ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2015年3月] 原のゴルフ、谷口のパット、はじめました。

2015年03月29日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

この一週間ほどで一気に温かくなって春がやって来ました。

桜も二分咲きからところによってはほぼ満開。

桃色の鮮やかな桜、そして紅白の二色咲きが美しいのも揃い踏み。

 

ここ一週間は朝晩の気温差が20℃~4℃まで16℃もあったりして、
気温の上昇と共に順番に咲き継いでいく花々が、一気にほころんで春爛漫を迎えた感があります。

桜はもちろんですが、時に大ぶりに、時に可憐に咲く、モクレン、マグノリアの花姿に惹かれます。
桜の花の中でもぞもぞしているメジロなどの鳥の姿を見かけることがありますが、
大ぶりなモクレンは花自身がモコモコぷるぷるしていて、鳥が紛れていても分からないような生命感があるのです。

 

白のモクレンも水芭蕉が宙に浮かんでるような幻想的な佇まいが幽玄でさえありますが、
今日は桃色系を並べてみました。(左下はガールマグノリアでもなくて、シデコブシです。)

 

マグノリアが咲くと、Mastersがもうすぐですね。

先日、89で廻って、球春到来の予感。

( ↓ ) 本日は45/48.

出だしの12番こそパーパットを外してからの50cmを決めれずに、だらだら4パットして、今日もまたこんなのか、、って思いきや、
そこから4連続でパー。18番もセカンドの9アイアンを不用意にOBにしながらそこからパーでボギーで堪える。

Outに入っても、4番ホール、左へのOBの後のドライバーの修正力、
9番ホール、残り220YardからのUtilityを右奥へOBした後の打ち直しでOBバーディー(つまりボギーですけど)と、
崩れそうで崩れない、いいゴルフができました。
最終ホールになる11番はパーで締めることができたし。

この日の好調を支えたのは、昨日ブログに起こした、「原のようなホームラン打者ですら丁寧にスイングする」です。

YouTubeで、石川遼プロが、高橋由伸選手に、軸足に体重を残す野球のスイングがゴルフでも残っていると指摘していますが、
右足軸を意識している私も、明治の大砲的なあおり打ちの傾向が出てきているように思えて、
今日は、右肩が低く落ちないように両肩をレベルにした肩の入れ替えのバランスに気をつけました。
そして、原監督も言っていた、左手首を支点にした丁寧なスイング、
押し手で強引に持っていくのではない、本当のホームランバッターの腕使いです。
ティーショットの左への引っかけが修正されて、飛距離も戻ってきました。

そして、これはまた、別立ての記事した方がいい位の気づきがあったのですが、1.5mのパットがすこすこ入りました。

( ↓ ) 秘訣はこれ、谷口徹の教え。

(ゴルフダイジェスト2014.10.21号)

蹴られることが多かったのですが、それは不運なのではなく、順回転のカップに吸い込まれるボールを打ててないからだと考え直して、
パッティングのインパクトをキレイに揃えていくと、不思議と入り出したのです。

 

でもね、89の後の前回のラウンドは酷いものでした。

インスタートでしたが、
出だし10番ホールから、とにかくティーショットのボールを見失い、OBでもなさそうだと思って前進するとロスト2ペナの連続、、
ロストボールが続くと堪えが効かなくなって、無為にボールを打ってるだけのラウンドをしてしまいました、反省。

4月からは、「原のゴルフ」、「谷口のパット」でいきましょう。

 

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原のようなホームラン打者ですら丁寧にスイングする

2015年03月28日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

あの原辰徳ですら、力まかせにスイングしたりはしない。

むしろ丁寧なゴルフスイングだ。

プロ野球選手のゴルフスイングといえば、
ドラコン選手権やオフのバラエティー番組での緩いスイングをイメージしがちだが、ちがう。

真似たい。 その安定感や存在感、弱さに立ち向かい、プレーの主となる力。

パワーがあるからホームランバッターになれるというわけではない。

ボールを遠くに飛ばせるバッターに共通する左手(引き手)の使い方を熱く語る部分(4:30過ぎ、そして5:20過ぎ)が白眉。

骨ストレッチのゴルフ ~ ゴルフの真髄へ」で言ってることに似ている。

 

このドキュメント映像をみると、いかに原がホームランを打つのに左手の使い方を大事にしていたかが分かる。

(それに原辰徳という選手は、ONの残像を背負ってプレーせざるを得ないという理不尽に苦しみながら、
 周囲の身勝手な期待にも応え、心ない野次や罵詈雑言にだって耐えてみせた。
 若大将とかプリンスのイメージがあるが、実は引退するまでの何年ものあいだ不遇にも耐え抜いた。お手本にしたい。)

左手首を支点にして、体力や筋力頼りでは生み出せないフォースを生む。
原がホームランを打つ時の腕捌きがお手本になる。

原辰徳「元のグリップでやってみよう」

頭でほんとうに、ちゃんと納得しておかないと、
バランスを失くすほどに力が入ってしまうという愚をくりかえしてしまう。

ゴルフダイジェストのこの記事、いいじゃないですか。(2014.11.18号)

 飛ばしの結論、大事なのは「ミート率」です。

ミート率、って最近の練習場にある計測器でも測定できたりします。

ヘッドスピード(m/s) × ミート率 = ボール初速、なので、

ヘッドスピードをいかに効率的にボール初速に変換できるか、いかにスイングのエネルギーを飛ばしに活かすことができているか、
というのを図る物差しになります。

だいたい、

通常(アマチュア)       1.35~1.39

プロ・インストラクター    1.40~1.45

だそうです。

アダム スコットが日本に来た時にヘッドスピードを計測したら、52m/sと日本人プロとさして変わりない数値だったのに
ボール初速が80kmとずば抜けていたらしい。
ヘッドスピード(52m/s) × ミート率=ボール初速(80m/s)だから、ミート率は1.54にもなる。

ちなみに、

ドライバーの飛距離(y)=ヘッドスピード × ミート率 × 4 (つまり、飛距離はボール初速の4倍。)

ということなので、

ヘッドスピード 45m/s ミート率 1.3  45×1.3×4=234

ヘッドスピード 45m/s ミート率 1.4  45×1.4×4=252

同じヘッドスピードでもミート率のわずか0.1の違いで、飛距離は18Yも違ってくる。

252Yを飛ばそうとして思いっきり振り、ミート率が1.3まで下がってしまった場合には、必要なヘッドスピードは48.4m/sにもなってしまう。

ミート率を0.1向上させるのと、ヘッドスピードを3.4m/s速くするのと、

どっちが飛距離を伸ばし、上手なゴルフをするための現実解かを少し考えてみるとよい。

( ↓ ) ゴルフクラブの広告や宣伝をしょっちゅう見てる方なら、おおよそ理解しているはずだが、あらためて飛びの3要素について。


適正な打ち出し角と、適正なスピン量を得ることができれば、
あとはボール初速をいかに上げていくかが勝負となる。
そして、ボール初速を上げるためには、ミート率の0.1にこだわればよいのだ。
(ヘッドスピードが45m/sあれば、45m/s × .0.1 × 4 = 18Yも飛距離が伸びる)

そう考えると、スイングやミートを崩す無駄なマン振りが、いかに愚かなことなのか、いい加減 気づくことができる。

 このことは、覚えておいたほうがいい。

ホームランバッターが、いかにしてホームランを打っていたかを。

  

 

(ミート率って名前がついてますけど、ヘッドスピードを効率的にボール初速に変換しているかどうかを数値化しているだけだ。

 芯で当てる技術を向上させる以外に、ミート率を上げる方法は他にもあるということだ。)

 

先日TVで坂東玉三郎さんが、「身体だけではなく空気を動かす」と言っていた。

時空を変容させる技法を追い求めている(「倍音声明」体験へ)ので、
「空気を動かす」という世界観に、ビビビときた。

女形であればこそ、僅かなニュアンスの違い、
それこそ0.1のレベルの僅かな違いこそが、世界を変容させることを分かってらっしゃるのではないかと思える。

 

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シングル・ピジョン (♯コード弾き)

2015年03月22日 | ツールとしての音楽

本当に弾き語りたいのは美しいブラックバードだが、ギター曲だ。

ポールは鳥が好き。

シングルピジョン、ひとりぼっちの鳩の歌なら、簡単にピアノ弾けそう、 楽しいレパートリーになりそうだし。

Paul McCartney Single Pigeon (subtitulada en español)

 

Single Pigeon Perfect Piano Intro Tutorial

すごく簡単そうだが、コード譜を見て、すぐにこうは弾けない。
(シングルピジョンのピアノコード譜)

最初のGmから転回形だ。( Gm= G・B♭・Dでなく、 B♭・D・Gだ。)
鍵盤の上を移動する流れの途中で、弾きやすい転回形の指使いをすることの理屈は分かるが、
最初から転回形で弾くとき、何か基準みたいなものはあるのだろうか。
歌いやすいキーから逆算して、最初の音をどの転回形から始めるのかを決めるものなのだろうか。

しかも、転回形の前に、コードに含まれていない音を弾いて始まる。
「 B♭・D・A 」を押さえてから、Gm(B♭・D・G)を弾いてこれを2回繰り返す。

次のFも「G・C・G」を押さえてから、F(G・C・F)を弾いて、これを繰り返す。
Gm ⇒ F と弾くだけではないのだ。

(それにしても、下のコード譜はそもそも、なんでGmやFのコードがこんなにずれて、遅れて始まるように書かれているのだろう。)

コードや楽譜を見て自在に弾けるようになるのは、まだまだ遠くに感じられる。

YouTubeの指使いを真似るためには、紙にコードを書いただけではだめで、
押さえる音(転回形)を書いて、 B♭・D・A ⇒ Gm(B♭・D・G) のようにメロディラインの流れに合わせて添える音(A)をメモしたりしないといけない。
(皆、そんな面倒な苦労をしているのでしょか。)

YouTubeのない時には、皆どうしていたのでしょか?
Gmというコードネームを見て、Gmの転回形を弾き、
Gmのコードにはない音(A)を、楽譜かメロディから拾ってきて、最初の「B♭・D・A」を弾くというような芸当を思いつくのでしょうか。

それはすごく器用なことに思えて、感心してしまうのだが、遊びだと思ってやってるうちにコツがわかるようになるのだろうか。

このブログは時々遊ぶための学習帳になります、ごめんなさい。

これはメロディ弾きで、少し高度な指使いだけど、
コード弾きするときに参考になる音を探せる。

How to play single pigeon by paul McCartney

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エイリアンだったか

2015年03月14日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

イングリッシュマン・イン・ニューヨーク、
ニューヨークに生きるイギリス人の心持ちを歌った曲だ。

今週は、ふと気づくと、この曲が頭で鳴っていた。というか、鳴らしていた。

イギリスで多感な時期に四年間を過ごした彼女は、
アジア人であるが故に受けた、異国の人間、エイリアンとしての差別的な扱いを思い出すのだろうか、
そんなフィーリングを吹き飛ばすかのようなこの曲が好きだ。
直接そう言っているのを聞いたわけではないが、ごくたまにしか聴くことのないこの曲が流れている時の反応でそうだと思う。
こういうノリやリズムの曲が好きなだけのことかもしれないが、ぼくの心根にも触れる歌になっていた。

関西人のぼくが、埼玉にあるホームでハーフラウンドを終えた時の気持ちにも似て。

I don’t drink coffee I’ll take Beer my dear
コーヒーもいいけど、昼はビールをもらうよ
I like my course done on one side
コースなら半分だけ終わったところがいい (結果が出る前、希望が残されている束の間のひと時が好きなんだ)
As you can hear it in my accent when I talk
話している時 僕のアクセントが分かるだろう、ぼくは東京にいる関西人なんだ(文章ではわからないけど)

Sting - Englishman in New York (with lyrics)

I’m an Englishman in New York
僕はニューヨークにいるイギリス人

I’m an alien, I’m a legal alien

ふざけているわけでもない。ぼくもエイリアンみたいなものだ。

ニューヨーカーだって、いろんな出自を持った異国の人間の集まり、
アウェイの地でどうしたらホームを作れるか、という気持ちが集まって、様々な文化や音楽が生まれたのだと思う。
世界最大といわれる都市にあってもそうなのだ。大多数の人々は、どこかアウェイ感を抱えながら、折り合いをつけながら生きているのだ。

マジョリティに属しているとは到底言えず、もはや出自不明なひとみたいになってきたせいなのか、日常的な日々の気持ちにマッチするフレーズのなんと多いことか。
夢や希望を語りたいが、そればかりでも語れない。
元気のもらい方も色々になってくるから、おじさんになることはややこしい。工夫しないと。

If “manners makes  man” as someone said     ” 礼節が人を作る ” と言うのなら
Then he’s the hero of the day                        彼は今日という日の英雄さ
It takes a man to suffer ignorance and smile   その日彼は 無知と嘲笑に耐える
Be yourself no matter what they say              自分らしくしていろ 彼等が何と言おうと

Modesty, propriety can lead to notoriety    謙遜や礼儀が 悪評につながってしまう
You could end up as the only one         唯一無二の人なのか、孤独な人で終わるのか (ここはきっとダブル・ミーニングだ)

Gentleness, sobriety are rare in this society   穏やかに平静でいることは この社会では稀なことだが
At night a candle’s brighter than the sun     夜になれば キャンドルの光は太陽より明るく輝く

Takes more than combat gear to make a man   一人前になる為に 戦闘服以上のものをまとえ
Takes more than license for a gun            そして銃のライセンス以上のものを持て
Confront your enemies, avoid them when you can  敵と向かい合うことがあっても、できれば争いは避けろ
A gentleman will walk but never run             紳士は走らない、歩くものだ

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ロボットのいる未来の街へ

2015年03月08日 | 日記

今年は冷たい雨の日が多いですが、雨はちゃんと春も運んで来ました。

がん宣告を受けた一昨年からの蛍雪時代、というと重くなり過ぎですが、
冬から春へ、そしていつだって夏はやって来る。

Paul McCartney & Wings -Winter Rose/Love Awake (Subtitulado) (1979 Original Stereo Remaster)

ロボット研究の本場ともいえる筑波で、好きなロボットの勉強ができる贅沢。~ 「ロボットの街つくば」のページへ

未来への扉を押したと思います、これからもフォースと共にあらんことを。

( ↓ ) よく分かっていなかった筑波研究学園都市について、分かりやすくまとめられている。

TSUNAGU(つなぐ)~筑波研究学園都市~vol.1

ロボット特区の指定を受けて、たとえばセグウェイで筑波の公道を走る観光ツアーが始まったばかり。
ロボット好き、asimoくん好きの奥さんも楽しみにしています。

おじさんは、こっちに興味がある、サイボーグへの憧れ。
(ゴルフ理論にも似た、運動生理学や心理学なども取り込んだサイバニクス研究というテクノロジーの総合分野。
 大リーグ養成ギブス的なレベルを超えたロボット・パーツを装着して、自身がサイボーグ的な変容を遂げるみたいな夢。)

ロボット技術のテクノロジーが、よりパーソナルで人間に近いものになっていく。
最近話題に上がることが少なくなったが、Googleグラスのようなウェアラブルなテクノロジーを身にまとって、
人間は知覚や運動機能を強化・拡張していくのでしょうか。

インターネットがWeb2.0を経て、急速に身近でパーソナルなものになったように、
そのような新しいパラダイムは、意外に急速に発展していくような気もする。

セグウェイシティーツアーinつくば プロモーション動画②

セグウェイにしても、単なる乗り物だと捉えると、そのスロー・モビリティさには余り魅力を感じないが、
人に近い人の一部のようなモノとして、人間を進化させるツールとして、違う可能性を持っているような気がする。
鉄道やクルマ、飛行機に至るまで、これまでの速く効率的に移動する手段としてのモビリティではない、新しいパラダイム。

”大学生にもなればクルマ”、というイメージも旧くなってきているのかもしれません。
必ずしもクルマを所有する必要のない社会モデルがあってもおかしくない。
広い街の中を移動するために、
たとえば、カー・シェアリングのようなシステムを上手に使うようになり、

或いは、研究を兼ねて別のモビリティを利用したり、
新しい都市生活への移行モデル体験が待っているのかもしれない。

IMAGINE THE FUTURE. ~未来を想え 2012

なんだか、新しいレノン&マッカートニーみたいだ。
イマジンの世界観 )
Hope For The Future (未来への希望)   ポールの新曲、Destiny(運命)のテーマ)

なんだかこっちまで未来に近づけたような気がする。

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春の受肉祭(それぞれのスペイン)

2015年03月01日 | 日記

r>g、 資本収益率は成長率に勝る。~ トマ・ピケティ「21世紀の資本論」

経済成長と共にみんなの勤労所得が増え、みんなが豊かになる時代というのはむしろ例外的な時代で、

過去二百年に渡って詳細なデータ検証を行ってみると、富が富を生む、資本収益のほうが労働して得る対価よりも増加率が大きい。

経済を見るときには、ストックとフローに分けて捉えることが大事で、どんどんストックが蓄積される一方で、フローはそれほどに増加しない、

急速な経済成長を経て成熟した資本主義社会では、

所得が滞留し蓄積されて、巡りが悪くなり、所得格差が拡大するということが起こってくる。

特段目新しいことを言っているようには思えないのだが、

よく分からなくなってきて、徐々に手に負えなくなってきた市場経済に対して、

ピケティはエビデンスを提供したから、こんなに騒がれているのだと思う。

ピケティのことを" 「不平等の統一場理論」を発見した "とか、

r>gというまるで重力場でも連想させるかのような数式を取り上げて宣伝するのには違和感を感じたが、

経済学というものがそもそも数学モデルの一つの形態だとしたら、別に突飛な発想でもないのかもしれないとも思う。

金利や為替は重力場みたいなものかもしれないし、

グローバルな市場経済は、政治的なナショナリズムをとっくに乗り越えてしまったフラクタルやカオスのようなもので、

一国のナショナルな金融政策では制御することが不可能な、荒ぶる自然力のようになってきているのかもしれない。

宇宙や音楽、身体を照応させる考え方があるのなら、経済や市場を照応させて考えることはむしろ自然なようにも思える。

小澤征爾さんと村上春樹さんの対談が興味深い。

ベートーヴェンやブラームスを経てマーラーが戦後広く聴かれるようになった下りや、

最近のオケが、大きな束としてがっしりと音楽を作るのではなく、内声や中身をちゃんと聴かせるスタイルに変わったといった音楽論みたいなところが面白いのは勿論なのですが、「僕は音楽をやる人間ではないんですけど」という村上春樹さんの音楽への造詣の深さに驚きました。

音楽好きであるのは有名ですが、うんちくやこだわりといったようなマニアックな部分を超えて、

” 弦楽器を指板の上で弾くと音がぼやけたり、駒に近い部分で弾くと音がはっきりする"といった、音楽家でなければ体感できないであろうと思われるような領域にまで話が及ぶ。これはすごい。

そんな村上春樹さんが、音楽と文章の照応について語るところがあります。

自分の書き物を「楽譜」と呼んだのはニーチェですが、似ているところがある。

音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。

文章の書き方で一番大事なのはリズムです。

前に前に読み手を送っていく律動感というか、文章にリズムがないと、そんなものは誰も読まないんです。

でも多くの文芸評論家は、そういう部分にあまり目をやりません。

文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。

でもリズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。

新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかといのは、

その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。

言葉やセンテンスの組み合わせ、硬軟・軽重の組み合わせ、均衡と不均衡の組み合わせ、

句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てきます。

ポリリズムと言っていいかもしれない。音楽と同じです。耳がよくないと、これができないんです。

できる人にはできるし、できない人にはできません。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。

僕はしっかりとリズムを作っておいて、コードを乗っけて、そこから自由に即興を始めるんです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いています。

小澤征爾氏は早朝の時間帯に「スコアを読み込む」と言い、

村上春樹氏も、いちばん集中できるまだ周囲が暗い朝の四時くらいに起きて、没頭できる態勢を作ってから仕事をするといいます。

朝早く起きて、ひとりきりで集中して仕事をする。冬であれば、あたりはまだ真っ暗だ。暁の予兆さえない。

そんな時刻に、五時間か六時間、机に向ってただ文章を書く。熱いコーヒーを飲みながら無心にキーボードを叩く。そういう生活をもう四半世紀以上続けている。

小澤さんが集中して楽譜を読んでいるのと同じ時間に、僕の場合は集中して文章を書いている。やっていることは全然違う。

しかし、その集中の深さに関しては、だいたい同じようなものではないだろうかとひそかに想像する。

僕はいつも考えるのだけれど、そのような集中力なくして、僕という人間の生活はない。

僕にとって、もし人生からそのような集中力が失われてしまったとしたら、それはもはや自分の人生ではない。

集中力を発揮している時に自らの生を感じる、というのは、そこに一番の贅沢や愉悦があるということだと思います。

それは経済タームでは照応させることができない、プライスレスな部分であって、

本当の豊かさや贅沢というのは、お金で買える兌換物ではない。むしろストイックな部分にありそうにさえ思える。

家の玄関の足元にも白いマーガレットとノースポールを植えたが、

白い花は寒さできりっとした中に早春が感じられていい。クロッカスやスイセンも然り。

春が桃色やピンクに色づいてくると、寒さは緩んで春爛漫の季節になっていく。

本命はまだだが、まずは一安心。

昨年、現役合格した範囲で進学しようかとしていた時期に、

後で勿体ないことをしたと後悔するなよ、とアドバイスしたのが無駄にならなかった。

 

 春は旅立ちの季節でもある。

昔は、卒業などというと、本当にお別れだったが、今はSNSもあるし、メールやネットもある。

戦地へ送り出すような、そんな大げさなものではないが、

明るくさらりと歌われる「ダニエル」の哀しみに心打たれたのは、ちょうどたーくんと同い年の頃。

果たして皆其々にスペインを見つけていくものなのだろうか。

それともフランス人が言うように、執着なく、いろんなことにセラヴィと言えるのが素敵なことなのでしょか。

写真を誤って消去してしまいましたが、シュラスコの店では、

ギタリストが陽気なリズムの中にそこはかとなく哀愁のある、そんな曲を演奏していました。

ブラジル音楽やラテン音楽、スパニッシュ・ギターの音色には、

喜びと悲しみ、背反する感情や情熱が、同時にパッションとして共存しているような倍音を感じます。

昔ジャケ買いしたことのあるバーデン・パウエルを聴きたくなったので。

Baden Powell - Samba Triste (1970)

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