ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

紅のゆくえ

2015年11月28日 | 日記

濃い霧が朝の関東を包んだ秋の日。 霜月も終わろうかという宵、まつやへ。

朱の器の中に霞む木の葉は、白い蕎麦がき。

新蕎麦の季節も過ぎたというのに、今秋は木の葉の色づきもまばらで鈍い。

 

今週になって急に冷え込んだが、雨が多い割に気温が下がらない今秋、

ひと晩明けた週末の朝は、久方ぶりにピーカンの太陽、快晴の空。

いつもの道を抜けて 木ぐらしカフェへと向かった。

  

木々に囲まれたひっそりとした場所にある古民家風のカフェで、前回食し損ねた木暮らし御膳をいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ストロベリー・フィールズよ永遠に、と歌われるのは、決して単なるいちご畑のことではない。

なぜかしら郷愁を誘う紅に、人は魅せられるのだ。

尽きて消えゆく紅の行方。

   

Strawberry Fields Forever - Restored HD Video

ストロベリー・フィールズに描かれる心象風景は、春ではない。

どこに降りてゆくのだろう。

Let me take you down,,,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cause I'm going to ...

苔むした木の幹の上に、ドングリが落ちていた。

朽ちたはずの幹が、新たな草原を作っていた。 

不可逆のはずのエントロピーが交錯する。これは時空の裂け目なのか。

 

John Lennon number 9 dream

静脈が浮き出したかのような幹肌に光が射して、何やら精霊のようなものがうごめいているかのようだ。

古代のくさび形文字のような揺らめきは、何かお告げでも降りて来たかのようでもある。

  

小枝にとまる小鳥たち、或いはムンクが描く人面、

光に揺らいでくねくねしている様子が落ち着くと、いにしえの高僧の顔のようにも見える。

 

  おぉ、メリー・クリスマス  

              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[ピアノ弾きおじさんへの道] Yesterdayのレッスンで感じたこと

2015年11月23日 | ツールとしての音楽

まだまだ練習中ですが、久しぶりにアップ。

撮りながら練習すると、演奏の捉え方が変わってきたりするし、モチベーションアップにもなるので、
上手くなって、完成バージョンを、なんて言わずに、もっと利用してもいいのかもしれない。
どのみち、そんなに上手くないんだから。

断片でなく、一曲通しで、
できればイントロや、エンディングをつけて、間奏も入れて、とかやってると100年かかりそうだ。

Yesterday piano 練習テイク

YouTubeの演奏を真似ようとして上手く弾けなかったイエスタディが、

僅か1時間のレッスンで、簡単なアレンジに仕立て直して頂いて弾けるようになりました。

(転回形を使わない1・3・5の指使いにして、弾きます。)

おどろきです。

易しいコード(F、Dm、B♭、C、E、G
  ~ こうして並べてみるとメジャーとマイナーのいわゆるスリーコードだけ。
の部分だけを弾いていきました。(EsusやAの部分は初めはとばして休符します)

動画では両手を合わせにいって、弾き間違えたりして、テンポががたがたになっていますが、
レッスンの時には、曲中で頻発し、曲を支えているスリーコードに絞って、繰り返し4拍子のテンポに気をつけて弾きました。

レッスンが終わってから悩んでいるのは、サビの

          " Why          She    had  to  go " の部分。
右手は       Asus4   ⇒    A   ⇒ Dm

左手の動きは  /E(または/A) ⇒/A  ⇒ /D ⇒/C ⇒/B♭ となります。

右手の Asus4/E ⇒ A/A はどうも音程が違うような気がするし、

左手は had to go - とメロディの音階が上昇するのに、 /D ⇒ /C  /B♭

と逆行する下降進行では、右手はDmをキープしてるので、カウンターラインみたいになって上手く歌が乗せられない。

仕方がないので /D ⇒ /E  /F と、メロディなりにユニゾンで左手を弾いています。

歌を支えやすくはなりますが、悪く言うと野暮ったくなりがち。

下降進行で弾いても、コードの構成音なので、きれいに響くし問題ないそうなのですが、
現在の私の感覚では、ユニゾンのほうが音楽らしい響きに聞こえる。

元々弾こうとしていたコードから、今回の簡単アレンジへの変更点を整理しました。

(C7を構成音の違うFに置き換えたところが、よくわかりません。)

Esus7はEsus4へ A7はAへ、 Dm ⇒ Am/Cは、ほぼDm四分打ちのDm ⇒ Dm/Cへ、

B♭(ファ・シ♭・レ・ファ ⇒ C7(ソ・シ♭・ド・ミ) は 、B♭(♭・レ・ファ⇒ F(ファ・ラ・ド)へ

転回形を使って音階の移動をスムースにしたり、セブンスを入れたりしないと、
厚みのある演奏にはならないのだろう、という思い込みがあったのですが、
レッスンの初めに、簡単にアレンジし直したバージョンの演奏に合わせて歌ってみるというデモンストレーションの時間がありました。
演奏に厚みがありました。歌を乗せていっても、伴奏に安っぽいところが全然なく、豊かに響いていました。

これで目からウロコが落ちたのが大きかったです。
簡単アレンジだとつまらないという偏見が払拭され、これから弾こうとするアレンジや譜面への信頼感が持てたからです。

身の程をわきまえず、自由度がある分、中級~上級者向けの型に固執している自分に気がつきました。
コード・ボイシングを考える前に、まずはベースやテンポを確りさせて、ぐらつかずに演奏できる音楽にしないと、歌まで気が回りませんから。

いろいろトライアル&エラーしながらで。

( ↓ )  おじさんピアノですが、ハノンとかいう上品なのも少々始めましたの。

    (少し、ゲンスブールのPull marineに似てると思うのは気のせいか。
     ~ 人生はライブである ~ ゲンスブールの違和感とビロードの滑らかさ )

ハノンの練習

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォイス・トレーニングとハミングの真髄と。

2015年11月22日 | ツールとしての音楽

「外国人は20歳で20年のヴォイス・トレーニングをやっている。」

それに加えて、表情トレーニング、ボディランゲージもやっています。
聴音トレーニング、発声、発音、調音トレーニングを日常レベルでやってきている。

日本語は読み書きは難しいのですが、音声は幼稚園に入る前に両親などから教えてもらっただけではありませんか。
大体母音もアイウエオの5つが言い分けられたらいいのですから、アだけでいくつも発音のある国と比べても仕方がありません。
認識している音の数が100くらいしかない日本と、何千もある国とでは、「耳」の力も、発声の調音能力も著しく違っていてあたりまえでしょう。
学ぶと言っても、母音の「ア」の出し方一つ、日本では明確に定まっていないのです。

 日本に欠けているもの、それは呼吸法や共鳴法ではなく、音声言語表現なのだという。

ならば、そこを意識的に、強化してみてはどうか。

 

 Knee Play 3 (live) - Philip Glass, "Einstein on the Beach".

 なるほど、意識に上げて聴いたこともなければ、発声することもできないような音を発して歌っている。
同じ人類といえど、頭蓋骨の中に響いている音がこうも違うと、頭で感じたり、考えたりすることも違ってきそうに思える。
脳波が絶えず共鳴している振動数が違っていると、頭脳回路のチューニングに違いがあるのはごく自然なことに思える。
受容体であり、発信体である人間は、当然ながら環境に応じて変化する。

( ↓ ) しかし、同じ人類なのだから、発声器官の構造自体に大きな違いがあるわけではなく、その使い方に違いがあるはずだ。


地声と裏声の中間にある歌声を滑らかにつなげる、ミックス・ヴォイスのようなメソッドで言われるのは、『のどを外して、開く』こと。

のど声は、自分の耳には大きく聞こえるし、歌いやすいので、大半の人が正しい発声だと勘違いするらしいのだが、
のどの上から押しつけたり、のど自体に力が入ったりしているので、浅いところだけが鳴っている。

目指すべき発声は、喉の通路を開いた、胸声。深いポジションの声を取りに行く。

胸の中心に声の芯をイメージして、その声の芯をつかむイメージで、胸声を強化していく。

真似のできない発声は、共鳴のさせ方が違うからだと思う。(フランス語の発声だってそうだと思う。)

筋膜(Fascia)ライフ」で採り上げたように、

鼻を鼻筋や鼻孔(鼻の穴)だけではなく、鼻腔全体に拡がる洞窟だと意識することで、

共鳴器官として、声を楽器のように使う可能性が拡がる。

初心者ボーカルレッスン  高音の出し方 ハミング 

「鼻に響きを集めて出してあげる」、「鼻に当てるハミング」、「喉にかからないから高音が出る」、

納得。

(Let it beの弾き歌い、無理にのど声を鳴らそうとせずに、
  のどを開いて、鼻腔にアタックするようにして歌ってみたら、
音程をスムーズに行き来できるようになった。)

( ↓ ) もうひとつ。「木曜日、ハミングで高音に挑戦」が勉強になりました。

ハミングって、口を閉じてするものだとは知らなかった。 lalala~ とか nanana~ って口先で調音して歌うのと、ハミングは違う。

ハミングで音の響く場所を探しながら回していくことは、

裏声と地声のつなげ方、ミックスボイスのトレーニングにもなるような気がする。

ボイストレーニング基礎の基礎1週間

「声が変わると人生が変わる」の中で、

これしかないと言えるくらいの大切な秘訣であり、奥義や秘伝と云われるもの、それが「ハミング」だと紹介されています。

「身口意(しんくい)」という言葉、
発声する時に「身体」の角度や「声やハミング」の音程を調整したり、声が響いている場処にきっちり「意識」が集まっている。
この三つを一致させていくことが、願望実現の秘訣でもあります。
このことはぜひ覚えておかれるとよいと思います。

体というのは不思議なもので、「心」も「過去」も「現時点での未来」もすべてその中に包含しています。
意識でキャッチできているかは別として、体はすべて知っているのです。
そして、それが声に現れているのです。
ですから、逆に、声の使い方によって、自分にとって一番ふさわしい未来を具現化することもできます。
声はその人の気(エネルギー)」の現れですから、その声に共鳴する世界を変えてゆけるのです。

毎朝の倍音声明もハミングに通じています。

毎日異なる体調やコンディションを、音の響きでビロードのように滑らかにし、よく響く身心に整える。

ピアノの弾き歌いだってそうです。

それに、歌詞をつけて歌う前に、鼻にアタックして、ハミングをつけていくほうが、ピアノの音に乗りやすい。

しかも、口先だけではない芯のある胸声のトレーニングにもなっている。

身口意(しんくい)は、ゴルフにも応用できそうな気もする。おもしろい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[2015年11月] ホールインワンからのターン ラウンド

2015年11月15日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

そんな風に考えるのはどうかと思うのですが、
2013年の1月にアルバトロスを達成した直後あたりから、腰の痛みが徐々にひどくなり、結局大病が判明することになりました。
([2013年1月 ホームコース申込ラウンド] ☆彡 アルバトロス達成 ☆彡

それから凡そ2年半を経た2015年8月、今度はホールインワンを達成。
([2015年8月]夏の4連戦 ~ ホールインワン達成 !!)
しかし、その後、ホールインワン記念に、シルバーウィークの泊まりがけゴルフを、振舞ったあと、しばらくゴルフはお休みすることにしました。
なんだか、愉しんでプレーできなくなってきたのです。

もう今日のラウンドは、流してプレーしてお終いにしよう、みたいなことをすると、それは自分に跳ね返ってくるのです。

「自分の言葉を自分で聞く」ことが究極の自己暗示となって、自分に影響を与えるのと同じです。

考えてみれば、アルバトロスからホールインワンまでの二年半、
大病からの復活ゴルフというそれ以上は望めないくらいの出来事に恵まれましたが、ゴルフの上達が停滞していたのも事実。
上達を志向しながら、楽しく、充実感を持ってプレーする気持ちになるには、少しばかり休息が必要でした。
ホールインワンは、少し休めよ、っていう次への節目だったのかもしれません。

 

ホールインワンからのTurn round

実は先週、久々のラウンドを予定していたのですが、雨で中止に。

そして、今日はホールインワン証言を頂いたホールインワンガールをホームにお招きしてのラウンドです。

心配された雨でしたが、スタート時間には降り止んで、その後は雨が洗い流したような空気を太陽が照らし、
なんとも晴々しいゴルフ日和に。

 

愉しいラウンドでした。

ホールインワンガールの初めての100切り、料理屋の女将の初めてのハーフ40台に立ち会うことができましたし。

(私は、「回すのではなく、右肩を引く」スイングへの改造が功を奏して、インパクトの当たりが強く安定するようになったのですが、
いかんせん、スイング改造しながらのラウンドで、時におちゃらけも出てしまい、
前半はいつもの大叩きホールがいくつか顔を出し、球が行ってる割に、スコアになりません。
それでも3つパーを取って、ほぼ横一線で前半を終了。

偉そうなことを書いてますが、キャメロンのパターですこすこパットを決めてくるホールインワンガールに、こつを教わりました。入れるぞ、入るぞ、って決めてからパットするんですって。

 


白眉は後半。
スイング改造が段々、なじんできて、ダブルボギーなし、4つのパーで41.

さくら草の青ティーから、ハーフ30台が狙える実感を伴えてのラウンドが出来ました。
(もう少しパットが決まれば、バーディーやパーをもっと増産できたのに。)


輝かしい夕べの光が巨大な緑蔭をつくり、ゴルファーたちを包み込んだ。

オンブラマイフ(かつて見たことのないような緑陰)、「恩寵の時空、色彩の記憶」のよう。

この瞬間に感じるような幸福感をゴルフの時には味わいたい。

面白いことに、

人間は「感謝」と「恐怖」を同時に感じることができないのだという。

オリンピックで選手が口々に感謝の言葉を口にするのは、

それが恐怖やプレッシャーに打ち克つ術にもなることを本能的に感じ取っているからかもしれない。

 

冬へと夢が続いていきますように。

Hayley Westenra - River of Dreams (adapted from "Winter")


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レヴォリューションのミーム

2015年11月11日 | お気に入り♪(ビートリー)

Tug Of WarとPipes Of Peaceのリイシューに湧いているばかりだというのに、
今度は2000年に発売されて世界各国でチャートのNo1になった「ビートルズ1」が、15年ぶりにリミックスされ、
併せてビートルズのビデオ・クリップ集が初めて公式発売されるなど、7種類のフォーマットでリイシューされた。

同一アルバムが、リミックス版を含めて2度チャートで1位になるのはオリコン史上でもはじめてのことらしい。

11月11日、夜の11時11分にリリースすべく、急いで本稿を書いている。

11:11というようなゾロ目の時刻を、続けざまに目にする体験を持つ人は結構いるそうだが、
私も実家に置いてある貰い物のオーディオ用のデジタル・タイマーの時刻表示が、見るたびに不思議と11:11であることが多くて、
これは何か意味があるのだろか、とよく思ったのを覚えている。

共時性(シンクロニシティ)体験の一種で、勘やインスピレーションが冴えている証拠だという説がある一方で、
晴れ男や雨女と同じで、単に記憶や印象に残りやすいだけのことだという説もある。

映像の修復作業は、まるで名画の修復作業を見ているかのようだ。

The Beatles 1 Video Collection Restoration Trailer

restoreされたビデオクリップは沢山あるが、Revolutionを通しで見たことって、実は殆どなかったかもしれない。

もともとは、もっとスローだったジョンの曲をもっとアップテンポなロックに仕立てようというアイデアを出したポールのコーラスが効いている。

モータウン風?の"シュビドゥワ シュビドゥワ~♪"ってのは映像のLive版でしか聴けないし、
Don't you know it's gonna be? (どうなるか分かるかい?)っていう合いの手を挟むようなコーラスも、

レコード盤ではファルセット気味だが、こちらのLive版では、野太くて格好いい。

ホフナーベースのボディーをうねらせるアクションも決まっている。
ラクダシャツみたいな恰好だというのに、それすら格好良く見えてしまう、ほんとに。あぁ。

1:50過ぎからのあっはん、ハァハァ、
そして僅か20秒足らずの間に、一気にエクスタシーに向かうかのようなラウドな野性は、ゲンスブールのジュテームの先を行ってる。

こちらの映像とかもリストアしてほしいなぁ。

ジョン レノン曰く、後のヘビメタの先駆け的な曲とのことだが、ラウドなRevolution同様、
ジョンのヴォーカルにぶつけてくるポールのシャウトするコーラスの野太さが格好いい。

Beatles - Ticket to Ride (Live at Wembley Stadium 1965)

 

 

天才というのは、ゴールデン・エイジという言葉があるように連鎖的に一気に出現するらしい。

石器時代に、仲間のハンターが棒を使っていたのに、一人だけ火打ち石を打ちつけて短刀を作った人がいたのはなぜなのでしょう。
仲間たちが草の根や木の実を採っていた時に、一人だけ地面に種を蒔いているような人がいたのはなぜなのでしょう。

たとえば、古代エジプト文明が産んだとてつもない巨大建造物であるピラミッドも、
クフ王の巨大ピラミッドをはじめとする最も巨大なものは僅か100年間の間に作られている。

紀元前5世紀のギリシャでは、アテネという都市国家に、
プラトンやソクラテスの哲学、アリストテレスやエウリピデスの詩が生まれ、
2000年後のフローレンスという都市国家では、ミケランジェロやダ・ヴインチらの巨匠が誕生し、ルネッサンスが起きた。

もっと最近でも、音楽の世界では数十年間で、ジャズやリズム&ブルースや、ロックが一気に拡がったし、
昭和のプロ野球には、巨人やONがいた。
ラーメン文化がここまで大きなムーブメントになったのもここ20年くらいだろう。
(少なくとも、20年前に、東京で博多とんこつラーメンを食べようと思ったら、環七のなんでんかんでん、とか限られた店に行くしかなかった)
進化というものは、ある時、一気にやってくる。

そこには「ミーム」と呼ぶべき、「人から人へと共有され、受け継がれていく行動様式や知恵のように、伝播していくもの」があったという。

遺伝子ではなく「ミーム」が、私たちを変化させる最も強力な手段になる。

例えば、何匹かのチンパンジーが、小枝を使って穴から餌の蟻をつり上げることを覚えたとしたら、
やり方を学ぶことで、一匹のチンパンジーの脳から、他の仲間のチンパンジーの脳に直接伝わり、
たった一晩で、チンパンジーの知性によって、生き残り戦術がガラッと変わってしまう。
生まれつき備わっていたスキルや遺伝子を通して次の世代に受け継がれるものではない。
天才と呼ばれる人たちの思考や癖、感情のパターンというのは、
遺伝子ではなく、周囲の出来事や人々によって心の中に、種が蒔かれ、作られていくもの。

遺伝子のように必ずしも世代を跨がなくとも、進化 -evolutionやrevolution -は起きるものだ。
そういうミームを選び取るかどうかにかかっている。

突然変異のように見えても、ラングストンの蟻のようなものかもしれないし。
(神秘を創造するシンプルな仕組み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回すのではなく、右肩を後ろに引くドライバー(重力使いの名手へと)

2015年11月08日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

人生を春夏秋冬に喩えるのはどうかと思う。

春に見せた桜の色は其処にはないが、、

寂寥の空に美を感じることがある。

TVで、真っ赤な紅葉もいいけど、緑の混ざってる色づき始めた頃の紅葉が好きなんですーと言ってるひとがいた。

感性の良い人だ、と思った。ひと口に紅葉と言っても、いつ何人にとっても錦秋の紅こそが一番というわけでもない。

ライブ感を持って、その時々の嬉しみを感じるならば、時間の質は変わるからだ。 

(人生はライブである ~ ゲンスブールの違和感とビロードの滑らかさ)

紅ではないが、橙が街のあちこちに在った。

夕方に見た橙。

いい歳をしたおっさんが夢を見て何が悪い!

 

ゴルフにも似たようなところがある。
映画監督の篠田正浩さんが語るダンディズムが印象に残っています。
ありがちな、嘘っぽいダンディズム論ではありません。
夢と理想の狭間でじたばたもがくことはある。格好悪い。
しかし、そこに生まれる尊さや身の処し方がある。
(鷹のダンディズム

ゴルフのいちばんの効用は己を知ることができる点にあります。そもそもスポーツとはそういうものだと思います。
理想を高く掲げながらも、日々、己の限界をいやというほど思い知らされる。
このギャップが人間にダンディズムを教えるのだと思います。
理想と現実の狭間にあってじたばたしているけれど、そのじたばたを表に出さない。
じたばたの振幅が大きければ大きいほど、それを見せないのがダンディズムというものなのでしょう。
ゴルフをするようになって60年が経ちました。あの頃は、まさか自分が80を過ぎてもゴルフをしているとは思ってもみませんでした。
何事も、頂点を極めた後は、徐々に下降線を辿り、ついにここでギブアップかという時を迎えます。
そこで人生もゴルフもきれいさっぱり区切りを付け、リタイアメントを宣言するのもひとつのスタイルなのかもしれません。
しかし、一度エントリーしたら雨が降ろうと雪が降ろうととにかくゴルフ場に姿を現し、
理想と現実の差にもがきながら決してそれを顔には出さず、ホールアウトするまでボールを追いかける。
ゴルファーにはそんな身の処し方もあると思うのです。(篠田正浩)

 

ゴルフ・トゥディが潔い雑誌になっていました。

多くのゴルフ好きが感じている通り、ボディターンが基本でしょ、とレッスン記事を組んだ翌号で、手打ちでないと球がつかまるわけないでしょ、とレッスンしたりする。
やっぱり憧れはドローだ!って特集を組んだら、最高の球筋はフェードなんです!と言ってみたりする。

そういうのを止める、ときっぱり宣言しているところが潔い。

これは、目からウロコかもしれません。

回転したり、回すのではなく『右肩を引く』 のだ。

回転しながら右サイドを開かずに残せとか、回転軸は左か右か、とかややこしい無理難題を並べることなく、
右肩を引いて戻す、重力の理にかなったシンプルな動き。

結果として回転運動になるのであって、回る意識はエネルギーをとっ散らかすだけで、散漫な動きを招くだけのような気がする。

右肩や右腰の高さをキープしてインパクトするのは、あおり打ちによるパワーロスを防ぎ、
最も安定したパワー=重力を最大限に活かす工夫でもあるのだが、
右肩を引いて戻す、といシンプルな動作なら、修正点や意識するポイントが少なくて済む。

ドライバーのスイングに迷いが出ていたが、これで断ち切りたい。

黄色いボールを白いボールに変えて、また新世界へと。

  

「自然は不安定なものばっかりだ。でも重力は安定している。
ひとつのゴルフ場の中で完ぺきに一定なんだ。それを利用するとスイングも安定する。
ショットが安定している人が頼りにしているのは、おそらくはそういう理屈なんだろうね。」

原型を留めない演奏は、得てして興ざめになるのだが、このロケットマンはちょっと違った。
重力の安定しない宇宙にいるロケットマンの孤独。宇宙空間では時空さえも歪む。
思考と時間、そして重力は、密接な関係にあると言うが、
それらのバランスや安定を欠いたタイムレスな時空で聴こえる音や思考がどのようなものかといった趣き。

Elton John - Rocket Man feb 2013

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする