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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

復刊「アテネ文庫」のこと 宇田道隆著「寺田寅彦との対話」

2011-01-09 17:19:51 | 学問・教育・研究
歳末の12月22日に開店したMARUZEN & ジュンク堂書店 梅田店へお出かけした際に、思いがけない本に遭遇した。私が高校生時代に弘文堂から発刊された「アテネ文庫」が、真新しい姿で展示されているのである。半世紀を経ての復刊である。


今、手元にある宇田道隆著「寺田寅彦との対話」(アテネ文庫 139)の奥付に次のような「刊行のことば」がある。《たとい小さく且つ貧しくとも、高き芸術と深き学問とをもって世界に誇る国たらしめねばならぬ。「暮らしは低く思いは高く」のワーヅワースの詩句のごとく、最低の生活の中にも最高の精神が宿されていなければならぬ》時代のまっただ中に私はいたのである。


この当時一冊が30円、一方、25円出せば老祥記の豚まん一皿三個を口にすることが出来たが、それをぐっとこらえて「アテネ文庫」を買ったのである。当然のことながら「積ん読」の余裕があり得るはずがなく、熱心にページを追ったはずである。実は「研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省」とはなんとまあ・・・で触れた寺田寅彦にまつわる挿話は、この「アテネ文庫」の上記の著者による「寺田寅彦」に依拠したもので、次のような本も一緒に出てきたのでお目にかける。


平均して60ページ強なので読むのに時間はかからなかっただろう。そして思いのまま本を買える状況でもなかったので、読み返すことも多かったように思う。だからこそ何らかの折りに書名なり著者名を思い出せたのであろう。そのうちの一冊、宇田道隆著「寺田寅彦との対話」は、私のまだ生まれる前になるが、大学の先生と学生、弟子との間にどのような交流があったのかを弟子の側から描いたもので、まさに古き良き時代を彷彿とさせる。しかし振り返ると、私が大学で恩師を含め諸先生方に接したそのモデルがここにあったように思う。昔を懐かしみ、幾つかを抜粋してみる。この本の成り立ちは次の序文から知られよう。

 この本は、私が物理の学生だった時分、同学同郷の御縁で寺田先生の門に出入りを許されて以来先生のお亡くなりになるまで十数年の間親しく御教導を受けているうちに、自分の勉強のためにと思ってその都度耳に残った先生の御言葉を思い出してはノートしておいたもので、『寺彦先生閑話』として出したものが今度は一部俳諧の手引きの章など削ってアテネ文庫に再録されることになった。


今風で言えば学問を熱愛する覚悟があってこそ大学院を目指す資格があるというものだ。





これは昭和2年6月のこと。後年私もかかわることになった生物物理学なる言葉が的確な意味合いで使われているのだから驚く。


科学史教育の重要性を繰り返して説いている。まったく同感。また《勉強出来ない境遇で勉強しなければ偉い人間になれない》とも。不遇を託つ若者たち、頑張れ!である。方向転換もよい。《物理学者が工業方面へ飛び込んで暴れ廻ったら幾らでも仕事がある。工学者はエンヂニヤーの眼鏡を掛けて物を見るから、実用にならぬことはどんな面白いことも顧みない。新しい領域開拓者の注意すべきはAとBの相関だけを調べて直ぐそれを直接の相関と思い込まぬように色々突っついて見ることです。》なんて、応用志向を意識する基礎科学研究者は大いに勇気づけられることだろう。


なんて率直な人生教師だろう。


現役の科学者には耳痛い言葉であろう。初心に戻るべし。



まったく同感。風流を解さない科学者なんて・・・。


科学と言わず学問大好きな若い方々にぜひこの本を手にして頂きたいと思う。自分の進むべき大道に必ず思い当たることだろう。840円也、食事を一、二回抜く値打ちはある。


Google Street View(GSV)にわが隠宅の表札がばっちりと

2011-01-08 15:35:23 | Weblog
一昨日の登山口まで初登山で登山口へのルートをGoogle Mapで調べたことを述べたが、帰宅後、帰路のルートを確認しているうちに自分で意識しない操作をなにかしたのであろう、地図が街並みの画像に一転したのには驚いた。これまでは航空写真により俯瞰的に屋根を見下ろすことはできたが、今回は建物そのものが見られるようになったようである。しばらくご無沙汰しているうちにえらく進歩したものである。以前は交差点など限られた地点で周囲の風景を360度パノラマで見渡すことができたが、今や選択された通路沿いの家一軒一軒の画像が瞬時に現れるのである。さっそくその使い方を調べてみた。

テストに私の住所を入力して「地図を検索」すると、左欄に住所とわが隠宅の画像がサムネイルとして現れ、それをクリックすると画面一杯に隠宅が拡大されて出てきたのには驚いた。表札の文字まで明瞭に読み取れるのである。かりに私の住所を知っている誰かが隠宅を眺めてやろうと思えばいとも容易にできる。誰かに眺められていると想像すると、私の書棚に並んでいる本をしげしげと眺められる感覚を思い出してちょっと落ち着かない。それに隠宅の意味がなくなってしまうではないか。いずれにせよあまり心地よいものではない。そう思っていたらGoogle Street View 'broke South Korea privacy law'という記事が目についた。韓国での話であるが、グーグルのGSVデータを集める収集車が、パスワードで保護されていないWi-Fiで交信される個人もしくは法人のEメイルを収集していたというのである。Eメイル・データの収集が英国、カナダ、オーストラリア、スペインではプライバシー法違反と判断されているが、韓国も今月一杯に結論を出すようである。日本ではどうなっているのだろうか。

私はゴシップが大好き人間だから、その裏返しに、自分のことについてもたとえばこのブログでベラベラしゃべってしまうところがある。いわばプライバシー感覚が希薄なんだろうが、それでも頼みもしないのにわが隠宅が表札を明記されて世間に広められることは、どうも釈然としない。そこで個人情報保護法との関連をネットで調べたところ、次のような記事に出合った。要点を抜き書きする。

「ストリートビューは個人情報保護法の規制対象外」、総務省研究会が見解示す

 総務省は2009年6月22日、「利用者視点を踏まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会」の第2回会合を開催し、Google社のストリートビューに代表される道路周辺映像サービスの違法性に関する検討結果を報告した。ここでは、個人情報保護法に違反していないか、プライバシーや肖像権を侵害していないかを検討した。報告では、個人情報保護法の義務規定の適用外であるため違反には当たらず、プライバシーや肖像権に関してもサービスを一律に停止すべき重大な侵害があるとは言えない、との考えを示した

 道路周辺映像サービスは、特定の住所から特定の個人を検索したり、個人名から住所を検索したりといったことはできない。そのため、個人情報保護法の適用外であるというのが報告書での見解である。
(松浦 龍夫=日経ニューメディア [2009/06/22] )

この赤字の部分が私には引っかかった。この記述に反して明らかに特定の住所から表札に明記されている私という個人を検索出来ているからである。そしてこの記事には続きがある。

 個人情報そのものについても、道路周辺映像サービスで提供される情報は個人情報に当たらないという考えを示した。例えば道路周辺映像サービスで提供される情報として候補に上がるのは、住居の外観や自動車のナンバープレート、個人の容貌がある。住居の外観については、表札が読める状態など例外を除けば、誰の住居か特定できないものであるから個人情報に当たらないとしている。自動車のナンバープレートが映っている場合でも、所有者の個人情報を調べるには運輸支局へナンバープレートに表示されているすべての文字・数字を提示して、申請者の氏名や申請目的も明らかにする必要があるため、個人の特定は容易ではない。個人の容貌が映っている場合も、サービス事業者が顔にぼかしを入れるなどの措置を講じた上で公開している限り、個人識別性を欠いているため個人情報には該当しないとした。

住居の外観については,表札が読める状態など例外を除けばの部分は、表札が読める状態なら個人情報に当たると言っているのである。その意味では私の場合は個人情報保護の対象になると言うことなのだろう。

隠宅を表示した画像の左下にある「問題の報告」をクリックすると新しい画面が開き、「プライバシーに関する問題」ということで、表札にぼかしを入れることを要求出来そうである。しかし私が何も後ろ暗いことをしたわけでもないのに、自分の表札を塗りつぶすなんて嫌なことである。まあ集団訴訟を誰かが起こすのなら加わるとして、それまではのんびりと構えておくことにする。

参議院の問責決議という妖怪

2011-01-07 21:50:47 | 社会・政治
昨日asahi.comが

「菅・仙谷には国を任せられない」…西岡参院議長が手記

 西岡武夫参院議長が8日発売の月刊誌「文芸春秋」に、菅直人首相を「国家観、政治哲学を欠いたままで国を担う資格なし」、仙谷由人官房長官を「放言はとどまるところを知らない。問責決議を受けたのは当然」などと批判する手記を寄せた。

 手記の表題は「菅・仙谷には国を任せられない」。民主党出身の議長の厳しい政権批判は異例だ。国営諫早湾干拓事業への首相の対応について「すべてがスタンドプレーありきの思いつき」。新年度予算案で増額した子ども手当にも矛先を向け、「増税辞さずにひねり出した財源を所得制限もなくバラまくなんて、社会主義的発想がよみがえったかのようだ」とした。

 問責決議を受けながら辞任しない仙谷氏には「法的拘束力のなさを理由に平然としているのはいかがなものか」と指摘。国会答弁は「わざと相手を怒らせ論点をそらす」として、「彼の発言は国会答弁の名に値しない。弁護士の経験からつかんだ法廷闘争のやり方だ」と記した。
(2011年1月6日22時0分)

と報じたかと思ったら、それに仙石官房長官が次のように反論したそうである。

仙谷氏、西岡参院議長に反論 問責の効力めぐり論争

 仙谷由人官房長官は7日の定例会見で、西岡武夫参院議長が問責決議を理由に仙谷氏の官房長官辞任を月刊誌で主張したことを問われ、「憲法論、権力論との関係でどういう論理なのか拝見したい」と疑問を呈した。西岡氏は民主党出身の議長で、問責の効力をめぐる論争が政権党にも飛び火している。(中略)

 西岡氏はこれまでも「問責を受けたことへの重さの自覚がない」などと仙谷氏らを繰り返し批判してきた。問責効力の否定を容認すれば、参院の存在感低下につながりかねないためだ。

 そもそも、問責効力をめぐる論争は今に始まった話ではない。2008年6月に福田康夫首相(当時)の問責決議が参院で可決された際、当時野党だった民主党側は問責の効力を主張し、政権側の自民党が問責を否定していた。攻守の立場を変えて同じような論争を繰り返し、さらには政権内でもいさかいが始まったことに、衆院副議長経験者は「問責というのは単なる『おしかりを受けた』というだけの話だ」と嘆いている。
(2011年1月7日20時15分)

私はそもそも貴族院の亡霊のような参議院なんて不要であると折に触れて論じてきた。

総選挙雑感(2) 『風見鶏のヤス』の子は不肖の子
『ずっこけ風見鶏』は参議院廃止論に拍車をかける
今こそ参議院廃止を声高に唱えよう!

だからこんな参議院の、しかも何ら法的拘束力のない問責決議が単なる『おしかりを受けた』というだけの話というのを素直に受け取ることが出来る。ところが野党のみならず民主党出身の参議院議長までが、いや議長だからこそと言うべきなのかもしれないが、問責決議に過大な権威付けをしようとしているのが以下にも滑稽で猿芝居にみえる。私は民主党政権に肩入れする者ではないが、国民の一人として問責決議を巡る茶番劇の幕を早く下ろして欲しいのである。今となっては仙石官房長官と馬淵国交相がどういう理由で問責決議をされたのか、それを即思い出せないだけにこの思いは深い。



登山口まで初登山

2011-01-06 22:54:08 | Weblog
何もしないのが健康法、これが私のモットーだから健康のための運動なんてしたことがなかった。仕事で身体を動かしているだけでよかったのである。健康診断も20年以上受けたことがないから、人が気にするような数値とはまったく無縁、悪い数値がないわけだからすなわち健康そのものなのである。と嘯いていたが、後期高齢者となって恐らくこの言葉に暗示をかけられたのだろうが、足の筋肉の衰えを少し意識し始めた。それなら、と最近スクワットを始めた。毎日続けて今日で四日目である。そして週に一度は山に登るのもいいなと思い始めた。


この山、私の部屋の北西を向いている出窓から左手に見えるからちょうど西方にあることになる。西方とは西方浄土、まだ行くには早すぎるのでこれまで足を向けたことがなかったが、もう縁起をかつぐこともあるまいと、この山に登ってみる気になった。ところがどの道を辿ればいいのか、地図を見ただけでははっきりしない。そこで今日の午後、探索に出かけた。

Google Mapで一応調べて、自分の知っている道と組み合わせて往路を決めた。その選択が良かったのだろう、迷うことなく35分間歩いて登山口を見つけることが出来た。


通りがかりの人に聞いてみたら山頂まで30分ほどかかるとのことである。標高330メートル足らずだからそんなものだろうが、今にも雨が降りそうに空が暗くなってきたので、勇気をふるって登るのを断念した。

往路は南回りであったが、地図では北回でも行けそうなので、実際に歩いてみることにした。役に立ったのがiPhoneのGoogle Mapである。要所要所で自分の現在位置を地図の上で確認出来るから、道筋の選択がとてもやりやすい。迷うことなく家に辿り着いた。間に休憩も入って90分のウオーキングで私にはこれだけで十分である。考えてみれば私の目的はとにかく歩くこと、山に登ることではない。それに山頂まで登ると往復で2時間はかかってしまうがこれではやり過ぎ。目下、登山口までの登山でいいような気がしている。

砂古口早苗著「ブギの女王・笠置シズ子」 今年も笑ってラッキー・カムカム!

2011-01-05 20:10:37 | 読書


新聞の書評でこの本のことを知り、さっそく本屋に出向いて一冊だけ残っているのを手に入れた。大正の始めに生まれた笠置シズ子(本名 亀井静子)は私の20歳年長で、歌手として彼女が活躍した時期は私の誕生から大学卒業までの時期とちょうど重なる。「東京ブギウギ」、「ジャングルブギ」、「ヘイヘイブギー」に「買い物ブギー」など、ラジオを通じてだと思うが、当時の歌手の歌い方とはてんで違ったパンチの効いた歌に魅了されて、いつの間にか覚えてしまった。しかし彼女の舞台姿をテレビ時代になってからも見たことはなく、私には「家族そろって歌合戦」の審査員としての印象だけが残っている。歌手を引退したからにはたとえ懐メロ番組にも登場しないという頑固さが知れ渡っていたが、この本では彼女の筋を通した生き方が子細に紹介されていて彼女の人柄に魅せられてしまった。

静子出生の翌年に父が病死し、母の乳の出が悪くて添え乳を頼んだのが縁になり、その「乳母」に貰われることになった。この養父母に対して後年静子がいかに孝養を尽くしたかが次のように語られている。1939年7月の松竹楽劇団(SGD)公演「グリーン・シャドウ」に出ていた頃である。

 この時期、SGDから支給される笠置の月給は二百円で、当時の若い女性がもらう給料としてはかなり高額だった。だがこの中から百五十円を大阪の両親に仕送りし、二十円を寄宿している山口宅に支払い、残りの三十円で衣服その他を賄ったのだから、笠置がいかに親孝行な娘だったかがわかる。

著者の砂古口さんは丹念に多くの資料に当たり、笠置シズ子の一代記を綿密に築きあげているので、気は焦れども読み飛ばすわけにはいかない。そのうえ砂古口さんの執筆姿勢の芯にあるものが諸処で私の共感を掻きたてるものだから、ますますじっくりと読み込むことになる。たとえば「買い物ブギー」の歌詞を巡っての話である。

 「買い物ブギー」は不幸なことに、発表当時は大ヒットしたにもかかわらず、突然ある時期から歌われなくなったり、歌詞のある部分が削除されてしまうのである。恐らく誰もが知っているように、歌詞の中に「つんぼ」という言葉が出てくる。
 「オッサンオッサンオッサンオッサンーー わしゃつんぼで聞こえまへん」
 実は、歌はこれで終わるのではない。映画ではこの後、ぺ子ちゃんは向かいのおばあさんの店に行く。
 「そんなら向かいのおばあさん、わて忙しゅうてかないまへんので、ちょっとこれだけおくんなはれ 書き付け渡せばおばあさん これまためくらで読めません 手探り半分なにしまひょ」

そしてこう続く。

「つんぼ」や「めくら」は、現代では障害者差別用語とされている。私もそうした言葉を使うのは適切ではないと思う。だが少なくとも一九五〇年当時の社会はそうではなかった。文学や映画も同様で、特に流行歌は時代を映す鏡だ。歌詞に、今でいう差別用語が使われた流行歌は何も「買い物ブギー」だけではない。現在でも不適切な言葉とされているもので、他に”おし””びっこ””みなし子””土方””流れもの””屑屋”などがある。

このような指摘をした上で著者は

 かって人々は、今日では差別用語とされる言葉を日常的に用いてきたが、こう考えることもできる。私が子どもの頃、耳の遠い老人や目の見えない人は身近にいた。少なくとも昭和二十年代、昭和三十年代当時はさまざまなハンディーを背負った人々が私たちの周りにいて、普通に生活していたのだ。確かに彼らは不当な差別を受けたかもしれない。だた、健常者も障害者もともに助け合って生きてきた時代であった。そういう意味では、当時は現代よりももっと共生社会だったのかもしれない。

まったく同感である。だから

 差別の実態を隠し、黙認したまま単なる”言葉狩り”でよしとすることこそ不適切で居心地の悪い社会だと私は思う。

 「買い物ブギー」は今聞いても実に楽しい歌だ。私が願うのは、現在の歌手が歌い継ぐ場合は別として、笠置が歌うCDの「買い物ブギー」を、映画で歌われたものと同じフルバージョンで完全に復活させてもらいたいし、映画『ペ子ちゃんとデン助』もぜひノーカットでリバイバル上映して欲しい。

まったくその通り。そして過去の事実を忠実に現代に甦らすノンフィクションライターとしての著者の信念に裏付けされた真摯な姿勢に敬意をいだき、ますます物語に引きつけられていく。

少し横道に逸れたが肝腎の笠置シズ子である。彼女の人間性の襞に触れるにはこの本を熟読玩味するしかないのであるが、なるほどと私が感じたエピソードを二つほど取り上げてみる。一つは昨年暮れに亡くなった高峰秀子との交流である。高峰は笠置より十歳年下で映画『銀座カンカン娘』で共演もしているが、その自伝『私の渡世日記』を引用しつつ次のように述べている。

「彼女は全身全霊を動員して、ステージせましと歌いまくり、観客をっしっかり捕らえて放さない。笠置シズ子は歌そのものであった」(中略)
高峰は笠置のことを、「あけっぴろげな人のよさ」と「律儀でガンコ」を併せ持つと分析するが、これは高峰自身にもいえるのではないだろうか。
 「そのガンコさが、ある日、ある時、あれほどの歌唱力を惜しげなく断ち切り、歌謡界からキッパリと足を洗わせてしまったのだろう。ファンとしては哀しいことだが、小気味のいいほど見事な引退ぶりでもあった。見習いたいものである」
 高峰は笠置をこう評し、やがて五十五歳で自らも”小気味いい”引退を果たした。笠置を見倣ったのだろうか。

十分納得出来る話である。この二人が一緒に出てくるシーンをYouTubeで見ることができる。


田中角栄とはつぎのように遭遇した。

 時期は一九七〇年代後半で、番組の地方収録のとき偶然、新潟発の飛行機内で田中角栄と会う。笠置と田中は互いに一面識もない相手だが、むろん、双方とも相手が誰だかはわかっている。(中略)その田中が笠置に「いやあ、笠置さん」といかにも親しそうに言いながら手を差し出した。だが笠置はプイと、そっぽをむいたまま。そのとき田中がどんな表情をしたかはわからない。出した手を引っ込めて、憮然として立ち去ったのだろうか。笠置は飛行機を降りてから同乗者にこう言った。
 「あんな政治家がいるから日本が悪くなるのや」
 すごい。こんなことはなかなか言えない。生真面目でモラリストの笠置にとって、権力を手にする者が賄賂を取るなどはもってのほか、政治家としてあるまじき行為なのだ。田中角栄もまた笠置同様、義理人情に厚い苦労人だったが、笠置は情緒に流されることなくものごとを合理的に判断でき、毅然としたところがあった。それにしても握手ぐらいしてもいいのに・・・・・と思う人は、笠置シズ子の性格を知らない人である。

いやあ、すごいおばちゃん。惚れ惚れとしてしまう。

ところがこの笠置シズ子、実は「シングルマザー」なのである。そのいきさつとか、三島由紀夫がどれほど笠置への片思いを縷々と語ったか、引用し始めるとキリがないしそれでは著者に義理を欠くことになるので、興味のあるお方はぜひ本書を繙いていただきたい。絶対損はしない。

笠置シズ子の「昔から笑う門にはラッキー・カムカム」でしられる「ヘイヘイブギー」を、「大虎姫」というグループが演じているのをYouTubeで見つけた。なかなか楽しい。「東京ブギウギ」に続いて出てくる。さあ、今年も笑ってラッキー・カムカム!



大満足の第54回NHKニューイヤー・オペラコンサート

2011-01-04 16:39:21 | 音楽・美術
昨年の第53回NHKニューイヤー・オペラコンサートは私にいわせると散々な出来であったものだから、面白くなかった第53回NHKニューイヤー・オペラコンサートでは恥ずかしげもなく悪態をついたうえで次ぎのように締めくくった。

こんな下手な筋書きはまったく不要である。なにが「スペクタクルで官能的」だ。なにが「贅沢なステージを繰り広げます」だ。夾雑物を大げさに持ち込んだだけなのに、独りよがりにもほどがある。歌手の顔見せこそすべてなのである。来年こそNHKニューイヤー・オペラコンサートの原点に立ち返り「乾杯の歌」をぜひ復活して欲しいものである。

この思いが神に通じたか、今年の第54回NHKニューイヤー・オペラコンサートはその原点に立ち戻って歌手と歌がまさに主役となり、無駄のない引き締まった舞台背景がそれをしっかりと支えていた。さらに端正な司会の壷を抑えた案内と進行がこのフェスティバルを大いに盛り上げていた。昨年とは打って変わったこの変貌に私は心惜しみなく拍手を送り、ブログ・タイトルを「大満足」で飾ることにしたのである。

私は予備知識を一切仕入れずに番組を楽しむことにしている。だから「アイーダ」の耳慣れた合唱で歌手が次々と登場する場面に「今年はまともだな」と直感した。そして期待は裏切られなかった。なんせ「ドン・ジョヴァンニ」、「トスカ」、「ボエーム」、「こうもり」に「椿姫」が選ばれているのだから、アリアや重唱の歌われる場面が自然と思い浮かんでくるというものだ。家だから誰に遠慮することもない。ブラボー、ブラボーと叫んでははしゃいでいた。ニューイヤー・オペラコンサートはこう来なくちゃいけない。そう言えば観客からの声援もなかなか熱がこもっていたようだ。

オペラとしてまとまって鑑賞する機会はほとんどなくても、歌を聴けばどのオペラとすぐに分かる曲目も多く選ばれていた。というより私がたとえ部分的でも口ずさめなかったのは「ウェルテル」から「春風よ、なぜわたしを目覚ますのか」、「タンクレーディ」からの「恭しくあがめ奉る公正なる神よ」、「マクベス」からの「裏切り者め!」、「哀れみも、誉れも、愛も」ぐらいだったので、選曲に言うことなしである。たとえ耳慣れていなくても、「ウェルテル」を歌った望月哲也、「タンクレーディ」の高橋薫子に「マクベス」の堀内康雄による熱唱には素直に身を浸らせていた。ベテランに新進と歌手の層の厚いのは嬉しい限りであるが、歌手にとって年間を通じてベスト・コンディションを維持するための体調管理は大変なものだろう、佐野成宏の歌唱にそれを感じた。回復を祈りたい。

一つだけとくに取り上げるとすれば、「ボエーム」第三幕のミミとロドルフォによる二重唱と、それにムゼッタとマルチェッロの口げんかの二重唱がかぶさって、四重唱になっていくところがよかった。アンサンブルの美しさはもちろんであるが、酒場であろうか、メルヘンチックな小屋に背景が四重唱に詩情を添えていたからである。

お洒落だったのは第二部のアリス・紗良・オットによるリスト作曲「リゴレット・パラフレーズ」のピアノ演奏。お口直しかどうかはさておき、シャーベットの頭につんと来るような刺戟がちょっとした緊張を呼び起こしてくれた。

最後が「椿姫」第一幕のハイライトで締めくくりが「こうもり」の大団円でも歌われる「ブドウの炎の流れの中に」、すなわち「乾杯の歌」の大盤振る舞いである。もう何も言うことない。今年は大満足であった。願わくば来年もかくあらんことを!



初詣の住吉大社は創建後30回目の還暦を迎えた

2011-01-03 23:32:01 | Weblog
今日も昨日と同じように穏やかだったので、思い立って住吉大社に初詣に出かけた。一弦琴「住江」を元日に演じたせいでもある。阪神三宮駅から阪神なんば線で大阪難波駅まで行き、南海電車空港線に乗り換えて住吉大社駅で下車した。阪堺線の線路上から太鼓橋にかけて参詣客がぎっしりと詰まり、交通整理の係員に身を任せて私も線路上でしばらく立ち止まっていた。幸い無事に線路を渡り終えたが遅々として進まない。数十秒立ち止まっていると五、六歩ほど前に進みまた止まる。これの繰り返しであるが、参詣道横の屋台が途切れるところまで来るとようやく止まることなく動き出した。太鼓橋は上るにせよ下るにせよ、誰かが足を滑らせでもしたら、周りの人は間違い無く巻き込まれてけが人も出ることだろう。迷惑をかけることなく太鼓橋を渡り終えてやれやれである。手水舎では柄杓が無くパイプから直接流れ落ちる水で手を清めてなんとか参拝を終えた。

ところで手水舎ではまだ押し合いへし合いだったので気付かず、したがって確かめようがなかったが、その後ネットで調べると手水舎の水は石造りのうさぎの口から出ているようであった。そしてそのかたわらに「住吉大社と兎 兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯年の卯月である御縁により奉納されたものです」との由緒書きがある。


「ひまつぶ写~!」より)

これは面白いと思った。というのは実は今年が辛卯年で私は自分の年賀状にそのように認めたのである。


住吉大社の創建が辛卯年で今年も辛卯年。ということは住吉大社が還暦を何回も繰り返したことになるが、由緒書きの説明が正しいとすると今年は1800年目、すなわち30回目の還暦を迎えたことになる。そのキリの良い年にそのことを知らずに偶然この社に年賀の参詣をしたことになるが、これこそ私が好きな因縁話である。西暦211年の辛卯年は後漢献帝の建安16年にあたり、日本書紀と照らし合わせると確かに神功皇后摂政の時期にあたるので、この由緒書きが文献上は事実であることは否定出来ない。それなら創建1800年祭を住吉大社がもっと喧伝してもよいだろうに、そのような気配は私には感じられなかった。寺院と違って神社はそういうことに超然としているのかもしれない、とふと思った。


2011年の初日

2011-01-01 23:43:51 | Weblog
今朝は日本全国曇りがちで、初日の出を拝めるところが限られているなんて天気予報が言っていたけれど、朝7時半頃、食卓に坐ると朝日が顔にまともに当たった。時間的には日の出の時刻は過ぎていたが、初日であることには間違いはない。iPhoneの磁石で私の座っている位置から縦長の出窓の方角を見ると、南東130度と表示が出てくる。距離は5メートルは離れているが、太陽の位置が低くなっているから丁度顔に当たるのである。太陽は徐々に高くなりつつ移動して、8時過ぎには窓から離れてしまった。

北西の方角にある標高400メートルに少し足りない裏山には、毎日300人ほど登るそうである。往復にどれほど時間がかかるのか分からないけれど、今年から出来たら時々登ろうかと思い、元旦のご来光を迎えることから始めるつもりであったのに、天気予報のせいで出足をくじかれてしまった。でも坐ったままで初日をもろに上半身に浴びたので儲けものをした感じである。今年は何か良いことがる予兆なのだろうか。

例年なら地元の神社に初詣するので今年もそのつもりであったが、ケーブルテレビで午前10時から「ドクトル・ジバゴ」を見始めたら終わったのが午後1時半。ちょっと外に出てみると暖かい屋内に馴染んだ顔の皮膚に冷気が痛いように突き刺さる。これで初詣の気が消え失せてしまったが「アスタマニャーナ」、また明日があることだからと鷹揚に構える。夜は7時から例年のごとくウイーンフィルのニューイヤーコンサートを見始めたが、音楽はともかく雰囲気は一応味わったので、9時になるとチャンネルを切り替えて、さきほどまでヒットーラーの暗殺計画を描いた「ワルキューレ」を観ていた。2009年製作の作品が基本料金だけで観られるなんてえらいサービスである。

一弦琴は少々奏でたがほぼテレビ漬けになったこの元日、これでいいのかなと思っているうちに一日が終わりである。