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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「総理大臣終えた後は政界引退を」 versus 「教授終えた後は・・・」

2009-07-28 22:55:28 | 学問・教育・研究
鳩山由紀夫民主党代表が最近の講演で「総理大臣終えた後は政界引退を」と語ったことが話題になっている。余計なお節介と仰る総理大臣経験者もいるだろう。細川護熙元首相のように還暦を機に政界を引退した先達もいることだから、鳩山代表がそう思っているのなら不言実行をすればよいのに、なぜ早々とこのような話を持ち出したのか、私にはもうひとつピンと来ない。しかしこの話の対比で、定年を迎えた大学教授の身の処し方が念頭に浮かんだ。

大学にも定年がある。私の所属していた大学では事務職の定年が60歳で教育職は63歳であった。まあ標準的と言えよう。ところが昨今の63歳はまだまだ元気で、研究者ならなんとかして研究を続けていきたいと思うようである。そのための理由付けに、一例として昨年(平成20年)理論化学の研究で学士院賞・恩賜賞を受賞された諸熊奎治博士の「定年研究者のための研究費制度を」と題された提言がある。「化学と工業」(2007年11月号)に論説として掲載されている。

 日本では定年の直前まで世界の第一線で活躍していた研究者も、多くの場合定年とともに研究が全面的に停止する、いや停止せざるを得ない。昨日まで学会で目の覚めるような講演をしていたA 先生も突然学会から消えてしまった。世界のトップの引用数で知られていたB 先生も突然論文が出なくなった。本当にもったいないなと思う一流の研究者が突然研究の世界から立ち去っていく姿を沢山見てきた。あの頭脳はどこへ行ってしまったのか? それまで築き上げた研究のノウハウはどこに消えてしまったのか? 世界に誇ったあの実験設備はどうなってしまったのか?

その通りである。口幅ったい言いぐさながら、世界で何人かは私をそう思って下さったのではなかろうか。「世界に誇ったあの実験設備」もちゃんと嫁ぎ先に送り出したきたのである。この出出しにはじまり、諸熊博士は次のような具体的な提言をなさっている。

 定年研究者に特定した研究費の制度を作ることを提案したい。研究テーマは自由とするが、研究のレベルを世界的に一流に保つために審査は厳しくていい。期限は3~5 年として継続性を維持する。中間評価も厳密に行い、成果が上がっているものについては再応募を認める。研究費の額は希望のレベルによっていろいろあっていいと思うが、ポストドクを何人か雇え(定年前には研究の主力だった人件費不要の大学院学生がいないので、ポストドクが重要な役割を果たす)、必要な機器を購入できるのに充分な額とする。この研究費で大学等は研究代表者を有期限職員などとして雇うこととし、独立した自主性のある研究を保証するとともに間接経費によって研究場所や施設等を提供する。
(強調は筆者、以下同じ)

他の研究者との競合についてはこのように考えておられる。

 私がCREST に応募したとき、“定年に達した研究者は研究費の申請はしないのが常識だ”とか、“あなたが採用されたおかげで若い研究者の誰かが採用されなかったのだ”というような声を耳にした。この批判は的を射ていない。3 次にわたる科学技術基本計画などのおかげで、日本の研究費は充分とは言えないまでもかなり世界的水準に近くなっており、定年研究者のうちの少数に配分する研究費がないとは思えない。本来なら誰でも自由に競争できることが理想であろうが、現実の日本の問題としては、いろいろ条件の違う研究者を競合させない方がいいのではないか。

私が現役の最も脂ののっていた頃なら、ほぼ諸手を挙げてこの提言に賛成したことだろう。しかし諸熊博士も指摘されているように、現役時代の延長で定年後の研究環境を確保するのが不可能と覚った私は、潔く研究生活を離れて人生の方向転換をしようと心を定め、その通りの途を歩んできた。そして定年後10年は過ぎた今になって、私の判断は実に正しかったと思うし、その体験を通して諸熊博士の提言を見ると、自立できない定年研究者が大勢を占める日本で、このような制度がかりに出来たとしても、結局年寄りが若者を食い散らすだけのことになるのではないか、と思うのである。

ここで言う自立できない定年研究者とは、これまで以下のブログで折に触れて取り上げてきた『自分で実験をしない、その実、実験をもはや出来なくなった教授』のなれの果てを指す。

論文に名を連ねる資格のない教授とは
実験をしない教授に論文書きをまかせることが諸悪を生む
ノーベル医学生理学賞が日本に来ないのはなぜ?

『自分で実験をしない、その実、実験をもはや出来なくなった教授』が若い研究者を使って論文作りをすることは、せめて現役教授でいるうちに留めるべきである。諸熊博士は最初の引用に続いてこのようにも言われている。

 長年外国にいてこのような例を何回も見ていると、日本は大変大きな損失をしているように見える。学会などで世界の研究者が集まるといつもこれが話題になり、“Japan is crazy.”という意見で一致する。団塊の世代の大量定年が始まった今、これだけ沢山の研究能力を無駄にしていたのでは、国家としての大損失である。定年後の意欲のある世界一流の研究者が活発な研究を継続できるメカニズムを国として早急に作る必要があると思う。

そうかも知れない。しかしこうした世界に少し距離を置いて外から眺めると、これは官僚の天下りを正当化するのと似た理屈にも受け取れる。官僚の古手も教授の古手も長年の体験で蓄積したノウハウの価値は計り知れないものがあるかもしれない。しかし本当に価値のあるノウハウなら後に続く現役世代がほったらかしにするはずがない。必ずや三顧の礼をもって教えを乞うであろう。その時はまさに恩返し、惜しみなくボランティアとして協力をすればよいのであって、定年者がリーダーなんかになる必要はさらさらないのである。

現役時代の研究システムを可能な限りそのまま定年後も維持したいというのは、考えようによれば節度なき人生態度である。定年は組織に属する人間にとっては避けられない運命である。いつかはその時が来るのが自明の理なのである。その間、全力投球して後に悔いを残さないようにする、それでいいではないか。不治の病で余命何ヶ月を宣告されてどう生きるかと言うようなドラマに人気があるようだが、このようなドラマに目を奪われるより前に、自分が定年までどのように全力投球するか真剣に考えて自らが人生ドラマの主人公になればよいのである。

上に述べたボランティアではないが、定年後の研究者の能力を社会に役立たせる途はほかにいくらでもある。諸熊博士も述べておられるように政府や学界のいろいろな委員会で活躍するのも選択肢の一つである。科学の発展のために必要な人材を養成を始めとして、科学立国を目指しての必要な施策の立案など、要求されるのは現役時代の論文作りとはまた違った能力ではあるが、これこそ知識と経験の豊富な定年者に期待されるところであろうと思う。

もちろん自立したシニア研究者として歩む道も残しておいた方がよいかもしれない。その自立したシニア研究者として私が挙げる一例が1997年ノーベル化学賞をJ.Walker博士、J.Skou博士と共に受賞したP.Boyer博士である。ATP合成酵素の働きの本質である結合変換機構(回転説)の提唱がその対象となったが、1918年生まれのBoyer博士が1993年、75歳で専門誌に単独名で発表した論文が決め手となったのである。なんと立派なこと!大学の諸々の雑用から解放されてまさに自分の知的好奇心の赴くところの研究に没頭できるシニア研究者に研究環境が整備されるのなら、それは私も歓迎する。その研究環境ではシニア研究者一人に、もし希望があれば二、三人の研究補助員(テクニシャンとして訓練を受けた技術者が元来は一つの職業として成り立たなければならないと私は考える)がつく程度でよい。

上の引用の強調部分で明らかなように、諸熊博士さえポストドクを人件費不要の大学院生代わりとの発想をお持ちのように見受けられる。自立した定年研究者にポストドクの手助けは不要であるが、一人で淋しいのなら百歩譲って二、三人のポストドクとグループを組むことも、現実問題としてはあり得るかと思う。しかし実験の多くをポストドクに依存するようではシニア研究者の資格は無しである。ましてや研究室を始終留守にして外で油の行商に精を出すようなシニアは論外である。

「総理大臣終えた後は政界引退を」から話が飛んでしまったが、「末は博士か大臣か」とかっては人の口にもあがったように、学者も政治家も「乃公出でずんば」と気負うところでは共通点があるのかも知れない。「教授終えた後は・・・」の結論も、自ずから出てきそうである。



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (月丸)
2009-08-03 21:49:21
先生

 はじめまして。タンパク3000の記事以来、度々読ませていただいています。
 諸熊先生は理論化学・計算化学の専門家なので、実験はなさらないと思います。計算化学の理論的研究と、そのコンピュータ上での実装(プログラミング)がお仕事と思いますので、おそらく後者をポスドクにやらせたいのではないでしょうか。
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ポストドク=テクニシャン? (lazybones)
2009-08-04 00:32:21
お立ち寄りを有難うございます。

もし仰るとおりだとすると、その件に関してはポストドクとは名ばかりでテクニシャンのようですね。

私は生物系ですがXY座標に時間軸を入れた実験データの三次元表示とか、実験データへのモデルのフィッティングなどのプログラムを自学自習したMATLABを使ってすべて自作していました。既成のものがなかったからです。可能な限り自分でやる主義を貫き通しました。寸暇を惜しんでそういう「道具作り」にも励んでいた日々がとても懐かしいです。
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