今日も昨日と同じように穏やかだったので、思い立って住吉大社に初詣に出かけた。一弦琴「住江」を元日に演じたせいでもある。阪神三宮駅から阪神なんば線で大阪難波駅まで行き、南海電車空港線に乗り換えて住吉大社駅で下車した。阪堺線の線路上から太鼓橋にかけて参詣客がぎっしりと詰まり、交通整理の係員に身を任せて私も線路上でしばらく立ち止まっていた。幸い無事に線路を渡り終えたが遅々として進まない。数十秒立ち止まっていると五、六歩ほど前に進みまた止まる。これの繰り返しであるが、参詣道横の屋台が途切れるところまで来るとようやく止まることなく動き出した。太鼓橋は上るにせよ下るにせよ、誰かが足を滑らせでもしたら、周りの人は間違い無く巻き込まれてけが人も出ることだろう。迷惑をかけることなく太鼓橋を渡り終えてやれやれである。手水舎では柄杓が無くパイプから直接流れ落ちる水で手を清めてなんとか参拝を終えた。
ところで手水舎ではまだ押し合いへし合いだったので気付かず、したがって確かめようがなかったが、その後ネットで調べると手水舎の水は石造りのうさぎの口から出ているようであった。そしてそのかたわらに「住吉大社と兎 兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯年の卯月である御縁により奉納されたものです」との由緒書きがある。

(「ひまつぶ写~!」より)
これは面白いと思った。というのは実は今年が辛卯年で私は自分の年賀状にそのように認めたのである。

住吉大社の創建が辛卯年で今年も辛卯年。ということは住吉大社が還暦を何回も繰り返したことになるが、由緒書きの説明が正しいとすると今年は1800年目、すなわち30回目の還暦を迎えたことになる。そのキリの良い年にそのことを知らずに偶然この社に年賀の参詣をしたことになるが、これこそ私が好きな因縁話である。西暦211年の辛卯年は後漢献帝の建安16年にあたり、日本書紀と照らし合わせると確かに神功皇后摂政の時期にあたるので、この由緒書きが文献上は事実であることは否定出来ない。それなら創建1800年祭を住吉大社がもっと喧伝してもよいだろうに、そのような気配は私には感じられなかった。寺院と違って神社はそういうことに超然としているのかもしれない、とふと思った。
ところで手水舎ではまだ押し合いへし合いだったので気付かず、したがって確かめようがなかったが、その後ネットで調べると手水舎の水は石造りのうさぎの口から出ているようであった。そしてそのかたわらに「住吉大社と兎 兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯年の卯月である御縁により奉納されたものです」との由緒書きがある。

これは面白いと思った。というのは実は今年が辛卯年で私は自分の年賀状にそのように認めたのである。

住吉大社の創建が辛卯年で今年も辛卯年。ということは住吉大社が還暦を何回も繰り返したことになるが、由緒書きの説明が正しいとすると今年は1800年目、すなわち30回目の還暦を迎えたことになる。そのキリの良い年にそのことを知らずに偶然この社に年賀の参詣をしたことになるが、これこそ私が好きな因縁話である。西暦211年の辛卯年は後漢献帝の建安16年にあたり、日本書紀と照らし合わせると確かに神功皇后摂政の時期にあたるので、この由緒書きが文献上は事実であることは否定出来ない。それなら創建1800年祭を住吉大社がもっと喧伝してもよいだろうに、そのような気配は私には感じられなかった。寺院と違って神社はそういうことに超然としているのかもしれない、とふと思った。