ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

超える人 ~ ルネッサンス人の薦め

2010年10月30日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

今日は、小学校の授業参観や、塾の個人面談に行ってみたり、と教育パパ状態の一日を過ごしました。

どーも、うえの子は英語・社会・理科(生物)がダメで、数学でなんとか伸びしろを信じてもらってる、という感じ。。
そっくりかもしれない、、(-_-メ)

私も昔、大学受験の頃の話しですが、(実は京大を目指してたというか、そこに当然に行くものだと思っていた)
中学生まで好きだった日本史がどうしても好きになれなくて、
信じてもらえないかもしれないけど、5.15事件と2.26事件の区別もつかなくて、歴史の先生に呆れられてた覚えがあります。

(↓) 科学ライターの竹内薫氏と、茂木健一郎氏の対談。
   2人とも興味のある作家だし、帯のコピーが気に入って手にとりました。
   『 発想の原点は、理系と文系の壁を超えて思考する精神にあった!』

~ 高校2年くらいまでは理系と文系の壁なんてなく、同じように勉強していたのに、
   大学生ともなると突然ベルリンの壁みたいなものが立ちはだかってくる。

~ 理系か文系かみたいなことを問題にしたがる人が多い。そういうのにはいっそ気付かないで、
  「え、世間ってそうなってるんですか」って言うぐらいの方がいい気がする。

思考のレッスン
竹内 薫
講談社


~ 万人にとって、それぞれの人の好みも、人生の目的も違うわけでしょう。
   その人の知性や感性の向かう先だって違うわけなんだよ。
   理系か文系かなんて知ったことじゃないんで、自分がいいと感じたものしかわからないってことなんですよ。
  「知」なんてそんなに境界のあるものではない。

茂木氏は、あえて言うならmarginalというか、「境界人」 とでも答えるしかない、と言います。
" 誰もが必死で生きているんだから、生命哲学は誰にでもわかると僕は思うよ。どうやって生きるべきかっていう。
 学問って結局そういうものになっていくわけじゃないですか。違いますか。
 たとえば、宮沢賢治は理系か文系かどっちなのかったって、わからない、そんなの。"

なかなかに痛快な対談。

日本の理系・文系的な知のインフラ自体が分れたまま、横断できなくなっているなら、
ボトルネックを作ってるのは私たち個人じゃなくて、硬直した社会システムの問題。
そこで嘆いてみてもしかたがないから、そこからどうやって抜け出そうかってことになる。

両氏の共通の師匠である養老孟司さんは、外国人にいつも言われるそうです、
"日本人はほんとうの意味で生きていない"って。
最近ニーチェ本が流行ってるみたいですが、
「神様が言ってるからこうやるんです」ではなく、
「私はこう思うからこうやるんです」というところが欠けている。

~ ニーチェが「ツァラトゥストラはかく語りき」で言ったところの「超人」は、
  境界人の進め、生きることの進め、に近いんです。

~ 社会的な価値観を糧にして生きているということは、外部に価値を丸投げしている点においては、神に従っているのと変わらない。
  逆に、境界人というのはそれができない人だと思うんです。
  エゴ、自分勝手、というか、自分の心に従ってしか生きれない人。
  不器用というか、ダサいというか、世間の価値観というのがあんまりリアリティが無くて、
  自分の中に価値観があって、それに基づいている人。

~ ルネッサンス人、境界人という概念を知るとだいぶ違うんじゃないかと思います。
   今 日本は社会構造が変わってきていて、
   昔みたいに安定した、悪く言えばタコツボ化した社会は崩れてきている。
   でも、まだみんなの精神が追いついてきていない。
   一つの事に特化した専門家は評価されるが、
   いろんなことができるオールラウンドプレイヤーは、器用貧乏みたいなイメージであまり評価しようとしない。
    今のところでずっとやっていく、「考えない文化」ではなく、
   これからの日本社会で目指すべきはルネッサンス人という目標ですよ。
   いろんなことができる、いろんなことを怖がらずにやってみるという姿勢が考えることにつながる。
   なぜなら考えないと適応できないから。  

~  福澤諭吉が、「文明論之概略」の中で、
    日本人は世界から見ると「境界人」のようなものだという意味のことを言ってるんだ。
   古代ギリシャ以来の知の伝統の積み重ねではなく、
   明治維新で急に西洋の学問を輸入して、ゼロからいきなり知の全てをねつ造しなくてはいけない状態に陥ったのが日本人。
  けれど、それをネガティブに捉えるのではなく、ゼロから近代的な知の体系を築きあげられるという、
  ヨーロッパにはない境界人であればこそのチャンスや自由を日本人は手にしたと福澤諭吉は考えた。
  自分がエスタブリッシュだなんて思っているうちはダメで、
  境界人の立場にいる方が、チャンスだっていう開き直った態度
でスタートできるんじゃないか。

  ルネッサンスの万能人とか言われる人たちも、決して万能になってやろうと思ってたのではなくて、
  自分のやりたいことをなんとなくやってたらそうなっちゃったんだろうと思う。
  この「そうなっちゃった」ってところが恋愛小説風でいいんだなぁ。~ (茂木健一郎)

日本の精神や人間関係に、カラリとした明るさを持ち込んだ福沢諭吉、大した人だなぁと思う。

~  私も茂木も一芸の勝ち組からしたら、負け組なのかもしれません。
  一芸に秀でていないために、それを「いい加減」と断じる人もいるでしょう。
  でも一芸では負けるかもしれませんが、多芸になればこちらの勝ちです。
  人生の荒波を「合わせ技」で乗り切ってはいけないというルールはどこにもありません。
  この本はしたがって、一芸で上位0.1%に入る競争をしたくない、
  ほとんど全ての人のためのルネッサンス風なんでも屋のススメ、なのです。~ 竹内薫

両氏とも熱中したという哲学者ウィトゲンシュタインの黒崎宏先生の一連の解説書、
" きっと世界の見え方が変わるにちがいありません。"とのこと、気になる。

ニーチェの超人思想。
あるとき確かに神は死ぬ。
死ぬっていう意味は、つまり、
そこにある価値観で生きなければならないというところから脱却する段階があるということ

GOD JOHN LENNON LYRICS

どんな人でも必ず、自分がまっすぐ目指していた道にすんなり進んでいく人はいない。
たいていの人は多かれ少なかれ、キャリアそのものが終わってしまうような危機的な状況や場面があると思うんですよ。そこでどうするか。
打たれ強い人間というのは、いろんな所で引っかかって、どうしよう、どうしよう、って生き残り策を考えるわけです。

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家族論と教育論 ~ Little Willow

2010年10月27日 | 読書ノート
ほほぅ、校長先生と面談したうえの子が、尊敬する人は誰ですかと聞かれて、
" 父です。"って  " 言っちゃった" らしい。

"どうして "って聞かれたら、" 切りかえが上手いからです。"って答えたって、、 カミサン大爆笑。

(カミサンから伝え聞いたので、本人に"オレのことソンケイしてるらしいな"、なんて間違っても言っちゃだめ、って釘をさされてますけど。)

モノのはずみ、みたいな感じなんでしょうけど、中3の息子にそう言ってもらえると、
ナニカの間違いであっても うれしいなぁ。 よしよし。

(↓)福島県の安達太良山系にある浄土平で撮った写真ですが、黄金色の薄がGoldyで素晴らしいでしょ。

  ~ よく自然に触れろって言いますけど、あれは「時間に触れろ」ということだったんだな、いま突然わかりましたよ。~ ( 内田 樹)



 強欲なスクルージ爺さんが過去と未来を見ることによって善人になって再生する「クリスマス・キャロル」をモチーフにした映画に「恋はデジャ・ヴ」というのがあるそうです。
 都会的で功利的なTVマンが時間の中に閉じ込められてしまい、同じ時間、同じ一日を何度も転生するというSFファンタジー。
 すでに何が起こるかわかっている世界に生まれ変わってしまう主人公が、
 最初のうちは悪事の限りを尽くしていたのですが、じきに飽きて、この限られた時間の中で自分に何ができるんだろうと考え出す。
 そして、老人や子どもを助けたり善行を繰り返すようになる。
 悪事にはすぐに飽きたのに、善行にはなぜか飽きない。そして、善行を繰り返しているうちに、閉じられていた時間が動き出す。

~ たぶん人間の善性というものは時間の関数なんですね。
  時間が過去から未来に向けて直線的に流れるものだという前提が崩れるときに、
  たぶん人間の中の何かが変わるんでしょうね。 ~
(内田 樹)

 " 強く念じれば、望みは実現する。ただし、自分の望んだ時期には実現しない"


また、いつもの時空的な話のほうに行きかけましたが、今日は教育論・家族論的なところを少し。

やはり、内田 樹(たつる)先生の言うことには、いちいち頷いてしまう私。

自然の中に一定時間放り込まれていると、草っぱらの上を渡っていく風を感じたり、夕焼けを眺めたりしながら、
刻一刻と変化していく自然のノイズの向こうにある秩序みたいなものを感じるようになる。
そうしているうちに、だんだん、そういう変化のリズムと自分がシンクロしてきて、
「あっ、自分は宇宙のネットワークの中におさまっているんだな」って感じがする瞬間がやってくる。
自分は承認されている、
自分はこの世界にいてもいいんだ、この世界の構成要素なんだ、っていう
「つながっている」感覚。

子供はそういう外からのシグナルに対する反応が、なまじな大人よりも敏感なので
都会の中だとノイズに圧倒されてしまうけど、自然に触れることでノイズの彼方の秩序みたいなものを感知できる。

 「つながってる感覚」を経験的に身体と心に染み込ませていくこと。

 教育者であり武道家である内田先生の箴言を続けます。

子供に対する親の仕事というのは、どうすれば子供が気持ち良くなるのかということを考えることに尽くされると思うんです。
暖かい布団で寝かせるとか、ちゃんと温かいご飯を食べさせるとか、やさしい響きの言葉で語りかけるとか。

逆に、子供の身体感覚にさえ目配りしていれば、あまり余計なことは言わなくてよい。
人から気遣われることがどういうことかを経験していれば、
自然に他人の快適さを気遣うことのできる人になれると思うんです。
お説教をして、口では「はーい」って返事をしても、身体と心が嫌がっているようでは、そんなことは言ってもしようがないんです。

家族は、ただでさえ狭い空間にひっついて暮らしているわけですから、しんどい関係なんですよ。
空間的な距離がないというだけでも十分息苦しいんですから、
せめて精神的な距離くらいとってあげないと気の毒です。
基本的に親子関係は希薄な方がいいと思うんです。

家族というのは「さぁ、みなさん集まりましょう」、「一緒にルールを作りましょう」ということで
個々が集まって成立したわけじゃない。

本来家族として暮らしていれば、それだけで自然にわかり合えることがあるのに、
現代ではことさらに「対話」とか「コミュニケーション」とか、かえって関係をややこしくするようなことを言っている。
コミュニケーションからこぼれ落ちるもの、言葉にできないこと、そこに家族の本質が棲まっているわけで。
ことの順番が逆なんですよ。

 言い得て妙。たしかに、不機嫌でいられるありがたさ、ってのもあるし、
   「早く決断しろ、早く結果を出せ」っていう、
   ショートスパンのビジネス的な時間感覚が家庭や家族のありようを歪めるような気がしなくもない。
   そういうとこにサザエさんがいつまでも愛される所以があるように思えました。  

人生は偶然に溢れていて、誰も警告できないけど、がんばれ小さな柳の木。

Paul McCartney- Little Willow

BEND, LITTLE WILLOW,
WINDS GONNA BLOW YOU
HARD AND COLD TONIGHT.

LIFE, AS IT HAPPENS,
NOBODY WARNS YOU,
WILLOW, HOLD ON TIGHT.

NOTHING'S GONNA SHAKE YOUR LOVE,
TAKE YOUR LOVE AWAY.
NO ONE'S OUT TO BREAK YOUR HEART,
IT ONLY SEEMS THAT WAY...HEY.



健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21)
内田 樹,春日 武彦
角川書店
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僕の虚像

2010年10月25日 | お気に入り♪(ビートリー)
ポリカラスでふざけてみたのはいいけど、ちょっとした自己嫌悪。
なんだか、バカやったかなぁって感じで。

明るい落ち込み方、っていうのもあるのです。
元気な自分でない、もう一人のだめだめの自分が顔を出した時は目をそむけず、
あぁ、そんな自分もいるなぁ、って見てればいいのだ。

ちょっと、しょぼん、って時に聴くポール、やっぱりお手本。

Paul McCartney - My Brave Face (live '1990)
 
I've Been Living In Style、Unaccustomed As I Am To The Luxury Life.  贅沢で僕にはなじまないライフスタイルで暮らしてた
I've Been Hitting The Town And It Didn't Hit Back.        都会には期待したけど、応えてはくれなかった
I've Been Doing The Rounds 、Unaccustomed As I Am To The Time On My Hands. 
持て余した時間を、慣れないままに ぶらぶら過ごしてる
Now I Don't Have To Tell Anybody When I'm Gonna Get Back. もう いつ帰るとか誰にも言う必要さえなくなった
Ever Since You Went Away I've Had This Sentimental Inclination Not To Change A Single Thing.
君が行ってから センチメンタルな気分になってしまって 何にも手がつかないや
As I Pull The Sheets Back On The Bed I Want To Go Bury My Head In Your Pillow.
ベッドのシーツを整えながら、君の枕に顔をうずめてしまいたくなるんだ
Now That I'm Alone Again, I Can't Stop Breaking Down Again,  また 一人ぼっちになっちまった、 また滅入った気分になるばかりだ
The Simplest Things Set Me Off Again  And Take Me To That Place 
単純なことが また僕をひっぱがして いつもの場所に連れ戻すんだ
Where I Can't Find My Brave Face        そこには 勇敢で華やかな僕の顔なんて見つからない
My Brave 、My Brave 、My Brave Face 、          勇ましくて 華やかなのは、僕の虚像
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なんで生物の本なんか読んでんの

2010年10月24日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

本の栞(しおり)にあった言葉なのですが、
” 見つける力、動かす知 "という発想は、「思考の整理学」に通じるものがあります。

(思考の整理学 / 外山滋比古(とやましげひこ)
)

>「 発想 」というが、新しいことはそうそうない。
  すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。
  発想の母体は触媒である。
  発想の面白さは化合物であり、元素をつくり出すことではない。
  寝かせる、忘れる時間をつくる、ということも、主観や個性を抑えて、
  頭の中で自由な化合が起こる状態を準備することにほかならない。



松岡正剛氏曰く、
" さまざまな読書体験がもっと可視化されたらいい。"

座して静かに読むだけではない、
もっと自由でアクティブな読書法の薦め。



私がやろうとしてることと少し似ている。
興味がある切り口から、対象を拡げていく。
ブログに抜き書きしておけば、忘れた頃になっても、あとでつながる。
その場限りではない、深化する読書。

( ↓ ) 茂木健一郎氏、内田樹氏、竹内薫氏、
私の好む方々がそろってこの激賞ぶりが気になった本。(吉本隆明氏の娘のばななさんまでも。)



うーむ、基礎的な知識が足りないがゆえにそれほど面白く感じないのかもしれぬ。
習うより慣れろだ、もう1冊。

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)
福岡 伸一
講談社


そういえば、生物っていうか化学がキライだった。
molとか濃度の計算とかをやってるうちは良かったのですが、
CH---とか有機化合物の分子式が出てくるようになって、これはお呼びでない、と感じたことを思い出した。
どうして理数系の科目なのに、歴史の年号よろしく 分子式を次から次へと覚えなくてはいけないのか、辟易してたらキライになった。
(大学時分に、予備校の化学の授業がいまひとつなので、化学だけを教えてほしいという受験生の家庭教師をやってましたが。)

この本はいきなりトリプトファンというアミノ酸を研究する世界中のマニアの会合の話から始まります。
いきなり そのような辺境から入られても困る、、と感じた読者の方も少なからずいるのではないでしょか。

書評にある通り、専門的な内容が詩的に文学的に、エッセイ風に工夫して書かれているのですが、
いわゆる「この本は私のために書かれている」、という想いを抱くことなく終わってしまいました。

> 読書をして、感心するところ、違和感をいだくところ、こういうものを抜き書きしておくこと。
  これは、ビール作りに例えれば、素材、麦。
  これに、別の場所(他の読書や雑談、TVなど)から、思いもかけないヒントやアイデアが出てくれば、
  ビールを発酵させる酵素になる。
  そして、しばらく寝かせること。頭の中の醸造所で時間をかける。
   " 見つめるナベは煮えない"。熟したテーマは向こうからやってくる。
  発酵が始まれば、自然に頭の中で動きだし、見過ごすことはまずない。

違和感は違和感として、残しておけばいいのです。

( ↓ )少し前の日経から。
   ほんとは、DNAよりも、もっと生命の起源的なところ、RNAワールドみたいな方面に興味があるのですが、
   ヒトゲノム・プロジェクトはここまで来ていたか、と数分で感心することのできる記事だったのでスクラップ。
   まもなく、10万円もあれば、自分のゲノムが解読できてしまうんですって。



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(まぼろしの)ポリカラス

2010年10月24日 | マスカラスあるいはゴルフィー

利根川を超えて、渡良瀬川沿いに拡がる古河ゴルフリンクス。
河川敷だけど行って帰ってっていう単純なレイアウトではなく、
のびのびしてて、ドッグレッグもあるし、近くてお気に入りのコースです。

ここは、特に早朝の景色が殊のほか美しい。
燃えるような朝焼けや、朝霧が立ち込めている風景なんぞは見とれてしまうほど。

( ↓ )秋の昼下がり、渡良瀬川方面を臨む風景。
   手前にセイタカアワダチソウとか色とりどりの野草が茂っていて、いかにも英国風リンクスって感じでしょ。
   まるでモネの絵画にでも出てきそうな色彩を感じます。
   河川敷だけど、緑もしっとりとしている。
   ツレも軽井沢よりキレイだと思った、ようなことを言ってましたよ。



石川遼選手もデビュー前からよくラウンドしていたコースで、全英オープン前も練習ラウンドをしたようです。




前回のラウンドで落としてきたウェッジとヘッドカバーは無事見つかって自宅に届きましたが、
その直後に風遊びに行った近所のショートコースで愛用のX-TourのPWを落としてきたことに、
出がけに気づきました。
(失せ物callしましたが、どーも見つかっていないようです。)

おまけに薄暮18hスルーのつもりでいたのに、
コースに到着してよくよく聞いてみると、ハーフしか廻れないとのこと。
9hしか廻れないんだったらラウンドというより、練習みたいなもの。。

今回は、ハーフ41達成できなかったら罰ゲームとして
先日アップしたマジックで手書きした、ポリ袋製ミル マスカラスのマスク、
名付けて『ポリカラス』を被ってみるという約束をしてたので、なおのことチャンスがワン・ハーフしかないのはショック。

スタート・ホールから、練習不足のせいもあってか、上半身力みまくりでチョロが止まらず2ホール続けて大叩き。
早々にハーフ41の夢は露のように消え、結局55叩きました。
ハーフの後半になって、少しショットの感覚を取り戻したのがせめてもの救い。。

(↓)はい、参りました、罰ゲームの『ポリカラス』登場。
(興味ない方はパスしてくださいね。見ても何のトクにもなりません。
 ボケナスの、ボケナスによる、ぼけなすのためのポリカラスですから。)

※ みっともないので、いつまでも晒しておくわけにいかずポリカラスさんには1日足らずでお引き取り願いました。あしからず。
<(_ _)>

(↓)ポリ袋を被ってるとさすがに暑いですなぁ。汗でぐちょぐちょ、Mean Mr. Mustard風。
  彼の妹のPamは働き者のgo-getter。
  でも、Polythene Bag(ポリエチレン製の袋)に身を包んだ彼女はattractively Bult.(@_@)

  She came in through the bathroom windowに出てくる彼女も
  1日に15軒のクラブを梯子する人気者。
  盗み(steal)はできたけど、rob(強盗)はできなかった、心根の優しいこ。


Mean Mr. Mustard, Polythene Pam and She Came in Through the Bathroom Window Lyrics
 
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大掃除での発見

2010年10月23日 | 日記
大掃除してたら見つけた、、
ミル マスカラスのマスクを昨年買う前に、ポリ袋にマジックで書いて穴あけて被ってたやつ。

節分の豆まきのときに、鬼の仮面の代わりに被って、興がのってストックを作ったものの、
その後あほらしくなって放置してたんだと思う。



今日薄暮スルーゴルフに行くのですが、練習から遠ざかり、
あんまり ぱっとしないゴルフになってもつまらないので、かるくプレッシャーかけることにした。

ハーフ41が達成できなかったら、こいつを被ってみよう。

大方のひとには意味不明でしょうが、おぉ、書きながら少し緊張感がたぎってきた。

「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも
 自分の愚かさを吟味できる知性の方が、私は好きだ。」

前にkeaneのsomewhere only we knowを採り上げましたが、このカバーもなかなかに秀逸。

keane - under pressure (Queen/David Bowie cover) with lyrics
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<今度こそパッティングの最終結論か>左手で視界をふさいだ素振りとフォワードプレス

2010年10月23日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

パッティングの最終結論が出ないものか、と思案中。

 左手でバイザーのつばを押さえる所作



(今週の週刊ゴルフダイジェストからのスクラップです。)

たしかに、「左耳でカップインの音を聞くパッティング」につながるものがある。

この石川遼選手の工夫をまねたアマチュアの感想も、

・ 頭が動かない意識がはっきり出る

・ ミート率があがり、芯に当たる感じです

・ カップを見ないので、力まずちょうどいい力加減になる、

、といった具合で評判はよろしいようで。

明日、早速試してみよう

ラッシュをメイクするショートゲーム、を大切に、
グリーンに近づくほど、カップに近づくほどに、集中力を増していくゴルフがしたい。

( ↓ ) パッティングでフォワードプレスする、という発想はこれまでなかった。
    ヘッドへの意識の向け方、球足を長くフォローを出したり、逆にフォローを出さずに止めていくのか、
    といった、ヘッドを利かせた丁寧なパッティングにもつながりそう。

   『左下方向』へのフォワードプレスというのは、
    パッティングでも球をつかまえないと、ボールは右に押し出しがちなので理にかなってるのかもしれない。

    特にフックラインのパットを右に外すことが多いのは、
    視界の開けた右方向へはついつい大目にラインどりするから、という説もある。




(↓)私がこの数年 愛用しているのは、上の記事が両方とも当てはまるようなネオマレットタイプ。
  ドライバーと同じNIKE。
  そもそもはタイガーになったイメージでゴルフができるマレットを探してたら、
  スコッティ キャメロンではないけど、チェリードットらしからぬ、オレンジドットも気に入ったので。

 (以前はPIN型でしたが、ネオマレットの方がフィーリングが合って狙いに行ける。
  狙いすぎる傾向もありますけど…。)




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ポールの最新曲 再び ♪

2010年10月19日 | お気に入り♪(ビートリー)
年初に採り上げたポールの最新曲「(I want to )Come Home」
音圧が高いのをたまたま聴いて あらためて凄い曲だと感じ入りました。
まさしくAwesome Song、震えがくる。

I taught myself to believe  Every story I told / 自分の物語を信じようと必死だった

Came so close   To the edge of defeat / ぎりぎりだった、敗北の一歩手前
  
                             


最初に聴いた時 あまりの感動なのに吐き出し所がなくて、思わず歌ってしまったほど。

CD発売が無く、歌詞にお目にかかることが無いので即興でつけた拙訳ですが再掲載しておきます。

I Want To Come Home, Paul McCartney 2009

For so long  I was out in the cold                       長かった 寒さに耐えながら          
And I taught myself to believe  Every story I told             これまでの人生の物語を信じようとやっきになってた
It was fun hanging onto the moon   Heading into the sun  月にしがみつきながら 太陽を目指すなんておかしな話
But it's been too long   Now I want to come home              長かった もう家に帰りたい
Came so close   To the edge of defeat                     ぎりぎりだった 敗北の一歩手前
But I made my way in the shade   Keeping out of the heat  ぼくの行く手には暗い影が覆い 温かさも失った
It was fun shooting out of the stars   Looking into the sun  星たちから逃がれて 太陽に向かうなんておかしな話
But it's been too long    Now I want to come home               長かった もう家に戻りたい
Home where there's nothing but sweet surrender               故郷、そこにあるのは甘美な従順
T
o the memories from afar                             遥かな思い出に身をまかせる
Home to the place Where the truth lies waiting                 故郷、そこには真実が待ち受けている
We remember who we are                              いったい僕らは何者なのかを思い出させてくれる
For too long  I was out on my own                       長かった ぼくは自分を見失っていた
Every day I spent trying to prove  I could make it alone         毎日 なんとか自分の力を証明しようとしていた
It was fun hanging onto the moon  Heading into the sun     月にしがみつきながら 太陽を目指すなんておかしな話
But it's been too long  Now I want to come home         長い歳月だった もう故郷に戻りたい
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I AM THE VIOLIN ~ グレート・マダムを追いかけて

2010年10月18日 | インタビュー/ドキュメンタリーetc
I am the Walrusではなくて、なんと、I am the Violin、である。

やはり、フロー状態のアーティストは没入した世界と一体化するのでしょうか。

YouTubeで見つけた、グレート・マダム、気になるイダ ヘンデル女史のドキュメンタリー、
昨晩深夜、パート6まで、そんな英語が堪能なわけでもないのに追っかけ続けました。
こんなの、リサ ランドール博士の5次元理論(映像が削除されてました、、残念。)のドキュメンタリー以来。

そのせいか、今日は風邪気味。(はよ、寝ます。)

なぜに おばあちゃんを追っかけてるのか、って!?
何だかハートフルで親しみが湧くというのか、

(↓)  ほら、2004年来日時には日本でもファンが行列をなしています。
   イギリス音楽界の長老、なんですって。
   ちょっと間違うと、新宿の占い師風に見えてしまいますけど、彼女のバイオリンの音色は情感があります。

I AM THE VIOLIN IDA HAENDEL DOCUMENTARY PART 4

YouTubeにこんなコメントがありました、同感。
パート4の冒頭に流れる、ゆったりとした麗しくも懐かしいメロディ、私も気になったから。

 " Please can you tell me the name of the piece Ms Haendel is playing during the first two minutes."

  " Wieniawski, Scherzo Tarantelle, op 16 " が正解のよう。
  (イダさんが嬉しそうに聴いている1943年のレコーディング曲もいいな。)

かつての自慢の彼氏(まるで狂気の指揮者のようなファニーでワイルドな写真が出てきます。)の話を
愉しそうに語っていたかと思うと、
彼が書いた自伝なのでしょうか、声に出して読みながら、徐々に翳っていく物語、、

女性版、音楽家版のニューシネマ・パラダイスのようでした。

cinema paradiso
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少し淋しそうだな

2010年10月17日 | 日記
マレーシアで買ってきたPewter製のマグジョッキ、うえの子は今夏からガンガン使っております。
冷えたジュースをこれで飲むのがお気に入り。よかった、気に入ってくれたか。



(↓) コレ、高校生の頃、部屋に飾ってた12インチシングルのジャケット写真、なつかし ~。

Paul McCartney - I'll give you a ring


ちょっと寂しげな感じに惹かれてしまう私。

You look little lonely, Maybe I could meet you, tell me where to reach you ・・・
( さみしそだな。どこだったら届くかな。)

ごめん、ごめん、空に残されたモッコウバラの枝が淋しそう。。




毎春 黄色の小花をたわわに咲かせてくれたモッコウバラをとうとう切りました。

築10年のメンテナンスの邪魔になるのと、
つるの一部が窓枠の僅かな隙間から壁の内部に入って、そこの壁が浮き上がる事態になってたから。

(↓)こいつも強い、秋の空気に透き通るような紫が美しいアメジスト・セージ



(↓) 今年は開花の遅かったルリマツリ。寂しけ気なティファニー・ブルーのような小花ですが、こいつも強健。
   開花時期も長い。



近ごろ、とんと御無沙汰している園芸屋さん。

ひと頃、コニファーがマイ・ブームの時期がありました。
( ひとかどの専門家に負けないくらい、いろんな品種を見て廻って、文献もひととおり当時出ていたものは読み尽したんではないか、ってほど。)
葉色が季節によって微妙に変化したり、(右手に見えるブルーカーペットなんかも寒暖差が大きい秋冬は得も言われぬパープルのようなブルーが出現します。)
品種によって微妙に色が違うので葉っぱだけでグラデーションが出ます。

なにより、ともすれば ものぐさクンになる私にとって、
メンテナンスフリーで常緑、っていうのは便利このうえない。

10年目を機に、ボチボチ手を入れよかなぁ。


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グレート・マダムの弾くバッハ。

2010年10月17日 | お気に入り♪(クラシック)
バッハのバイオリン・ソナタ2番のアンダンテ。
バッハのバイオリン曲はPreludeをはじめ、深くて豊潤、コクがある。

~ Great Madame Ida Haendel !!!

宮崎駿のアニメに出てきそうなおばあさん、かと思いきや、
痛みを感じやすい心のひだに届いて来て、寄り添ってくるような音色。

私にとっては、バイオリンのフジコ ヘミングに出会ったような感じ。
これ、2009年9月の映像です、歴史じゃない、、。

J.S. BACH A MINOR SONATA Andante IDA HAENDEL VIOLIN
 

2009年9月ってラベルを貼らなかったら、時間なんてあんまり関係なくなる。
時間は見方によっては、C系列、配列として只在る、ものにもなる。
時間や世代を跨いで、自分が寄り添う気になれば、生き生きとしたものになって感じられる。
坂本龍馬だって、そう。
我々人間の系、マクロの世界で時間は流れていくが、
それは人間の勝手な認識であって、本当に真理なのかは分らない。

もっと若い頃のマダムを見てみたい、惚れてしまうかもしれぬ。

( ↑ エラそうなこと書きながら時間に囚われている。だって私は
ボケナスですからなぁ。)

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金子由香利さん ~ 生命と偶有性、終章

2010年10月17日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

初稿間もないですが、素晴らしい映像を添えて。

2010/10/10(書いて並べるとキレイな数字だ)の後に起こった偶有性。

時は過ぎていく、ものですが、
「薄ぼんやり」となってしまう「今、ここ」だから大切にしたい感覚もある。 <(_ _)>

心の免疫力 ~ 書とことばから

<初稿 2010/10/10>

ある方のブログを見ていて、記憶が甦りました。
熱心な彼女のファンに誘われて、
ジャズ・シンガーの金子 由香利さんのコンサートを観に、お茶の水の小さなライブハウスへ行ったこと。

なじみの顔を見つけたせいか、幕間に私たちの座っているテーブル席まで
金子由香利さんがいらして下さって、お話もできました。

あとで、顔に" ほ "の字が見えるくらい夢中で喋ってた、とのご指摘をいただきましたが、
ほんとに素敵な方でしたよ。

ファンクラブの会員の方向けのものと思われる季節のお便り葉書まで折々に頂き、それは感激していたのですが、 
忙しくなって、お返ししないまま、コンサートに出かけることもなく、いつしか途切れてしまいました。
こういう途絶え方は、しょっちゅうあることだけど、無念かも。
あの時、あの場所、「今、ここ」だったものが、
いつのまにか 薄ぼんやりとした過去になってしまう。

金子由香利 時は過ぎてゆく


あんまり、小難しいことを書き連ねるのもどうか、と思ったのですが、生命と偶有性 ~ 終章です。

  人間の孤独を癒す量子論 ~ 偶有性が示唆するもの
  starting over、もう一回始めよう。
  ジョン レノンの新曲??

 なんだか、茂木さんの言う「クオリア」がわかるようになってきた。
   個々人の意識のフィルターを通して立ち上ってくる認識の質感のようなものを指しているようなのです。

~ 「クオリア」は私が世界と向き合う際の認識の最小の単位。

    現実、仮想、そして偶有性。
    そのような私たちが生きる上での問題群を一度経由してから、クオリアの問題に回帰すると、
    そこにはふしぎな結び目が見えてくる。
    国宝に指定されている火焔土器における、高度に抽象化された炎の表現、
    はたして、現実の炎の写実なのか、
    あるいは、抽象的な観念の空間を模したものなのか、判然としない。
    あの、踊りつくように絡みつく形態と同じように、
    お互いに結びつく密かな関係性が、現実と仮想、偶有性とクオリアを絡み合わせている。

五感で感じることで、現実の生々しい実在を支える、感覚的クオリアと、
外界からの入力によって生起される意味を担う、志向的クオリア。

どちらも、私たちの認識には違いないが、
たとえば視覚に関して言えば、「目を閉じたところからはじまるもの」が志向的クオリア。

感覚的クオリアの持つ、「今、ここ」の『具体』に縛り付けてしまう側面から意識を解放し、
『本質』(それは目に見えないものの中にある。)であるところの「イデア」を見失ってはいけない。

~ 現代的な用法によれば、目の前にある机やコップこそが「具体」であり、信頼に足るもの。
  一方で、言語や数学、自我といったものは「抽象」であり実在性が低い。

  しかし、プラトンの体系にしたがえば、具体と抽象の関係は逆転する。
  目を閉じて思い浮かべる観念の世界のほうが、
  よほど確固とした精神世界における「具体」=「イデア」につながっている。
  目の前のコップなどは、イデアの不完全な影にすぎないのである。

~ 現実は、私たちの生存を支える不可欠な条件である。
  しかし、仮想が現実に比べて劣るというのでは決してない。
  モーツァルトやアインシュタインといった創造的な天才の中では、
  むしろ仮想が現実よりも魂に近かったのではないか。

" 仮想と現実が絡み合う偶有性のダイナミクスこそが精神を豊かにするのではないか"

「今、ここ」の私から変わりうるのだという予感なしでは、生命というものの中心に至ることはできない。
脳の学習は「オープン・エンド」であり、どこまで進んでも必ず「その次」がある。
一方で私たちの脳の可塑性が、過去からの体験の積み重ねの上にあることも事実である。
私たちは昨日まで体験してきたことの文脈の上に今日を積み上げる。
私たちは過去の精神活動の造山活動の結果として、「今、ここ」に縛りつけられている存在。

しかし、"過去は育てることができる"のでした。

生命と偶有性
茂木 健一郎
新潮社
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せつない気持ち

2010年10月17日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)
長い時間をかけて集中して書いた記事原稿を間違って閉じてしまいました。

あら、消えた。。(・o・)



我ながらいいもの書けた、と思った矢先、悪い指だ。(-"-)


泡沫的な感情のバブルについて、まとめあげたもの。
今ならまだ覚えてるから書き直そうか、と殊勝な考えが一瞬よぎりましたが、
それって苦痛に近いので、やめました。
しっかし、フローに入ったような感じだったなぁ、ほんとに流れて、せつなく消えたけど。


~ フローという視点からみれば、天才とは「存在」のことではなく、
   「状態」のことである。
   誰でも、その技術や知識レベルに応じて、「フロー」の状態に達している時には、
   その限りにおいて天才となる。  
   もちろん、その営為が人類の歴史全体から見てどのように評価されるかということは、また別問題である。~
  (「生命と偶有性」/茂木健一郎)


( ↓ ) 「クオリア」(意識の粒)を連想するような映像。
    もっと纏綿たるタペストリーのような顕現の仕方をするクオリア、を鍛えていきたいと思いまする。

Ziggy Stardust- David Bowie (HD)

※ 画像はBRUTUS最新号の表紙から。
  表紙を開くと、茂木健一郎氏と内田 樹(たつる)氏の寄稿が続けてあったので思わず購入。
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空へ ~ 岡本知高さん

2010年10月15日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)
時空を超えたロマンを感じさせるような詩と曲。。

    君と僕という形がなくなってしまった後の、はるか遠い未来の出来事

    その、いつかの場所で 姿を変えて ずっと待ってる

"天上大風"というのか、何か計り知れない大きなものを感じて、心を洗い流してくれるような感動を覚えます。

空へ
岡本知高,松本俊明,久石譲,ハシケン,宮崎駿,野見祐二,岡島礼
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る

(↓) YouTubeにないので、ニコニコ動画を探して、とうとう見つけました。

   純粋に音楽だけを聴いた時に頭に拡がる透き通るような青のイメージ、とは違った色彩の森。

   月に導かれて立ち昇るような美しい気持ち、

   臓器から立ち昇ってくる感情を意識にあげていくこととは、逆の発想。
   意識を正して清々しく保つと、立ち昇る感情も自ずと浄化されてゆくのか。

空へ


< 初稿 2009/11/8 >

この「空へ」という曲、大好きでCDに焼いたのをよく聴いています。

岡本知高さん(男性でありながら女性ソプラノの音域を持つソプラニスタ)の声が
ロマンチックな詩を美しいメロディに乗せて、歌います。
(2005年にNHKみんなのうたで放映された曲のようです。
 流石、NHKというべきか、全編を聴けるものを見つけることができませんでした。
  なんと今年10月、11月の火曜日にNHK教育TVで再放映中のようです。
 なんだか嬉しくてアマゾンでこの曲のシングル、買ってしまいました。)

  空という呼び名もない
 海という呼び名もない 遥か昔の 出来事

 君という形はない
 僕という形もない     遠い未来の 出来事

 長い歳月(としつき) かけて 降り積もった
 悲しみの山  そこから  再び芽吹く

 雨は止んで
 こぼれる陽  思い起こす
 いつかの場所  空のハザマ  透きとおる青
 風と泳ぐ
 唄い方  思い出して
 姿を変え  ここにいたよ  ずっと待っていた

岡本知高さんのCDと一緒に、何度かブログに掲載したアラン・パーソンズ・プロジェクトのボーカリスト、
エリック ウールフソンの新作(輸入版ですが)をアマゾンで見つけて購入。

(↓) 「空へ」にも通じる、自分の存在への謙虚さを感じる曲。

   空に触れるには、僕より豊かなイマジネーションを持った人でなければならない、
  世界を変えるには、僕より強い決断力を持った人でなければならない

 Alan Parsons Project - Inside Looking Out (Sub.Espa醇ool)


(↓)みんなのうたで「空へ」の映像を手掛けていたホッチカズヒロさんって方のHPを見つけました。
   埼玉県在住の方のようです。
    http://hotchi.main.jp/

この週末は、うえの子の学校公開と、したの子の授業参観が重なりました。
家内は、うえの子の学校公開で、アイスクリームショップを出して大忙しでした。

(↓)秋空とナンテン。難を転ずる縁起物。

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Sally Gの訳

2010年10月13日 | お気に入り♪(ビートリー)
これまたマイナーなシングルB面曲なのに、お気に入りのサリーG 。

エンディングが決まってる。

ラストでの
” Take a Chaps、Sally G ” 
(チャップス(カウボーイ・ブーツ)を忘れていくなよ、サリーG )って台詞、

曲が終わったかと思ったら、
さよなら代わりに、"コンコンコン"って、ギターのボディを叩いて鳴らす。

粋だねぇ~。

" G " の意味は最後まで分らずじまい。( GoodでなければGolfyのGのわけでもなく…)
Paul McCartney & Wings - Sally G (1974)

ネットにもないので、適当に訳をつけてみた。きっと、こういうの 探してるひともいるでしょ。

Sowhere to the south of New York city    ニューヨークの南に
Lies the friendly state of tennessee,      人懐っこいテネシー州が拡がってる
Down in nashville toen I met a pretty     ナッシュビルのほうへ下っていくと いい女に出会った
Who made a pretty big fool out of me.    そして彼女はオレをいいカモにしてくれたのさ

And they call her sally,                         彼女はサリーって呼ばれていた
Sally G, why d'you wanna do the things you do to me?   サリーG、おまえはどうしてそんな仕打ちをするんだい
You're my sally, sally G                         あぁ、オレの、サリーサリーG
Took the part that was the heart of me, sally G.        オレのハートを奪っていった憎いやつ、サリーG

The night life took me down to printers alley,          夜になってプリンターズ通りに繰り出すと   
Where sally sang a song behind a bar.              サリーがバーの片隅で歌っていた
I ran my eyes across her as she sang  ”tangled mind",   " もつれた心" を歌う彼女に見とれては
I used to love to hear her sweet guitar.              彼女の甘いギターを聴くのが好きだった       

Me and sally took up,                         オレとサリーの生活が始まると                
Things began to look up,                       何もかも順調に行き出し
Me and her were going strong.                   サリーとの絆はどんどん強くなった
Then she started lyin',                         でも彼女が嘘をつくようになって
I could see our love was dyin'.                     愛情が消え失せていくのが分った
I heard a voice say, "move along, move along"       " ここから立ち去れ"って声が聞こえたのさ

Well now. I'm on my own again,                  そうして、オレはまた孤独になった
I wonder if she ever really understood.               彼女は本当に分ってたんだろうか、
I never thought to ask her what the letter "G" stood for,  サリーの"G"が何を意味するのか、彼女に聞きはしなかったが
But I know for sure it wasn't good.                確かなのは" good "の " G " ではないってこと。

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