ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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ソルフェジオ周波数とは

2014年02月15日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

「倍音声明」の振動や共鳴が身心にもたらす働き(キラキラ光る倍音とは)について理解を深めたいと思っていたら、
古代グレゴリオ聖歌の時代にはあったのに、失われてしまった「ソルフェジオ周波数」の存在に突き当たりました。 ⇒ ソルフェジオ周波数528Hz音楽/NAVERまとめ

「ソルフェジオ周波数」のなかで、宇宙の中心核から流れ出す中心的な振動が『528Hz』だという。

社会学者の書いたものがあまり面白くないのは、あの人たちは、「生きている人間」の世界にしか興味がないからである。
霊能者の書いたものがあまり面白くないのは、あの人たちは平気で「あっち側」のことを実体めかして語るからだ。

「こっち側」と「あっち側」の「あわい」でどう振る舞うかということを正しく主題化する人はほんとうに少ない。
(内田 樹 ~ 「あわい」でどう振る舞うかということ ~ However absurd♪

同感。

およそスピリチュアル的なことは、本来理屈不要、極めて右脳的なものなのかもしれませんが、
それでは″あっち側のことを実体めかして語っている″ように聞こえてしまうのもまた事実だと思うのです。

かつて(約300年ほど昔)、北欧の偉大な科学者であったスウェデンボルグが、自身の霊能体験について、なるべく理性に基づいて語ろうとしたように、
正しく主題化するとは、感覚的なことをいかに言語化して共有しうるかにかかっているかのような気がする。

ジョン レノンにあやかった本の邦題がセンセーショナルに過ぎますが、原題は「The Book of 528 - The Prosperity key of love」、

扇動的というよりは、″豊穣なる愛の鍵である周波数528Hz”についての本なのです。

センセーショナルな邦題の一方で、原題はひたすらに″スピリチュアル″ですが、正しく主題化しようとする学術的なアプローチが実に興味深い本です。

~ 人間を始め、モノの姿形は、電子が振動したことにより形成される。
近似する周波数を持つ細胞が組織を形成し、ひとつひとつの細胞とハーモニーをなしながら、また違った周波数で振動する。
組織が集まって臓器を形成し、ハーモニーの中でさらに別の周波数を生み出す。

突き詰めていくと、ハーモニー、健康、恒常的なバランスとは、振動によってコントロールされているのである。

電子コーディネーター説にも似ている。(つながってきた ~ 真実への目覚め)
やはり電子が振動することによって、モノは現象化するのでしょうか。

ジョン レノンやビートルズの音楽のなかにも『528Hz』が使われているという指摘が面白い。

( ↓ ) これは、センセーショナルな側面にスポットを当てた映像とも言えます。

忙しい人のための「ソルフェジオ周波数・528Hz」解説

がんの治療に「ソルフェジオ周波数」が良いのだとの記事も見かけます。
ソルフェジオ周波数はそれぞれに効果があるようですが、528Hzの周波にはDNAを修復する働きがある、とのこと。

がんと共存していくためにもよいのです。

528Hzの振動水 528Hz DNA

~ この知識は、あなたの人生に素晴らしい輝きをもたらす。
これは医学の未来である。
特定の周波数の音や光を「電子薬」として使うことで、ほとんどの病気を治すことができるのである。

周波数は人間の組織に著しい変化を作り出している。
宇宙の中心核からの音波やSGW(永続重力波)は、DNAやその他の身体部分をサイマティック(振動視覚的)に再構築する。
これが一般にいわれるヒーリングである。

これはまた、なぜ睡眠によって活力が得られるのかという理由でもある。

食べて栄養補給をするわけでもないのに、睡眠によって活力が得られることの意味をよくよく考えてみると、
活力の根源や本質は体内に取り込む波動の働きによるのではないかと思えてきます。

少々得体の知れないような感想を抱かれる向きもあるかもしれませんが、目次を見ているだけでわくわくします。

これまでブログにしてきたテーマのオールスター戦みたいな気さえしてきます。

大統一場理論に、ひも理論、宇宙の一弦琴モデル、

(場を考える ~ 意識や生命の見える化に成功した。)、(宇宙の始まりのタネ)、(超弦理論 ~ モナリザはいつも微笑しているわけではない)

時空の確率、神は賽を振らない、
 位相固定、自分の声を通じて意識を拡大するボイストレーニング、

(時空とあの世について)、(量子力学が検知したミッシング・リンク)、
 (内的リズムと外的リズムを同調させること~同期現象(引き込み)について)、(キラキラ光る倍音とは)、、

 

DNA二重らせん、そしてビートルズの「愛こそはすべて」でクロージング。

(生命に宿る黄金比とらせんエネルギー), (螺旋の旅路 ~自分を求め 自分を手放す ~ Let it be♪)


でも、あんまり浮き足立たずに、覚えかじった音楽理論なんかにも照らしながら、じっくり論考を愉しんでみたいと思います。

ソチ・オリンピックが始まりましたが、関東は2週続けての大雪。
先週末に45年振りと言われた大雪を記録したばかりだというのに、この週末もそれを凌駕するような大雪、
東京オリンピックが先週末に続いてやって来たかのような濃密さ。
外出もままならぬなか、別に日記をつけるわけでもなく、純粋に趣味として愉しむツールとしてのブログであることを思い出しました。

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キラキラ光る倍音とは

2014年02月13日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

前にも少し触れましたが、瞑想をしていて、ポワッと気持ちよくなっているようではダメなのです。
想念の途切れに気がつかないような間の抜けたものではなく、一瞬を捉える鋭い洞察力を涵養する基礎練習としての瞑想。
(一瞬を捉える鋭い洞察力を涵養する、基礎練習としての瞑想
)

瞑想は、薄らぼけた、ボーっとしたイメージで捉えるべきではないのです。

合気道も動く禅、動く瞑想と言われるらしいですし、
ヨーガだって、"今は屋内でマットを敷いてするのが流行っているけど″、もともとは屋外の山中でやっていたもの。

深山幽谷でヨーガ行者が瞑想に耽るというと、静かな様子をイメージしがちですが、むしろ逆で、
小動物の走り回る音や、風が木々を揺らす音、様々な音を積極的に聴くことが瞑想を始めるキーポイントになるとのこと。
普段は聞き逃してしまうような音もしっかりと探し出して、耳に入ってくる音はすべて聴き取るようにする。
そして、音が聴こえることによって、自分の気持ちが落ち着くという方向に意識を結びつけるようにする。

「倍音声明(ばいおんしょうみょう)」はもともとチベット密教の修行法として伝えられたもので、
ウーオーアーエーイーという母音と、ムー(低音のハミング)とンー(高音のハミング)という音構成が、あらゆる音を作り出します。

「声を響かせる共鳴楽器として身体を使う」。

何人もの人が集まると、その全員が個々の楽器となる。
母音を発すると、そこに含まれる「様々な周波数を持った倍音」が響き、「そこには存在しないはず」の様々な楽器や音、
   ― 鐘の音やホラ貝の音、讃美歌や般若心経、パイプオルガンやフルートに至るまで
人によって違う、キラキラ光るような倍音を聴くようになるというのです。

 倍音とは ⇒ 「良い声」の正体…倍音とは

面白そう

いつか、倍音声明の会が催されることがあったら、参加してみたいです。
(倍音声明ではありませんが、成瀬雅春先生の講座を見つけたので、行ってみたくなってきました。)

   

さて、ヨガでいうチャクラは、肉体上にあるというよりは、もっと精妙な「意識体」に存在するものとのことなのですが、
自分で倍音声明を身体に響かせて、チャクラを感じ、開いていくことができるらしいのす。

チャクラを開発し、7つのチャクラを結ぶ経路が開くと、人間は巨大なエネルギーを取り込むことができる。

( ↓ ) 各々のチャクラには対応する音があって、その音を声に出して、倍音を響かせるのです。

第1チャクラ ・・・ 「ムー」(低音のハミング)
第2チャクラ ・・・ 「ウー」
第3チャクラ ・・・ 「オー」
第4チャクラ ・・・ 「アー」
第5チャクラ ・・・ 「エー」
第6チャクラ ・・・ 「イー」
第7チャクラ ・・・ 「ンー」(高音のハミング)

 チャクラやクンダリーニ・ヨガについては以前にも ⇒ われわれの性衝動が強大な理由

 大声を出せばいいというものでもない。チャクラは「繊細な感覚」に注意を向けないとつかめないのです。

そして、 『声を出さないさらに強力な倍音声明』 というものがあるのです。

ヨガの世界では師から弟子が、マントラ(真言)をもらい、
そのマントラは、生涯声に出してはいけないとされているために、弟子は誰にも言わず、誰にも聴かれないように、
生涯、頭の中で大切にマントラを唱え続けるというのです。

そして、実際に、ウーオーアーエーイーと頭の中で唱えることで、体内に振動が起こるのがつかめてきて、
そうなれば、その倍音声明は、声に出すより遥かに強力になるというのです。

~ 20年前、成瀬先生に倍音声明を教えていただいてから、ずっと合気道の稽古に取り入れています。

  響きが身体に染み込んできて、じゅうぶんに振動を与えてから技に入ると、動きに甘みが出てくるんです。

  よく呼吸を練り込んでおくと、動きに甘みと粘りが出てくるんです。  (内田 樹)

 感覚を言語化することの大切さについては、「白鵬のメンタル」でも言及されていましたが、動きに「甘み」を感じるという、この感覚を是非身につけたいものです。

顔の中心線がシャキッと目覚めるかのようなメソッドで、気に入っている「ひふみ体操」。
しかし、ハラを鍛える、呼吸を練り込んでおく、という感覚を養うには「ひふみ」より、母音を使った「倍音声明」のほうが効きそうな気がする。 
自然の力を身体におろしてきて、自然と共鳴するメソッド。
そのために、身体や骨格に、じんわりと振動を与えてやる。
両刀使いでいきましょう。


 以前に採り上げた「ひふみ体操」。⇒ (悲しい歌を受け入れる ~ ひ・ふ・み体操♪)

  座禅の時にも、
 ″舌先を軽く上あごの歯のつけ根のところに付けて、口を閉じ、口の中に空気がこもらないように口を閉じるとよい” とされる。
  顔の中心線への意識が整うので、気分もシャキッとします。

1. ハ行の音にはマイナスを消すバイブレーションがあるそうです。
ハ行の呼吸は神経が集まる口角を刺激し、感情を司る中脳に働きかけるからよい、という説。
波動の法則、身体と宇宙の共鳴みたいなことにもつながっていくような話。
具体的にハ行の音を採り上げて、どうして効果があるのかという論考を加えているのが斬新だった。

2. 口角筋まわりのストレッチとして単純に気持ちがいい。
この本には、「低体温・低酸素・高血糖」というがんの温床になる環境を排除するためのノウハウが書かれていますが、

ひふみ体操に似ているし、採り入れてみようと思ったのが、「気道ストレッチ」。
口の周りの筋肉も鍛えないと、凝っているのが分かる。
顔面ダイエット的効果も期待できそうだ。   

    

 

昔レコードで聞いていたときには、埋もれて凝んだように聴こえていたバックの高音部の音響が、
キレイに分離されて、いろいろな高音が聞こえます。
倍音声明の会で多くの人が聴くというキラキラした不思議な高音というのもこんな感じなのでしょか。

I prefer to spend my time in solitary ways
Keeping myself to myself
Can't pretend that it's been easy since you went away
Living with somebody else

If you should change your mind
If you should turn around and look behind
If you could see me the way I used to be
At the risk of bringing back the sorrow and despair
I would do it all again
Holding on to memories and pretending not to care
Knowing that the show was soon to end

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倍音を身体におろすゴルフ

2014年02月10日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

結局、龍の形をしていた小籠包は煙のように空中に消え、週末になって、関東に45年振りの大雪を降らせましたとさ。

夜になってもしんしんと降る雪の光景のようだと思って、これを見てました。

流れていくのは世界であって、時間が流れているわけではないと分かっているのですが、川の流れに擬えてしまう。モノサシが示す距離、10cmや1mに実体はないことは、誰にもわかるというのに、時間についてはそうもいかない。一回きりの、二度ともとに戻ることのない不思議に、大いなる力を感じるからだと思う。

母音の発する振動を、身体(ヨガでいう意識体)で感じ取って行く「倍音声明(ばいおんしょうみょう)」というものに出会いました。

あるキーノート「基音」を聞くとき、そこには基音の倍数である様々な振動数を伴った「倍音」が含まれているのです。 同じ音階の音であっても楽器や人の声の音色が様々な音色に聞こえるのは、そこに含まれている倍音の成分が異なっているから。

( 「良い声」の正体…倍音とは )

そして、倍音の成分を意識すると、含まれる倍音の周波数が醸す音色を感じるようになって、その周波数の音の聞こえ方は人によって異なってくるそうです。讃美歌の音にもホラ貝の音にも聞こえる。 

自分で、ウーオーアーエーイーと声を発しながら、そこに含まれる倍音の振動を身体で感じるトレーニング。

身体を自然と共鳴する楽器のように使う訓練。

これは、「自然を仲間につけてゴルフを変容させていく」ことにもつながるかもしれない。

「地謡ゴルフ」というと掴み所がなくなってしまうが、倍音声明を声にだしていくことは、技法として実践的です。

自然の振動を身体で感じ、細かく共鳴させながら身体におろしてくるのです。

これはまた、面白いテーマを見つけました。

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14の不思議と月の孤独について

2014年02月08日 | 日記

会津の古民家にて、明け方に麻雀で「緑一色」をあがる夢を見ました。

 緑色の紋様が連なり龍の姿となって、今にも動き出しては天に昇っていくかのようです。

 異界から顕現したシテのようでもあり、夢でありながら、只事ではないのが分かりました。

しかもただの緑一色ではないのです。『しょうろんぽう(小龍包)』と呼ばれる、物凄い巡り合わせの配牌だとのことで、
竹の紋様が龍の姿へと変容し、湯気を立てながら、異界との接点が生じている。

急いで牌を束ねて、軒先に吊るしました。朝日に当てて、お祓いをしたのです。

干された牌の異容な光景は、まるで沢庵を干しているかのようでした。

 

目覚めてすぐに、撮ったはずの写真を探しましたが、残っていません。

皆が『小龍包』と言っていた、そんな配牌があるのかと思って、起きてすぐにググってみましたが、


やっぱり、ただの中華料理の点心の名前です。                            

しかし、その名前には偶然にも「龍」の字を含んでいます。

 

一体何だったんでしょう。なぜ、小龍包だったのでしょう。

~ ~ ・ ・ ~ ・ ~ ~ ・ ・ ~・ ~ ~ ・ ・ ~・ ~ ~ ・ ・ ~・ ~ ~ ・ ・ ~・ ~ ~ ・ ・ ~・ ~ ~ ・ ・ ~・ ~ ~ ・ ・ ~

麻雀にはソウズの他にピンズ、マンズがあるのですが、もう一つ失われた絵柄の牌があったという説に出会いました。その牌を混ぜて麻雀をすると、世界のバランスが変容するというのです。

ソウズは竹を横から見た図柄で、ピンズは竹の断面を表しています。
マンズは「亀は萬年」と言われる通り、もともとは「亀」を表していたとのことで、もともとは亀のペアになる牌がもう一種類あったというのです。

マンズのペアとなる相手方がチンズだったのか、「鶴は千年」の鶴だったのかはともかく、
本来は、対を形成して4種類であったはずの牌が、対を失って3種類になっている。
「白・發・中」という三元牌にしても、白秋(白)、青春(緑)、朱夏(赤)を表しているが、玄冬(黒)を欠き、不完全な四季のままになっている。

 

かたや、トランプは、スペード/クローバー/ハート/ダイヤと、4スートあって四季を成しています。
各々が13枚なのは、1枚が7日(1週間)を表すと考えれば、7日×13枚=91日、4スートだと91×4=364日になります。
ジョーカーを1枚あるいは2枚加えることで、太陽暦を閏年を含めて象徴することができるのです。

麻雀も、本来は、失われた4つ目のスートがあって、
青龍(緑)・朱雀(赤)・白虎(白)・玄武(黒)という、四方を守る神や四季といった宇宙全体を表す聖なる道具であったという仮説が紹介されていました。

~ 聖なる道具から4つ目をそぎ落として、安定した偶数から、奇数にすることで、動きのあるゲームになった。

これは面白い。「欠けていること」が動きやゲームを生み出す。

エロス的な話しでもあります。

麻雀は、あえて「欠け」を作ることで、聖なる宇宙ではなく、俗っぽい人間的なゲームになっている。

Alan Parson Project - The Turn Of A Friendly Card (with lyrics) - HD

ちなみに、ソウズ、ピンズ、マンズは各々13枚ではなく、9枚しかありませんが、
古代中国の「旬」は10日なので、1枚が10日を表しているとすると、
10日×9枚=90日、4つ目のスートがあったならば、90日×4スート=360日で、これは太陰暦と一致するそうです。

でも、不思議なことに、月を表す太陰暦の世界の支配を受けているはずの麻雀は、
9枚/10日の太陰暦の法則(数字)ではなく、太陽暦の法則である13枚で遊び、14枚目であがるのです。

(かたや、1スートが13枚あるトランプは、13枚で遊ぶゲームってあんまりなくて、あえて言うならば七ならべくらい。)

 なんとも切ないゲームであることに気がつきました。

月の世界に生きながら、月の法則ではなく、太陽の法則のなかでプレイされるのです。

決して満ちることのない満月、決して十五夜を迎えることはない。

14で完成する不思議を2014年に想う。

14本目のクラブであるパターでホールアウトするゴルフも、麻雀のようなものなのか。思い通りにいかないのは、むしろ当然ぢゃないか。

去年の今頃はアルバトロスが湯気を立てて、カップの中で成就しているのを目撃したが、
今年は、物凄い配牌、「小龍包」を夢の中で目撃したのです。

我ながら冴えてます。「小籠包」は冴え薬だったのでしょうか。

世界の変容やバランスについて書いてるうちに、月の孤独にまで思いが至りました。

 

あの「小龍包」の上がりは14サイクル目での上がり、寛解、を目指せと言っているのか。満ちることはなくとも精進せよと言ってるのか。

今月14日はバレンタイン、

~そしてレディ・マドンナは1週間の歌でした。(でも、なぜか7日ではなくて土曜日が歌詞から抜けているのです。これもまた欠けが生むエロスなのでしょか。)

Paul McCartney - My Valentine + Lady Madonna
[Piano solo - David Frost Show 2012]

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ゴルフの変容 ~ ターゲットゲームから「仲間を増やすゲーム」へ

2014年02月01日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

ゴルフを「荒々しい自然力を制御する技能」として捉え直す試み。
漫然とラウンドするのではなく、よい「流れ」を作る稽古場にしてしまうのです。

人間世界に自然や異界の力をおろしてきて制御するためのノウハウやヒントを、能や相撲といった神事に学んだなら、
それを実践し、稽古していくための手段としてのゴルフがあってもいいのだと思います。
(ゴルフでもいいんです ~ 自然力のおろし方

普通は、プロでも上級者でもないのに、そんな大仰なことをゴルフに持ち込むなんて馬鹿じゃないのか、ということになるかと思いますが、
能楽の世界ならば、「初心忘るべからず」という世阿弥の言葉があります。
いつまでたっても、至らない自分をはばかることなく、てらいもなく居られるのです。
至ってシンプルな能の動きの中に、何年経っても、新しく発見するものがあって、" ああ、何て面白いんでしょう。″ って言えるのです。
稽古をつけるようなゴルフの愉しみ方があってもいいのではないでしょうか。

累々と型を繰り返しながら、感覚を追い求めていくための所作として「土俵入り」について書きました。

もはやチャーシューメンではなく、「はっけよい、残った、残った、」と言って、
ビハインド・ザ・ボールにして頭を残し、球もフェアウェイに残っている、
そんなゴルフへの変容が始まっているのです。

「土俵入りゴルフ」
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相撲の土俵入りのようにティーグラウンドに立ち、おもむろにすり足で構える。

ピン方向に体も気持ちも流れてしまうのではなく、土俵(地面)をしっかりヒットしていく。
上ずった空中戦ではなく、すり足でしっかり姿勢を低く保って(スパインアングルをしっかり低く保って)、
相撲でいうと千秋楽まで15番、ゴルフは18番、しっかり寄り切っていく。

普通は、ターゲット方向、飛球線方向に意識が向かいがちだが、
それが、右肩が残らなかったり、体の開きが早くなったり、様々なミスを引き起こす。

相撲の立会いのように、正面への意識を強く持つのです。

身体の正面に向けて構え、身体の正面でゴルフをする。
(うっちゃりではなく、寄り切りの型を大事にするのです)

そして、立会の前傾姿勢、スパイン・アングルを保ちながら、地面を穿つようにスイングする。
(地面を穿つ、というのは、飛球線方向に流れず、体の正面で球を穿つためのイメージです。
地面を穿ち、地球を鳴らす応援太鼓のように、自然の力と共鳴する、能楽や地謡に通じる身体動作でもあるのです。) 

筋肉の力だけに頼らずに、自然の力を「おろし」てスイングする。
太刀を扱うが如く、動き出しと刃筋を決めたら、自然の力が発動するのに任せる、そして太刀を止めて収める。

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ここで大事なのは、ピン方向、ターゲット方向に体も気持ちも流れてしまうのを防ぐことでした。

そして今日は、ターゲットに対する考え方や態度についての、ビジネス書の紹介文から得た新しいパースペクティブです。

どうしてここからゴルフに行くのか、我ながら飛躍した援用にも思えますが、
これは、「よい流れ」を作るための心の持ちようでもあるのです。
 

 

ターゲットゲーム、攻略するゲームから、「仲間を増やすゲーム」へ発想を変える。

目に見えない「流れ」の動かし方を学んでゴルフを「変容」させるのです。
(流れとか変化とか言うより、変容のほうがリアルで生々しい。)

これは、共鳴し、流れを呼び込むという心の動きにも繋がっていく発想です。
攻略するといったような敵対的なイメージでは、共鳴は生まれないし、流れやリズムも途切れがちになってしまいます。

異界や自然の力を下ろしてきて、仲間にして、いっしょにパーという結果を巻き込んでいく。

仲間という時の目線は、どこか優しく、
やみくもに力んでターゲットを攻略しにかかるのではなく、自然の力を味方につけて、自然の力へ委ねて送り出すイメージが持てます。
ターゲット方向に体や気持ちが流れることなく、自然の力の発動を引き出し、仲間となって、流れを動かしていく。

異界や自然の力がほんとうに凄いところは、それが多分に倍音的であるところだと思うのですが、
ターゲットとなる「基音」的なものを攻略する発想では、もっと深くて魅惑的で「倍音」的なもの(たとえばアルバトロスとか。)を得ることはないと思うのです。

(倍音については、本ブログでも以前採り上げましたが、上手い説明がありました。⇒ 「良い声」の正体…倍音とは )

ゴルフは敵対的な競技ではなく、地面を穿ち、地球を鳴らしながら、自然と仲間になる行為である。

神に向かって舞う能と同じ。
地謡を鳴らしながら異界と触れ合い、自然の中で執り行う神事であるがごとく、ゴルフをする。

技術的なドリルではないので、すぐにスコアに現れるということはないかもしれませんが、
人に見せるスコアではなく、「流れ」を作る稽古のほうも続けましょう。

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