歳末の12月22日に開店したMARUZEN & ジュンク堂書店 梅田店へお出かけした際に、思いがけない本に遭遇した。私が高校生時代に弘文堂から発刊された「アテネ文庫」が、真新しい姿で展示されているのである。半世紀を経ての復刊である。

今、手元にある宇田道隆著「寺田寅彦との対話」(アテネ文庫 139)の奥付に次のような「刊行のことば」がある。《たとい小さく且つ貧しくとも、高き芸術と深き学問とをもって世界に誇る国たらしめねばならぬ。「暮らしは低く思いは高く」のワーヅワースの詩句のごとく、最低の生活の中にも最高の精神が宿されていなければならぬ》時代のまっただ中に私はいたのである。

この当時一冊が30円、一方、25円出せば老祥記の豚まん一皿三個を口にすることが出来たが、それをぐっとこらえて「アテネ文庫」を買ったのである。当然のことながら「積ん読」の余裕があり得るはずがなく、熱心にページを追ったはずである。実は「研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省」とはなんとまあ・・・で触れた寺田寅彦にまつわる挿話は、この「アテネ文庫」の上記の著者による「寺田寅彦」に依拠したもので、次のような本も一緒に出てきたのでお目にかける。

平均して60ページ強なので読むのに時間はかからなかっただろう。そして思いのまま本を買える状況でもなかったので、読み返すことも多かったように思う。だからこそ何らかの折りに書名なり著者名を思い出せたのであろう。そのうちの一冊、宇田道隆著「寺田寅彦との対話」は、私のまだ生まれる前になるが、大学の先生と学生、弟子との間にどのような交流があったのかを弟子の側から描いたもので、まさに古き良き時代を彷彿とさせる。しかし振り返ると、私が大学で恩師を含め諸先生方に接したそのモデルがここにあったように思う。昔を懐かしみ、幾つかを抜粋してみる。この本の成り立ちは次の序文から知られよう。

今風で言えば学問を熱愛する覚悟があってこそ大学院を目指す資格があるというものだ。




これは昭和2年6月のこと。後年私もかかわることになった生物物理学なる言葉が的確な意味合いで使われているのだから驚く。

科学史教育の重要性を繰り返して説いている。まったく同感。また《勉強出来ない境遇で勉強しなければ偉い人間になれない》とも。不遇を託つ若者たち、頑張れ!である。方向転換もよい。《物理学者が工業方面へ飛び込んで暴れ廻ったら幾らでも仕事がある。工学者はエンヂニヤーの眼鏡を掛けて物を見るから、実用にならぬことはどんな面白いことも顧みない。新しい領域開拓者の注意すべきはAとBの相関だけを調べて直ぐそれを直接の相関と思い込まぬように色々突っついて見ることです。》なんて、応用志向を意識する基礎科学研究者は大いに勇気づけられることだろう。

なんて率直な人生教師だろう。

現役の科学者には耳痛い言葉であろう。初心に戻るべし。


まったく同感。風流を解さない科学者なんて・・・。

科学と言わず学問大好きな若い方々にぜひこの本を手にして頂きたいと思う。自分の進むべき大道に必ず思い当たることだろう。840円也、食事を一、二回抜く値打ちはある。

今、手元にある宇田道隆著「寺田寅彦との対話」(アテネ文庫 139)の奥付に次のような「刊行のことば」がある。《たとい小さく且つ貧しくとも、高き芸術と深き学問とをもって世界に誇る国たらしめねばならぬ。「暮らしは低く思いは高く」のワーヅワースの詩句のごとく、最低の生活の中にも最高の精神が宿されていなければならぬ》時代のまっただ中に私はいたのである。

この当時一冊が30円、一方、25円出せば老祥記の豚まん一皿三個を口にすることが出来たが、それをぐっとこらえて「アテネ文庫」を買ったのである。当然のことながら「積ん読」の余裕があり得るはずがなく、熱心にページを追ったはずである。実は「研究助成受けたら小中で授業義務付け 文科省」とはなんとまあ・・・で触れた寺田寅彦にまつわる挿話は、この「アテネ文庫」の上記の著者による「寺田寅彦」に依拠したもので、次のような本も一緒に出てきたのでお目にかける。

平均して60ページ強なので読むのに時間はかからなかっただろう。そして思いのまま本を買える状況でもなかったので、読み返すことも多かったように思う。だからこそ何らかの折りに書名なり著者名を思い出せたのであろう。そのうちの一冊、宇田道隆著「寺田寅彦との対話」は、私のまだ生まれる前になるが、大学の先生と学生、弟子との間にどのような交流があったのかを弟子の側から描いたもので、まさに古き良き時代を彷彿とさせる。しかし振り返ると、私が大学で恩師を含め諸先生方に接したそのモデルがここにあったように思う。昔を懐かしみ、幾つかを抜粋してみる。この本の成り立ちは次の序文から知られよう。
この本は、私が物理の学生だった時分、同学同郷の御縁で寺田先生の門に出入りを許されて以来先生のお亡くなりになるまで十数年の間親しく御教導を受けているうちに、自分の勉強のためにと思ってその都度耳に残った先生の御言葉を思い出してはノートしておいたもので、『寺彦先生閑話』として出したものが今度は一部俳諧の手引きの章など削ってアテネ文庫に再録されることになった。

今風で言えば学問を熱愛する覚悟があってこそ大学院を目指す資格があるというものだ。




これは昭和2年6月のこと。後年私もかかわることになった生物物理学なる言葉が的確な意味合いで使われているのだから驚く。

科学史教育の重要性を繰り返して説いている。まったく同感。また《勉強出来ない境遇で勉強しなければ偉い人間になれない》とも。不遇を託つ若者たち、頑張れ!である。方向転換もよい。《物理学者が工業方面へ飛び込んで暴れ廻ったら幾らでも仕事がある。工学者はエンヂニヤーの眼鏡を掛けて物を見るから、実用にならぬことはどんな面白いことも顧みない。新しい領域開拓者の注意すべきはAとBの相関だけを調べて直ぐそれを直接の相関と思い込まぬように色々突っついて見ることです。》なんて、応用志向を意識する基礎科学研究者は大いに勇気づけられることだろう。

なんて率直な人生教師だろう。

現役の科学者には耳痛い言葉であろう。初心に戻るべし。


まったく同感。風流を解さない科学者なんて・・・。

科学と言わず学問大好きな若い方々にぜひこの本を手にして頂きたいと思う。自分の進むべき大道に必ず思い当たることだろう。840円也、食事を一、二回抜く値打ちはある。