日々是好日

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砂古口早苗著「ブギの女王・笠置シズ子」 今年も笑ってラッキー・カムカム!

2011-01-05 20:10:37 | 読書


新聞の書評でこの本のことを知り、さっそく本屋に出向いて一冊だけ残っているのを手に入れた。大正の始めに生まれた笠置シズ子(本名 亀井静子)は私の20歳年長で、歌手として彼女が活躍した時期は私の誕生から大学卒業までの時期とちょうど重なる。「東京ブギウギ」、「ジャングルブギ」、「ヘイヘイブギー」に「買い物ブギー」など、ラジオを通じてだと思うが、当時の歌手の歌い方とはてんで違ったパンチの効いた歌に魅了されて、いつの間にか覚えてしまった。しかし彼女の舞台姿をテレビ時代になってからも見たことはなく、私には「家族そろって歌合戦」の審査員としての印象だけが残っている。歌手を引退したからにはたとえ懐メロ番組にも登場しないという頑固さが知れ渡っていたが、この本では彼女の筋を通した生き方が子細に紹介されていて彼女の人柄に魅せられてしまった。

静子出生の翌年に父が病死し、母の乳の出が悪くて添え乳を頼んだのが縁になり、その「乳母」に貰われることになった。この養父母に対して後年静子がいかに孝養を尽くしたかが次のように語られている。1939年7月の松竹楽劇団(SGD)公演「グリーン・シャドウ」に出ていた頃である。

 この時期、SGDから支給される笠置の月給は二百円で、当時の若い女性がもらう給料としてはかなり高額だった。だがこの中から百五十円を大阪の両親に仕送りし、二十円を寄宿している山口宅に支払い、残りの三十円で衣服その他を賄ったのだから、笠置がいかに親孝行な娘だったかがわかる。

著者の砂古口さんは丹念に多くの資料に当たり、笠置シズ子の一代記を綿密に築きあげているので、気は焦れども読み飛ばすわけにはいかない。そのうえ砂古口さんの執筆姿勢の芯にあるものが諸処で私の共感を掻きたてるものだから、ますますじっくりと読み込むことになる。たとえば「買い物ブギー」の歌詞を巡っての話である。

 「買い物ブギー」は不幸なことに、発表当時は大ヒットしたにもかかわらず、突然ある時期から歌われなくなったり、歌詞のある部分が削除されてしまうのである。恐らく誰もが知っているように、歌詞の中に「つんぼ」という言葉が出てくる。
 「オッサンオッサンオッサンオッサンーー わしゃつんぼで聞こえまへん」
 実は、歌はこれで終わるのではない。映画ではこの後、ぺ子ちゃんは向かいのおばあさんの店に行く。
 「そんなら向かいのおばあさん、わて忙しゅうてかないまへんので、ちょっとこれだけおくんなはれ 書き付け渡せばおばあさん これまためくらで読めません 手探り半分なにしまひょ」

そしてこう続く。

「つんぼ」や「めくら」は、現代では障害者差別用語とされている。私もそうした言葉を使うのは適切ではないと思う。だが少なくとも一九五〇年当時の社会はそうではなかった。文学や映画も同様で、特に流行歌は時代を映す鏡だ。歌詞に、今でいう差別用語が使われた流行歌は何も「買い物ブギー」だけではない。現在でも不適切な言葉とされているもので、他に”おし””びっこ””みなし子””土方””流れもの””屑屋”などがある。

このような指摘をした上で著者は

 かって人々は、今日では差別用語とされる言葉を日常的に用いてきたが、こう考えることもできる。私が子どもの頃、耳の遠い老人や目の見えない人は身近にいた。少なくとも昭和二十年代、昭和三十年代当時はさまざまなハンディーを背負った人々が私たちの周りにいて、普通に生活していたのだ。確かに彼らは不当な差別を受けたかもしれない。だた、健常者も障害者もともに助け合って生きてきた時代であった。そういう意味では、当時は現代よりももっと共生社会だったのかもしれない。

まったく同感である。だから

 差別の実態を隠し、黙認したまま単なる”言葉狩り”でよしとすることこそ不適切で居心地の悪い社会だと私は思う。

 「買い物ブギー」は今聞いても実に楽しい歌だ。私が願うのは、現在の歌手が歌い継ぐ場合は別として、笠置が歌うCDの「買い物ブギー」を、映画で歌われたものと同じフルバージョンで完全に復活させてもらいたいし、映画『ペ子ちゃんとデン助』もぜひノーカットでリバイバル上映して欲しい。

まったくその通り。そして過去の事実を忠実に現代に甦らすノンフィクションライターとしての著者の信念に裏付けされた真摯な姿勢に敬意をいだき、ますます物語に引きつけられていく。

少し横道に逸れたが肝腎の笠置シズ子である。彼女の人間性の襞に触れるにはこの本を熟読玩味するしかないのであるが、なるほどと私が感じたエピソードを二つほど取り上げてみる。一つは昨年暮れに亡くなった高峰秀子との交流である。高峰は笠置より十歳年下で映画『銀座カンカン娘』で共演もしているが、その自伝『私の渡世日記』を引用しつつ次のように述べている。

「彼女は全身全霊を動員して、ステージせましと歌いまくり、観客をっしっかり捕らえて放さない。笠置シズ子は歌そのものであった」(中略)
高峰は笠置のことを、「あけっぴろげな人のよさ」と「律儀でガンコ」を併せ持つと分析するが、これは高峰自身にもいえるのではないだろうか。
 「そのガンコさが、ある日、ある時、あれほどの歌唱力を惜しげなく断ち切り、歌謡界からキッパリと足を洗わせてしまったのだろう。ファンとしては哀しいことだが、小気味のいいほど見事な引退ぶりでもあった。見習いたいものである」
 高峰は笠置をこう評し、やがて五十五歳で自らも”小気味いい”引退を果たした。笠置を見倣ったのだろうか。

十分納得出来る話である。この二人が一緒に出てくるシーンをYouTubeで見ることができる。


田中角栄とはつぎのように遭遇した。

 時期は一九七〇年代後半で、番組の地方収録のとき偶然、新潟発の飛行機内で田中角栄と会う。笠置と田中は互いに一面識もない相手だが、むろん、双方とも相手が誰だかはわかっている。(中略)その田中が笠置に「いやあ、笠置さん」といかにも親しそうに言いながら手を差し出した。だが笠置はプイと、そっぽをむいたまま。そのとき田中がどんな表情をしたかはわからない。出した手を引っ込めて、憮然として立ち去ったのだろうか。笠置は飛行機を降りてから同乗者にこう言った。
 「あんな政治家がいるから日本が悪くなるのや」
 すごい。こんなことはなかなか言えない。生真面目でモラリストの笠置にとって、権力を手にする者が賄賂を取るなどはもってのほか、政治家としてあるまじき行為なのだ。田中角栄もまた笠置同様、義理人情に厚い苦労人だったが、笠置は情緒に流されることなくものごとを合理的に判断でき、毅然としたところがあった。それにしても握手ぐらいしてもいいのに・・・・・と思う人は、笠置シズ子の性格を知らない人である。

いやあ、すごいおばちゃん。惚れ惚れとしてしまう。

ところがこの笠置シズ子、実は「シングルマザー」なのである。そのいきさつとか、三島由紀夫がどれほど笠置への片思いを縷々と語ったか、引用し始めるとキリがないしそれでは著者に義理を欠くことになるので、興味のあるお方はぜひ本書を繙いていただきたい。絶対損はしない。

笠置シズ子の「昔から笑う門にはラッキー・カムカム」でしられる「ヘイヘイブギー」を、「大虎姫」というグループが演じているのをYouTubeで見つけた。なかなか楽しい。「東京ブギウギ」に続いて出てくる。さあ、今年も笑ってラッキー・カムカム!



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