ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2013年9月] ~ ホームコースに帰って参りました。

2013年09月24日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

ヽ(*´∀`)ノ 今年の2月以来、およそ7ヶ月ぶりにコースに帰ってきました。ヽ(・∀・)ノ

秋分の日、9/23の復帰ラウンド。

アルバトロスを達成した会員権購入申込ラウンドの後すぐに、腰を痛め、悪夢のようなアナザーサイドを過ごしてきました。

春分から秋分にかけて、地球を廻る太陽の軌道がハーフターンするまでの間、出遅れていましたが、また周り始めようと思います。

この日は周り始めの試運転を兼ねて、手探りで。

( ↓ ) まるで錦ヶ原で見る荒川の光景にそっくりぢゃないか。ヽ(・∀・)ノ

~ 退院してからの新たな、もうひとつのワンダーラストの始まりだ。 (ワンダーラスト)

(写真下) 船で渡る荒川の眺め。午後スルーでも秋分の頃だと日没まで時間が残される。夕方の陽射しが爽やかで気持ちがいい季節。

わたしが人と違った視点でお伝えできることといえば、ステージ4のがんと共存しているということです。
それを特別なことにはしたくありませんが、わたしも告知を受けたときには、同じような立場や病状にあってなお希望を持ち続ける方の話に勇気をいただきましたので、その視点をどこかしら持つことを忘れずにいたいと思います。

本ブログでその時々のことも書いていますが、今年の4月に肺がんと診断されました。
1月下旬頃からの腰痛に端を発して、腰椎圧迫骨折の原因を調べてみたら肺腺癌だったのです。
分かるまでは、そうとは知らずに整体に通っていました。
最初にMRI撮影を受けた病院では、これはヘルニアでなくてCancerの可能性が高い、これ以上は言わせないでくれ、と総合病院を紹介され、
紹介を受けた病院でも、ステージ4の確定診断を受けて、これから厳しい戦いになりますががんばってください、と言われての闘病生活のスタートでした。
4月の初頭から、わずか半年に満たない出来事なのですが、それが今や、ゴルフコースでラウンドできるまでに回復したのです。
まだまだ、共存は始まったばかりで、努力は続きますが、先ずは自分でも驚くほどの状況です。
感謝しなければいけませんし、また、末期がんというラベリングでひと括りにすることもない、ということなのだと思います。

今も毎日服用しているタルセバの副作用、皮疹にとって紫外線は要注意。
夏のあいだの復帰も考えたのですが、きつい陽射しを避けて涼しくなる時期を待つという判断がありました。
タルセバは分子標的薬ですが、上皮組織を攻撃するために、下痢などの症状も現れます。
幸いにも、爪囲炎の症状は殆んどないので、強くクラブを握らない限りは爪が痛むことはありませんが、
ゴルフコースをラウンドするうえで最後に気になったのは下痢の症状です。
(これはロペニンを一回あたり2錠飲むなどの調整で、徐々に整えていきました。)

そして、まじめなハナシ、ラウンド復帰直前になって最も悩まされたのがシャンクでしたが、これもなんとか克服。
シャンクの撲滅 ~ 強いゴルフはタテ振りで

( ↓ ) この日のために用意されたチャンピオン・ベルトを腰に巻いたままラウンドするという栄誉に預かりました。

ふざけてるばかりでもなく、クラブを体の正面から離さずにスイングするのに、このベルトが役に立った気がしなくもないです。
また、着けたままラウンドしたいくらい。

写真向こうはこの日も280y級、ヘビー級クラスの飛びをみせていた、馬場じゃなくてハリーレイス選手。

INからのスタートでしたが、やはり天才肌なのでしょか。
ブランクを感じさせない飛びと安定したアプで、パーチャンスを作り続けます。
4月以来、約5kgの体重減なのですが、ドライバーの飛距離もそれほど落ちた感じがないです。
(さすがに、100%叩きにはなかなかいけませんでしたが。)

飛距離でおいて行かれるようになって悔しい思いをするのかもしれんなー、と車中で話してましたが大丈夫です。

 

 INの後半からは、少し安心したのか、淡々としたゴルフに色気が加わり、
さらにOutに入ってから、気になるおなかが、ぐりゅぐりゅと鳴り始めて、しばし集中力を欠きましたが、なんとか97でホールアウト。
感触としては、ハーフ45、トータル80台を狙えるゴルフができそうな手応えを掴みました。

栄光のチャンピオン・ベルトはサスペンデッドに。

 

 帰ってきたマスカラス、はそろそろ卒業かな。 

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シャンクの撲滅 ~ 強いゴルフはタテ振りで

2013年09月24日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

2013年9月復活ラウンドを前に、練習に行ったら、シャンクばかりで話になりませんでした。

シャンクに二度と悩まないために。

コースでの突然のシャンク!シャンク撲滅素振り法

( ↓ ) 何度か本ブログでも記事にしていることですが、『タテ振り』がコツでした。

 

3番アイアンでしっかり球をつかまえられるかどうかを調子のバロメーターにしていると、
球をつかまえたくて、横振り気味に、クラブが寝て入るのです。

右ワキを締めて、まっすぐ30cmゆっくりテークバックして、クラブをタテに使います。
(右ひじの引きつけだけに意識がいくと、往々にしてクラブが寝たままでも気がつかない。)

すると、力が入りやすくて器用な右手の動きを抑えることができる。

つかまりのよい球というのは諸刃の剣。
調子があがってくると、打ち急ぎ、テンポが早くなり、手が体から離れやすくなっていく。

上のビデオでもありましたが、フォローでも感じを出そうとしているうちに手が体の正面を離れていく。

テークバックで立てて、フォローでも立てていく。

フォローでクラブを立てることの副次効果でウェッジなどのスピンの効き具合も良くなります。ドライバーだって引っかけを封印できます。

手が体の正面を離れない、という基本の徹底。
おヘソとクラブを結んだラインを意識する、ゴルフは重心という基本に立ち返る。
☆ゴルフの結論/ 体の重心を感じること☆

 

 

今さらながらですが、基本のグリップもそうです。

久しぶりの練習で右指にチカラが入りすぎてました、、
右手の親指や人差指にチカラを込めすに、中指と薬指でクラブを支えて、ニュアンスをつけていくほうが良いみたいです。

 

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いざよいの月影

2013年09月21日 | お気に入り♪(ビートリー_見つけもの)

十六夜(いざよい)の月。

窓から覗く昨晩の花鳥風月、もう季節は彼岸。

私は愛の月中花。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゅちゅっ。

夜風にざわめく私の心。

 

十六夜(いざよい)の月明かりに光るあなたの美しさを讃えよう。

水は滴り、興奮した月はもはや円形の姿をとどめることさえ困難だ。

つんつん。

    

法悦の時空が歪み、やがてえび反り。

ムーンソルト・アタックで脱出を試みる。

戻ってきたのは、月の青い世界。

 わたしは月に向かって咲いているのではない、地球に向かって咲いているんだわ。 

ここはどこ ?

 風がまた、ざわざわしてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月を撮るつもりが、切り絵的な撮り方ができることに気がつきました。

Blackbirdが似つかわしいかと思ったけど、Bluebirdで始まるこのメドレー、いざよいの夜な夜なの炉辺物語風。 
シャッター音さえもパーカッションにしてしまって、息遣いがすぐそばで聞こえてくるよう。

paul mccartney medley: Bluebird, Momma's little girl, michelle, Heart of the country

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ひこうき雲から十五夜まで

2013年09月19日 | 日記

2013年七夕、待宵星を控えた東の空に橋渡しをするような見事な虹を見ましたが、

待宵月(まつよいつき)を控えた昨日の朝の東の空には、それは見事なひこうき雲が。

(待宵星は、いま造語しました。m(_ _)m)

数十年に一度とまで言われた大型の台風18号が週末の日本列島を去っていった朝は、一気に秋めいて涼しくなりました。 

見たこともないくらいに長く太ったひこうき雲は、まるで「風立ちぬ」。(風立ちぬ、生きねば。

手持ちのiPhoneでとっさにパノラマ写真を撮ったもので、切れ目なく秋空を横断するひこうき雲の迫力をお伝えすることができないのが残念ですが、秋の空が穏やかに澄んでいるからでしょうか、雲が拡散しきらずに太ったまま、なが~く空を渡っている。

下の写真は、台風が関東を抜けていったばかりの9/16の宵の西空。

これもまた、写真で捉えきれないような美しい夕空でした。
茜挿す雲もそうですが、雲の合間に覗く空の青、透明であり深くもある不思議な蒼。

そして、今宵は中秋の名月。雲一つなく晴れ上がった空に輝く見事な十五夜お月様。

今晩も大橋トリオの月にちなんだ曲を。

フォークソングのような繊細さが、自由にジャズのように展開していくのが新鮮。 

天上の月、水上の月 (1Q84 その2)

~ 夜になって空に浮かぶ二つの月、
ここはここではない世界だな、と分からせてくれる しるし。

世界がどうかしてしまったか、あるいは私がどうかしてしまったか、その どちらかだ。

 

lunaticな月を欲する向きには、エルトンの月を撃ち落とそうとした女をどぞ。

Elton John- Shoot Down The Moon-Lyrics

 

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dancing in the moonlight ~ 楽理について

2013年09月16日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

台風が来てるので、家にこもりながら、月踊りの歌を。

月の持つlunaticな魅力は、ここそこの音楽で歌われている。
月悦び♪
天上の月、水上の月 (1Q84 その2)

今更ながらのThin Lizzy、
出身地のアイリッシュ・ミュージックを取り入れたメロディのせいなのか、耳にひっかかるいい曲が多いです。

これはカバーのようですが、なんだかビートルズっぽい。サウンドで遊ぶ楽しさみたいなものが伝わってくる。
メロディや曲の良さというよりも、音色やプレイがすばらしい。

この本の中で元YMOの高橋幸宏さんがビートルズで一番好きな曲は、という質問に、「Baby,you're rich man」と答えているのに共感。
あの曲の素晴らしさは、鉄壁のリズム隊が鳴らすサウンドの格好良さ。 
ジョンレノン・センス

サザンオールスターズの関口さんがなるほど、ってことを言ってました。

1920-40年代だと、最初に楽譜が出版されていたんですよね、
それがビートルズの時代から、音としての芸術になった。
ここはこのギターの音、ここはこの声、ここはこの歪んだ音で、というふうに。 
ビートルズは今後たぶんクラシックになってしまうと思うんですけど、そのまま「あるもの」ととらえないで、「これをひとつひとつ作ってきた人がいるんだ」ととらえてほしい。

たしかに楽譜ありき、楽典ありき、のイメージを抱きがちですが、そこのところを見事に突いていると思いました。
鳴り響きの実体としての音楽。はじめから曲はそこにあるのではなく、サウンドも所与のものではない。

レコーディングされた音が再生されて鳴り響いているサウンドがビートルズの音楽なのに、鳴り響く前から曲があると人は思いがちだ。
西洋古典音楽系の常識に人は左右される。

楽理分析の世界は、これだけロックやポピュラー音楽が氾濫しているにも関わらず、停滞しているそうです。

一方でビートルズについて語られた文章はあまたあるが、音楽自体についての語りは印象的言辞に終始する。
ファンの関心は音の情緒的側面、あるいは直感的側面であり、メンバー個々のイメージの魅力である。
レコード評やライナーノーツの文章もそれに対応している。
率直に言えば、ポピュラー音楽評論家の多くは楽理知識、つまり音楽の読み書き能力を備えていない。
読者もまた楽理用語による説明を望んでいないし、説明されてもよく分からない。
音楽である以上、音自体が作られる過程、人が惹きつけられるときの音の細部はなにかと、読解されるべきだろう。

しかし、ビートルズの曲について楽理分析を説明すべく引用された譜例は、なんと著作権登録用に書き記されたピアノ譜であって、
ビートルズが録音した音全体が示されているわけではないし、五線譜であの音全体が示せるわけがない。
 

かたや、譜面には表記されづらいサウンドや音色、ざらついたり濁ったりする楽器の音質や重なりぐあいなどを評価する分析手法が少しずつ模索されてきている、といいます。

この本では、ビートルズのメンバーの楽器や演奏スタイルにまで話が及んでいますが、
ジョンレノンが出す音のクセとかおもしろい、なるほど。(ノルウェイの森

アップ・ピッキング、言い換えればリズムの裏拍が「跳ねる」んです。これがリンゴのドラムと絡んでリズムのうねりを作り出していきます。
「ノーウェジアン・ウッド」を聴いてみてください。しなやかな動きのなかに「ひっかかり」のリズム、
これはどの曲にも共通したジョンの基本的なクセです。
(1小節で八分音符を8つ、「いち、にぃ、さん、しぃ」と
刻むときに、ダウンピッキングの「い、に、さ、し」が表拍、
アップピッキングの「ち、ぃ、ん、ぃ」が裏拍。)

そして、初期のヘフナー・ベースと共に、ポールの使用楽器の代名詞であるリッケンバッカー・ベースについて言及したくだり。

~ " つまったような腰のある音色 " !?
こういう書き方をされると、なにそれそれ!?って、耳を傾けたくなる。
純粋に楽曲に対して聴き手の動意を促すような、洗練された文章がもっと沢山あって然るべきだと思います。

「ラバーソウル」以降、ミュート奏法がますます生きてくる時期です。
とくに中期の特徴であるつまったような腰のある音色は、リッケン・ベースに装備されているミュート機構を使用したものです。
(弦楽器には構造上必ず音の伸びない音域(デッド・ポイント)が存在し、リッケン・ベースのデッド・ポイントの多さゆえの苦肉の策との見方も。)
この音色はアルバムでいうと「サージェント・ペパー」で堪能できます。

アイルランドつながりで、ポールによるグルーヴィーな「Give Ireland Back To The Irish」を。

~ Meanwhile Back In Ireland、There's A Man Who Looks Like Me

Tell Me How Would You Like It  どんな気分がするかい
If On Your Way To Work        一生懸命に仕事をしているさなかに
You Were Stopped By Irish Soldiers  アイリッシュの兵士たちに止められたら
Would You Lie Down Do Nothing     おまえは屈服して、何の抵抗もせず
Would You Give In, or Go Berserk     あきらめるのか、それとも狂ってしまえというのか

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大橋トリオ オールドタイム

2013年09月15日 | 日記

長男が幼稚園に入った頃からだから、もう足かけ15年にも渡る行事となっている運動会。

昨日は次男の中学校最後の運動会でした。 " もう来年からは高校生だから、運動会にこうして来るのも最後ね、、"

いつの日もそんなに変わらぬ空に思える。

 

抽象化のレベルを上げると、自分がむかし見ていた空と重なってくるようにも見える。何ら変わっていないようにも見える。

内田樹による内田樹
内田樹
140B

いつものように、内田樹先生の箴言を。

共同体の他のメンバーへの支援や配慮は、「時間差を伴った自分自身への支援や配慮」だということです。

~ 別に博愛精神も、奉仕の心も要らない。だって、支援している相手は自分自身の変容態、自分のアバターなんですから。

共同体に幼児がいたら、その幼児は自分の幼少期の姿なのだと考える。
老人がいたら、未来の私だと考える。
病気や障害はそうなるかもしれない私だと考える。
自分の損得を基準にして、「こういうメンバーはいてもらっては困る」という成員条件を必要とするような共同体は長くは立ち行きません。
自我の境界線があいまいになった場合にはじめて、持続可能な共同体が成立します。

繰り返される時間の中に、当たり前に、自然に、自分を見ているのです。広い意味での自分を。
それは、特別に慈悲深い親心とか、そんな風にベタっと表現するものではなく、生物的にごくありふれた自然なことなのだと思います。
LIFE ITSELF ~ コトとしての生命

大橋トリオの音楽っていい響きを持ってると思いました。

なんだか、生命保険のCMの脚本でも書いているみたいな気がしてきました。

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