日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

白鵬46連勝! そして新田一郎著「相撲の歴史」が講談社学術文庫に

2010-07-24 23:15:19 | 読書
大相撲名古屋場所14日目、横綱白鵬が大関日馬富士を倒して連勝記録を46に伸ばし、あの大横綱大鵬の45連勝を超えて昭和以降双葉山69連勝、千代の富士53連勝に次ぐ3位の座を占めた。ネットでニュースが伝えられるのを追うなどして、大相撲久しぶりの大記録の樹立に私も興奮した。連勝記録がどこまで伸びることやら、双葉山を超えて欲しくなる。

私がかって通っていた京城府公立三坂国民学校にはプールのほとりに相撲の土俵があり、大関名寄岩の一行が立ち寄って取り組みを行ったのを、当時3年生か4年生であった私が土俵際で見たことがある。最近の近畿三坂会で、その時褌を巻いて土俵に上がり、名寄岩と取り組んだという上級生にお目にかかり話しが弾んだ。相撲取りを目の当たりにしたことが切っ掛けとなって、相撲紙人形をこしらえて遊んだり、弟たち相手に相撲を取るぐらいではあったが相撲好きになってしまった。高校一年生の時、担任は体育大学を出た体操の教師であったが、体育の時間に相撲を取ることになり、私は足取りに徹することを決めてその教師に立ち向かい、見事勝利を収めた誇らしい?記憶がある。今にいたるも大相撲が始まると、ニュースでその日の取り組み結果を見ないことには落ち着かないのである。

名古屋場所が異例ずくめの経緯を辿っているが、それはそれなりに理由があってのこと。その一部は大相撲が変に国技に祭り上げられてしまったことにも由来すると思うが、私は日本相撲協会を「相撲特区」にすべしで持(暴?)論を展開しているので興味のある方はご覧いただきたい。

この記事の中で私は新田一郎著「相撲の歴史」(山川出版社)の一文を孫引きさせていただいたのであるが、その本が最近講談社学術文庫と装を改めて出版されたので手にすることが出来た。


先ず驚いたのが著者新田一郎氏の経歴である。こういう類の本を書かれるのだからかなり年配の方かと思ったら、なんとなんと、1960年生まれの方なのである。そして現在、東京大学大学院法学政治学研究科教授、日本法制史専攻、東京大学相撲部部長、日本学生相撲連盟理事とある。へぇ、と思うには当たらない。なんせこの著者は学生時代にはマワシを締めて蔵前国技館の土俵にも登っているのだから。巻尾の『二十一世紀の相撲―「学術文庫版あとがき」にかえて』にもあるが、この本はその著者をして次のように言わしめているまことに力のこもった作品なのである。。

 本書の原型は、一九九四年六月に山川出版社から刊行された。私の最初の著書であり(それゆえ、「相撲と法制史と、いったいどちらが本業なのか」という、立場上正直には答えづらい質問を受けることも多い)、相撲史の全体にわたる記述としては今もって他に代替品なし、との自負をもつ。

「あとがきにかえて」には次のような意見がすらっと出てくる。

「品格」を論ずるならば、昔日の(たとえば明治時代の)力士の無頼豪放ぶりは到底朝青龍などの比ではなく、だからこそ、まっとうな技芸としての社会的地位を獲得するためにことさら「品格」めいたものが唱えられなければならなかったのである。

その昔日の頃、人はいかにして「力士」となるのか。

 大相撲社会は、本格的な相撲経験のない生の素材を大量に仕入れ、不適格者を次々に淘汰することによって少数の適格者を析出し、上位にゆくほど細かくなる人口ビラミッドの形状を維持してきた。他のプロスポーツとは異なり、アマチュアの有力選手という既製品をスカウトするのではなく、未経験者から時間をかけてたたき上げることによってこそ、「ちゃんこの味が染みた」と形容される「力士らしい力士」が出来上がる。

これをまた学問的?に言い直している。

 力士養成員たちは大相撲社会への「正統的周辺参加 legitimate peripheral participation」 によって修業を始め、生活のすべてにわたり先達に倣いつつ「状況的学習 situated learning」を深め、やがて「十全参加 full participation」へと歩を進める。相撲が強くなることと大相撲社会への適応とかがほぼ同期することが、予定調和として想定されている点に、この仕組みの特徴があり、そこでは、長い時間をかけて受け継がれてきた「伝統」をより深く体得した先輩が常に優位に立ち、未熟な下積みに課せられる厳しい修業が正当化されることになる。

この昔日の「力士養成法」が、すでに何かの技を身につけた外国人はやって来るし、また「アマチュア相撲経験者」も入ってくるという現在といかにぶつかり合い、その結果どのような変貌が生じるかをすでに我々は目にするようになっている。そして一方、

 丁髷・化粧マワシ・土俵入り・行司・呼び出し等々の演出装置を欠いた、いささか単純な(?)挌闘競技としてのアマチュア相撲は、相撲人気の蚊帳の外におかれており、国技館で開催される学生相撲の大会でさえ、世間の話題になることはあまりない。(「はじめに」から)

そしてこの問題は「相撲の国際化」とともに深刻さを増していく。

日本文化の伝統に根付いた大相撲の行方がはたしてありうるのかどうか、相撲ファンがじっくり考え直すに当たって、まずこの本が熟読玩味されるべきである。