ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

天気の子~聖地巡礼

2019年08月17日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

赤羽岩淵とか新宿とか馴染みある場所だらけで、敢えて聖地巡礼するまでもない。”(天気の子)と言ってみた。

たとえば、六本木ヒルズ52階の東京シティビューは、
阿闍梨(高校時代からの友人、現住職。)が来京した時に案内した場所だ

龍の昇る頂にて)

【聖地巡礼】天気の子 で舞台となった東京都内を訪れてみた。~Weathering With You

しかし、山手線の田端駅にはこれまで降りたことがなかったので、
この機会に田端駅で降りてみることにした。

田端の駅は予想通り地味な駅舎なのだが、
映画祭りのようだった。

   

 

 

穂高、いや帆高(僕)が晴れ女である陽菜(ひな)の住む田端駅の傍の坂道で出会うシーン。

どんなに雨に打たれても、僕たちは生きている。
どんなに世界が変わっても僕たちは生きていく。
「この世界がこうなのは、だから、誰のせいでもないんだ。」
世界は、ただ最初からあるがままに狂っていたんだ。
違った、そうじゃなかった。
世界は最初から狂っていたわけじゃない。
僕たちが変えたんだ。あの夏、あの空の上で、僕たちは選んだんだ。
そして、僕たちは願ったんだ。
世界がどんな形だろうと、そんなことは関係なく、
ただ共に生きていくことを。

髄液検査の結果は陰性(癌細胞は髄液からは検出されなかった)だった。
3W前に検査を受けて結果が分かる1W後に急を要する事態であれば連絡がある筈なのに、
何も連絡がないので、おおよそ察しがついていた。

そんな近頃は、ただひたすらに生きている。

”世界がどんな形だろうと、そんなことは関係なく、ただひたすらに生きていく。”

そういえば、新海監督の前作の時も聖地巡礼したのは通院帰りだった。(君の名は。~ 聖地巡礼つき

 

ビルの天辺の看板に、”あみ印”の文字が確認できる。

 

 

夕立あがりの空に晴れ間が戻ってきた。

天気の子。私も晴れを望む。

 

「老若男女が足を運ぶ夏休み映画にふさわしい品位を」的なことはもう一切考えなかった。
遠慮も忖度(そんたく)も慎重さもなく、バッテリーが空になるまで躊躇なく力を使い果たしてしまう主人公たちを、
彼らに背中を叩かれているような心持ちで脚本にした。
自分なりに心を決めたことがある。
それは、「映画は学校の教科書ではない」ということだ。
むしろ、教科書では語られないことを、
例えば人に知られたら眉をひそめられてしまうような密やかな願いを、
語るべきだ。
それこそが僕の仕事だし、もしもそれで誰かに叱られるのだとしたら、
それはもう仕方がないじゃないか。
僕は僕の生の実感を物語にしていくしかないのだ。

抜き書きしながら、新海監督のサインが本のカバー裏にあるのに気づく。
これは貴重だ。平積みにしてある本だったのに

 「天気の子」クライマックスシーンを公開 ZIP!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天気の子

2019年07月27日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

君の名は。~ 聖地巡礼つき」に続く新海誠監督映画、「天気の子」。

主人公の名は、森嶋帆高

字は違うが今夏訪れた「穂高」(穂高にて)の名とのシンクロニシティを感じた。

そもそも穂高神社は、舟と馴染み深く、帆高神社と呼ばれても不思議でないくらいだ。

それに前作「君の名は。」の時はロケの舞台となった須賀神社を訪ねたりしたが、

今回は赤羽岩淵とか新宿とか馴染みある場所だらけで、敢えて聖地巡礼するまでもない。

それに映画で描かれる天候不順で雨ばかりの夏は2017年もそうだったし(筑波山恋歌 (& あなたへの歌))、

2019年今年だってそうだ。

棚雲という言葉には出会ったばかり(棚雲(たなぐも)の湯(2019夏会津))だというのに、

映画のパンフに出ていた。

 シンクロニシティはこればかりではない。

エルトン ジョンの映画が8月にやって来るのだ。

電柱に朝顔を昇らせている光景はあまり見ないが、

ピアノ発表会を来週に控えて、先生の所に相談にあがった。

木曜に駅前オープンしたばかりのイオン・スーパーで少しばかり差入れを調達して持参。

思ったように右手が動かず、一向にスムーズにYour songが弾けないのだ。

先週水曜には閾値である5.0を超えても尚、CEAの上昇が止まらないので、

がんセンターで髄液検査を行った。結果が分かるのはおよそ1W後。

今年は早々にピアノ発表会への参加を表明していたが、欠席するかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成最後の春へと。

2019年03月31日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

平成最後の春、明日4月1日AMには新元号が発表となり、1ヶ月後には新しい元号の時代が始まります。

さて、一年前の今頃は入院して血管新生阻害剤を追加投入し、毎日のタルセバに加えて、
3W毎に点滴を受けることになりました。

(副作用で血圧が200近くまで上昇するので、副作用対策に降圧剤を服用するようになりました。
 結局原因ははっきり分からなかったのですが、
 昨年9月にはやきとり屋さんで倒れ、
生まれて初めて救急車で搬送されることに。
 降圧剤と血圧を低下させる作用のあるアルコールとの組合せが悪いのか、最近は気をつけないと記憶が途切れます。)

血管新生阻害剤投入で一定の効果は見られたものの、ここ半年ほどは腫瘍マーカーの値が上昇を続けています。
閾値を超えて二桁に乗せてきましたが、

一泊二日の入院検査を含め、考え得る検査はひと通り受けているにも関わらず、これもまた原因がはっきりしません。

( ↓ ) 昨年春から変わっていないかと気になって立ち寄ってみたら、あらあらパンツが破けてる。
 (Arc Of A Diver(パンツをはいた2本の脚))

何だかこの所 私のほうも仕事やゴルフを含めて諸事こんな感じで、滅入ってきます。

( ↓ ) 「いやな気分よ、さようなら」はつかみどころのない感情についての、
   科学的アプローチが冴えています。
   いくつも得心する部分があるので、
   図書館に返してしまう前までには、いくつか抜き書きしてみようと思います。

( ↓ )艶やかな照り葉ではなく、葉っぱの裏側を見せて倒れている椿の木に共感してしまいました。

( ↓ )道端に咲く花々。

↓ ) シロツメ草とレンゲ畑かと思ったら、白い花はペンペン草(ナズナ)だった。
   (レンゲ草かと思っていたのは、多分ムラサキケマン。)

なぜか、道端に咲く春の青い花にはスミレのイメージがつきまとうのですが、
よく見るこれはオオイヌフグリと言うらしい。

( ↓ ) 神田明神そばの宮本公園で職場の皆で花見酒を楽しんだのですが…

帰り道で倒れて、流血してしまったようです。
(眼を避けるようにしてケガしているのが不幸中の幸い。)

( ↓ )この3月はこれが唯一一本のブログ記事になってしまいましたが、長男は無事大学を卒業して大学院へと進学。

( ↓ )一方私のほうは仕事もゴルフもピアノもキレが無く停滞気味。 しかし、夕方に見た桜はキレイでした。

   平成最後の一ヶ月間が幸せに恵まれますように

アントニ・タピエスって、スペインではピカソやダリと共に有名な現代美術家らしい。
映像につけられた歌が気に入ってShazunaで調べてみたのだが、誰の曲なのか不明。
どなたかご存知であれば、教えてください。

アントニ・タピエス

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月28日(木)のつぶやき

2019年03月01日 | いいことも起きるにきまってる旅行記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月27日(水)のつぶやき

2019年02月28日 | いいことも起きるにきまってる旅行記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流星ひとつ、そしてシンギュラリティの時代へと。

2019年01月14日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

藤圭子さんの誕生日が、私と同じ7月5日だったことを知った。

自殺したがゆえに藤圭子さんにはどことなく、薄幸な印象があるが、
霊(スピリット)は邪悪な呪いの象徴ではなく、
ある日突然私たちの心に触れては、人を覚醒し、
これまでにない世界を感じさせてくれるもの。

イギリスはスピリチュアルだ)
イギリス人のように暮らしの中に潜む分からないものに出会い、
そこから与えられる不思議な力に身を委ねる指向があってもよいと思う。

沢木耕太郎さんは、藤圭子さんと1979年暮れに行なった引退間際のインタビューを
彼女が自死した後の2013年になってから、そのままの形で、
『流星ひとつ』
と題したノンフィクションとして発表している。

“あなたの引退をテレビで知ったとき、星、流れるって、思ったんだ。”

 “流れ星。あなたを、流星ひとつ、と声に出して数えてみたいような気がしてね。”

年明けゴルフから案の定つまづいて、私も流れ星化しております。
夏に暑さでバテて、上がり手前の数ホール残したところでギブアップしてカートで休んでいたラウンドの頃から、低空飛行から急降下へ。
年明け早々のラウンドも、Parすら取れず(狙えず)、61/62の123。
不思議なくらいに飛距離が落ちた。
青ティーからでも越えていた、白ティーから230yd地点の吹き流しに遠く届かない、弱々しい球ばかり。
ティーショットでがっかりしてしまうと、その後も締まりが無くなる。

昨年暮れに西日暮里駅前の「正剛」って店に焼き肉を食べに行った時に後輩にも言われました。
”○○さんから飛ばしを取ったら、何が残るんですか。そりゃあ面白くないでしょう。”
(藤圭子さんが、
旭川から東京に出てきて初めて住んだところが奇しくも西日暮里だったそう。)

( ↓ ) 月刊GDを見て、石川遼プロのアドバイスに倣った。
ドライバーのネックに鉛を貼ったり、
アドレスでのボール位置を右足寄りからオーソドックスな左足かかと線上にしたりして、
振り遅れではなく、”振り早まって”、
上からフェースが開いて入ることによる右プッシュを防止し、
フェースの向きを感じられるように調整してみたが、
まるでダメダメ。

しかし、

「あなたはどう生きても崩れない。
崩れかかっても、あなたの生命力が、それを修復して、カジをしっかりと取り直す。」


( ↓ ) くどいですが…。
うぉぅ、うぉぅ、うぉぅ~、流れてゆく。


流星 (吉田拓郎)カバー

娘の宇多田ヒカルさんが、かつて自身のツイッターにこんなことを書いていたという。
“「面影平野」歌うカーチャン、すごくかっこ良くて美しくて、
 ああくそ、どうにかあれダウンロードしときゃよかった。”と言ってた歌を。

藤圭子 面影平野

 確かにインターネット上の動画では、藤圭子のかつての美しい容姿や歌声を見たり聴いたりすることができるかもしれない。
だが、彼女のあの水晶のように硬質で透明な精神を定着したものは、
もしかしたら『流星ひとつ』しか残されていないのかもしれない。
(沢木耕太郎)

 

”何もなかった、あたしの頂上には何もなかった。
そこには、ほんと涎が出るような禁断の木の実というのかな、そういうものがあったかもしれない。
でも、あたしには到底おいしい味のするものとは思えなかったんだよ。
もし別の人が頂に昇ってたら、もう絶対に人にあげたくないって頑張るかもしれないんだけど、
あたしにはまずかったの。
あたしにとっては、何にもないも同然だった。”

“永く歌っていたからといって、紫綬褒章だかなんだか知らないけど、国から勲章をもらって‥
馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
ただ生活のために歌を歌っていたに過ぎないなら、どうしてお豆腐屋のおじいさんにあげないんだろう。
だって、そう思うんだから。”

荘子(タオ)の世界観を持つ為に、抜き書き。

老子・荘子の考え方や生き方をタオイズム、それに従おうとする人をタオイストと呼ぶ

西洋を経由して再発見されたタオ(Tao)


生きていると、時折ふと「私はこのままでいいのだろうか?」と不安に駆られることがあります。
そうした不安に脅かされて、せっせと働いたり、
あくせく新しいことを始めてみたり、
あれやこれやと情報を仕入れてみたり、‥
様々な行動に私は走り出します。
が、行動が不安を解消するかというと、どうもそんなことはないな、とここ最近強く感じるようになりました。

なんだか、ゴルフだけでなく、それ程得意分野とも思えないピアノやカメラに手を出している私のことのようだ。
しかし、得意分野でないが故に、強化の余地が沢山残されているはずだ。
そんなにあくせくせずに、タオ的な心持ちで、ゆったりやっていければよいのだ。

その原因は、ひとつには価値基準のめまぐるしい変動に在ります。
インターネットを中心とする高速で膨大な情報によって、
私自身が持つ、行動の根拠や、信じていた判断基準が常に更新されてしまうのが、
その主たる要因とも思いますが、
社会を非難したところで何も解決しません。

けれども、同時に私はこうも思いました。

「確かに私はかわることができなかった。だが、周囲が変貌し、価値観が変移し、社会が変容していくのであれば、
相対的に見た私は、変化したことになるのではないだろうか。」
私が真ん中にいて、周囲がみんな先へと急いだなら、私の立ち位置は変化したということができます。
私が今を生きているつもりでも、他人が未来を生きるのであれば、
私は過去を知る人間に変遷したわけです。
そう考えれば、変化とは結局のところ相対的なものであって、変わろうとせずとも変わっていくのが私だと。
いや、人間とはそもそもそういうものだ。

「流されずに流れろ。」
社会に背を向けろ、とは荘子は言いません。
ですが、社会に流されるのではなく、自分の自由意志によってそこを流れるのだ、という意志を持ち続けたいのです。

うまくいかないことを環境のせいにする人がよくいるようですが、
環境を移してみたところで、自分という立ち位置は動きません。
「居場所を変えるのは簡単だが、どこであってもその場所を踏みしめるのは自分の足である。」

「名は公器なり。多くは取るべからず。」
名声や栄誉は公共の財産であって、自分だけで独占しようとしてはいけない。



WindowsXPから、Windows7や8になって以降、
移行先として、ノートPCやデスクトップPCに加えて、
VDI(Virtual Desktop Inrastracture、仮想デスクトップ環境)が選択肢に加わった。

1つのCPUを、複数の仮想マシンの仮想CPUが共用することで、
1台の物理ハードウェア上で、複数の仮想マシンを動かせるようになり、
(OSは仮想マシンと1対1で対応しており、OSに対する特別な変更は必要としない。)
物理と仮想がオンプレミスで混在するのが当たり前になった。

VR(Virtual Reality)やAR(Augumented Reality)の世界も拡がりを持ち始めた。
(僕は誉める 君の知らぬ君について)

仮想現実世界のアバターに心を移植する時代はもうすぐそこまで来ているのかもしれない。
(フューチャー・オブ・マインド (神様到来の前夜あたり))


元旦から日経の記事に考えさせられました。
シンギュラリティ(AIが人間の知性を超える特異点)が2040年~2050年には現実になるという。
そうした時代には、タオの思想はますます重要視されるようになるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成最後の大晦日に願掛け 〜 富士山キャンプ

2018年12月31日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

初夢にみると良いとされる「一富士・二鷹・三茄子」。

平成最後となる大晦日の願掛けです。

(来年こそは星空撮影が上手になりますように。)

ところで、まーくんは元旦の御来光を拝しに本日富士山へと向かいました。

 

富士山朝霧ジャンボリーキャンプ場の朝。
(冬の入り口11月下旬、登山ではなくオートキャンプ場で拝した富士山。)

富士は日本一の山♪

 朝陽が照らす富士の山。

各場所から富士山が見えるという人気の I サイトをキープ出来ました。

途中にあるスーパーで食材を調達。
寒くなりそうなので、石油ストーブがあると便利かも、ということで
HARD OFFに立ち寄るもストーブは無かった。

 

薪も富士山麓に来てから調達できるのです。便利!

 

しかし、見立てが甘かったか、薪が足りず、
日の暮れた夜道で薪拾い。
朝はキャンプ場の受付がオープンするのを待って、さらに朝用に薪を購入。

   

火は温かい。
富士山麓、キャンプ場の夜が更けてゆきます。
 

Paul McCartney - The Song We Were Singing - Lyrics

 

焼いているのはスペアリブ、
私が燃えているわけではありません。
ヘッドランプです。

 

芋煮で温まった後、
ウイスキーでちびちびやっていると、冷たい雨が降り出しました。


寝袋は耐久性があって、メンテナンスがラクな化繊タイプの#1にしました。
マミー型ではなく、封筒型の寝袋で、中に毛布を詰め込んで寝たのですが、
快適睡眠温度が-1℃~というだけあって、寒くはありませんでした。
それより、雨露を凌ぐエアーマットに助けられました。
しかし、エアーマットを共用で使うと、夜中ごそごそするだけでブヨブヨっとした振動が増幅されて迷惑がかかるし、
マットは奮発すべきだと思いました。

ロープワークに詳しいわけでもなかったのですが、
ペグ打ちしながら、テントにロープをしっかり張り巡らせました。
冷たい雨が降り出してテントの中へと非難するはめになって、
まさか崩壊しないかと少し心配でしたが、

凍った朝を無事に迎えることが出来てほっとしました。

ほっ。

帰りは、昔、母や弟家族と行った、河口湖にあるイタリアン・レストランのキャンティ・コモへと。
今となっては20年近くも前のことで、レストランも場所を移していました。
当時はまだめずらしかった3種のチーズのリゾットというようなメニューがあって、
子供たちが喜々としておりました。
今は冬になると自宅でもチーズフォンデュを食するくらいになりましたが。

 【ロープワーク】もやい結び&逆もやい結び&強化もやい結びの方法【舫い結び】の解説 Bowline knot

さて、イギリスは湖水地方に続いて、富士山麓でまたもや星空撮影に失敗・・。

ようやく分かっていない自分に気づきました。

( ↓ ) 備忘と向学の為に。

************************************************************************************

途中から降り出した冷たい雨の間隙を突いて、
夜明け前に星空撮影に挑むも、ピントが合わないマーク!
(シャッター速度優先モードでシャッター速度20~30用秒/ISO感度を800~3200程度まで上げて撮ろうとしたのですが、
  Mモードにしないとダメだったようです。)

ところが!
マニュアル撮影とマニュアルモード(Mモード)はイコールではない。
ISO感度とシャッタースピードをMモードで設定しても、やはりピントが合わないマークが出る。
ピントを合わせる為には、レンズ側の設定もマニュアル・フォーカスにする必要があるのです。

( ↓ ) マニュアル・フォーカスもオート・フォーカス設定と同じように、
  MENUボタンから設定してやればいいのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湖水地方はどこか裏磐梯や安行に似ていると思う

2018年12月31日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

2018年暮れも押し迫ってきました。
今年のうちに、
今夏7月イギリス湖水地方で過ごした日々の記録を。
湖水地方(The Lake District)

せっかくミラーレス一眼M100を携えて予行演習までしたというのに、
撮りたいような写真が撮れていません。
初めてのミラーレス一眼 ~ Canon EOS M100
スッカン沢 (Waterfalls)


ピーターラビットの作者として知られるビクトリアス・ポターが両親と共に過ごし、
父親が亡くなった後に買い上げて、
ロンドンから母親を呼び寄せて母が亡くなるまで過ごしたというポターゆかりの地、
「リンデス・ハウ・カントリーハウス」に宿泊。

 


 

 

ハイ・ティーを愉しみました。
イングリッシュ・ティー♪



宿で一服した後、使い慣れないカーナビを頼りにして向かったのは、ウィンダミアの街。

(写真右下)こんな風だからカーナビのセットには苦労した。

 

ポールにはTwo Magpiesって歌があった。

 

湖水地方のガイドブックに必ずといっていいくらい紹介されているオレスト・ヘッドへと続くフットパス。

 オレストヘッドからイングランド最大のウィンダミア湖を一望。

オレスト・ヘッドにいたトトロ。
標高238mというから、山の中を歩いていると、日本の里山を歩いているのとあんまり変わらない。
本記事のタイトルにしたが、裏磐梯や安行にどこかしら似ていると思う。

「リンデス・ハウ・カントリーハウス」に戻る。
サマータイムの宵は長く、日没は夜の9時くらい。 

 

部屋からの眺め。ウィンダミア湖も見える。

夜の星空を撮ろうとしてちょうどパラソルのある辺りまで降りていったが、結局撮れずじまい。

 

 ポターゆかりの宿らしく、壁にはポター関連の本がオブジェのように飾られている。

カーナビで走るには、道が細くて、機動力がきかず、
次の日、ニア・ソーリー村にあるヒル・トップに向かう時にはとうとうスマホのお世話になった。
せっかくの湖水地方なのだが、
リバプール発ロンドン行きの列車に乗り遅れないように、
レンタカーの営業所の空いている17時半に遅れないように、
と思うと、あんまりゆっくりした気分にもなれなかった。

 

ヒル・トップはピーターラビットの物語の舞台として有名な場所。



 家に入って最初に目にするのが玄関ホールの暖炉。
ポターが実際に愛用していた日用品が周りを飾っている。

  

ポターも見ていた窓からの眺め。


 

驚いたのは、ポターが家に飾っていた絵が、
ピーターラビット的なメルヘンチックな絵ではなく、
枯れた冬の木々や濁流となって流れる川などの荒ぶる自然を描いたものであったこと。

ポターもピアノを弾いていたようだ。
どんな曲を一体どんな風に弾いていたのだろう。
([ピアノ弾きおじさん] 未来をイメージとして予見せよ ~Imagine(take1)

 ヒル・トップ購入後、ポターの関心は絵本の制作から農場経営へと移っていったという。
ナショナル・トラストの始まりだ。

( ↓ ) ハードウィック種の羊。雌羊は灰色、子羊は真っ黒だという。

2018年7月湖水地方 ニア・ソーリー村

 Wings - Mary Had A Little Lamb

 Paul and Linda McCartney: Ramming - The Making of RAM - Documentary

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムンクの叫びとボヘミアンのラプソディ(狂詩曲)

2018年12月03日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

たとえばデュフィやモネのような、リビングに似つかわしい明るい作品も良いのだが、
気分がブルーな時にはこのような絵を見て落ち着いたりもする。


そんなムンクな気分の仕事帰りの金曜の晩、
「叫び」に共鳴してみようとムンク展に行ってきました。

「絶望」を経て、「叫び」へ。
「叫び」は手法を変えて描かれた4枚の作品があり、
今回来日したのは、ムンクが80歳で亡くなる時まで手元に置き続けた一枚。
カンヴァスではなく、何と厚紙に描かれている。

( ↓ )ムンクは晩年になって老いていく自画像を多く描いている。
(右はボヘミアンたちの”マドンナ”、ダグニー。)

 

昨晩はファミリーコンサートにお招きいただきました。
楽しかったのですが、
仕事面でのブルーが影響しているのか、頭や腕が上手くコントロールできず、
整理できず、音まで乱れがち。
一年前に上手く弾けていたイエスタディやイマジン、ヘイ ジュードに至るまで歌を上手く乗せていくことすらできませんでした。
ささっと弾き歌いできるレパートリー曲は持っていないと。

( ↓ )公開から一週間、評判の高いクイーンのボヘミアン・ラプソディを観てきました。

ボヘミアンな気分を強化することで強くなれそうな気がするのです。
We Are the Championは、
屈辱を浴びようと、それすらも乗り越えてゆく真の勇者を讃える歌だった。

ボヘミアン・ラプソディ大ヒット 伝説のバンドに涙する理由

夏に訪れたのはボヘミアン・ラプソディやホワイト アルバムが録音されたトライデント・スタジオでした。
(「ロンドン中心部、路地裏や屋根上のレジェンドたち」)

12月になって、再びの巡りあわせです。
またもやシンクロニシティを感じる。繋がっているように思える。

(50周年記念のホワイト アルバムは29千円もするスーパーデラックス・エディションではなく、
 イーシャー・デモの聴ける3CDデラックス・エディションにしました。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年11月1日 PET後にポール マッカートニーだ。

2018年11月03日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

1年半を経てまたポールがやって来ました。
(2017年GW ポールデン・ウィークの音楽祭)

 

フレッシュン・アップ・ツアーと銘打たれたニューツアー。
ホーンがフィーチャーされてアレンジが新しくなり、
36年ぶりの全米ナンバーワン・アルバム「エジプト・ステーション」を引っ提げての公演です。
(今回は武道館ではなく、両国国技館での追加公演も開催されます。)

ピアノ弾き歌いを練習中の新作からのシングル曲”I don't know”が演奏されないのは残念ですが、
相も変わらぬ圧倒的なパフォーマンス力です。
今回はなかでもドラムのエイブが2002年のDriving Tourの時のようなパワーに溢れている。

2013年病を患った年に、まるで神様のように日本にやって来て、
それからというもの、頻繁に来日しては勇気を与え続けてくれるポール。

2013年
New ! )
ポールの新作、そして栄光の11月がやって来る )
( ある晴れた日に神様がやって来る )
ある晴れた日に神様がやって来た(前編) ) 
ある晴れた日に神様がやって来た(本編) )

2014年
更待月の晩に神さまを待つ ~ ポールがやって来た )
夢の国立競技場 )
天上のペニンシュラと炉辺の混沌 ~ 神さまのいる半島 )
帰っていったカミサマ )

2015年
マイスタージンガーかツァラトゥストラか、ポールが再びやってきた。 )
ポール マッカートニーを追いかけて(2015東京ドーム出待ちの夜) )
ポール マッカートニーを追いかけて(2015 ~遂にポールに会う) )
ポール マッカートニー 夢の夜 (2015 東京ドーム) )
ポール マッカートニー・アート~ 夢に咲く花 )
ポール マッカートニー ~ 武道館と天の采配 )

2017年
お正月なのにイエスタデイ ~ 祝 2017 ポール来日 )
2017年4月 ポールデン・ウィーク始まる )
2017年GW ポールデン・ウィークの音楽祭 )
[ピアノ弾きおじさんへの道] Yesterdayに寄せて )

そして、今年2018年11月も、二度目の入院を経て、
血管新生阻害剤の副作用ー 特に高血圧 - に悩まされ、
9月には生まれて初めて救急車搬送されるアクシデントに見舞われる中での来日となりました。

コンサートのある11月1日は、朝から休暇を取って、5年ぶりのPET検査です。
( ↓ ) パンツをはいた2本の脚は、春、夏を経て、青々としておりました。(パンツ、破けてました。)

Arc Of A Diver(パンツをはいた2本の脚)


幸い、MRIに続き、PET検査結果も、特段の異常はありませんでしたが、
社会的・経済的ダメージに抗うばかりではなく、
人生に期待するものを変えるべき時に来ている。
次のパラダイムへの変換を促されているような気がする日々です。

昔 子供が生まれた頃、親に” 子どもには上手に負けてあげるのが大事”と言われて、なるほどと思ったのですが、
上手に負けたほうが良いことって、これから増えていくように思うのです。
大事なのは、”上手に” 負ける、ってこと。
ただ負けていれば良い、というものでもない。

 

 


 

ここ暫くのコンサートでイエスタデイを演らなかったのは恐らく初めてじゃないか、というセットリストでしたが、
(昨日10月31日の東京ドーム初日ではEncoreのスタートで演奏されている。)
ここ最近のポールのライブ・パフォーマンスで冴えてるのはバラードよりも、むしろロックなナンバーだと思うのです。
ライブだとあまり繊細なニュアンスで歌わないから。
(今回もホーン・セクションが冴えてるLady MadonnaとかLetting Goとかが良かった。)

A Hard Day’s Night
Junior’s Farm
Can’t Buy Me Love
Letting Go
Who Cares
Got to Get You into My Life
Come On to Me
Let Me Roll It
I’ve Got a Feeling
Let ‘Em In
My Valentine
1985
Maybe I’m Amazed
We Can Work It Out
In Spite of All the Danger
From Me to You
Love Me Do
Blackbird
Here Today
Queenie Eye
Lady Madonna
Eleanor Rigby
Fuh You
Being for the Benefit of Mr. Kite!
Something
Ob-La-Di, Ob-La-Da
Band on the Run
Back in the U.S.S.R.
Let It Be
Live and Let Die
Hey Jude

Encore:
I Saw Her Standing There
Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Reprise)
Helter Skelter
Golden Slumbers
Carry That Weight
The End

前回と違って、動画撮影禁止の旨のプラカードが掲げられていて、
今回スマホで撮れたのは写真のみ。

 

 

 

ポール・マッカートニー来日直前SP~独占インタビュー&舞台裏初公開~(by 2018.10.17(水)フジテレビ) 30:09 2018.10.17作成

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LIPAとリバプール大聖堂と夏の終わり

2018年09月30日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

夏が終わり、 9月も終わりになろうかとしているので、そろそろイギリス旅行記も手じまいです。
手じまいはリバプールを再び。
(リバプールの後に訪れた湖水地方のことはまた後日。)

リバプールへやって来た!
マジカル ”ミラクル” ツアー

マジカル“ ミラクル” ツアー 後編

”残りの人生をどこで過ごそうと、リバプールでの日々はいつも君と共にある。(移動祝祭日 ~ La Mer )"

IN LIVERPOOL" BY PAUL McCARTNEY 

港町リバプールの朝、宿泊したA Hard day's Night hotel辺りまでもカモメが行き交っていた。

A Hard day's Night hotelのレストラン、Blakes。

此処に限らず、イギリスでの朝食はいつもこれがあった。
ケチャップ煮のような大豆、焼きトマト、
薄めのトースト、カリカリに焼いたベーコン。

壁に架かっているのはサージェント・ペパーズのジャケットに登場する50人を超えるという人物の写真だった。

ホテルからピア・ヘッドのあるマージ―河方面へと歩いていくと、
かつてリバプール城があったという場所にヴィクトリア女王像がある。

 

ロイヤル・ライバー・ビルディングと朝陽。
ライバーバードのことは前に書いたが、(リバプールへやって来た!)
朝陽の写真に写っているのは雌雄2匹のうち、雄のライバーバード。

雌は港の方を向いて船員の安全を見守り、雄は街の方を向いて市民の平和を見守っていると云う。
(間を取り持つように架かる月。)

( ↓ )マージー・ドック。ピアヘッドとアルバート・ドックの名前はあちこちで見るが、マージー・ドックというのは見ない。

( ↓ )マージ―河のフェリーボートに届かず。

( ↓ )朝はピアヘッドにあるビートルズ像に届かず。これは後姿だ。

Paul McCartney & Others Ferry Cross the Mersey 1989

届いた!

ピアヘッドにある産業革命の反映を物語ったような美しい3つの建物
(左からロイヤル・ライバー・ビルディング、キューナードビルディング、リバプール港ビルディング(ドックビルディング))
をスリーグレース(三女神)という。

リバプール博物館。

マージ―河が流れ込む先は大西洋ではなく、アイリッシュ海だ。
今となっては、この後お世話になったアイリッシュ海に面したホーリーヘッドへと、
繋がっているように見える。
(【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】ホーリーヘッドの試練)

( ↓ ) 港湾都市リバプールの面影が濃く残るアルバートドック。

 

アルバートドックの一角にある博物館”ビートルズ・ストーリー”。

アスコットには行けなかったが、”ビートルズ・ストーリー”にイマジンの展示があった。
(ロンドン郊外のアスコット、ケンウッド)

ルイス・デパート。
ポールはリバプール・インスティテュート中退後、ここで短期間配送の助手をやっていたというし、

ビートルズはキャバーン・クラブ時代にここの最上階で演奏したという。
ビートルズのマネージャーだったエプスタインの助手ピーター ブラウンはここのレコード売り場の責任者だったという。
地元ならではのエピソードの数々だ。

意味不明な像があった。

ひひーん。

 

ここから、
順不同で先に記事化した、パブ「Philharmonic Dining Rooms」で夕食を採るまで、
【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】半世紀後のアビイロードへ。)
ホープストリート方面へと長い散策。

帰国してから藤本国彦氏の本が発売されていた。(2018年8月15日 初版発行)
下はこの本に掲載されている地図。
これが旅のお伴にあったら、どんなにか分かり易かっただろう。
一方でこれを手にしていたら、ロンドン郊外では「トゥィッケナムの奇跡」は起きず、
フライヤーパーク(Friar Park) 」に足が向いたような気がする。

(右はロンドン編のみが発売されていた今回の旅のお伴。
ロンドンに限っていえば、分かり易さは兎も角、情報量は”歩き方”の方が多いように思う。
しかし、プレジデント・ホテルの前で一所懸命写真を撮ったが、”ここで生まれた”にあるように
あれはリージェントStのBBCパリス・スタジオ前が正解だったようだ。)

 

住宅街を歩いていると、庭がよく手入れされていてとても綺麗。
イギリスの気候に合っているのでしょう、
ここかしこで見かけたブッドレア。

紫陽花という呼称も綺麗なハイドランジア。

 リバプール大聖堂も見えてきました。

 

ポールが1995年から96年にかけて設立したLIPA(リバプール・インスティチュート・フォー・パフォーミング・アーツ)。
LIPAはポールとジョージが通った
リバプール・インスティチュート・ハイスクール・フォー・ボーイズの校舎を有効活用している。
私たちが訪れたのは7月8日だったが、
ポールは、7月25日に
ここで学生たちと語り合うQ&Aセッションを行なった。

LIPAをリバプール大聖堂側からホープ・ストリート側に抜けた所。
どちらが正門なのか分からない程に立派な門構え。

ジョン レノンが通ったリバプール・カレッジ・オブ・アートはLIPAの隣にある。、

( ↓ )ホープ・ストリートからマージ―河~リバプール市街中心部方向を見下ろす。

リバプール・カレッジ・オブ・アートの前に風変わりなオブジェがあった。
藤本氏の本によれば、「A CASE HISTORY」というオブジェで、
ギターのオブジェには"Sir Paul McCartney"と書かれている。
気づかなかったが、横になっているギターがそうだ。

  

 

 

ポール初のクラシック曲「リバプール・オラトリオ」が初演されたリバプール大聖堂教会。
~Ecce Cor Meum(エッチェ・コール・メウム。邦題「心の翼」)は「我が心を見よ」という意味のラテン語)もここで演奏された。
1900年代初頭に建築が始まり、完成したのは1978年というから、完成に要した期間の長さもさることながら、
建築された年代の新しいことに驚く。
(古代からそびえ立っているような威厳があるから。)

高さ101mのゴシック建築の大寺院で、ヨーロッパ最大級のアングリカン(英国国教会)大聖堂。
ペニーレイン傍にあるセント・バルナバス教会の聖歌隊のメンバーだったポールだが、
11歳の時に、ここの聖歌隊のオーディションには落ちたらしい。



リバプール・オラトリオ

Ecce Cor Meum/MccartneyとKate Royal

  

一見明るいですが、サマータイムのせい。
最終入場時刻の16時30分をとうに過ぎていた。

 

1991 McCartney Liverpool Oratorio Part 13/13

 

 

夏の終わり。

9月21日(金)の晩は立ち飲み屋(焼き鳥屋の串吟)で飲んでる最中に倒れて、
生まれて初めて救急車で御茶ノ水の病院に搬送された。
車中で血圧が60台にまで下がって、みるみる顔が白くなったらしい。
たぶんアルコールの降圧作用とアバスチン副作用の高血圧を抑える降圧剤の組合せなどで自立神経が混乱したのだと思う。
ミイラの祝福などではなく、やはり祟りだったのでしょうか。
あの記事が倒れた時の最新記事でもあったので、せっせと更新。
エジプトステーション的大英博物館 ~ ミイラの祝福

搬送先で血圧が正常に戻ってから、ピカードさんにタクシーで家まで送り届けて頂きました。

m(_ _)m

台風24号が来て日本女子オープンゴルフ選手権観戦予定が中止になった今日は9月最終日。
イギリスフィーバーの夏を終えて、秋へと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エジプトステーション的大英博物館 ~ ミイラの祝福

2018年09月17日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

”大英博物館に行ったら、古代エジプトの展示に行くべし。”を実践。
(
渡英まで一カ月のサプライズたち(ポールの新曲まで出た))

~ 大英博物館の古代ギリシャとローマの展示をテーマにして書いた
 「バロックかゴシックか(I Don't Know)」に続く大英博物館の続編は、エジプト・中東編です。

大英博物館のあるブルームズベリー(Bloomsbury)エリアの北部には
今回なじみの深かったユーストン駅の他にも、セント・パンクラス駅や、ハリーポッターに登場するキングズ・クロス駅がある。
(メリルボーン駅とアッシャーの記憶(旅行用に図鑑づくり))
南へ抜けるとSOHOエリアだ。

( ↓ )1998年に大英博物館から分離独立した大英図書館から歩いてすぐのセント・パンクラス駅
パリやブリュッセルとを結ぶユーロスターの発着駅でもあるゴシック様式の建物。

医師であり、考古学者や旅行家でもあった18世紀のハンス・スローン卿のコレクションが国に寄贈されたのが
大英博物館創立のきっかけになったらしい。
同じ18世紀末のイギリスにいたスウェーデンボルグ関係の展示を
大英図書館で見ることを愉しみにしていたのだが、
なぜか話が通じず、見つけることができなかった。
(イマジンの世界観)
Yesterdayの手書き歌詞原稿もなく、She said , she saidの手書き原稿の展示があった位。
She said,も好きなんだけどねぇ。


かつて大英図書館があった場所に建てられたグレートコート。


視線の高さに来るギリシャ・ローマ彫刻も気になりましたが、(バロックかゴシックか(I Don't Know))
やはりミイラの展示に興味が向きます。

幽霊好きだったりもするイギリス人のスピリチュアルぶり、
性と死は人間の根源に関わる何かがあるのでしょう。


博物館の展示を遺物としてではなく、今に復元して来るものとして観る。

左:「女神官ヘヌトメヒトの棺」

 

「ミイラ肖像画」の制作年度は紀元前30年ごろから3世紀にかけてであって、
それ以降は制作されなくなったというから、これもまた3世紀より以前に制作されたものなのか。
なぜにこうもマンガのように鮮やかなのか。



頭部に残っていた髪が赤毛だったことから、ジンジャーと名付けられたミイラ。
本来のミイラとは違って、埋葬された場所で自然にミイラ化してしまったもの。

 


これが一番なまめかしかった。

生っぽくて、やばい感じがするが、匂いは展示されていない。

 

グレートコートの北側に鎮座していたモアイ。

 

(↓)左:ラムセス2世(エジプト/BC1250年頃)
   右:アッシリアの守護獣神像(Assyrian gateway figures)(イラク北部(メソポタミア))

(↓)アッシリア宮殿のレリーフ。

イギリスでは伝統的に美術や文化は大陸からやって来るものであったというが、
時代や国境を越えた膨大なコレクションを有する大英博物館を観ていてもそのような側面を感じます。
イタリアのルネサンスやバロック、フランス古典主義の後塵を拝していたイギリスは
18世紀になってから、ようやく自国の文化を発展させていくことになったという。

 

ポールの新作「エジプト・ステーション」の収録曲の数々には
何度も聴きかえしたくなる、くすぐるような魅力がある。

たとえば「パイプス オブ ピース」を初めて聴いた時のような

バーン!って感じの分かり易い感動や衝撃とは違って、
そこに歌われているクールなフィーリングや感じ方のようなものを何度もなぞってみたくなる。

Paul McCartney - Hand In Hand (Full Lyrics)

Hand in hand                 手に手をとって
Walking through life     人生を歩いて行こう

We can make this dream come true この夢は実現できる
Only if we want it to          そうなることを望んだ時にだけ それは起こる

Paul McCartney - Do It Now (Full Lyrics)

古代エジプトに死者の書というのがあるが、
ずっと昔に分離した精霊と魂が、エコーしながらメッセージしてくるような歌だ。

Do it now, do it now   今実行しろ
While the vision is clear ビジョンがはっきりしている間に

Do it now        今実行しろ
While the feeling is here フィーリングがここに在るうちに


世界を形作っているストーリーを発見せよ


 <追記>

2018/9/17に本稿をアップした翌日9/18に
「エジプト・ステーション」がビルボードのアルバム・チャートで「タッグ・オブ・ウォー」以来、
36年ぶりに全米1位になったというニュースが飛び込んで来ました。しかも初登場での1位。

ファラオの呪いどころか、ミイラの祝福です。

なんだか、サプライズだらけの渡英を挟んでの夏でありました。

 ( 図書館戦争 " 歪んでいるのは世界なのか " )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トゥィッケナムの奇跡

2018年09月08日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

マンチェスター空港からリバプールに向かう列車もそうだったが、
ホーリーヘッドの悲劇があったせいか、
オイスターカードで楽々乗車出来て路線も分かり易い地下鉄(tube/underground)には慣れても
イギリス鉄道はまた間違ってしまうようで気乗りがしないらしい。

ロンドン郊外には他にも行きたい所がありましたが、

(スピリチュアルを探しにイギリス の旅へ(チズイック・パーク))
(スッカン沢 (Waterfalls))
(ロンドン郊外のアスコット、ケンウッド)
(フライヤーパーク(Friar Park))

アビイロードと並んでビートルズの活動の集積度が高いと思うトゥィッケナムに向かうことに。

( ↓ )オイスターカードに慣れてしまうと、
ウォータールー発セント・マーガレット下車のイギリス鉄道の乗車券を窓口で買うのも面倒に思えてくる。



乗車案内は電光掲示板を見るように言われたが、
土地勘がないので、表示されている駅名がどっち方面なのかすら、よく分からない。

それらしい列車を見つけても何番プラットホームから出発するのか表示がない。
出発5分前を切ってからようやくプラットホーム番号が表示され、
チェスターで乗り間違えた時のように、またもや走って乗車です。

 

イギリス鉄道South western Lineの車内は綺麗で快適でした。スマホの充電も出来る。

そして、セント・マーガレット駅に到着。

駅前の売店から出てきたおじさんが、タブロイド紙を手にしながらトランプ大統領の悪口を言っていたのですが、
トランプ大統領はこの日エリザベス女王表敬訪問の為に、セント・マーガレットの南にあるウィンザー城を訪れていました。

 

セント・マーガレット(トゥィッケナム)の街もイギリスらしくて綺麗。

トゥィッケナム・スタジオは駅前の案内図にも書かれていません。
さすが、隠れた名所だ。

ロンドン郊外、トゥィッケナム(Twickenham)には行かないと。」に書いた通り、
トゥィッケナム(Twickenham)は、
ビートルズの活動の集積度合いからすれば、アビイロードと双璧を成す場所ではなかろうか。
音の制作現場がアビイロード・スタジオなら、映像の制作現場がトゥィッケナム・スタジオだった。

そんなトゥィッケナムだが、映画「ヘルプ!」では街中でロケ撮影も行われている。


( ↓ )郵便ポストは無いので、家の煙突や当時からの街路樹の成長具合を頼りに場所を推定してみた。

  

 

 

( ↓ ) 映画ヘルプ の中で4人が住んでいた家を探して、AILSA Aveへと。

 

映画ヘルプ!のシーン中の電柱位置なども参考にして。

The Beatles At Home, From The Film Help!

 

 

改築されている部分もあって、4人が入っていったドアが何処なのか見当はついても確信が持てません。
(向かって左端の家が改築されていたようです。)

郵便配達のおじさんにきいてみても分かりませんでしたが、
家から出てきたおじさんに聞いてみて、これがそうだと、ようやく分かりました。

 

 

当時リンゴが度々訪れ、映画の打ち上げパーティーの会場にもなったというパブ、
タークス・ヘッドではイギリスに来てからようやく初めてのフィッシュ&チップスを頂きました。



すっかりジンジャービールのファンになってしまいました。
パブの店内には、トゥィッケナムに因んだビートルズの写真が飾られています。


ヘイ ジュードやレボリューションのクリップや映画レット イット ビーに至るまで、
ビートルズのビジュアル面における拠点ともいえるトゥィッケナム スタジオ

( ↓ ) ジョージとジョンの足元のマンホールのような四角い格子が目印になった。

 

( ↓ ) 掛け合いコーラスのシーンが印象的な「恋のアドバイス」は第2スタジオで撮られたらしい。
The Beatles - You're Going To Lose That Girl HD

ここは小さなスタジオが集まっている場所に止まらない。
ここで産み出されたイメージが世界に拡がっていったのです。

 

 

Brintons case study | Twickenham Studios

〜「トゥィッケナムの奇跡」〜

受付の方にお願いして誓約書に署名までしたので、多くは書けませんが、
あの日、あの場所、至福の時間。
オスカー、モリー、アリッサ、そしてかけあってくれたレセプションの女性に感謝を。

前回は来日を祝してイエスタディをやったので、([ピアノ弾きおじさんへの道] Yesterdayに寄せて
今回は中途半端なままのレット イット ビーもやってみよう。
トゥィッケナム・スタジオの空気に浸ったイメージで。

The Beatles - Let It Be (Film Outtakes - January 31st, 1969 - Takes 22 & 23)

The Beatles "Let It Be" piano cover with middle solo.


( ↓ ) これもトゥィッケナムだったか。(たしか私がまだ大学4年だった頃の夜のヒットスタジオ。)

Macca at Twickenham - June 7th 1989...

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たそがれのテムズ河 〜 ロンドンタウン

2018年09月01日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

四泊予定が三泊となったロンドン初日は、
ラッセル・スクエアに立ち寄ってからユーストン駅まで歩き、そこから郊外のフィンチレーへ。
(【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】七夕始め ~ プレジデント)
(フィンチレーの不思議)

二日目は朝からロンドン北西部のアビイロードに行き、
午後になって、ようやくロンドン中心部の観光名所を巡ってみることに。
(
【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】半世紀後のアビイロードへ。)

Abbey Road を経て、
先ず向かったのはWestminster Abbey 。
(ヘンリー王子結婚の日に寄せて ~ウェストミンスター寺院)

ウェストミンスター寺院は流石に一時間待ちの行列。
左手の小さな教会はチャーチルが結婚式を挙げたことで知られるセント・マーガレット教会。

 

 イエスを抱く聖母マリア。

 

ウェストミンスター寺院は入口側から見ると、おどろおどろしいが、
出口側は端正でゴシック様式の美しさが際立って見える。

ウェストミンスター寺院は、11世紀にエドワード証誓王(Edward Confessor)によって
イングランド王国の中心とすべく大規模寺院として造られたのだが、
8世紀にはすでに元となる教会は存在していた。
(ロンドンのDNA)

( ↓ )寺院内部は撮影禁止なので、印象に近い雰囲気のある映像を見つけてきました。
 墓所を奉るように祭壇化せず、近くに横たわっていたり、足許に墓碑銘があったりするせいか、
 エリザベス1世やスコットランド女王のメアリー スチュアートからニュートンに至るまで
   傍にいる身近な魂のように感じられる。

 London, England: Westminster Abbey


( ↓ ) これはThe Pyx Chamberと呼ばれるウェストンスター寺院の中でも最古の部分。




教会内部を出た回廊にて。右はステンドグラスが美しいChapter House。

  

ピカデリーサーカスとエロスの像。

ウェストミンスター寺院横には、国会議事堂(House of parliament)がある。

あとでテムズ河クルーズの時になってから気づいたのだが、ビッグベンは工事中(2017-2021)で
下の写真でも端に工事用の足場で覆われているビッグベンの姿が写っている。

 

緑のウェストミンスター橋のたもとには、
紀元60年頃、侵入するローマ帝国に戦いを挑んだケルト人の伝説の女王ブーディカ(Boudica)の像が見える。

(
Arc Of A Diver(パンツをはいた2本の脚)


( ↓ )そして、たそがれのロンドン・クルーズへと。

 

 

このプロモの影響もあって、歴史あるロンドン市街は、
テムズ河のリバークルーズで巡ってみようと決めていました。

(できればグリニッジまで南下して、地球の東半球と西半球を分ける線をひと跨ぎしてみたい、とも思いましたが、
 グリニッジの経度ゼロ線を跨いでみても足りない時間をリセット出来るわけでもありません。)

Paul McCartney & Wings London Town LP promotion


東京の川上り(隅田川)かロンドンの川下り(テムズ河)か。」で
予行演習していたテムズ河クルーズの動画化。
カメラの電池切れのおかげで、
たまたまiPhoneのLIVE機能を使ったのを繋ぎ合わせてみたら、
動画になることに気がついたのです。

〜その頃、教えてもらったSNOWっていう自撮りアプリも使ってみました。
肌が滑らかに撮れたりして、いわゆる盛れるアプリ。

高分子標的薬タルセバは皮膚組織の表層部を攻撃するので、爪が剥がれたり、下痢に苦しんだりはしますが、
髪が抜けることもなく、むしろ白髪は減ったくらい。
攻撃というよりは細胞表層部に刺激を与えてくれているのかもしれません。
50を越えて、抗がん剤治療を続けながら、いつまでもこんな風に黒々していないでしょうから、
映像の合間に少し挟んでみました。

バックの音楽には「たそがれのロンドンタウン」をほんとは使いたかったのですが、
すぐにブロックされてしまいそうなので、昔自作自演した曲をつけてみることに。

テムズ河リバーボート20180712

モネがホテル・サヴォイ(ジョージが歌にしている!)のバルコニーから連作のモチーフとしたウォータールー橋。



「たそがれのロンドンタウン」に“パープル・アフタヌーン”って詞が出て来ますが、
宵の長い時季のせいか、テムズ河の空気の色は変化して、時にパープルがかっているように感じます。
ロンドンにはどこか雲の色の中に色彩を感じさせるようなところがあります。
( 風立ちぬ、生きねば。)
それがモネを惹きつけたのかもしれません。

ロンドン塔へ投獄される者がテムズ河からくぐったTraitor's Gate(反逆者の門)。
エリザベス1世も投獄された時にここをくぐった。


1973年に架け替えられたロンドン橋。
(最近のことぢゃないか。)
1176年から33年をかけて建造された初代の石橋は今よりやや上流にあって、
500年後にウェストミンスター橋が出来るまでテムズ河に架かる唯一の橋だったという。
そして、橋の上には処刑者の首のさらし台があった。

Flow mighty river through me !

Paul McCartney - Daytime Nightime Suffering - Lyrics

( ↓ ) タワー・ブリッジの中央をロンドンバスが走っている。

 

ロンドン、テムズ河の光芒。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィンチレーの不思議

2018年08月27日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

ウェールズ最果ての地ホーリーヘッドからの始発列車でロンドン入りして、
チェックインを無事に済ませた後、
次に向かったのはロンドン郊外の街フィンチレー。

(【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】ホーリーヘッドの試練)

つまは中高時代、イギリスのウェールズやロンドンで過ごしたのですが、
来る予定のなかったウェールズにこうして来たのは、今はもういない父に呼ばれたような気がする、

ようなことを言っていました。

 

ホーリーヘッドから約4時間、朝8時半頃にロンドン ユーストン駅に到着。
昨晩キャンセルせざるを得なかったラッセル・スクエアにあるホテル・プレジデントでしたが、
残り3泊はキープ出来たので、ロンドン計画は無理をせず、でいくことに。
この日は、自分の不注意を責めて元気を失くしているように思えたので、
チェックインを済ませた後は、
ウェールズの続きで、かつて住んでいたというロンドン郊外の街、
フィンチレーに行ってのんびりすることにしました。
 

ユーストン駅からNorthern Lineで北に30分程の所にあるキレイな街でした。
Northern Lineの車中で向かい合わせに座っていたのは、
つまの亡くなったお父さんを彷彿とさせるような、アジア系の紳士。
四角い顔、黒っぽい縁取りの眼鏡や、背格好が、
少し若かった時の義父にそっくりなのです。
そして、私たちと同じ、Finchley Central駅で降りていかれました。

これが、ホーリーヘッドの悲劇に続く、フィンチレーの不思議、です。

 

つまが住んでいたという場所まで、駅から続くBallards Laneを歩くと、
主にバスで巡ったせいかもしれませんが、

リバプールのPenny LaneやStrawberry Fieldsより、こちらの方が"らしい"のでは⁈と思えてしまうほど。

( ↓ ) まるでストロベリー・フィールズみたいなVictoria Park。

( ↓ ) Penny Laneかと思った。

 

( ↓ ) Penny Laneの歌に出てくるような郊外の青空(suburban sky)、散髪屋や花屋さん、銀行まですべてが揃っている光景。

   

( ↓ ) Victoria Parkを入った所に在る切り株がオール・シングス・マスト・パスでジョージが腰掛けてたやつみたいだ、
  と思ってたら腰掛けてたのは切り株ではなかった。

あちこちでブッドレアを見かけましたが、これまたイングリッシュ・ガーデン風のアカシアのような花。

懐かしいテニスコートらしい。

裏路地はどことなく日本的。

 

スーパーのTESCOが、当時のままだというので、日用品を買って帰りました。

ユーストンまで戻ると、21:00pm頃まで明るいので、メリルボーン駅へと。

( ↓ ) 映画Hard day's Nightのオープニングシーンで有名なボストン・プレイス。

 ポールが立っているのは、メリルボーン駅の1番プラットホームらしい。

( ↓ )これはリバプールのヒルトンですが、ジョージ・マイケルも愛されているのですね。

GEORGE MICHAEL HEAL THE PAIN FEATURING PAUL McCARTNEY

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする