ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

ぱちぱちぱち。(applause)

2013年11月30日 | 日記

パチパチパチ。

 

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ある晴れた日に神様がやって来た(本編)

2013年11月26日 | 日記

「ある晴れた日に神様がやって来た(前編)」の後編です。

11/18東京ドーム初日、″あれれ、アリーナに一歩届かないスタンド席だ~”と思いましたが、
立ちっぱなしで人の頭ばかり見えるアリーナ後方よりは随分よかったのかも。

Eight days a weekでオープニングした2時間40分を超えるコンサート、

「タダイマ、トーキョー!」

 

「イッショにウタオウヨ」 ~ Lala how the life goes on

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、お約束のLive and let dieの爆発を経て、本編ラストはHey Jude

 

「モット キキタイ?」

二度目のEncoreでイエスタディを。

 

Helter Skelter、そしてGoleden Slumber ~ Carry that weight ~ the end

 

 セットリスト ↓

19日の東京公演では三曲ほど入れ替えがありましたが、
(たしかListen to what the man ⇒Jet 、I've just seen a face ⇒ Things we said today、 Get back ⇒ I saw her standing there )
一日オフを挟んだ最終日も初日と同じセットだったそうです。

1. Eight Days A Week
2. Save Us
3. All My Loving
4. Listen To What The Man Said
5. Let Me Roll It/ Foxy Lady Coda
6. Paperback Writer
7. My Valentine
8. Nineteen Hundred And Eighty Five
9. The Long And Winding Road
10. Maybe I’m Amazed
11. I’ve Just Seen A Face
12. We Can Work It Out
13. Another Day
14. And I Love Her
15. Blackbird
16. Here Today
17. New
18. Queenie Eye
19. Lady Madonna
20. All Together Now
21. Lovely Rita
22. Everybody Out There
23. Eleanor Rigby
24. Being for the Benefit Of Mr. Kite!
25. Something
26. Ob-La-Di, Ob-La-Da
27. Band On The Run
28. Back In The U.S.S.R.
29. Let It Be
30. Live And Let Die
31. Hey Jude

Encore One
32. Day Tripper
33. Hi Hi Hi
34. Get Back

Encore Two
35. Yesterday
36. Helter Skelter
37. Golden Slumbers/Carry That Weight/The End


The Beatles - Helter Skelter ( RARE FILM ) hd and hq

驚くほどの声量と艶やかさを合わせ持つ歌声や、若々しいルックスが、ポールの大変な魅力であることはその通りなのですが、
実際に来日したポールを見て、感じたそのオーラのようなものは、がっかりしたくないといった、痛い予想を裏切るような輝き方をしていました。
たぶん光り方が多面的で、違う輝きを見つけられるのです。

今回のツアーは、71歳という年齢からしても、声やルックスがかつてのポールとは違ってきているという気がしていましたが、

若い時とは、成長の仕方や見え方が違うだけ。

新曲Newで歌われているように、ぼくらは新しくなっているのだ、ということ。 

毎日新聞のコラムが目にとまりました。

約2時間50分、一度も水を飲まず、昔のままのキーで歌った。その姿には、生粋の音楽人の無垢(むく)さがあった。
なぜ、71歳になったポールがこうも感動を呼ぶのか。
今回の「アウト・ゼアー ジャパン・ツアー」は、前妻リンダ、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン、そして東日本大震災の犠牲者と、 先に現世を離れた人々へささげた曲が印象的だった。
そこでは、ポールは生きる者と旅立った者をつなぐ懸け橋だった。歌が生命をつないでいた。
書いた当時に意図したものより、大きく普遍的な意味をもつにいたった楽曲がささげられるとき、そこには太古からの“祈り”としての歌の役割が現れでた。
ポールは、このコンサートで、ビートルズのメンバーを初めて呼び入れた。
前回の来日公演(2002年) もプログラムの半分はビートルズナンバーだったが、そこに、メンバーはまだ招き入れられてはいなかった。
しかし今回は、ポールの心はオープンであり、聴衆 もジョンやジョージの実在を感じ得たはずだ。
ポールは日のあたる道を歩いてきた人である。
しかし、人としてあらがえない老いを受け入れ、死をも視野 に入れるようになった今、人格的な円熟を迎えたのだろう。その開かれた姿勢を見せてくれたことが、何より尊いと感じている。
11月18日、東京ドーム。 (音楽評論家・中川ヨウ)


音楽を、特定のシチュエーションやイメージと結びつけて物語るのはどうかとも思います。
歌や音楽は、悲しいところにも、楽しいところにも、どこにでも在ることができるから。

しかし、ポールに学ぶべきは世界の見え方、世界の捉え方なのだと、再認識しました。

わたしにとって、忘れ得ぬタイミングでの来日、まさしく神様がやって来たかのようです。

ついこの間の四月には、まだお若いのに、と言われ、
経済的にも社会的にも、ずいぶんと痛手を被っているのかもしれません。
しかし、死ぬには早過ぎるし、引きずるには先が長すぎる。
キープするというよりは、常に新しく、書き換えていくようなシフトを欲しています。
人生意気に感ず、と感じられるような心持ちをどうやって獲得してゆくか。
一個の生き物としてあらゆる状況を生き延びること、
取り組み得ないようなテーマを与えられて、どうしようか、って時に勇気をもらえたようで。

( ↓ ) Newと共に、お気に入りのクイーニー・アイ。

初めて一聴した時には、どうということもなかったのですが、
曲の輪郭がふわっと浮かび上がってくる体験(ポールの新作、そして栄光の11月がやって来る)を経て、
これはポールの I am the Warlusみたいな曲だと感じるようになりました。
ジョンレノンが、その曲には百年たっても飽きない何かがある、と語ったように。

ツアーのKey wordでもあるOutで韻を踏みながらも、詩も音楽もどこかリズムがぼこぼこしていて、それが面白い。

真のセレブリティなのに、どこまでも無垢。

Paul McCartney - 'The Making Of Queenie Eye'

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ある晴れた日に神様がやって来た(前編)

2013年11月23日 | 日記

 ある晴れた日に神様がやって来るに書き加えることも考えましたが、11/18のコンサート当日に書いた記事はそのままにして続編を。

関西国際空港にやって来た神様、

ビートルズ来日時と同じような法被姿のサプライズ。

 初来日は半世紀近くも前の1966年のこと、私が生まれる数日前にコンサートをはねて、飛び立っていったのでした。

そして、これは今回のツアー・パンフ。最終日には売り切れて、インターネットで追加販売されることになったそうです。

 

東京ドーム最終日に来場者に配られたという赤いペンライト、
Encoreまで灯さずに、日本のファンからポールへのサプライズ。

都合が合わず、最終日のチケットは友人用にとったのですが、
アリーナのピアノサイド側のいい席だったらしくて、喜んでもらえてうれしかった。

へぇ、こんな雰囲気の中、あんなに間近で神様が歌うイエスタディを聴いたのかー、って。
自分のことのように嬉しくてね。

すでに初日11/18の公演をみた後でしたが、
11/21の最終日も、
神様のいる空気を感じたくて、東京ドームに立ち寄ってしまいました。

やはり、凄い人。

ステージはちゃんと見えないけど、音は聞こえますよ的な、「参加席」なるものまで
1万円で正規販売されていました、びっくり。

最終日には、就任したばかりのキャロライン・ケネディ駐日大使も、同じアリーナ席にいらしてたそうです。

 公務の合間だったケネディ女史はEncore前に退席されたそうです、残念。

志村けんさんもエネルギッシュなポールに驚いてました。(ポールマッカートニーは凄い

これは11/18初日の東京ドーム。志村さんは2日目、19日だったのでちがう人だと思います。

ポールのいたおよそ2週間、
これまでの来日時と違って、Twitterなどが出てきたおかげで、情報が飛び交っていて、神様が来ているというライブ感を感じることができました。
熱心なファンの方々をフォローしていると、東京ドーム入りする神様の姿も伝わってきます。

 

本編はまた続きにて。

<ビートルズ後のパンフも並べてみます>

逮捕劇を生んだ、幻の1980年Wings公演。わたしはまだビートルズファンになったばかりの冬でした。

ビートルズとしての初来日から苦節20年以上を経て、ようやくの来日。
わたしは大学卒業の春に、卒業旅行などの合間をぬって慌ただしく大阪から東京ドームまで見に行きました。
この辺に住んでるひとはええなー、追っかけできるのになー、って思ったのに、今や東京ドームまで30分です。
(つれあいは、たしか神様でなくて大阿闍梨でした。)

この頃からポールのライブ活動は活発になったのです。
GetBackというライブ映画の後、数年後にまたポールが来日してくれました。
結婚前のことだったので、このツアーだけ、うちにパンフが2冊あります。

2002年のドライビング・ツアー。これは本ブログでも以前思い出して記事にしました。(ストーンズっぽいポールと来日公演の思い出

そして、およそ10年ぶりの今回、一週間が8日だったらいいのに! で始まるのでした。

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ある晴れた日に神様がやって来る

2013年11月18日 | 日記

ある晴れた秋の日に神様がやって来た。

そして「新しくなるんだ」 と言った。

Then we are New.

今宵のEncoreリストにもあるYesterday、

夢の中に現れたメロディは、やがて形になって、世界中に現れる。

今宵、神様の見た夢の続きを。

(ポールの新作、そして栄光の11月がやって来る

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[2013年11月] 静かに新しい闘いが始まるのです

2013年11月18日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

You've got to get it と揶揄しながらも、ホームでその後も2回スルーを重ねました。
[2013年10月] ようやくのニューメンバーズコンペ ~ ゲット・イット

Rさんをお招きしてのラウンド、
Rさんの初の100切りラウンドに立ち会うことができまして光栄です。

わたしは、50/51とお恥ずかしいスコアなのですが、
これから35%(添付画像のペイントでの縮尺率です)でドーンと貼り付けることにします。

ラストパットの距離を意識することで、長いパットや1-2mのパットが格段に良くなったこの日でしたが、
いいショットと悪いショットの落差が大きすぎて、スコアがまとまりません。

緊張感を持ったラウンドを続けていくために、

今日以降、いしこと通算対戦成績を記録し続けることに決めました。

本日は、記念すべき第一戦です。

グリーンは8.0ft、 コンパクションは11に仕上がっています。 緊張感の高まるセッティングぢゃないか。(ほんとか) 

IN12番からのスタート。ラストパットを沈める距離とスコアにこだわる、と宣言したにもかかわらず、

出だしから3パットを続け、パーチャンスを連続ボギーで潰したら、

しばらくおとなしかったシャンクが顔をだし、この日のゴルフは音を立てて崩れてゆきました。

だめな時はこんなものです。12-18の7ホールで50という、あり得ないスコアを現実のものにしてしまいました。

後半、気持ちを入れ替えて、3つのパーでハーフ45あたりの着地を目指しましたが、
日没で18ホール断念が濃厚となった終盤の3ホールで、9、7、7と、急降下。。
ラストパットの距離を全ホール、記録することすらできませんでした。

もっと丁寧にスコアカード、書こう。。

この日のラストパットを沈めにゆくTむらさん。

写真に捉えることはできませんでしたが、東の空に大きくて赤い月がぽっかりと浮かんでいました。

(なんで写真に撮ると、こんなに小さくて普通になってしまうの? あんなに紅くて妖艶だったあなたなのに。)

 

 きれいだけど、無情でもある冬の日没。

冬の夕方の冷たい風の記憶と共にある、いくつもの悔しいゴルフ。今日はまた、そこからの始まりとなったのでした。

明日はポールのアンコール・ピース、Yesterdayで慰めてもらうことにします。

Yesterday

1敗。101-79 (△22 / 16ホール)。

ふぅ。もうひとつ、こんな冬の夜には、こんなアンコールピースを。

わたしは強くなりたいのです。

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もっとパッティングに悦びを! ~ ラストパットの距離にこだわる

2013年11月09日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

 同じラウンドするなら、締めくくりまで、パッティングまで、大切にしたい。

平気で3パットするような、雑なゴルフはもうやめにしたい。

(週刊GD2013/10/29号より)

ゴルフというゲームで使う言葉は、ともすると消極的に聞こえるものが多い。

例えばPar(パー)って、アマチュアにとって、目指すべきターゲット・スコアなのに、「普通」って感じのこの語感はどうなのよ??

アグレッシブに攻めて狙っていくべき目標としては、茫洋として冴えないイメージで、達成感のようなものが感じられない。

(私はひと頃、パーのことをわざわざ「ホームラン」と呼び、1ラウンドでいくつホームランを決めれるか、というニュアンスに読み替え、
ほにゃら~ とした語感のイメージを払拭してました。)

パットも同じです。

3パット撲滅! って、なんか消極的な感じがする。。

プロの試合を観てて感じるのは、ここぞというパットを決める時の集中力と凄みであって、
たらたらとパット数を 2, 2 , 3 ,4 ,, って数えてみても、緊張感が生まれないので楽しくない。

たとえ、2パットを続けて、1パットをいくつか決めて、パット数がハーフ15になっても、
正直に言って、″ 悦びが湧き上がってきてたまりません~! " っていうことにはならない。
3パットしたところで、2も3もあんまり変わらんのでないのーって、大雑把な言い訳がアタマをよぎったりする。

だから、ショットやドライバーの一発の方ばかりに気持ちが向く。

もっとパッティングに悦びを!

( ↓ ) そうだ、パット数をカウントするのはやめにしよう。 (どうせ私の場合、パット数を18ホールも数え続けることさえ、退屈であきてしまうことしばしば。)

ラストパットの距離を決めに行く悦び、を深めるのだ。


 

ラストパットの距離を記録することでのメリットは、様々。

パットをしっかり沈めていく、パッティングへの集中力を磨いていく、という側面もそうだし、

パット数を記録していても見えてこない、長い距離のパットを決めた喜びや、
1-2mの入れごろ外しごろを、しっかり決めていくキープ力といった要素まで、
スコアカード上に残すことで、よりラウンドの愉しみが増すのではなかろうか。

 

( ↓ ) 興味深い分析だ。日本女子オープンの最終日の宮里美香選手、ラストパットの距離合計が前半は3mだって。

逆に言えば、それでも40で回れる。
アマチュアが1ラウンド18mを簡単に達成できるなどと思ってはならない。それだけ、ラストパットを決めるというのは、挑戦しがいのあるテーマなのだ。


ラストパットへのこだわりは、パッティング上達への道でもある、と納得。

ラインを読むより、しっかりしたタッチで自信を持って打つ。

ラストパットまで、虎の目でターゲットを捕えていくタイガー。この気持ちに同化したいー。

Tiger Woods - Great shots 2013 (With music

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超弦理論 ~ モナリザはいつも微笑しているわけではない

2013年11月03日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

物質の最小単位レベルの話になると、それが点であろうが、弦(ひも)であろうが、もはや姿形について話しても意味がないようにも思われる。

点は「部分のない」、「長さや幅を持たないもの」。
長さや幅を伴った、「姿」「形」のようなものは、もはやそこには存在しないと思えるからだ。

ところが、このひも(弦)には開いた弦と閉じた弦がある、というから 感覚的なわかりやすさのジャマをする。

しかし、粒子であると同時に量子でもあるという、素粒子の世界を考える時、
それらの素粒子は、弦の振動状態が違うだけだという説には納得がいく。

熱や温度や色が、分子レベルでは、そんなものが存在しないのと同じで、現れ方の問題だと思えるから。

(超ひも理論 ~ この世の最小単位

質量を与えるヒッグス粒子の発見が、先頃ノーベル賞を受賞したが、これら「ボゾン」と呼ばれる素粒子は、いわゆる物質ではない。
(発見というが、ヒッグス粒子はニュートリノとは違って、ヒッグス粒子自身が直接検出器にかかるわけではなく、すぐに崩壊してしまうため、直接見ることはできないらしい。)

The Origin of Mass

フェルミオンと呼ばれる素粒子群は物質をつくるもので、排他原理が働く。
つまり、リンゴが存在する空間に、別のリンゴを置くことができないように、

電子のあるところに別の電子は置けない。それが物質というもの。

ところが、「ボソン」は排他原理に従わず、同じ場所にいくらでも詰め込める。
光子も「ボソン」の一種で、(波ではなく)粒子でありながら、同じ場所に詰め込むことで、光は重なり強くなる。
排他原理に従わないので物質を構成できないが、「力」を伝達する素粒子、それが「ボソン」。
波と粒子について

ボゾンならば、同じ空間にいくつも詰め込むことができるのだが、
フェルミオンの場合には、同じ空間にいくつもの粒子を重ねることができなくなってしまう。
一つの状態には一つの粒子しか入れないという排他的なフェルミオンを含む空間は、普通の数の座標で記述することができない。
数学的には、グラスマン数(θ)という一度掛け合わせるとゼロになる数を座標に使った、「超空間」という空間を考えることで説明する、という。

弦理論と超弦理論の違いはそこにあって、
ボゾンだけでなく物質を構成するフェルミオンという素粒子まで含めて、弦の振動状態として説明できるようになったのが「超弦理論」。

『普通の目に見える物質』が占める空間が、普通の自然数を用いた座標空間では説明のつかない『超空間』である、という。

なんと、私たちの住んでいる物質世界の空間は、自然数では説明のつかない超空間であり、余剰次元が織り込まれている。

逆に物質というよりは量子的ともいえる「力」を定義される場(空間)が、自然数の座標で決まるというのは、それらの力にはすでに余剰次元が反映されているということを示しているのだろうか。

私たちがこの世界で知覚する影のような揺らぐ周波こそが、時空的には実であり、
目に見える物質世界が、時空的には虚であり、幻想だというのでしょうか。

(一方で虚数が表す時空(ミンコフスキー空間)と、グラスマン数が表す時空の違いが分からないのですけど。。)

なんだか逆説的で、物質と空間の陰陽みたいなペアリングが意外に感じられて面白い。
パワーの存在(力)が、空間的に断定的に一意に示されるというのも、神を暗示しているようで面白い。



ひとくちに素粒子と言っても、物質的なもの、力を伝えるもの、質量を与えるもの、と様々で、
その素粒子の占めうる空間も、超空間であったり、普通の空間であったりする。

( ↓ ) この図で喩えるならば、影のような周波(量子)として見えているのがボゾンで、実体を伴った球体として見えているのがフェルミオンではないか、と思った。

力を伝えるボゾンのような素粒子も、フェルミオンと同じ素粒子なのだが、次元を異にした顕れ方をしているのかもしれない。
三次元的な実体は「事象の地平線」に隠れていて、二次元的な影のような、実体のない「力」として顕れているのではないか。

次元を跨いで顕れるような、単一のモノサシでは測れないスケールを持ったものを、
人間の都合に合わせてみようとする(観測する)から、観測するスケールに合わせた見え方だけが切り取られる。
科学性・客観性を、観測者側の条件を同一にすることで担保しようとする科学的な姿勢には、限界があるのだと思う。

喩えて言うならば、
モナリザはいつも微笑しているわけではない。額縁で切り取られたのがモナリザのすべてではない。

標準模型には含まれておらず、いまだ発見されていないのは、重力を伝えるボゾン(重力子)。
重力波では、空間や時間が伸び縮みして波のように伝わる。
重力を伝えるのは空間や時間そのもの。

~ 「量子と粒子は次元を跨いでそれぞれの性質を見せる。」 (人間は光のようなものではないか ~ ゴルフィー仮説(多次元境界仮説))

 時空に関する認識の歴史をいま一度振り返ってみましょう。

「空間や時間は、その中にある物質とは独立に存在するのかどうか」

空間も時間も、物質やその運動に付随して定義されるものであり、独立には存在していない。
~ アリストテレス

空間とは、その中で起きる自然現象の入れ物であって、その中で何が起きているかに関係なく存在する(絶対空間)。
時間とは、どこであっても一様に刻まれていくものである(絶対時間)
~ ニュートン

空間や時間は、物理現象の単なる入れ物ではなく、その中で働く重力と深く関わっていて、伸びたり縮んだりする
~ アインシュタイン

三次元で起きていることが、二次元や四次元に変化する事象があったり、同じ現象でも見方によって、三次元で起きているようにも、なんと九次元で起きているようにも見えたりする。
見方によって異なる次元に見えたりするのでは、空間という概念がはたして本質的なものなのかどうか、疑わしくなってきます。
空間というものも、何かより根源的なものから現れる二次的な概念、つまりは幻想にすぎないのではないか。
~ 超弦理論


おっと、これはMassでなくて、Messだった。 なんという混乱。

 Paul McCartney & Wings - The Mess [Live]
[High Quality]

 夜になって、モナリザの喩えを思いついた。

空をちゃんと見ないから、夜に向かっておはよう, と言う。

Mona Lisas & Mad Hatters - Elton John Lyrics [on screen]

 

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