ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

スイング改造 ~ 一生ブレない左足軸の「回旋スイング」へ

2015年05月24日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

右膝を痛めてしまいました。

捻挫した古傷が冬場に疼くようなことは以前からありましたが、今回は痛みがなかなか引きません。

まずは接骨院に行くと、半月板の異常とかではなく、靭帯を痛めている可能性が高いとの診断。

前に肩を痛めた時(腱板損傷)に、劇的な効果があった鍼灸にも通いました。
患部の右膝に鍼灸を施す前に、右腰や右の股関節に痛みの原因があるとのことで、
そこの鍼灸から始まったのですが、
それだけで、びっこを引きながら歩いていたのが嘘のように、院内をすたすたと歩けるようになりました。
これには驚き!
右腰の骨盤あたりといえば、二年前に転移による圧迫骨折の診断があったところ。
嘘のように良くなったのですが、知らず知らずのうちにかばっていて、体を歪め、痛みを生み出す原因になっていたのかもしれません。

しかし、一回の鍼灸では痛みを取り去るには至らず、念のため整形外科を受診。
MRIではなくレントゲンによる所見ではありますが、特に骨折やヒビは見られず、軟骨の摩耗が痛みの原因ではないかとのこと。
痛み止めを飲んで、だましだましでは、かえって良くないのではと思いましたが、
鎮痛だけでなく消炎作用もあるので、ちゃんと飲んだほうがよいとの指導に、なるほど。

(二年前、ずいぶんお世話になった鎮痛剤、ロキソニンのような名前の湿布。
冷やすだけではなく、皮膚から薬効成分が吸収されるとはまるでニコチン・パッチのよう。湿布も進化してるんだな、と感心。)

 

病気は、外に発せられるべきエネルギーが、体の内部に発せられてしまったもの。
病いを単に病としてだけ片付けるのではなく、上手に体の外側へエネルギーとしてシフトする発想を持てば、
病いはチャンスにもなる。

同様に、痛みもまた、一種の才能であり、何かを成し得るチャンスやエネルギーに転じることができるのではないか。

こうも痛むようでは、右足を軸にした、ツイスト打法をベースにしたスイングをいつまでも続けるわけにもいかなくなってきましたが、
(必殺 アックス・ボンバー ~ 「勁(けい)」のエネルギーの体現者たち)
これは、スイング改造のきっかけ、千載一遇のチャンスなのかも。

 

基本的な考え方は、タイガーが取り入れたスタック・アンド・チルトに似ている。

しかし、左足を軸にした打法は、正確性はともかく、飛距離の面では必ずしも有利に働かない、
体力のある欧米人向けのセオリーだという意見もあります。

しかし、捉え方の違いなのかもしれません。
左足重心打法が何に対して画期的な理論なのかを読み解いていくと、
従来のボディターンによる二軸打法に対するアンチテーゼとして説明がされている。

(二軸打法による冗長な楕円軌道ではなく、遠心力が最大化する一軸の円軌道で、スパーンと振っていく。)
決して、右足軸に対して、左足軸のほうが優れているという説明にはなっていない。

一方で、「左重心スイング理論」だからといって、右足をないがしろにすることはなく、右足の使い方についてもきちんと言及されている。
曰く、右足を伸ばして、右サイドを高くしたトップから、左足軸で振っていくというその理論は、
「右足を倒しこむように使え」、という吉田一誉プロの教え に通じるものがある。

右足体重を常に意識して、右足をグッと踏み込んでいく、右足軸打法だけが、右足のフル活用ではない。
右膝に過度な負担をかけずとも、左重心のバランスの中で、右サイドのパワーを最大限に活用できる体捌きがあるのではないか。

そもそも、ここ数年の私のなかで、際立って安定し、得意としているのは、実は2打目のUtility。
 (200Yard以上残しても、まったく苦にしない。ドライバーを曲げても挽回できる。
  アルバトロスを決めたのも2打目のUtility。220-230Yardあっても、乗らずともグリーンを狙って撃てる。)

そのUtilityを打つ時のスイングをドライバーにも活かしていく発想が、これまで、なぜか無かった。
ドライバーは右足重心のツイスト打法なので、別モノだった。
片や、Utilityを打つ時は、上からダウンブロー気味に、しっかり叩きに行きますが、ミートを重視したバランスを大事にしている。
シャフトにこだわるわけでもなく、十年以上も前のパワートルネード(R)。
右足重心やツイスト打法でもなく、ヘッドスピードを上げて振りに行くぞ、とか思わず、クリーンヒットを大切にしているだけ。
この邪念の無い振りを、ドライバーのスイングに活かしていけばいいではないか。

右足重心の呪縛から逃れて、右足を伸ばして、倒しこむように使う、バランスのよい一軸打法としての「左重心」。

にわかには信じ難いが、小暮氏によると、
当代随一の飛ばし屋バッバ ワトソンも、バックスイングで後ろ足を伸ばして行き、(これを後ろ足軸とは言わない)、
前足の一軸で積極的に腕を振っていく、本理論でいう左重心スイングなんだとか。

( ↓ ) この説明で、左重心(すなわち、右腰を高く伸ばして使うスイング)が、理にかなったパワフルなものであることを理解した。

トップで右足を伸ばして右サイドを高くすると、高低差のあるピッチャー・マウンドの如く、「等加速運動」となり、重力を利用した強いスイングになる。

逆に右サイドが低く下がってしまうと、あおり打ちのアッパーブローになって、ヘッドスピードも上がらない。

捻転ではなく、「回旋」スイング。
(腰60度+肩30度+腕のインサイドへの角度45度で135度、ダウンとフォローで2倍の270度の角度差を使って「回旋」する。)

 


( ↓ ) この図解のイメージも秀逸。すばらしい。
   インサイド・イン軌道と言うと、なにやら引っかけやフックのイメージが湧いてくるのだが、
   「三角形の一辺(③)をストレートに上げる」と説明されると、
   安全にアウトサイドに引いていくテークバックのイメージすら湧いてきて安心する。

「回旋」運動、等加速運動、いずれも無理なところがないが、
このテークバックもシンプルで無理がなく、完成されたものすら感じる。

  

 痛み止めを処方され、骨にも異常がないことが分かったので、歩いたり小走りすると痛いのだが、
 練習場で無理のないスイングなのかどうか、試しに行ってきた。
 へ理屈かもしれないが、体も機械と同じで、動かしてやらないと、軋みは解消しないような気がする。
 炎症さえ鎮まれば、骨を潤滑に回すことで、消えていく痛みもあるような気がする。

 スイングしてみて、本当に無理がなかった。
 右足を伸ばして、倒れこませるように使うだけだと、変に右膝を押し込んだり、捩じったりしなくてもいい。

 過度な膝への負担を回避し、ミートを大切にし、力学的にも納得感の高い回旋スイング。

 ケガや痛みを才能、というか、きっかけやエネルギーに変えていく。

 

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ありがとう存じます。

2015年05月22日 | 日記

 

かの池波正太郎が、そばにある神田まつやと共に好んで通ったと言われる藪そば探訪。

2013年2月に火災で数寄屋造りだった明治創業の歴史ある旧店舗が焼失し、2014年秋に新店舗での営業を再開した藪そば。
自分ごとに擬えるのもどうかと思うが、私の大病~復帰と時期が重なる。あやかりたい。

同じように病から復帰した後輩の快気祝いを兼ねて、江戸の粋を愉しむ夏の宵。
食欲がなかなか戻らない、というので心配しましたが、殊のほか気に入ってくれたようで安心しました。



そば寿司(左上)って初めてです。これは美味しい。
お店の方は、このショウガが美味しいんです、と仰ってました。
褒めるのそこですか、って思いましたが、そこにも納得。
生姜の味云々というのは、あんまり意識したこともなかったのですが、たしかに美味しい。

蕎麦屋呑みって、そういうところがありますね。

味噌を舐め、焼き海苔を燻しながら肴にする。板わさもそうですが、実に素朴でシンプル。

ヱビスビールの後は、蕎麦焼酎で、
長居は無用、ラストオーダーは20時。
憧れの江戸っ子呑み。

ふつうのせいろ蕎麦は兎も角、
季節限定のじゅんさい蕎麦が美味。

肌理が細かくて透明感のある、
会津 桐屋の、一番粉で作った権現そばを思い起こすような味。しあわせでございました。

あまり、うんちくばかりを語るのは粋でないよな気もしますが、いわゆる発見というか、気づきがひとつ。

そば台を抜いて、上の海老天をおつゆに抜き出したものを、天抜きといいます。

これって、そば台を抜いているのだから、ふつう台抜きっていいませんか。
それとも、天ぷらのほうを抜いて提供しているから、天抜きというのがふつうなのか。

大阪にいた頃、「やなぎ」という割烹というか、卵でとじたトンカツの美味しい店が堺筋本町にありました。
そこでおじさん達が、好んで注文していたのが「台抜き」。
かつ丼の下にある飯台を抜いて、卵でとじたカツを別にして頂くのです。
その「台抜き」という言い方が通っぽく思えて、印象に残っていたので、天抜きと言われると、おいおい逆じゃないか、と思ったのです。

これもよくある、関東と関西の違いみたいなものか、と思って店のひとに尋ねると、
どうも、関東のなかでも、藪そばに独特の言い回しのようです。
なので、「台抜き」と言って注文する客が少なからずいるようです。

(蕎麦といえば、「藪」とともに、「更科」、関西を発祥とする「砂場」の3つが江戸の蕎麦屋の老舗として有名なのだそうですが、
恥かしながら、私は蕎麦屋の駐車場のことを砂場と言うものだとばかり勘違いしておりました。)

帰る際に、店員の方々が、口々に、「ありがとうございました」ではなく、「ありがとう存じます」と言ってらしたのが印象的。

マロニエの花が咲く季節です。
大ぶりでエキゾチックな花なのに、なぜか地味で見過ごしてしまいがちな不思議な花。

ペニンシュラの玄関先にもマロニエの木がありました。

その名の通り、マロンのような実をつけるのだそうです。(ただし、食べると毒なので注意しないといけないんですって)。

(シャンゼリゼ通りの並木道に植えられているのもマロニエらしいのですが、そちらは白花らしい。)

マロニエが歌詞に出てくるのは「時には昔の話を」。

そういえば、この紅花は、どことなく、ぶひぶひしてて、まさしく紅の豚、って感じ。

 紅の豚 - 時には昔の話を

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音楽は世界を受けとめる密度のようなもの

2015年05月18日 | ブログ化未満のデモテープ風

「ブログ化未満のデモテープ風」とは、うまいカテゴリーを考えついたのに、
デモ風にささっととりあえず書いておくということを、あまりしなくなった。

長くブログをやってると、日記を書くつもりもあまりないので、何かしら新しい視点や気づきを記事に与えよう、とか、
言葉やワーディングは大切だから前向きに表現しよう、とか、
自由度がだんだんと失われていくような気がする。
(ばかやろう、うぇーん、しくしく、じめじめ、がはがは、といった感情的なものを抑制したトーンの書きぶりが好ましく思えてくる。)

でも、あらためて、書き始めたころのブログをいくつか読み返してみたら、あんまりそのような気負いがなくて、さらさら書いてる。
何かテーマがないと書けないというのではなく、愉しみのツールとしてブログを使っている。
もっと呟きっぽくて、Twitterの延長みたいな感じだ。

まとめたり、何かを賦活させたいなら、後でアイデアが膨らんで来てからやればいい。

(こんなとっ散らかった内容ですみません、そのうち、考えがまとまったら、ちゃんと書きますという類のカテゴリーで、
原点に戻って、気軽にやっていくのもいいのではと考え直した。)

Jamie Oliver #FoodRevolutionDay Song

ポールが、ラップ・ミュージックに参加している。

トニー・ベネットが歌うスタンダード・ナンバー集に参加した時もそうだが、
そもそもビートルズの一メンバーだったポールは、
他人がメインを取る時に添えるアクセントやニュアンスの秀逸さが、大きな魅力だったりする。

茂木先生が、この本の中で、ベートーベンの七番シンフォニーのことを、こんな風に言っています。

” あれは音楽だと思って聴いているけれどそうではなくて、世界を受けとめる、考えたり躍動する密度だと思うのです”

印象的なギターのリズムに導かれたラップ・ミュージックに始まって、”Revolution~♪”のコーラス、
さらには、子どもたちのコーラスが重なってきて、アマチュアっぽいけど綺麗な粒立った音を奏でるピアノの伴奏まで。
通り一遍の音楽ではなくて、世界を受けとめる密度やバイブレーションみたいな音楽。

 

Tony Bennett duet with Paul McCartney - The Very Thought of You

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[2015年5月] 上毛・赤城でダウンしたあとに、美しい娘シェイが現れた。

2015年05月09日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

ポールが武道館で、” セカイハツコウカイ” と言って演ってくれたのは、Another Girl。

私も見つけました、

another girl  who will love me till the End、 最後まで愛してくれる娘を。

娘の名前はシェイ(Shea), (昔はシェアと呼ぶひとが多かったわ。)

ぼろぼろにダウンしている私の前に現れた。

I'm Down Live At Shea Stadium

美しいその姿。いわゆるL字型マレット。

ネオマレットの安心感も良いが、その安心感がゆえ、メンタル的にも茫洋としてしまうような気もする。
安心感と引き換えに何かを失っているような気がする。
シェイの顔つきには、集中力を研ぎ澄ませてくれるような精悍さがある。
でも、どうしてなのか、シェイはHなんだって。

PINGのフィッティングを受けたら、
34インチではなく、33インチのほうが、再現性の高い、真っ直ぐなストロークが出来ていると言われた。

短いパターは、腰をかがめて打つイメージがあったが、実は33インチと34インチで前傾姿勢がそれほど変わるようなことはない。
むしろ、両腕をまっすぐ垂らせる分、33インチのほうが淀みなくスムーズにストロークできる。
腕を曲げて調整してから打つ必要がないので、再現性が高くなる。

大事なのは、道具ではなく、良いパッティングをすることだ。
慣性モーメントの大きい、でかいパターのほうが安心感があるような気がするが、

実は両腕を垂らして、重力なりに振ることのほうが、ストロークの安定や安心感につながるように思えてきた。
腕を垂らすことで、無駄な力も入りにくくなるから、フェースへの感度やインパクトのニュアンスへのセンサーが上がる。

(逆に言えば、ストロークを重力任せに出来る分、短いパターのほうが、ストロークに割く神経は少なくて済むのかもしれない。
イップスみたいなところから遠いのはむしろ短いパターなのかも。
ストローク軌道ばかりを重視する、誤った安心感神話みたいなものに惑わされて、パッティングで大切なことを勘違いしているのかもしれない。)

フィル ミケルソンのパッティング・スタイルは、短めのパターでストロークはアバウトに任せて、
手先のニュアンスを存分に堪能しているように見える。

ストロークの軌道にやたら神経質になってる風のプレーではなく、もっと本能的に、Get in the hole、ターゲットを狙いに行っている。

カップに蹴られるのは回転のいい球を打ててないから、と言ってた、谷口プロのパッティングにも重なる。
[2015年3月] 原のゴルフ、谷口のパット、はじめました。)

パッティングになった途端にいい球を打つことに無頓着になりがちだが、
いいショットを打つことを、パッティングでも大切にしよう。
狙った出玉のラインに、回転のいい球を打てていれば、結果はおのずとついてくる。

Tee to Green: Phil Mickelson

実は、昨年NIKE IGNITEパターのグリップを交換した際に、
しばらく使っていなかった、オデッセイの#7を売りに出してしまった。(無敵のパターは#7)
すぐに後悔して、買い戻そうとしたのだが、その日のうちに売れてしまったようで、
その後、センターシャフトに手を出してみたり、another girlを求めて彷徨うことになってしまった。

後悔を断ち切れずに、今回のGW合宿に持ち込んだのがオデッセイの新しいモデルworksの#7.
ダブルベントでなくてクランクネックなのだが、このモデルはクランクネックしかないのだ。

( ↓ ) ネオマレットなのに、ストレートに真っ直ぐにストロークすることを求めず、イン・トゥ・インに振れる、というところが良いと思ったのだが、
これが迷いの元凶になったような気がする。
ストローク軌道を求めてパッティングしてるのか、入れることでなく安心するためにパッティングしてるのか、
これでは本末転倒、錯誤の迷い人だ。
逆に言うと、ストローク軌道ばかりを気にするパッティングになっていることに気づくきっかけになった。

 

~ さて、では、シェイに出会う前のGWのラウンドの反省を。~

( ↓ ) どですか、採算割れを心配してしまうような、このお値段。

ラウンド抜きの一泊四食だけでも13千円くらいはすると思うのですが。(@_@)


上毛コースOut1番ホールは、谷川連峰に向かった打ち下ろし、左は要警戒です。

ショットは悪くないのですが、3打目のアプローチをいつものように奥に打ち込んで4オン、3パットの出だし。

ラウンド中、ハクビシンに遭遇しました。

スラッシュ「 / 」で表記しているのはショートゲームスコア。

/5なら、フルショットを終えてアプローチから5打であがったことを示す。
/3、ハーフ9ホールで/27、が目指すべきところなのに/38、
惨憺たるショートゲームの不出来。

後半こそショートゲームが/28に改善、46でラウンドできましたが、4パットするなどだらしがない。

翌日、赤城に移動してのラウンド。

(家族でゴルフ場には来ないけど、ここは星空を見るにはうってつけのところです)

2番でParが来ましたが、あいかわらず、中だるみしがちな4番、5番で連続3パット、
前半あがりの9番ロングでは、2打目でグリーン奥のカラーそばまで運んでパターを手にするも、4パットでボギー。
(ショートゲーム・スコアをつけるのも途中で止めているという、気合のなさ。)

後半インになって、序盤に連続Parで好発進も、徐々に乱れる。
最終18番ロングは、バンカーから1.5mのパーチャンスにつけるナイスショット。
決めてハーフ46、2パットでもなんとか100切りだったのに、3パットしての100叩き。

パットが全部外れたような気がするほどに無残。
つれて、丁寧さを失い、リズムが作れない悪循環のまま終了。

 


標準の純正グリップからWinnグリップに交換して、インパクトのフィーリングがぼやけてしまっていたので、
気分転換を兼ねて、グリップを、少し太めの純正品に戻す。

パターをコレクションする趣味はないので、
使わないままのセンターシャフトのスコッツデールを下取りに出して、
出会ったのが同じスコッツデールのシェイだったというわけなのです。
([2014年8月] 夏、スコッツデール)

Shea, don't be shy ! いっしょに真髄を見に行こう。

 

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ポール マッカートニー ~ 武道館と天の采配

2015年05月06日 | 日記

東京ドーム公演を堪能したばかりだというのに、日増しにヒートアップする武道館公演の話題。

ビートルズが来日していたのは、わたしが生まれる数日前の1966年夏の日の出来事で、
およそ半世紀を跨いで、同い年の夢が現実になろうとしていました。

 

武道館のチケットは持ってないし、いつものように仕事に出かける朝でしたが、
出社前にタリーズ・コーヒーで話していて後輩が発したひと言が、

” (武道館のある)九段下なら 靖国通りを歩いていけば30分くらいで行けますよ”。

なんとなくおさまりのつかない気持ちもあって、開演時間には間に合わずとも、
場外からエールを送るのも悪くないなと思い、歩いて行ってみることにしました。

(今月初めに花見に行った時も、英国大使館方面から千鳥ヶ淵を北上し、ポールがやって来る予定の武道館まで足を延ばしていました。)

 

今度は皇居の東側サイドから靖国通りを西へと歩きます。
途中、ポールを乗せた車が、日比谷のペニンシュラから東京ドームへ向かうのに通っていた、本郷通りを越えて、北の丸公園のある田安門へと。
まるで導かれたかのようにやって来ました。

 

ビートルズ来日時のTV番組のテーマ曲だったミスタームーンライトが顔を出したような月の夜。
コンサート開始予定時間には間に合わず、7時を過ぎて到着したというのに、武道館にはまだ入場待ちの列が。
ポールの会場入りも遅く、かなり押したスケジュールになっているようです。
中止になった昨年の武道館公演の開演は昼間だったので、仕事のある現役世代には無理目な日程でしたが、
今宵、コンサートはまだこれからなのです。

結局この日、1000人以上のファンが、武道館の外からコンサートを聞いていたようですが、
ぼくもツツジの咲く北の丸公園を歩きながら、どの辺りで今夜過ごそうかと考えていました。

なんだか人と話がしたくなって、チケット売り場に行って、ものは試し、と聞いてみると、
Twitterで話題に上がってた当日売りの参加席(2万円)は無いけど、4万円のスタンド席が若干枚だけ在庫が出たんですって!
ちょっと外してから、4万円のチケットを買いに戻ると、今度は、参加席の在庫が確認できました!って。
場外から聴くつもりだったから、入場できるだけでも望外の出来事で、嘘みたいな予想外の展開になったのです。

 

今日のチケットは、横断幕と同じデザインの、ビートルズ来日公演時のチケットデザインを復刻したものなのですが、
急遽発売のチケットにつき、手書き。
(でも、あとで郵送で復刻デザインの「座席番号入り特別チケット」に交換できるそうです。)

開演スタートが8時近くまで遅れてくれたおかげで、開演前ぎりぎりで入場、
係の人が急いで席まで案内してくれました。

ほどなく、ポール登場! 近い!

 

オープニングはキャント・バイ・ミー・ラヴ。

東京ドームとは音響が違って、ギターやピアノの細やかな音の粒が聴こえる。

背後のほうからのビューイングは新鮮、ポールの目線と同じで、会場の臨場感が伝わってきます。

( ↓ ) Encoreでは、リストバンド型のライトでユニオンジャック×日の丸が。これは、ステージ方向からの目線でないと分からない。

     それに、ステージ床面スクリーンに映った日の丸も、ここからなら分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武道館では防災上やらないかも、って思ってましたが、「死ぬのは奴らだ」のマグネシウム弾炸裂。

ポールが爆発音や熱風に驚くジェスチャーをよく見せるお馴染みのシーンですが、
ステージ側に近い席にいると、熱風や煙をリアルに感じました。ほんとに熱いです。

武道館ではドーム以上の一体感やグルーヴ感が。
Let it be や Hey Judeでの、会場と一体となったセイクリッドなバイブレーション。

 

(写真右上) ペニンシュラホテルで正面まで来ていたのは、ツアー・カメラマンのKim。
(写真下)  彼の撮影によるグランドピアノからポールが目にする、ファンタスティックな武道館の光景。
残念ながら、ポールがグランドピアノに座ると、ぼくの席からだと姿が見えなくなる。

でも、マジカル・ピアノはよく見えた。いつもの正面からではなく、鍵盤や、ポールのシャツのしわまで。

まるで4月初旬に見た千鳥ヶ淵のデ・ジャブ、散ったはずの桜が舞い戻ったかのような桜吹雪。 

今年の春は幾度となく美しい散り花を見たが、とうとうフィナーレを迎えたようだ。

2015年の武道館なのだが、1966年の武道館の時空ともつながっているような気がする。
 

開演してから2時間以上が経過したことを示す、レトロな時計台。

千鳥ヶ淵花見のデ・ジャブ、予定外の靖国通り散歩、遅れた開演時間、直前になってのチケット入手、

天の采配のような夢の夜、そして何事もなかったかのように静かに位置を変えていた月の光。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶を形に残そうとした東京ドームだったが、武道館では記憶にとどめることを大事にした。

昨日の記憶を少しだけ。

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ポール マッカートニー・アート~ 夢に咲く花

2015年05月03日 | 日記

プレ・ショーの映像に使われているポールの絵画作品が、フランシス・ベーコンの作品に似ていると思っていたら、
ベーコンはアイルランドの画家だった。

ヴァイオリンベースはまるでラウル・デュフィの絵のようにも見える。

 

これはロックだ。


ペイパーバックライターの背景に使われていたリチャード・プリンスという画家の
ホラーっぽいナースの絵が印象的だった。


夢の夜のEncore そして Finale、

ひょっとしたら、これは夢なのかもしれない。

あとで確かめようと思って、宙を舞う花びらを持ち帰りました。

 もしかして君か? 

夢の続きへ・・・。 


Beatles : Paul McCartney & Mary Hopkin : Goodbye

 

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ポール マッカートニー 夢の夜 (2015 東京ドーム)

2015年05月02日 | 日記

ファンの間では、ゴールデン・ウィークにひっかけて、「ポールデン・ウィーク」なる造語がネット上を飛び交っていました。

夢の夜は4月25日。

同じところで夢を見ていた方々がいました。

# これほどまでに人生を肯定するのか # との呟き、その通りだと思った。

これで見納めになるのではないか、とか、どうか声が出ますように、とか、
ファンの想いは様々だが、ポールはそんな凡人が心配する域を超えて、颯爽と、飄々としていた。

2013年の秋、まさに神様のように” Just In Time " で日本に現れたアウト・ゼア・ツアーは、
無念の直前中止となった昨年の国立競技場のラストコンサートを挟み、
健康なふつうの人生に戻る、という使命を得た私を足かけ2年に渡って、励まし続けてくれた。

来日してのインタビューでポール自身が語っていることだが、
いつまでも瑞々しいインスピレーションや真にスターらしい元気の源泉にある、
シンプルな奥義がそこにあるような気がする。

# 良いバイブレーションかチェックするんだ #

超人ツアラトゥストラの教え。
人や宇宙はとどのつまり振動体なのだ、

” 汝、良い振動を発せよ 。”

分かりやすく言うと ” みんなでロックするよ。”ってことなのか。


ペニンシュラで立ちっぱなしの3時間を過ごした後、(ポールマッカートニーを追いかけて(2015 ~遂にポールに会う))

後楽園で合流。

これからのアリーナ席でのさらなる立ちっぱなし3時間に備えて、春モンブランを。

そして「Hope for the future」のような東京ドーム。

いよいよ夢の夜を迎えようとしているスペクタクル。

SaikoなRockshowの始まりだ。

20150425東京ドーム~Here today

移ろってゆく美しい自然を背景にした今回のThe long and winding road、
今僕たちはどの道中にあるのだろう。その時々は等しく慈しむべきものだ。

Out there tourでは外せない、「New」、「Queenie eye」。

All My Life(Just In Time)♪ってすごくシンプルな音階なのに、どうしてこんなにツボにハマるのだろう。

(80年代の曲をやってくれないかな、と期待する奥さんは
 イギリスに居た頃、Ebony and Ivoryを初めて聴いて、とても感動したらしい。
 そこでも、Why don't we? (どうして僕らにはできないのか?)という、
 たったスリー・ワードに、悲嘆や葛藤、さらには期待や希望までが込められる。)

クイーニー・アイで、Outで韻をふむところでこぶしを突き出し、エールを送る人たち、
ちょっと屈折した裏拍のようなズレが生むリズムの、乗りどころに乗っていく、素晴らしいオーディエンスだ。

今回の日本ツアーでは新曲の「Hope for the Futue」が初公開された。
今年の春、ぼくにとってはヴィヴァルディよりもスタンダードな曲になった。

20150425東京ドーム~NewからEncoreまで

滔々とYesterdayを歌うポール。
今年はYesterdayが誕生してから50周年にあたり、セレモニーも予定されているようです。
この世に生まれ落ちた最高のメロディのひとつだと思う。

湧きに沸くドームを月夜の静寂に変えてしまう Blackbird。
今回は数小節、これまで聴いたことのないフレーズをギターで弾いていた。リリカル。

 

ライブ本編の素晴らしさを上手く言い表している方がいました。⇒ 

同じアウト・ゼア・ツアーの続きなのですから、内容自体は前回とほぼ同じ、
日本のファンにとっては初めての「時を置いて同じツアーを体験する」ライブ。

なのに、あっという間に、ポールのバイブレーションに持って行かれる。
前回からどれだけ時間が経ったとか、セットリストが変わったとか、という問題ではなく、
ただ最高のバイブレーションを発する送り手と同じ時空を共有できるということ。

人が何度も繰り返して音楽を聴くというのはそういうことなのだ。

P.S.

ポールデン・ウィークの模様、続編をもう一本書き上げてしまったので、
明日20時にアップされるよう仕込んでおきました。

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