ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

2017年4月 ポールデン・ウィーク始まる

2017年04月29日 | 日記

2015年GW前に来日した時に、ポールデン・ウィークなる言葉がネット上で飛び交いました。

前回の「Out There ツアー」から「One On One ツアー」へと看板を変えたワールドツアー、
最終開催地である日本に、ポールが、またGW前にやって来ました!

あらためて見返すと、
来日ラッシュの始まりになった2013年のツアーは、大病明けの時期だったし、
前回2015年は長男の大学入学式を済ませて間もなくの頃、
今回2017年は次男も大学入学式を済ませたばかり、
節目節目に神様はやって来るのです。

ポールの新作、そして栄光の11月がやって来る

フューチャー・オブ・マインド (神様到来の前夜あたり)

次男の入学式の会場だった武道館、”動物集合”の広告はそのままに、
桜の季節は終わり、ハナミズキやツツジが咲き誇り、生命の息吹きがむんむんするような新緑の季節に。

海外からのセレブが訪れることが多いという、芝大門や増上寺辺りを歩いたり、
神さまのいる東京の空気を満喫したくなるポールデン・ウィーク。

⇒ 前回2015年はこんなにブログ書いてました。

マイスタージンガーかツァラトゥストラか、ポールが再びやってきた。

ポール マッカートニーを追いかけて(2015東京ドーム出待ちの夜)

ポール マッカートニーを追いかけて(2015 ~遂にポールに会う)

ポール マッカートニー 夢の夜 (2015 東京ドーム)

ポール マッカートニー・アート~ 夢に咲く花

ポール マッカートニー ~ 武道館と天の采配


前回 初めて追っかけっぽいことをやったら、クセになったみたいです。

月曜日は西新宿で仕事帰りに一杯やった後、武道館のリハーサルが気になって、その後直行。

翌火曜日(武道館ライブの日)も、飲み会でしたが、その後タクシーで武道館へとまっしぐら。

 

サングラスを外した生き生きしたポールの表情に逢えました。うれしい!

東京ドーム初日の木曜日は、会場に立ち寄って、パンフを購入。

今回のパンフ、すごくカッコいいです。

間もなく75歳になるポールですが、こんなに格好良く年をとる人がいるんだと思わせる、

ざらっとしたリアルな質感があって、写真集としても秀逸。

ポールのいる宙の空気を少しでも感じたくてペニンシュラのPeters Barへ。

(笹の葉が大胆に添えられたペニンシュラ・ハイボールは白洲のジャスミン・ウォッカ。)

2017年4月ポールデンウィーク始まる

3月にリイシューされた「フラワーズ・イン・ザ・ダート」のdemo音源をバックに。

このアルバムを発表してまもなく、ポールはライブ活動を再開、
ビートルズ時代以来となった1990年の来日公演を観に東京まで来た私は、
当時大学を卒業したばかり、
社会人になる直前の3月のこと、これも節目の年でした。

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[2017年 4月] 流星ラウンド

2017年04月22日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

今日はゴルフと、ピアノ弾き歌いのコラボ= 流星ラウンドです。

( ↓ ) 冬にこんな記事を書いて、いつか自分で弾き歌ってみようと思っていたのが、吉田拓郎さんの「流星」。( ↓ )

勇ましいのもいいが、つまづいてばかりの、彷徨うゴルファーの心根に刺さるこの歌。
幸せなスコアなんて滅多になくても、不幸がることはない。そんなのはゴルフに限った話でもない。

吉田拓郎「流星」wowow

さりげない日々につまづいた僕は
星を数える男になったよ
おぅおぅおぉ、流れてゆく

遠い人からの誘いは艶やかで
だけど、訪ねさまよう風にも乗り遅れ
おぅおぅおぉ、流れてゆく 

おぉ、私のことみたいじゃないか。
北風にはばまれ、いつものゴルフにもつまづいた時、
艶やかな理想やスコアの代わりに、綺麗だなぁと空の星を数える。
いろいろと乗り遅れてしまったようだが
そうして忘れかけた大らかさを取り戻す。
僕の欲しかったものは何ですか。
(スコアばかりというわけでもない。)

いつもはYouTubeを見て弾き歌いの練習をすることが多いのですが、
今回は、楽譜を元にして、コードの転回形の音をピアノで拾いながら確認していくアプローチをとってみました。
(「ぷりんと楽譜」で入手したものは7ページにも及ぶので、
弾きやすいように五線紙ノートの見開き2ページに収まるように書き出して、
同じような構成音のコードに○や△をつけるなどして、シンプルにパターン化していきました。)

(「12ヶ月で12の調を (12キーのスケールを弾く& 12キーの主要な3コード進行を弾く)」 もいい意味で方針を改めました。

弾きたい曲のキー(「流星」の場合はEmajor)のスケールを書き出してみて、
それを弾いてみるほうが実践的で退屈でないスケール練習になることに気づいたのです。
 弾きたい曲の音(コードの構成音も)は、だいたいその曲のキーのスケールで出来ているから、
 スケール練習がそのまんま 弾き歌いのウォーミングアップになるのです。)

流星 (吉田拓郎)カバー

 さて今日は、久しぶりにSさんとラウンドすることになり、
バーディーを2つ奪取する強さを見せては、堪えどころをちゃんと堪えてのナイス・ラウンドでした。
「正直なミス」を正していくように考え方を改めたら、ゴルフのやり方が本当に分かってきたようです。


ところが、この日14番目のホールとなったOut7番で、なんと驚愕の15を叩く。
(ティーショットで2発OB、5打目となったティーショットに続く6打目の7番アイアンで左OB、
8打目の打ち直しでロストの2ペナ、11打目でGreenに乗せれず、12打目で乗せるも3パット。)

 

ゴルフのやり方が分かってしまったので、ラウンド後に「流星」を弾き歌うチャンスも無くなってしまうなぁ、などと思ったら、
7番ホールの魔物にひっかかってしまいました。そんな心の隙間もまた、「正直なミス」なのであります。
(でもその後、9番でバーディー、10番でパーと盛り返している。
 ラストの11番は残り60Yardから奥に打ち込んで9も叩いたけどねぇ。)

上級者のSさんは、どこかしら青木功プロにも似た、日焼けした風貌や体つきをされていて
70歳だというのにそのような年齢には見えません。
なんでも今日の77は自己ベストだそうです。
人のベストに立ち会える、そのようなラウンドの同伴者になれるというのは光栄なことだと思います。

七夕ではありませんが、7というのはどこか流れ星的な感じがあります。

別に、つまづき、彷徨いながら、星のようなスコアを数える男のことを歌わんが為に大叩きしたわけでもないのですが、

今宵は流星ラウンドの余韻に浸りましょう。

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[2017年4月] ようやくラウンドの仕方が分かった気がします。(「正直なミス」を消していくゴルフへと)

2017年04月16日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

これまでの私にとって、ミスは目を向けるべきものではなかった。
良いイメージを定着化するためには、ポジティブ思考こそが善であって、ミスを直視することはマイナス思考だと思っていたのです。

自分の中でショットにはすべからくナイス・ショットを要求しているようなところがあったので、
そのイメージ通りに事が運ばず、ゲームプランが崩壊してしまうと、そのまま流してラウンドを終えてしまうような悪いクセがあった。

そこで、今さらではありますが、ミスをちゃんと見つけて改善していくことは楽しいことだと思うように、意識改革を始めました。
ポジティブを最良の結果だけを求めることだと勘違いしないこと、
そんな当たり前のことが実は分かっていなかった。
当たり前過ぎることだけど、私は長い間 ずっとそこを勘違いしていたような気がします。
ようやく、ゴルフのやり方が分かったような気がするほどです。

([2017年 覚醒する早春 ] 「正直なミス」を消していく ~ 踏ん張るゴルフのインナースキルとアウタースキル )

 

理屈や言い逃ればかりで成長の伴わない「不注意なミス」という、
ミスへの怠慢な対処の仕方をあらため、
それでも起きてしまう「正直なミス」を正していく。
ちょっとした習慣や意識の持ち方で、時間の経過を味方にできるかどうか、が変わってゆく。

私はたぶん、ミスをうやむやにする傾向があるのだと思う。
ポジティブもいいが、それは往々にしてミスに対する自覚の無さや対処をしない怠慢となり、
改善の手立てとして利用する機会を失ってしまう。
だから、いつまでたっても変わり映えしない。

たとえば、スコアカードにショット記録をつける時、「正直なミス」ショットに印をつける。
(これまでは、刹那的なグッドショットに印をつけていた。)
その「正直なミス」に向き合い、ミスを消していく努力をする。
(ゴルフは一発の華美さを求めるのではなく、ミスを最小化してスコアを作っていくスポーツなのだから、
ミスを消していくというのが正しく効果的な努力の仕方だ。)


ミスは起きるものだから、いちいち苛立っていては精神衛生上も良くない。
貴重な改善のタネを見つけたと思えれば、ミスへの受け止め方も変わるので、精神衛生上も良い。

急に治るものでもないが、ミスを改善していく喜びを求めるゴルフへ。
そうすると、ぱっとしないラウンドでも、早々に大叩きしても、一日愉しくゴルフが出来る。

早速、明らかにゴルフが変わってきました。

 3/26 いわゆる「ラスベガス方式」でのペア・マッチに勝利。  ( ゴルフの賭けアラカルト )

変則マッチと悪天候のなか、後半失速しましたが、出だしで貢献。
特にOutスタート2番でのバーディーがラスベガス・マッチでは効果的。

 

( ↓ ) その前の3月のラウンドでは、インコース12番スタートから好調に発進するも徐々に失速。

しかし、永らく苦手にしていた7番でParを奪取。これは今後の収穫になります。
最終ホールとなる11番をきっちりParでホールアウト。

 ( ↓ ) 4月になり、期も変わっての再スタート。

連敗中のいしことシーソーゲームでしたが、得意の12番で崩れる。
13番以降で4つParを奪う一方で、この日はパッティングをよく外したのが残念。

「ミスショット」に△をつけることで、
△は当たり前に出るものだということをより自覚できるから、あまりがっかりすることがない。

△を消そう・減らそう、と思うから、
無茶なグッドショットやリカバリーばかりに賭けることもなくなる。
結果、いつもならもっと叩くところが、90台で治まる。

 

 

 ( ↓ ) シーズンが変わって4月の2戦目、ようやく連敗地獄から脱することが出来ました。
最高気温が25℃を超える夏日となったこの日、久しぶりのさくら草は南風が強いコンディションでしたが、
よくコントロールしたゴルフが出来ました。
もっとパットを決めることができれば、とも思いますが、12番でバーディーチャンスを1個決めれた。

後半、接戦になってから、ショットが冴えだします。

近頃、飛距離が落ちてきたかなと感じていましたが、
15番385Yard Par4では、残り84Yardの位置まで運ぶ。

最終18番はセカンドのUtilityがグリーン手前左サイドの池に入ったと思い、ワンペナで打ち直したら、
最初の球が池を越えてグリーン手前まで飛んでくれていてびっくり。
(連敗脱出を目の前にしながら痛恨の水難、
一時はヴァンデベルデのカーヌスティの悲劇さながらに思えたのですが助かりました。)

ライが悪くて3打目がピンをオーバーして2パットのParになってしまったのがやや残念。



「正直なミスを消していく」意識の持ち方とか、
「今ある身体の状態を尾骨中心に再構成する(身体への意識として尾骨を9割、残りの1割で手足を動かす)」意識の持ち方とか、
他分野から援用していくこともゴルフには有効に思えます。

 

尾骨9割の身体意識は、緩みを排除することにもつながる、と思う。

 ( ↓ )  最近長い距離のアイアンが安定しているのはこれのおかげで楽に振れているからだと思う。

 

今年のマスターズでは、アマチュア時代から神の子と呼ばれながらも
無冠の帝王だったガルシアが、メジャー通算74試合目でようやく初優勝。

そういう風な遅咲きもあるのだなぁ、と感慨深く。

Masters Tournament :Watch Sergio Garcia's final round in under three minutes.

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Another Day of Sun ~ あの日の朝と同じように

2017年04月08日 | 日記

あの日の朝と同じように、庭には水仙が咲いていました。(祝福の春、完璧な桜)

心配していた次男でしたが、なんとか無事に大学生に。(祝 ~ 春はまたいつだってやって来たよ。)

(梅もそうですが、水仙を見ると母を思い出します。)

 マンモス校のせいなのか、入学式は武道館で。

ちょっと笑えた。

親は入場できないので、九段下で別れて、靖國神社を散策。

桜の開花を告げる標準木が4月2日に満開宣言になって一週間、
本降りになることなく持ち堪えてくれた天気、桜が見ごろを保ったまま入学式の日を迎えることができました。

長男が大学に入学した時にも、この辺りにやって来たのでした。(千鳥ヶ淵と件の牛)

千鳥ヶ淵の、御濠の水面にかかるように咲く桜は見事です。

 

その年、その年で、
これはと思うような桜の姿に出逢うことがありますが、靖國神社の啓照館の辺りにあった桜姿が美しかった。

つまは苔の美しさを褒めることが多いのですが、
幹肌を緊密に滑らかに覆う苔姿はなるほど見事です。
花ばかりに目が行きがちですが、枝ぶりを含めた木姿の美しさ。

 

そぼ振る雨の中で、刻々と移ろってゆく自然を切り取ったかのような光景に出遭う。咲き誇る花、散りゆく花、朽ちていく花、其々の瞬間がある。
輪廻転生と言うのか、うごめいていく生命の様態が凝縮されたような光景。

花露に濡れて、天も地も人もコイも、花に溺れるのであります。

 

「風立ちぬ、生きねば。」を想起させた靖國神社内の遊就館。

 

その後、靖国通りを秋葉原まで歩いて、次男のパソコン選びへと。

この春に観た、Another Day of Sun。

映画「ラ・ラ・ランド」オリジナルmusicPV

ミュージカルってどこか不自然なような気がしていましたが、
リアルをそのまま垂れ流しするのではない、いわゆる「拡張現実」的な表現方法なのではなかろうか、と考え直しました。
" 現実世界で人が感知できる情報に、「何か別の情報」を加え現実を「拡張」して表現する ”手法。
VR(バーチャルリアリティ:仮想現実)ではない、AR(Augmented Reality:拡張現実)。

「ラ・ラ・ランド」というのは、ロサンゼルス (LA) から来た言葉で、
ハリウッドやビバリーヒルズ、ビーチなど、現実ではない夢みたいな環境の
ロサンゼルスの代名詞として La La Land という言葉が80年代頃から使われるようになったそうです。

日常会話では、

It seems like she’s in la la land. She doesn’t know what just happened.
(彼女はまた自分の世界に入ってる。何が起きているのかわからないみたい。)

みたく、「非現実的な世界」「ぼーっとしてる」という意味として日常会話で使われるそうです。

でも、グーグルグラスではないですが、AR(拡張現実)って、これからきっと進化していくのだと思う。
心的現実というものが、昔から人それぞれであったように(心的現実性こそが重要である)
各々の拡張現実を生きることが、もっと当たり前の時代が来るような気がします。

( ↓ ) 黄色い衣装が La la Landっぽい。この高揚感も。

George Harrison - What Is Life

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