日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」を戦争を知らない世代に

2010-07-14 16:02:52 | 読書


朝日新聞日曜の読書欄に、売れてる本としてこの本が紹介されていた。あの有名な海軍戦闘機零戦の文字が目についたのと、三面に広告が大きく出ていたので読んでみる気になった。本屋の書棚には一冊も見当たらないので店員さんに尋ねると、なんと平台の上に山積されていた。ふだんなら鳴り物入りの本は敬遠するのであるが、せっかく探し求めてきたことだしと買ったところこれが大当たり、あっという間に読んでしまった。

私はとてもよく出来た戦記、そして反戦の書だと思った。読む人の心に戦争の不条理がじんわりと浸透し、読後には戦争の愚かしさが重く沈潜する。著者は1956年生まれだからもちろん戦争は知らない。だからこそ戦記、歴史に多くを学んだのであろう、末尾に28冊の主要参考文献が挙げられている。このうち私が目を通したことがあるのはほんの数冊に過ぎない。だから未読の本のどこかに語られているのか、それとも著者が自分の思いを登場人物に語らされているのか分からないが、心を痛く打つ場面が幾つもあった。特攻隊員として戦死した祖父の軌跡を孫が調べて、祖父を知る何人かの生存者に戦争と祖父を語らせているのである。気になっほんの一部を取り上げてみる。

祖父は飛行機乗りで、当時世界で無敵と言われた海軍戦闘機零戦の操縦士であった。それほどの名機であるのに、戦争中、零戦のことを私は何一つ知らなかった。何故その名前を耳にしなかったのか、気にはなるがそれはさておき、高性能の一つとして挙げられるのが長い航続距離である。敵地を爆撃する長距離攻撃機を護衛したときは、2000キロを往復して敵地上空で交戦する。これを毎日繰り返すのが戦闘機乗りにどれほどの過重な負担を強いるものか、今のわれわれでも想像出来ることであろう。これを可能にした零戦の図抜けて高い航続距離で、世界に大いに誇るべきことだったのである。ところがかっての部下から次のような祖父の言葉が語られる。

 宮部小隊長がある時、零戦の翼を触りながら言った言葉が忘れられません。
「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」
 私は驚きました。なぜなら零戦こそ世界最高の戦闘機と思っていたからです。

そして航続距離の話に入る。

「たしかにすごい航続距離だ。一八〇〇浬も飛べる単座戦闘機なんて考えられない。八時間も飛んでいられるというのは凄いことだと思う」(中略)
「広い太平洋で、どこまでも何時までも飛び続けることが出来る零戦は本当に素晴らしい。自分自身、空母に乗っている時には、まさに千里を走る名馬に乗っているような心強さを感じていた。しかし―」(中略)
「今、その類い希なる能力が自分たちを苦しめている。五百六十浬を飛んで、そこで戦い、また五百六十浬を飛んで帰る。こんな恐ろしい作戦が立てられるのも、零戦にそれほどの能力があるからだ」
 小隊長の言いたいことがわかりました。
「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断は出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ的が襲いかかってくるかわからない戦場で、八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」

私にはガツンときた。小隊長が語っているのか(著者に)語らされているのかそれはどうでもよい。元軍国少年の零戦に対する賛美とノスタルジアが一挙に吹っ飛んでしまったのである。「それを操る搭乗員のことが考えられていない」、私にはまったく欠けていた視点であった。そのエンジン作りでも思いがけない話が出てくる。零戦も開戦二年目に入ると質が落ちてきた。その事情を元整備士に語らせている。

「発動機は非常な精密機械ですから、百分の一ミリ単位で金属を正確に削る工作機械が必要なんです。いい工作機械がなければ、いい発動機は出来ません。その工作機械が消耗していけば生産が落ちます」
「その工作機械は日本製ではないのですね」
 わたしは黙った頷きました。(中略)
「でも零戦の『栄』発動機は日本製です。米国の工作機械を使おうが、この優れた発動機を作ったのは日本人です。それにこの『栄』発動機をつけた零戦は日本人が作りました」

これがまさかフィクションではあるまい。「ふぅ~」と大きなため息が洩れた。元軍国少年も知らなかったというか目を開かされたことが随所に出てくる。私がここに取り上げたのは、この本を読んでいて何度も何度も頷いたところのほんの一部である。戦争を知らない世代の方々にはぜひ目を通していただいて、かっての戦争の実相がどのようなものであったのかを学んでいただき、戦争について考える切っ掛けにしていただきたいと思う。涙を流すのはそれからでも遅くない。