日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

中島京子著「小さいおうち」が与える静かな感動

2010-07-25 17:19:11 | 読書
第143回直木賞の受賞作品、中島京子さんの「小さなおうち」が朝日新聞に『戦前から戦争下へと向かう時代の中産家庭の暮らしぶりを、戦後の視点から「暗くて悲惨」に描くのではなく、その時代に生きた人間の感覚で「軽やかでリアルに」描いたことが高く評価された。その背景には、膨大な資料の読み込みと咀嚼(そしゃく)があり、直木賞の選考経過を発表した林真理子さんは「なめらかに表現されている」と評価した。』と取り上げられていた。まさに私の好みの題材なので、本屋の店頭にこの本が並ぶのを待ちかねて購入した。


東北の一県からタキが女中奉公で東京に出たのが昭和5年の春で、最初は小説家の家に勤めたが、その翌年、小説家の知り合いの娘さんに幼い子どもがいて手がかかるのでと乞われてそこの女中となった。しかしこの時子奥様、旦那様の不慮の事故死で男の子一人とともにとり残されるが、やがて二度目の結婚話が持ち上がり、見合の席で赤い瓦屋根の洋館を直ぐにも建てます、とアピールした男性に子連れ女中連れで嫁ぐことになる。それが昭和7年のことで、約束の赤甍を載せた二階建ての洋館が建ったのはその3年後である。このように当時としてもお洒落な洋館を新築することが出来、また女中を一人ぐらいは置くような平井家の家庭とその周辺の日々の営みが、タキによって書き連ねられる。この時代は私が生まれて成長した幼少年時代と重なっているので、素直に物語を追うことが出来て、自然と湧き起こるノスタルジアが快かった。

そして戦争が始まり、昭和19年ともなると世情も騒然としてくる。ついにタキも平井家を出て故郷の山形に戻るが、疎開児童の帰京に同行して東京に出て時子に再会する。近況を話し合ったあと、次のような会話に移る。

「ねえ、タキちゃん、いま、何が食べたい?」とおっしゃった。
「え? いまですか? さっき、上野でお昼を食べましたから」
「そうじゃないのよ、そうじゃなくて、もし、いま、何でも好きなものを食べられるって聞いたら、どこの何を食べたいかって話なの。恭一(息子)といっしょに、これを始めると、旦那様、すごく怒るのよ。いやしいことを言うって、おっしゃるの。でも、いいじゃないの、ねえ? 思い出して、楽しんでるだけなんですもの、たとえば、そうねえ、コロンバンのショートケーキが食べたいわ」
 私はびっくりして奥様のお顔を見つめ、奥様はぷっと噴き出された。
「どうしたの、タキちゃん。だから言ったでしょ。楽しんでるだけよ。これから食べようって、話じゃないのよ」

急に涙腺が緩んでしまった。恥ずかしくて口には出せなかったけれど、頭の中でそういう自問自答していた昔を思い出したからである。母の婦人雑誌にある料理やケーキのカラーグラビアを眺めては楽しんでいた。

第一章から始まり話はすでに第七章まで進んでいる。昔を思い出すエピソードが適当に出てくるが、ここに至るまで物語はどちらかと言えば淡々と進められるものだから、一体どこがよくてこれが直木賞?との思いがちらちらと頭を掠めるようになった。それが最終章にいたって思いがけなく急激に展開し、上手に仕掛けられていた伏線に思い当たるようになる。そう思ってみると物語構成が結構論理的でよく計算されていることに納得がいく。ただそれにしては最終章がそれまでのテンポに比べて急ぎすぎのようにも感じたが、読み終わると、あれほど物語の中で生き生きとしていた人がもはやこの世にいないんだなと思い当たるにつれて、心地よい静かな感動が全身を浸していた。間もなく敗戦の日を迎えるこの季節、蝉の声に耳を傾けながら楽しむのにもってこいの小説のようである。


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