ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

ポールの新曲、Destiny(運命)のテーマ

2014年09月27日 | お気に入り♪(ビートリー)

この夏、そこにあった宇宙。 (恩寵の時空、色彩の記憶)

 

鼻先すぐのところに朝露の雫の冷たさを感じながら、
そこでは異界の断片が漏れ出して(Revealして)いるようでもあった。

風景というか、空気の質感みたいなものが似ている。

ポールの今度の新曲は、なんと、アクション・シューティング・ゲーム「Destiney」のテーマソング。
”なお、ポールは作曲家のマイク・サルバトーリとマーティ・オドネルとともにゲームのスコアも担当しています”とのこと。
ポールの音楽は異界のフィールドをも行き来する。

内田樹先生の鋭い論考は、音楽にまで及ぶ。

私たちの自己中心性と愚鈍さの核にあるのは、判断基準のでたらめさではありません。
むしろ、判断基準のかたくなさです。

マルクス主義が支配的なイデオロギーである時代が終わった今でも、
多くの人々は依然として歴史は「鉄の法則性」に従って粛々と「真理の実現」に向かって流れていると信じています。
これは、ほんとうです。
さすがに人間社会が「未開」から「文明」へ直線的に進化していると素朴に信じている人は少なくなりましたけれども、
いまここにあるものだけが存在するに値するものであり、存在するに値しないものは消滅した
(あるいは、消滅したものは、存在するに値しなかったものだ)
という「歴史の淘汰圧」についての信頼は にわかには揺るぎません。
「これからは・・・の時代だ」とか「・・・はもう古い」ということばづかいの前提にあるのは、
この歴史の淘汰圧への盲信であると言ってよいでしょう。
このような考え方を本稿では「歴史主義」と呼ぶことにします。
歴史主義は音楽史を語るときの私たちの考え方にも深く浸透しています。
現に、いまだに「今・ここで・私が」聴いている楽曲こそ、
歴史の審判と市場の淘汰を 生き延びた、もっとも洗練され、もっとも高度で、もっとも先端的な音楽であると、
何の根拠もなく信じているリスナーは少なくありません。

インドの探査機を含む7台もの火星探査機が火星の軌道に集まっているというニュース、
映画ゼロ・グラヴィティの製作費より安いコストでインドの火星探査は実現したというから凄い時代になってきました。

さて、科学が力を持った背景にはダーウィンの「進化論」の発表が関係していて、
新しいこと、変化することが「向上」することを意味し始め、
「生存競争」に生き残るために変化してゆくことが正義と同等の意味を持ち始めた、という考え方があります。
(芸術とはナニモノなのか)

内田先生が指摘する「歴史主義」は、同時代に、「進化論」に裏打ちされて常識化していったものだと考えることができます。

太古の黄金時代や古来の聖典にこそ真実が存在し、
参照すべきは未来ではなく、過去や創世記にある、という考え方は捨てられた。
進化することや、新しいことが良いことだ、というのが常識になった。

ゲーム「Destiny」で展開される世界は、ポスト地球の近未来の世界。
ポスト終末的な世界観は、今の延長上にある「変化」というレベルを超えた、大きな断絶があるように思います。
進化論でいうと、自然淘汰や自然選択ではなく、突然変異。
20世紀が思い描いた21世紀の未来感と、今現在の21世紀が思い描く未来感は異なってきているように思うのですが、
それは、「変化」というよりは、異なるものへの「変性」、「変容」のニュアンスが強くなっているような気がします。
今の延長線上にはない変わり方への期待や不安が、進化論ではなく、聖書的な創造説的な方へ人を向かわせるような気がする。

「地続きではない」未来という世界の捉え方は、仏教的であり、量子論的でもある。

そういう処にも、たずさえ、口ずさんでいけるような曲を作るポールはえらい、と思うのであります。

Some hope for the future; Some wait for the call  幾ばくかの未来への希望  呼ばれる時を待っている
To say that the days ahead will be the best of all  そして言うんだ これからの日々は最上の時間になる
We will build bridges up to the sky         我らは空に向かって橋を架け
Heavenly light surrounding you and I        天上の光が僕らを包み込む

From out of the darkness our future will come  まったくの暗闇の中から 僕らの未来は立ち顕れる
If we leave the past behind            過去を置いてこれたなら 
we’ll fly beyond the Sun              太陽の向こう側にでも行ける
We’ll be together, sharing the load      僕らは一緒になり 共に苦難を分かち合う

Watching in wonder as our lives unfold   僕らの生命が展開していくのを驚きの眼で眺めている

Hope for the future, It’s coming soon enough     未来への希望、すぐにやって来る
How fast can we achieve?                   僕らはどのくらいの速さで達成できるだろうか?
Hope for the future, It will belong to us,     未来への希望、それは僕らのものだ
if we believe.                                                信じることができるなら

Hope shines brightest in the dark          希望は暗闇の中でさえ、輝くことができる
Where nothing’s ever seen             何も見えない暗闇にあろうとも
Lighting undiscovered places no one’s ever been  知られざる、誰も知らない所を照らしている


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未来の自分とのつながりを強化していくこと ( one of these days ) 

2014年09月23日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

未来の自分が立派にふるまうことが本当にあてにできるのなら、未来の自分に高望みするのもよいでしょう。
でも、たいていはその未来が実際に訪れると、
理想の自分などどこにも見当たらず、いつもの自分が決断を迫られることになります。
~ケニー マクゴニガル

「平均値という現実」に対処していく方法を説いている「ロジカルゴルフ」に考え方が似ていることに気がつきました。

スコアが良くなっていかない「停滞ゴルファー」は、
"偶然のナイスショットを実力と勘違いして、魔法的レッスン情報を生涯探し続ける"考え方をする。

戦略や技術なしで得られるラッキーな結果は、
神様からのプレゼントであって、実力ではないと考えることが、レベルアップに必要な思考技術。

ゴルフ技術は平均値にこだわり、課題や意味を明確にして練習することで、技術を体得するしかない。

「スタンフォードの自分を変える教室」、少し前のベストセラーですが、いかにも自己啓発本にありがちな題名が気に入らなくて、興味が向きませんでした。
しかし、原題は「意志力の科学」。
心理学や脳科学、経済学などの科学的成果を持ち込んで、
精神論ではなく、具体的な、「意志力を強化するための技法化」へのアプローチに共感を覚えました。

そういえば、意志の力、Will powerについては、音楽家のバレンボイム氏も力説しています。
どうやって、Willの力をインテグレートするかが大事だと。
(クレシェンドの瞬間は教えることができない

 

現在の自分と未来の自分というと、薄らぼけた茫洋としたイメージを抱きがちですが、
下図にある「将来の自分とのつながり」という指標
 ― 将来の自分と現在の自分を同じ自分としてどの程度重ね合わせて認識しているかを測る指標 ― として捉える考え方は、

2つの円の重なり具合を視覚的にイメージすることで、未来の自分とのつながり具合がイメージしやすくなる。

多くの人は、将来の自分は、「自分 2.0」という未来にいる別の自分であるかのように錯覚しがちなのだといいます。

未来の「あなた 2.0」は常に現在のあなたよりパワーやエネルギーがあって、
意志力が強いことになっています。
少なくとも、私たちが未来の自分を想像するときはそんな感じです。
未来のあなたには不安もなく、現在のあなたより痛みにも耐えることができます。
未来のあなたは現在のあなたよりもマメでやる気もあるので、
大変なことはぜんぶあなたの未来に任せるのが得策というものでしょう。

以上は不可解ながら、いかにも人間らしい、ありがちな思い違いです。
私たちは未来の自分のことをまるで別人のようにとらえています。

逆に将来の自分とのつながりが強い人ほど、
つまり、2つの円の重なる部分が大きい人ほど、
将来の自分を密接に感じ、先のことを考えた行動をとるようになるそうです。
たとえば、クレジットカードの負債額が少なかったり、貯蓄の習慣を持っていたりすることが、統計的にも明らかになっている。

ある人が、この2つの円が示すどのパターンに当てはまるかは、想定する場面ごとで違ってくるのでしょうが、
少なくとも、たとえば、ゴルフの場面においては、
「停滞ゴルファー」から「上級ゴルファー」へと自分を変えていくヒントを与えてくれているような気がします。
得てして「自分 2.0」を過大評価しがちなところを、現在の自分との重なり具合で捉えていこうというイメージが持てそうに思えます。

なんでもかんでもゴルフに投影するような考え方はどうかとは思うのですが、、
予定調和的なスコアから脱却するコツのようなものを体得できたなら、
それは人生における大発見につながるような気がするのです。
たまたまゴルフを相手にしていますが、
いにしえの昔から、多くの人が主題化しようと試みながら、なかなかに共有化されにくい、核心的な術理を含んでいるように思える。
(ゴルフでもいいんです ~ 自然力のおろし方

 

遠い先のことではない、丸い円を見つける話。


One Of These Days             近いうちに
When A Job Just Takes Too Long   仕事がちょっと長引いた時に
I'm Gonna Sing My Song And See    歌を口ずさみながら 思いを巡らせよう
See What's Right, See What's There 何が正しいのか そこに在るのは何か、
And Breathe Fresh Air, Ever After  そして新鮮な空気を呼吸するんだ ずっといつまでも
It's There, It's Round           それは そこに在る、すぐ近くまで来ている
It's To Be Found               それは見つけられるために在る
By You, By Me                  君や僕によって
It's All We Ever Wanted To Be     それは僕らがなりたいもののすべて

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

未来の自分とのつながりを、2つの円という視覚的なイメージによってアプローチしようとする試みは、
瞑想を技法化するために、想念の途切れをイメージ化する成瀬雅春氏のアプローチにも似ている。
(一瞬を捉える鋭い洞察力を涵養する、基礎練習としての瞑想

気持ちが常に前に行っていて、気持ちの焦点が「いま」に合わなくなる、
"現代人は意識の焦点がズレている人が多い″との指摘は、
2つの円のズレのことを言っている。

(がんさんの女房 - 楽観を生む勝利のユニット

自分があるとき、ある場所にいて、何かをしている時には、
「私が今ここにいることは、宇宙が始まって以来、宿命づけられていた必然の出来事である」と断定する。
「俺はここでこんなことをしてていいのだろうか」なんて思わない。
ここでこんなことをしている自分と、未来の自分をつながるためにも、この2つの円は有効だ。
(胆力とは断定することなのです。

( ↓ ) Kelly Mcgonigal氏のプレゼンテーション、英語字幕をオンにすると、気軽な英語の聴きとりトレーニングとしてもいいと思います。

 

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[2014年9月] ~ ショートゲームにもうひとつのスコアを

2014年09月20日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

ブルーティーに変えた影響はないと思う。

ドライバーはかつてない程に安定感を増してきたし、残り200Y以上残してもグリーンを狙っていける得意のユーティリティーがある。
それにさくら草の180-200Yard級のPar3は、ロングアイアンを楽しめるから、短いPar3よりもむしろ歓迎してるくらい。

「ショートゲームにもうひとつのスコアを」

停滞ゴルファーから上級ゴルファーになるために取り組み始めたのは、ショートゲームを、本気で重視すること。
そのために、スコアの捉え方を変えてみようと考えたました。

@lifelongpassion: ツアープロのプレイもそうだ。ロングで3つ、ミドルで2つ、ショートで1つがショットの基本。
カメラがクローズアップして、いよいよ勝負が始まるのはショートゲームになってからが多い。
そこに集中して上手にプレイするために、ショットとは別の、もうひとつの勝負スコアを想定する。

この本で提唱されている、スコアの3分割記入法(ショット、ショートゲーム、ペナルティに分割してスコアをホールごとに付けていく)を少し改造してみることにした。

普通はパット数をつける欄に、ショートゲーム・スコア(SGスコア)をつけていくのです。(SGスコアにはパターも含めます)。

~ ショットか、ショートゲームか、ここが大事だといいます。
明確な基準はないのですが、フルショットではない距離からのショットを全てSG(ShortGame)にするのではなく、
感覚的にショットであればShotであり、ショットでないという感覚があればSGとしてカウントしていくのです。

”「停滞ゴルファー」は「カップインする打ち方にこだわりますが、
  「上級ゴルファー」は「発射ライン」に確り打てているかにこだわります″
との言葉、

ショートパットに悩む私にはとても有効な箴言でした。

カップインすることよりも、目の前に見つけたスパッツに対して「発射ライン」に打つことにこだわる。

ショートパットでもロングパットでも、集中すべきボールの前後のストローク幅は狭い。
発射ラインに打てているかどうかだけだ。

 ゴルフの能力はショットの能力ばかりだと思いがちですが、下の文章では、実行する場面=ショットの能力が登場しません。
「設計図」をイメージする能力の次に登場するのは、、実行の結果に対する「自己評価能力」と「修正能力」。
あるいは、実行前に、確実に実行できるかどうかを判断するための「自己評価能力」と、できることに集中するための「修正能力」です。

停滞ゴルファーは良い時の結果を実力と勘違いし、同じ場面が来ると常に最高の結果を期待します。

ゴルフの上達に必要なのは、

自分の作り上げたい理想である「設計図」、

次に「自己評価能力」、そして「修正能力」です。

”18ホールのスコアは、1打ごとの良い時の結果ではなく、良くない時の結果レベルに比例する。″

言い得ていると思います。どんな良いドライバーショットを放っても、気のないアプローチやパッティングの方でスコアは出来上がってしまう。
逆にアプやドライバーでリカバーしても、ショットのOBが多いようだと出来上がりのスコアは悪いティーショットなりになってしまう。
スコアは、悪い方の結果に合わせて作られるのです。

だから、メタボリックなショートゲームスコア(パットを含む)を削っていきたい。

 先日の目からウロコの発見で、ドライバーショットは自分史上稀に見る安定ぶりを呈し始めましたが、ショートゲームがメタボです。

それでもSGスコアが54に達してなくとも57程度で踏みとどまってはいますが、
G手前10Yardからでも3つ、4つ、時には5つのSGスコアをマークする。
2つで上がらないといけないところでも、
3つを基準にしていてはスコアを上げていけませんから、そこのところはシビアに、注意しないといけません。

<9/15のさくら草スルー>

INスタートでしたが、日が短くなっていることを痛感した終盤でした。
Outの6-9番あたりで薄暗くなってきてボールが見えなくなってくる中、待ちとスロープレーに悩まされました。
そんな中、前組のプレイヤーがクラブを忘れたといって、前方のフェアウェイから逆走してきて、
ティーグラウンドで待ってる私たちを通り越して、さらに次の組がラウンド中のホールまで一目散に走り抜け、クラブを取りに行ったのにはびっくりしました。

言い訳がましいですが、6-9番はただでさえスコアを崩しやすいのに、集中力を保てませんでした。

 

部活で忙しいまーくんですが、誕生日なのでした。ありがとう。

 

 

<9/20>

先週と似た、相似形のようなスコア。
SGスコアは29/28の57ですが、SGスコア以上にSGの粗さが目立つ内容でした。反省。

しかし、こうしてSGスコアをつけてみると、SGに緊張感が生まれます。

ただパット数をつけているよりは、全然いいし、おもしろい。

前にラストパットの距離をつけるというグッドアイデアもありましたが、
しばらくは、これで1ラウンドで2度美味しい(トータルスコアとショートゲーム・スコア)ことにして愉しんでいこうと思います。

 

家ではなかなかありつけないドミノピザを所望していましたら、
めずらしく帰りは新都心(さいたまのね)のサルバトールというイタリアンの店に。

揚げたニョッキもめずらしいけど、松茸とポルチーニのクリームソース・パスタが秋らしい。


 

こんなにショットがいいのに、あなた(80台)は、どうして来てくれないのか。 あなたの居ないまま夏が終わろうとしている。

駆け抜けてゆく 夏の終わりは

薄れていく あなたの匂い

今日はあなたの声をきかないで このままここから帰るつもり

オフコース 夏の終わり(スタジオ演奏)

 

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鷹のダンディズム

2014年09月13日 | ゴルフィーライフ

長生きすることで知られる鷹が、70年生きるために40歳を過ぎて迫られる決断とは。

人は誰でも、過去よりは成長することを願います。
変わりたい自分が「こころの扉」を叩く、のであれば、その気持ちと素直に向き合い、最も大切な事を選ぶ「勇気」を忘れない。

そして「成長」を求める自分を否定しない。
人生の価値は「速さ」と「広さ」ではなく、「方向性」と「深さ」にあることを忘れない。

新しい成長の仕方を探す、というテーマにたぶん終わりはない。
これまでもそうだったし、これからも、しつこく探し続けるだろう。

(ノベリスト ~ 物語を登るひと)

(コクリコ坂から~そこに行けないから、上を向いてはいけないという道理はない)

(カモメ史上初の、飛行技術の限界突破を目指せばよいのだ。)

くちばしを自ら壊して再生する鷹の姿に共感しました。

ふだんは一ヶ月もすると、こざっぱりしたくなって散髪に行くというのに、
昨年の今頃、秋から冬にかけて4ヶ月くらいの間、散髪に行かずに済む時季がありました。

髪の毛が伸びてこないのです。
抜けないのは幸いでしたが、タルセバの副作用なのでしょう。
足の親指の爪が剥がれて数ヶ月はゴルフもできない状態でしたが、ただいま爪は再生中。
皮膚の上皮組織を攻撃してくれるおかげで、肌の乾燥や発疹ができたりするのですが、髪の毛もボサボサと乾燥しがち。
散髪に行くようになってからも、乾燥してパサパサになって、寝グセのように跳ねてる所があったりして、クシで撫で付けても収まらないポサポサに理容師さんが困ったような顔をしてたり。

季節的なものがあるのか、今年も涼しくなってきて、髪の毛の伸びが悪くなってきたような気がします。

でも、不思議なことに白髪は減ったのです。奥さんが羨ましがってるくらい。
与謝野馨さんが闘病記のなかで、書いていたようなことがあるのかもしれません。

~ 73歳にして染めることなく黒々とした頭髪、
  " 抗がん剤治療によって髪の毛が一度すべて抜けて生え変わったからではないかと思ってます "

(がん患者であることに一生懸命にならない)

 

~ 雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている花はきっと切なかろう ~

なんと優しい感性なのでしょうか。

空を飛ぶ鷹や、張り詰めた弓の弦のふるえに心をみる、日本語のなんと肌理細やかなことか。

悲しみと怒りにひそむ、まことの心を知るという所にまで思いが到る。

choiceのなかで、映画監督の篠田正浩さんが、ダンディズムについて語っているのが印象的でした。

とってつけたような、ちょっと嘘っぽく感じるようなダンディズム論を読んだり聞いたりすることがありますが、これは本当だと思いました。

ゴルフのいちばんの効用は己を知ることができる点にあります。そもそもスポーツとはそういうものだと思います。
理想を高く掲げながらも、日々、己の限界をいやというほど思い知らされる。
このギャップが人間にダンディズムを教えるのだと思います。
理想と現実の狭間にあってじたばたしているけれど、そのじたばたを表に出さない。
じたばたの振幅が大きければ大きいほど、それを見せないのがダンディズムというものなのでしょう。
ゴルフをするようになって60年が経ちました。あの頃は、まさか自分が80を過ぎてもゴルフをしているとは思ってもみませんでした。
何事も、頂点を極めた後は、徐々に下降線を辿り、ついにここでギブアップかという時を迎えます。
そこで人生もゴルフもきれいさっぱり区切りを付け、リタイアメントを宣言するのもひとつのスタイルなのかもしれません。
しかし、一度エントリーしたら雨が降ろうと雪が降ろうととにかくゴルフ場に姿を現し、
理想と現実の差にもがきながら決してそれを顔には出さず、ホールアウトするまでボールを追いかける。
ゴルファーにはそんな身の処し方もあると思うのです。(篠田正浩)

 「雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている花はきっと切なかろう」と思うことがあっても、
きっと人はそれを口に出して言ったりはしないでしょう。

心は必ずしも、言葉や形を伴うものではない。

だから、できるだけ形を伴うように心がけていないと伝わらない。

かたや、高みにある心や理想は形にできないから、現実としてなかなか表に出てこない、言葉にならない。

その狭間のギャップに、ダンディズムは存在する。 言葉や形にはならないが、存在する。

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[2014年9月] 上機嫌なゴルフをすることはむつかしい

2014年09月07日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

空の雲までがフックラインに見える。ぼくはどうかしてしまったのだろうか。

部屋の中もいつしかグリーンになった。

ブルーティーからの80台達成を喜ぶ友は帰りのクルマで金のビールで祝杯をあげていた。おめでとさん。

けど、ぼくのほうは金は金でもホロ苦ブラックだ。ブラックな気持ちでこれを書いてる。

 

内容は良かった。

入れ頃はずし頃の1-2mのパターを何度も決めたし、
前回気づいた左手首をほどかない緩まないダウンスイングでドライバーショットが冴えていた。

右を恐れず攻めていける分、いつもよりシビアに打てるのでOBになってしまったホールが3つあったが、
打ち直しの3打目からはいいショットでリカバー出来ている。
左への引っかけが治まり、先週来の飛距離も申し分ない。

しかし、パーオンした後の4パットやグリーン周りでのウェッジ4回などなど、
気持ちよくプレーできないホールで、気分がそのまま雑なゴルフになって現れる。

数ホールでまとめて大叩きして、「スコアはまぁいいや」、ってなってしまう。
リズムをキープできなくなる。むかしからそうだが、ここが課題。
気持ちを途切れさせることがなくなれば、イメージはすぐそこまで来ているのだが、、。
いつもいつも上機嫌のプレー状態で居ることは誰しもできないので、そういうとこで淡々と着実に手前からいかないと。。 〝 いつも上機嫌でプレーできることはできない〝 そしたら、そこからどうするかだ。 我ながらいいところを突いている。

 

雨曇りの一日、色んなおじさんたちが、ここでも自然の中にグルーブを感じたり、ループを見出したりして、
時にモンスターのような、地謡のような自然の断片に、アメイジングなものを感じ取っている。 おじさんたちは天真爛漫に楽しそうといった風ではないが、いつも上機嫌でいることが愉しいということでもない。
車が通り過ぎていく光景もゴルフな一日に似ているような気がする。
感じ取る道具は、音楽だったり、ゴルフだったりしてもよい。

自然は留まってていてはくれない。ゴルフだっておんなじようなものだ。
あのショットはモンスターだったなぁ、でもショットの記憶はすぐに消えてしまうし、
同じことを繰り返しているループのようでいて、おんなじループに遊んでいるわけでもない。
今日のループはかなり高めだった。

地球とともに自転しているから、私たちの心身も24時間周期のリズムのなかにいる。
一方で、私たちの遺伝子に仕組まれた体内時計のリズム(サーカディアンリズム)は25時間。
その他にも私たちの身体には、8-10秒、14秒、20秒などの脳波のリズム、
集中可能なリズムとしての90分のリズム、一週間や一年のリズム、10.5年や21年のリズム、
といった多様なリズムが組み込まれているといいます。
あまりに複雑だと合わせにくいが、シンプルな倍音声明などをベースに共鳴を感じ取っていくことの面白みもその多様性やズレにあるのだと思う。

体内時計の謎に迫る ~体を守る生体のリズム~ (知りたい!サイエンス)
大塚 邦明
技術評論社

 

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