々と続けることが不得手。
不得手だからこそ、敢えて行なう、という考え方もある。
ゴルフが、未熟な部分、足りない部分の自己鍛錬を要請している。

~ミスショットをした後に人間の真価が問われます。
 そこでどう我慢して持ち堪えるか。大した人物かどうかが判断されるのです。
 ナイスショットではわからなかったその人の人間性が出るものです。
 ゴルフは大人にしてくれる貴重なスポーツだと思います。
 それは今も変わりありません。
 ( 湯原信光 )
 

「自分をよく知っていると賢いゴルフができる。」
自分ができることが何かをわかっていて、できることだけをしっかりとやる。
自分をよく知る人は無理をしないから慌てず騒がず淡々としたゴルフができる。
どんなミスがどんな状況で出るか、
どんなことなら失敗せずに上手にできるのかもよく知ることです。
自分をよく知る人はスマートで素敵なゴルファーに思えます。
(「書斎のゴルフ特別編集号/湯原信光 いいゴルファーになるための法則」より)

自分を知る、
これが存外にむずかしい。
しかし、それがスコアもよくなる凜のゴルフ、大人のゴルフ。

コメント
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